デブ
痩せろ。
目が覚めたら、顔の前にだれかの胸毛があった。見知らぬ、胸毛だ。
卒業式のパーティーのあとも昼まで飲み散らして、僕は後ろ髪を引かれながら家へと戻った。僕にだって後ろ髪はまだ、フサフサにあるのだ。
スーツのジャケットだけ脱ぎ捨てて、ベルトを緩めることもせず、そのままベッドに飛び込んで。一体どうして、胸毛をみながら目を覚ますことになるのだろうか。
起き上がって遮光カーテンを開けると、沈みつつある夕日で、胸毛の主がこうちゃんだと分かる。ふとみると、床には他にも何人かぎゅうぎゅうに転がっていて、それでようやく、酔っ払ったみんなが合い鍵で入ったのだと知れた。大学のそばにひとりで住んでいた僕の家は、よくこんなふうに宿代わりになっていたし、僕も気軽に合い鍵を渡して使わせていた。
夕日に照らされた胸毛をみながら、こいつはなぜ脱いでいるのだろう、と考えていると、床で、デブが蠢いた。
「部長、おじゃましてまーす」
「やあおはよう、副部長君。鍵を開けたのはおまえか?」
「ちがいますよ、幸多さんが……」
そう言いながら、部屋に入ってくる夕日に顔を顰め目薬を点す肉の塊。彼こそが我が『ハゲで部』元副部長である
その折り重なった乳と腹の肉をみながら、僕は我慢できずに叫んだ。
「全員起きて、服を着ろ! それから、床掃除!」
彼等は皆、全裸だった。
床には至るところに18時間以上飲んだ成果がばらまかれていて、そんななかで平気で寝ている全裸の野郎共がすし詰め。現代の蟹工船もびっくりの地獄絵図と饐えた臭いに、たまらず窓を開け放つと、吹き込むまだ冷たい風に、全裸のまま副部長が文句を言う。
「ん、もう、恥ずかしいからカーテン閉めて下さいよ」
「うるせえぞデブ。禿げろ。」
僕は煙草の缶を引っ掴むと、室内の惨状を避けながらベランダへでて、火をつける。
室内で起きて服を着始める衣擦れの音が聞こえたかと思うと、細巻きの女煙草をくわえながら、ランニングシャツとトランクスのデブがベランダへと出てきて、僕の隣に立った。
「火、借りれますか」
「おまえ、ご近所の目があるんだから、もうちょっと服着てから出てこいよ。寒いし」
「女の子の水着より露出度低いですよ。寒さはほら、俺は大丈夫なんで!」
べつに、寒いのは僕じゃないので、100円ライターを投げてやる。デブは無駄に格好つけて煙を吐き出すと、部屋の中に向かってライターを放った。
「おい、チャイルドロック無しのやつ、もうあんま無いんだから、大事にしなさい」
「部長、やっぱりちゃんとしたライター買ったら良いんじゃないですか? そんなに煙草好きなんだから」
「俺の銘柄には、オイルライターは合わないの」
「またそれだもんなあ」
この、可愛げの無い僕の後輩は、僕から部長を引き継いでいる今でも、僕を部長と呼ぶ。ランニングシャツから覗いている胸の谷間はまさに巨乳だけれど、男の乳には夢もロマンもない。
「ねえ部長、部長が居なくなったら、ハゲで部、どうしましょうね」
「ん?」
「だってただの、で部ですよ。ハゲは部長しか居なかったんだから」
「いったろー? 潰すのも、名前を変えるのも、チャラサーにするのも、おまえの自由だって」
ライターが室内に行ってしまったので、僕は仕方なく、火のついた煙草を新しいのにくっつけて吸い込む。ひとりシガーキスだ。
「……生えるといいっすね」
「おまえが禿げるほうが先だと思うぜ」
「あ、そうか、俺が禿げれば、まだハゲで部でいけますね」
「ハゲで部のワンマンアーミー、って呼んでやるよ」
「いいな、それ」
そういってデブは煙草をベランダの灰皿に突っ込んで、部屋に戻っていく。僕にはもう、奴の言う「いいな」が、いったいなにを指してのことなのか、分からなかった。
床のいろいろを掃除させたあと、僕たちは二日酔いの頭を抱えながら、また飲みに行った。鍵を開けて僕の部屋を戦場にしたこうちゃんの責任払いで、僕たちは又、朝まで飲んだ。
むしろ禿げろ。




