3話
草木が繁々と生え、木々の葉の間から漏れる日光を反射し輝く湖。正に自然の楽園と言えるこの場所に、似つかわしくない轟音が響く。いつも通りではない楽園の中、不穏な空気が漂う場所に翼は居た。
風の刃の一閃を最小限の動きで躱し、頬には小さな余波を感じる。冷や汗を流しながら目の前を見ると、全てを埋め尽くさんとばかりの氷弾が迫ってきている。
デタラメに上がった動体視力でその全ての軌道を見切り、即座に対応、行動を起こす。高速で迫る氷弾よりも早く縫うように避け、開けた視界の奥、氷弾の発生源に向きあう。
腰近くまで真っ直ぐ伸びた輝く銀髪に、ルビーのように澄んだ紅い瞳、小学生高学年程の身長の少女がこちらを半眼で睨み佇んでいる。紺色の質素なワンピースから小柄ながらもスラリと伸びた長い手足から、何年か成長すれば、絶世の美女となることは間違いないと感じる。
「人の身で儂の魔法を避けるとはの。お主は人間に見えるが、高位の魔獣か何かか?魔法を使っているようにも見えなかったしのう。」
「人間も人間。君みたいに人間離れしたこと出来ないし!」
「お主が言えたものではないが、まぁ儂は人間ではないしの。」
ニヤリと口の端を釣り上げる少女の周りに細い雷が迸る。数瞬の間に轟音を放つようになった雷が、周りの自然を破壊し大地を穿つ。
「次は当ててやるぞ。」
少女の言葉が終わると同時に雷が襲ってくる。まさに電光石火、視認不可能。常人では絶望的だと思える状況に対し、危機を打破するべく思考する。
まず、何故このような状況になったか、その原因から考える。
翼は溜息を吐き、その心中しんちゅうを漏らす。
「本当に何でこうなったんだよ…。」
そもそもの原因である異世界で蘇生した時の展開を回想する。
まるで、夢の中に居るかのような感覚。まどろみの中で温かい水中に、無抵抗に落ちてゆくようだ。
心地良く漂っていたところ、翼の身を包み込んでいた暖かい光が弱まり、空中に投げ出されたような感覚を覚える。突然目の前の景色が鮮明に映り、珍しい髪の色をした少女と思われる頭部を認識する。徐々にその頭部と接近する事で、翼は落下している事にようやく気付く。
「え、あ、あぶな…!」
直前に注意するも遅く、翼は少女と衝突する。地に激突したものの、上昇した身体能力によって特に痛みは無く、すぐに衝突した少女の安否を確認する。
幼い小さな顔が、驚愕でクリっと丸くした目を翼に向けている。怪我は無いようだが、何が起こったのか分からない様子だ。
見つめ合うこと数秒、翼は現在の状況にようやく頭が回る。
少女に覆いかぶさる形で着地していた。少女の質素なワンピースは片方のひもが外れて、まだ成熟しきっていない胸を守る下着が覗く。
仮にこの場に両名以外に人が居たとしたら、その人は間違いなく、翼が年端も行かない少女を押し倒し襲っているように見えるだろう。押し倒している事実は合っているが。
「ごめん!本当にごめん!大丈夫?」
謝りたがら起き上がる。襲ったように見える状況は非常に不味い。少女が勘違いをしかねない。少女暴行の罪を被りたくはないと、起き上がる行動は非常に早かった。
少女はワンピースの肩紐を直しつつ、ゆっくりと立ち上がり、翼を敵意の篭った眼で睨む。
「儂を襲う人間がまだおるとはの。接近されたことも全く気づかなかったし…、ましてや接触を許した事など何百年振りかのう。」
とても古風な話し方をする少女は、何か別の勘違いをしているようだ。
少女がスッと眼を細めると、身を切るような殺気が翼を貫く。この感覚は覚えがありすぎる。心中に刺された時の感じと同じ、殺す覚悟をしたものに睨まれた時のあれだろう。
しかし二度目だからか、身が竦む事はない。身体能力の向上を感じ、何が起こったとしても何とか命は助かるよう対処出来る自信が在る事も理由の一つにあたる。
「儂の殺気で気を失わないか。大したものじゃな。面白い、実に面白い。」
「何が面白いのかは全く分からないけど、本当にごめん。襲うつもりも全く無いよ。見た感じ怪我は無いけど、どこか痛むところとかある?」
「随分と暇をしていてのう。暇を潰すためにぶらぶらしていたんじゃが、中々面白そうな玩具が落ちてきよったわ。」
「頭の上に落ちちゃったからね。もしかしたら後から酷い事になるのかも。こういう時どうすればいいんだっけな。」
「本当に調度良い。しっかりと儂の暇を潰してもらおうかの。」
「あぁ、やっぱり頭を強く打っちゃったんだね…。」
少女がこちらに手を伸ばす。その指先に風が生まれ、一つの刃となって打ち出される。
--そして冒頭部に戻ることになる。
目の前に居る少女は驚愕に顔を染めている。何が起こったのかまるで分からないと言った様子だ。
「どうやって雷を躱したんじゃ…?」
「雷の間を掻い潜って。当たったら流石に唯じゃ済みそうになかったし。」
「出鱈目な奴じゃのう…。」
「…君に言われたくないよ。」
少女の形をした化物に出鱈目と言われ、少しげんなりとする。向上した身体能力を使って雷の軌道を眼で追い、単純に当たらないように避けただけだ。
驚愕から落ち着き、次第に面白いものを発見したという顔をする少女に、翼はよくない予感を感じる。
「本当に敵意は無いようじゃな。ならば、何故このような森の奥深く、儂の上に落ちてきたんじゃ?」
「んー…、君の上に落ちたのは偶然で、何故って言われると難しい。新しい旅立ちの為、かな。」
訳の分からない理由で少女の質問をはぐらかす。異世界から転生してきましたなんて、信じてもらえないだろう。全く的はずれな回答というわけでも無いし、これ以上の回答は特にはない。
「訳がわからんが、お主は旅人なのかの?」
「そうだなぁ、今この瞬間から俺は旅人って事で。色々見て回りたいし。」
「ふむ、やはり旅人か。そうかそうか。」
満足そうに何度も頷く少女。満面の笑みで話を続ける。
「うむ!そういう事ならば儂もお主と共に旅をしよう!」
「は?」
「儂の名は、ローゼ=ラングニック、だ。お主の名は何じゃ?」
「いやいや、何で一緒に旅をする事になるんだ?」
「なんじゃ名前くらい教えてくれても良いではないか。これから一緒に旅を共にする仲じゃろ?」
突然、何を言っているのかまるで理解が追いつかないが、満面の笑みを浮かべるローゼと名乗る少女を見た感じでは、先ほどの敵意は何故か霧散しているようだ。
何故、共に旅をするという発想に至ったのかは非常に謎だが、地理やこの世界の物、常識を知っている者が付いてきてくれるのは正直助かる。
「…まぁ、いいか。俺の名前は佐天翼。あ、翼がファーストネームね。」
「ほう、サテンツバサか。ツバサは珍しい名前をしておるな。」
ローゼの名前から考えるに、こちらの世界では欧米風の名前が主なのだろう。だとしたら、ローゼの言うとおり、翼の名前は珍しいはず。目立つことをしたら直ぐに覚えられる。悪いことは出来ないなと考える。
「ふっふっふー、さぁ翼よ!旅の始まりじゃ!」
宣言し、ずんずんと爆心地の如くと化した場所を離れていくローゼに、翼は小走りで追いつき横に並ぶ。横顔を見ると先ほどと変わらず満面の笑み。それに釣られて翼も笑を零す。
こんな旅の始まりも有りか、と翼はその歩みを進める。
面白くなりそうな予感を目一杯に感じながら、二人はポッカリと空いた森の中から消えていった。