貴族だろう、優雅にいけよ
王が竜を手懐け、竜征伐を打ち切る方向に舵を取り始めた。
この報は一夜にして王国の一定以上の知識人たちに広がりを見せ始めていた。
驚き、歓喜、憤怒と、各々が抱いた反応はそれぞれであったが、王国中に激震が走ったのには相違がない。
そして大多数の者達はこの流れを歓迎した。
既に王国が竜征伐で負う負担は堪えがたいものだ。増税こそ未だなされていないが、国軍である騎士達の損耗は国庫に莫大な出費を強いている。
そもそもこのような戦争まがいの出兵を繰り返しているのは、貴族達が所持している三級竜殺しの数が近年あまりにも上昇していたからだ。
竜は野生動物である。よって貴族達に領地に降りかかる災害を取り除くとするその討伐を、抑制させるには口実が無かった。
だから王国軍は貴族軍との終わりなき軍拡競争に巻き込まれていた、ということにすぎない。
だが竜が王国に訪れたことで、事態は一変した。
その竜は人間との諍いを嘆き、自身の忠誠を誓う代わりに、人類の竜征伐を取りやめるよう要求したのである。そしてかの王はそれを受け入れた。
これは貴族軍を抑える格好の理由付けになった。
王が白竜を家臣として認め、名前を出してまで宣言したのだ。
ここでもし貴族軍が竜に手を出してしまえば、王が受け入れた約束を反故にさせることになる。
いかに大貴族達が王国に対して半独立を保つ存在であったとしても、王の家臣であることには変わりがない。
明確に逆らってしまえば、貴族軍よりも勝る竜殺しの数と質を持ち、さらに軍勢自体も優勢である王国軍に、介入する格好の理由を与えてしまう。
さらに無理をすれば、殺した竜が白竜の身内であると唱えさせ、家臣同士の争いにしてしまうことで、
軍隊を使わずに王が関与できてしまうかもしれない。
ことここに来て、貴族達には竜征伐を続ける正当な錦の旗を失ってしまうこととなった。
二人の男が机を挟み、話しながら対面している。
彼等の前に供されている酒は、貴族であっても舌鼓をうつ一品であるが、男たちは口に含むことすらしない。
今はそんな享楽に身を任せる余裕は二人には存在しない。
彼等は俗に貴族派と標榜される者達の、筆頭となる者たちであった。
主君であり追い落とす敵である王が、このままでは自分達が挽回できない程の力をつける可能性がある。そんな事態は到底見逃せるはずはなく、彼ら貴族派の中心人物である二人は、王都に構えている彼らの邸宅の一室でこうして策謀に耽っていた。
「由々しき事態となった。これは決して見逃せることではない」
男の一人が言葉を零す。彼は年齢を重ね皺を何本も刻みながらも、未だ端正であるその顔を歪める。
男の名前はオラニエ候。現王の血筋に近い位置にいる大貴族で、大公の地位にいた。
「同意します。オラニエ公。それでは公、今から王城へと行き謀反でも起こしますかな? 抱き込んだ近衛の一部と、我らの私兵でなんとか五千には届きます。地方貴族達に広まりきる前に倒し切れば、いかように真実も歪めることができましょう」
「分の悪すぎる賭けだな、フェルナン候。そもそも今の武力で倒すことができるのならば、とうに玉座に座るのは私だよ。それに、そうした自暴自棄になる者を牽制するために、王は竜殺しを王都に集結させたのだ。それでは火に飛び込む虫だよ」
「浅はかな考え、御諫め頂き申し訳ありません」
フェルナン侯爵は軽く頭を下げ謝罪する。
僅か四代で男爵から駆けあがった一族である彼の所作は、王国で最も古い血を身体に流すオラニエ公と比べても、何ら遜色は無かった。
亜麻色の髪の毛が揺れるのを、オラニエは興味なさげに見やる。この二人の上下関係は明白であった。
フェルナンは伯爵家になったばかりの家を、ここ十数年で出現した竜殺しをいち早く多く集めることで貴族派の中核に押し上げていた。
だがそれでも名門のオラニエ公と比較するには、まだあまりにも弱い家である。
「竜ばかりに眼が行き過ぎた。だがあの短い期間で、竜殺し達を全員集めることを決めるとは、考えられなんだ」
オラニエは敵対しながらも、感嘆しながら王の行為を賞賛する。
オーシュ王国は地方で反乱を起こさせないために、大貴族たちを王都に集結させている。
だがその反乱防止の策は王都において、貴族たちの私兵の反乱を巻き起こしかねないという欠点も存在していた。
近衛兵団は王都に五千、周辺に二万が配置されているが、貴族たちの私兵も大規模とは呼べないまでも、決して少なくない数が王都に散在している。
大貴族全てが反乱を起こせば、一時的とはいえ王都を落とせる可能性すらある。
そして貴族達が擁する三級竜殺しを王都に潜り込ませれば、自領の兵が王都に雪崩込むまでの時間稼ぎすら、夢物語ではなかった。本当に、僅かな確率ではあるが。
だからこそ貴族達が反対することが必須である、竜殺しの数の固定化を図る王の考えを、決して引っ繰り返させないように王都へ武力を集中させたのだ。
一度王が決めたことを、臣下である貴族達が撤回させるのは難しい。
貴族達は潜在的に王への抑止力となる私兵の存在を使い、いつもは王の決定をある程度貴族に傾かせていたのだ。
しかしあの時だけは、私兵を有効に使えなかった。彼等全員の武力を軽く凌駕する、超級の化け物達が王都へ、あの玉座の場に揃っていたからだ。
竜殺し達は、竜だけではなく、あの場の貴族派たちに対しても圧を掛けていたのだ。
扉を開け彼らが雪崩込んできた時、オラニエはそれに気付き腸が煮えくり返るような思いとなった。
「となれば、今すぐにはこの状況をなんとかすることは難しいでしょう」
「忌々しいことにな。それに名目とはいえ人が竜の上に立ったのだ。誇りや復讐といった、実利以外で訴えることも難しい」
彼等にとっては不利になることしかないが、王国全体にとっては利益しかない。
となれば後は、人々の心情の部分で攻めていくことしかできないのだが、それすらも王の発言と竜の態度で潰えた。
もしも王が竜に対して下手に出て交渉にあたっていたのならば、王国が竜に頭を下げるのは何事かと意見ができる。
だが王は白竜に、自身の生命を危険に晒しながらも竜に一歩も引かず、対等以上の立場に立ち、竜と対話に挑んだのだ。
更に竜が王の臣下になった。これは竜と人間の差がいくらあろうとも、名目上は人が竜を下したことになる。
こうなっては竜に対して思うところがある者達も、ある程度はその溜飲を下げることになってしまう。
「事後的に対処するしかないな。どのみち貴族軍も疲弊してたのだ。今を療養期間に当てることは決して損ではない」
「それでは我々が狙うとすればあの白竜でしょうか?」
「だろうな。どうにかしてこちらに牙を剥かせれば、もう一度竜征伐の口実ができる」
王の意向を現時点で変えさせることは無理に等しい。なので一度彼らはこれを受け入れる。
そしてその後で、また竜征伐を実行できる流れにすれば良い。
「だがあの竜から手を出させることができるかどうか。あやつの同族を傷つけようとしても、竜がいる東は騎士団の連中が固めている。我々が彼らの眼を欺いて大軍を動かすのは無理だ。とすれば本人を何とかするしかないが、王が放っておくはずがない」
「小数を動かし、東の竜どもを怒らせてはどうでしょうか。竜の襲来が止まなければあの竜の言葉が嘘となり、自然と排斥する流れとなりましょう」
「無理だな。羽虫がどれほど周りを飛び回ろうが、不快になるだけで怒りはせぬ。どうしてもやるならば三級竜殺しを投入しなければならん。いつまた増員ができるかも分からぬのに、下手な損耗を被りたくはない」
フェルナンが提案する案を切り捨てながらも、オラニエ公自身も対策を決めあぐねていた。
オラニエ公の明確な敵は王であったが、もしも考えなしに動き家の力を落としてしまえば、貴族派の中からも彼に挑む者が出てくるだろう。
大胆さは大切だが、それ以上に確実性が重視される。
考えが浮かばず、唸りかけるオラニエに、フェルナンはまた意見する。先程までとは違い、自信が幾分かある声音だ。
「オラニエ公、私に腹案があります」
「何だ」
「当家にはまだ竜殺しにしていない、竜の爪が三本ほどあります。これを利用すれば、もしかすれば面白いことができるやもしれませぬ」
「貴殿が言っていた、竜殺し以外の使い方か」
竜の爪は高純度の魔力を秘めているため、まだまだ人が開発していない使用法があるのではないかと指摘されていた。
しかしその貴重さから、ほぼ全ての爪が、そのまま竜殺しに転用されていた。
フェルナン家はそうした貴重な爪を、違う用途がないかと研究する他家とは少々異なる家であった。
オラニエはフェルナンの言葉に、面白げに返す。
「何ができる」
「未だ実験の域を出ないので具体的には何も。ですが、上手くいけばあの白竜の手綱を私達が握れるかと」
それは興味深い、とオラニエは呟く。
竜征伐が続けられないことも確かに痛いが、竜が王側についたことも無視できないことだ。
あの竜が王に命令されたからといって、何でもするとは思えない。しかしそれでも三級竜殺ししか持たない貴族軍にとって、白竜は手が届かない相手だ。
その竜をもしかすればこちらに引き込めるかもしれないというのは、この状況を挽回するだけではなく、一石二鳥の方法に成りえるかもしれない。
そしてオラニエが動かないので、彼が被る被害はあっても最小限だ。
「面白い。やってみよ」
「は」
彼は初めて机の上の酒杯を上手そうに呷った。
「やはり貴族派の者達は諦めてはいなかったか」
「彼らが何をしようとも陛下の掌の上。竜を携えた陛下に敵う相手などいるはずがありませぬ」
王城の中枢、王の側近の中でも王がこれと定めた以外の者が入ることができない一室の中、王は執務机に備えられている椅子に座っていた。机の向こう側では一人の男が跪いていた。
王は男の世辞を歯牙にもかけず、報告を告げる男に詳細を聞く。
「それで報告にもあった、竜の爪の新しい使用方法とは何か?」
「現時点では、竜を操りえるものとしか……。ですが成功する確率はそう高くないでしょう」
「ふむ」
王は男の報告を頭の中で転がしながら、貴族派に対する次の一手を考えていた。
初手を制したことで王権派は非常に有利になった。だがそれは何かあれば簡単にひっくり返る脆いものだ。
第一大貴族たちの力は竜殺しなどなくとも無視しえないもの。国土の三割が彼らの領地なのだ。王領が国土の四割であることから考えて、地力の差はほぼない。
だから王は、新しく手に入った白竜という有効な札をどう使おうか迷っていた。
「しかし道具に頼らなくてはならない彼らが、竜を服従させた陛下に挑戦しようなどと、不遜にも程があります」
「あの竜は余に服従してなどおらぬ」
「は?」
王は無意識のうちに男の意見を否定する。疑問を抱いた男を彼は無視した。
あの玉座の間において竜と対峙した時、竜を誰よりも観察できたのは王であった。その王だからこそ、男の発言をありえないと一蹴する。
「殺されるかもしれぬと恐怖はしていた。だがあの竜の眼は生命を乞う敗者のものではない。最初に和平を説いた時と同じように、自分の意思に従う者の眼だ。決して奴隷ではない」
「陛下に反逆するかもしれないということですか? それは、不味いのでは」
「逆だ。あの程度で折れてもらっては、信用などとてもできない」
たとえ竜征伐の中止が国益にかなうものであれ、国策の大幅な変更であることには変わらない。
敵と味方、双方に多くの反応が返ってこよう。当然リスクも大きなものとなる。
そんな重要なことを、ただ竜だからというだけで、咬ませるつもりは王にはさらさらなかった。
生命を掛けられないものなど、そこらの一兵卒の騎士にすら劣る。とても迎え入れられるものではない。
王国とは異なる信念を持とうが、その信念が変わらなければ、下手に賛同する輩より信用できる。
利益を双方追求できるならば協力関係は崩れないし、得られないのならば、その者は明確な敵になるからだ。
「ともかくもあれは意思を持った駒だ。無下に扱えば咬みつかれよう。まあ一級の中にもそうした者はいる。別段扱いは変わらぬ」
話をしている間に王は考えを纏め終わる。
可能性は低いとはいえ、竜をいつまでも貴族の近くに置いておくのは好ましくない。
竜の言葉が真実であるかを知るためにも、王都からはるか遠く、サノワ騎士団と共に東へ置こうと王は決めた。
更に念のため、上級竜殺しを派遣することにする。竜の反逆に対する備えと、色気づくかもしれない貴族達へのけん制のためにだ。
王の目の前の男に対する用はもう済んだ。
彼は未だに跪く、亜麻色の髪をした頭に目線を向け、平坦な声で男を労う。
「役目ご苦労であった。これからも励め、王国は貴殿の忠節に期待する」
「労いの御言葉、ありがとうございます」
恭しく頭を下げた男、フェルナンはそう答えた。