ハゲ
みんな禿げてしまえばいいのに。
鏡を見てため息をつく。美容院で言われる、「ワックスおつけしますか?」を、角が立たずに断るのはなぜ、こんなにも、難しいのだろうか。
肩についた髪を払ってもらって、コートを受け取って外へ出る。僕は自分のあたまに感じる風で、そろそろ訪れる春を感じる。
僕はハゲだ。若ハゲだ。
生まれてからずっと、薄毛である。
カットしたての、一番洒落た状態のあたまを隠すようにして、家路を急ぐ。すぐに洗い流して、頭皮のコンディションを確認しなければならない。カットしたてのときには、すぐによくよく気をつけて確認しておくことにしている。
明日になって身支度に忙しい朝、鏡を見たらリカバーできない惨状を呈していた、なんて、笑い話にもならない。
禿げていてなにが困るか、と聞かれると、僕は困ってしまう。僕は子供時代、ハゲなんて気にしたことは無かった。思春期に入っても、ああ自分には漫画みたいな青春は来ないな、くらいで済んでしまっていて、友達と遊び回ることに忙しくしていた。
男子校だったことも、それを後押ししていたのだろう。僕の周りには、幸いにして、ハゲに対するいじめなど無かった。運動部の奴らは、楽だ楽だと一緒になって丸刈りにしていた。
大学生になって女の子とも話すようになって、クラスで自分だけ、さん付けで呼ばれていることが気になった。同じ男子校から進学してきていた友人に探って貰ったら、僕は、多浪生でだいぶ年上だ、と思われていたようだった。
それから僕は、健康な頭皮環境と、少しでも若く見える見た目を作り出すために、ありとあらゆる注意を払うようになった。
それは、決してモテるためではない。おない年の友人として皆と接してゆくために。
明日は、大学の卒業式だ。
「で、部長は就職どこだっけ?」
「俺は、小柴製薬だよ、ほら、“明日を変える!”ってやつ」
「あー! あの育毛剤、の…」
「それそれ。人は見た目が大事ってほんとなんだな。俺がイケメンだからか、あっという間に採用だったわ」
「っ部長似合いすぎー!え、やっぱ効くのあそこの?」
「俺としては、一番いい薬だと思ってるけど、信憑性ないなこれ」
「いや、部長若返ったよ、入学の時、ほんと年上だと思ったもん」
「理恵ちゃんは就職どこだっけか?」
「私はねー、保険の営業なのだよ。部長、保険選びの時にはよろしくお願いしますよ、部長!」
「ふーむ、君次第だね、意味は言わなくても大人なら分かるよねぇ?」
「え、なにそれめっちゃありそう、ドラマみたいっ、いややー」
色とりどりの晴れ着の咲いたキャンパスを、こうして女の子と軽口を叩きながら歩ける喜び。これは、僕が大学四年間かけて築きあげた、『部長』というあだ名とキャラクターのおかげだ。
入学後、まだ誰もが小さなかたまりで動いていたあいだに、僕はひとつのサークルを立ち上げ、そのサークル長として、勝手に名刺を作った。その名も『ハゲで部』。そのサークルはハゲとデブ以外の入会を禁止していたこともあって、一番多い時で6人程度の、超弱小サークルだった。だが、『ハゲで部部長』という名刺は、高校生気質を引きづった新入生の若者集団には大いにウケた。
僕の、禿げたおじさんくさい外見と合わせて、『部長』というあだ名はあっという間に広まって、代替わりして後輩に『部長』を引き継いだあともこうして使われ続けている。
でも、僕はたまに思うのだ。
もし僕がハゲじゃ無かったら、今頃は僕も、理恵ちゃんみたいな女の子と付き合ってたのかな、なんて。
「だめやでぶちょー。理恵に変なこと吹き込まんといてやー?こいつあほやし、ほんとにやりかねんわ」
「こーちゃん! アホはアホでも、私そういうとこはちゃんと一途ですから!」
「わからんやん? これは仕事なの!とか言いよったらあかんよ?」
「もう!」
「はいはい、お熱いこって、ごちそうさまでーす」
こうちゃんは、僕が『ハゲで部』の名刺をつくったときに、真っ先に入会しようとしてくれた、ほんとうに良いやつだけれど、僕はこうちゃんの入会希望を即座にお断りした。こうちゃんは勿論禿げていないし、デブでもない、というより、きっとちゃんとした格好をしたら、モデルにもなれるんじゃないかと思うくらい、スタイルが良い。
いま、こうちゃんは、どこぞの世紀末漫画みたいにパンクな格好をしていて、髪型も緑のモヒカンだけれど、これは卒業式だからのコスプレなんかではなくて、たとえ就職活動でも私服OKのときにはこの格好だったのを僕は知っている。
ちなみにスーツの時には僕が血迷って買ったカツラを借りて着けていたけれど、これはこうちゃんの美意識からくるもので、そこに社会性への配慮が無いこともよく知っている。だって、黒のシャツと黒のネクタイ、というのは絶対に譲らなかったんだから。
そんなこうちゃんが就職できなかったのも、その成功しそうにない就職活動を一番近くで見ていた理恵ちゃんがたまに泣いていたのも、僕は知っている。
こうちゃんの胡散臭い関西弁が、昔一緒に住んでいて実家に連れ戻されていった大阪出身の女の子の真似であることも、酔っ払って標準語に戻ったこうちゃんを見る理恵ちゃんの目も、よく知っている。
こうちゃんが、自分のせいで中退することになったその女の子に顔向けできないと言って、わざとそんな就職活動をしていることも、四月になったら皆に黙って大阪へ行ってしまうことも僕は知っているけれど、理恵ちゃんはそんなこと知らない。
だから、こうちゃんは心配なのだ。自分がいなくなったあと自棄になった理恵ちゃんが、そんな仕事をするんじゃないか、って。こうちゃんは、理恵ちゃんのことをたぶん愛していないけれど、大事な妹のようには思っているのだろうから。
そうして、僕はたまに思うのだ。
僕がハゲじゃ無かったら、僕は「こーちゃん」になれたかな、って。
生えろ。生エロ。




