謁見だろう、落ち着けよ
ああ、あの勇士たちの何と眩しく気高いことか。
彼等は絶対的強者である竜に対して、弱者の人間達が向ける刃。
芥のように殺され、蹂躙される騎士達の死体を踏み分け進む人類の希望。
彼等が戦場を駆ければ騎士達はその身体を奮い立たせ、凱旋すれば吟遊詩人たちは彼らを称える。
だがしかし。しかしながら彼らの何と卑小なことか。
彼等の英雄譚に出てくる巨悪は竜の影に過ぎない。
勇士たちはけなげに影を踏破し悦に浸っているだけだ。
竜殺し達が浴びた血は、竜というにはあまりにも脆弱な者達の血に過ぎない。
勇者たちは竜の尾を斬りつけるだけで、その巨体に気付くことができない。
小さき蜥蜴など強者である竜の名には値しない。悠久の時を生きたことも無い愚者は、絶対者である竜の風上にも置けない。
真の竜とは古竜以外にありえず。彼ら以外の存在はただ彼らという大樹に寄りかかる矮小な存在にすぎないのだ。
だからこそ、竜を殺せると言ってのけた人間達の、何と愚かで可愛らしいことか。
真の竜達が聞けば、鼻で笑いながら一蹴するだろう。『勘違いをしているのはどちらだ』と。
古竜でもない俺が言えたことではないんですがね。
うん、落ち着いている。だから大丈夫だ。ここが人間達の中枢部で、一人竜に匹敵する化け物達に囲まれていても問題ない。
王様の発言が『舐めるなよ、ぶち殺すぞ』とかに聞こえるけれども全然大丈夫だ。
で、竜の葬式は火葬ですか、土葬ですか?
そうじゃない! トリップしかけていた思考を無理やり戻す。まずは確認だ、確認。会話こそが大切だ。
会話が続けば、まだあちらは冷静だ。人間に置きなおしてみれば、今はまだ懐からナイフを取り出し机に突き刺したぐらいだ。刺してきてはいない。
「竜を根絶やしにするか、その一匹に至るまで全て人間の足元に平伏させなければ気が済まないと?」
「いいや、竜殿。それこそ勘違いであられる。余も日夜臣民の血が流れていることに、胸が引き裂かれる様な思いをしている。もしも平和が訪れ臣民が生命を奪われることなく、平穏に暮らせるならばそれを実現するのが為政者の務めというもの」
心を痛めるとか言っているくせに、王の表情筋はぴくりとさえしない。
「だが竜殿。我等人間はただ生きる家畜ではない。人は貴殿ら竜と同じく誇りを持ち生きているのだ。もしも貴殿の言葉が絶対者としての、慈悲とも命令ともいえるものであるならば、余は人を束ねる者として、どのようなものであれ、聞き入れるつもりはない。我等は貴方達と同じ領域に至ったのだと、それを知って欲しいのだ」
全く感情を読み取れないことに戦慄を覚えながらも、会話ができたことに涙が出そうになる。
本当の本当に落ち着こうと考える。築地のマグロでもないのに、こんな観衆の前で解体ショーなど絶対に御免だ。
王は人間を竜と対等にして見ろとしている。認めるのは非常に簡単だ。ああ、貴方は気高い志を持っているとかで、適当に認めてあげれば良い。
問題はこの無表情男が、これを何を意図して言ってのけたかである。
あくまで竜が優位であるとして、それでも譲歩を引き出したいからこそしたブラフである場合。
これならば容易い。そもそも和平を方便にして降伏しに来たのだ。要求したいのは生命と、少々の自由。どちらも笑顔で交渉を終えられる。あちらが譲歩と思っていることは、俺は簡単に提供できるだろう。
では人間はもう十分強いし、そちらが条件を付けるなんて驕るのも大概にして無条件降伏しろ、という強気であった場合。
これは下手をすれば俺の立場は奴隷ぐらい。使い潰される可能性は、前の場合よりも跳ね上がる。
それではまずい。俺は長期的に見て、人間の味方として認識されることで長生きをしようと計画したのだ。
短期的に死にそうになっては意味がないどころか、悪化している。まだどこかの辺境で人類到達まで震えていた方が良い。
どうするか? 後の場合だと困るから脅しつけるか。だが相手は不幸になるとか怖いことを示唆しているのだ。
メンチを切り竜殺し達になます切りなんて笑うどころではない。
じゃあ馬鹿正直に脅しですか、それとも本心から言っていますか? とでも聞くか。駄目だろう。どっちの場合でも強気の発言しか引き出せない。
あの鉄面皮からどちらか、と推し量ることなぞできそうにない。
つまるところ押すか退くか決めなくてはいけない。
ブラフだと信じて強気でおして望む立場を得るか。交渉の余地なしと判断して、この場をなんとかやり過ごし、どこかで逃げ出す機会を窺うか。
前者を選び失敗すれば、晴れて俺はばらばらにされる。後者でもそもそも逃げられるのか分からないし、隷属の魔法とかがあったら、その場で終了してしまうかもしれない。
そう長くも考えてはいられない。あまりにも長い沈黙は、弱気と受け取られるか、不快だと感じられるかしてしまう。
どうする――
静寂が包む玉座の間にて、全員が固唾を呑み、竜を見ていた。
王の一連の言葉は確かに王者に相応しいもの。だがもしもこの竜の怒りを買ってしまえば、例え竜殺しがいようが、この場の人間がただで済むとは思えない。
それを分かったうえで竜に対して宣言した王は、この場の誰よりも卓越した傑物あろう。
どれほど経ったろうか。竜が顔を上げた。
怒りではない。何かを決意した表情であった。それは何を意味するか、誰かが問い詰める前に溢れんばかりの魔力の放流が竜から出る。
王以外の人物達が唖然とした中、重鎮の誰かが叫び声を上げた。
魔力が収まりをみせてきた時、その中心には白い巨体がそびえ立っていた。何かと聞く愚か者はいない。あの圧倒的威圧感を放つ化け物は、そんな者達の口を黙らせる。
白竜は人間と比べれば巨大な一歩を踏み出し、王の座る玉座へと向かおうとする。
「王をお守りしろ!」
竜殺し達の一人が号令を掛けると、地面が爆発したかの勢いで一級竜殺し達が跳躍する。
彼等の速度は振り下ろされる刀と等しく、常人が眼で追うのがぎりぎりの速度であった。
その常識はずれの動きならば、白竜が王へ到達する前に間に入ることが可能なはずであった。
だがしかし
『!?』
不可視の壁が彼らに立ちふさがった。竜殺しの力によって魔力の才能を開花させている彼らは、すぐさまそれが竜によって造られた魔力障壁であると見抜いた。
人間が張る物とは段違いのものであったが、人間という枠を外れかける竜殺し達にとっては僅か数秒で破れる薄膜にすぎない。
けれども今はその数秒こそが絶望的な時間になる。
竜殺し達の顔が焦燥に染まる。これでは例え接近したとしても、王を殺されるか盾に取られてしまう。
剣を振りかぶり、数瞬でも早く王へ至ろうとする。しかしそれを止める者がいた。
「動くな!」
他ならぬ王自身が竜殺し達を制止した。王の二つの眼は怯むことなく竜を射ぬいている。
死ぬことが確定したことによっての、破れかぶれの行動ではない。
王は王であった。王者として、人間の中の超越者として竜を見据えていた。
白竜もそんな王をその大きな目に入れていた。奇妙な沈黙が起こる。重鎮たちは竜の力に恐れをなし、竜殺し達は王の命令と、間に合わないという現実によって息を潜めていた。
王の断末魔は上がらない。白竜はその身体を鮮血に染めようとはしなかった。
それどころか、またもや竜の身体を魔力が包んだかと思うと、みすぼらしい村娘の格好に戻っていた。
竜は王へと跪いている。
「王よ。私からも三つ誤解を解かせて頂きたい」
「何だね」
「一つ目は私達は強さを否定しませんが、何よりも竜が尊ぶのは己が心の信念を曲げぬこと。竜が人間を軽視しているのは、生きるためにその信念をあまりにも曲げる者が多いからであります。武力をちらつかされたところで、竜の心は動きませぬ。それよりも、今貴方が見せた姿の方が万倍も価値があります」
でなければ、頭を下げるのは貴方にではございません。竜はちらりと後ろにいる竜殺し達を見た。
「二つ目は王は私を竜の代表と捉えているところ。私は一匹の竜に過ぎません。私を心服させたところで何の意味もありません。私は争いを止めさせるために人間側に立とうと思い至っただけなのです。私ができることは王に平和を説き、人間を襲おうとする同族を追い返すことだけです」
「それでは守ってやる代わりに、人間がこれから一方的に殴られろとでもいうのか。それのどこが和平か」
「王よ、竜は人間が手を出さねば襲う者はほぼいません。今襲っている者達のほとんどが、一度は人間に襲われたものたち。二度と襲わなければたちどころに襲来も止みましょう」
そして、と白竜は声を低めた。声が震え、そこには若干の恐れがあった。
周りの者達は驚く。強者である竜が恐れるとは、いったいどういうことかと。
「三つ目の誤解でございます。貴方達人間は確かに力を手に入れました。それは私すらも滅ぼせるほどに。しかし王よ。古竜と私達竜の中で崇められる存在は別です。あの方たちはもはや災害に等しい。普通の竜と、竜殺し達が敵う相手ではありません」
深々と、臣下のように竜は王に懇願する。
「今はまだあの方たちは貴方達人間に興味を持ち合わせてはおりません、今ならば引き返せます。どうか、どうか剣をお収め下さい。あの方たちが一度動いてしまえば、私にはもうどうこうできませぬ」
あまりにもの急展開に、誰も口を開けない。竜殺し達も、剣を下げてしまえば良いのかと逡巡する。
その中重鎮の中の一人が口を開いた。彼は貴族派と目される人物の中の一人だ。
「これではただの脅しではありませんか。しかも聞いてみれば、竜に手を出すなと? ただの生命乞いだ、馬鹿馬鹿しい! もう少しましな懇願でもしてみるんだな!」
その貴族はそうまくし立てることで、竜の話を流そうとする。
一度は竜が王を殺そうとして喝采を上げそうになったが、なんと妙な空気に成り始めている。
これで万が一竜の話が受け入れられでもしたら、王国軍と貴族軍の差は、永久に突き放されたままだ。
「それに王を害そうとした罪は消えてはおらん! ここで殺さねば、この竜は何をしでかすか、分かったものではない!」
甲高い声が玉座の間に響き渡る。
王と竜に比べれば、あまりにも貧相な語りであったが、竜殺し達の何人かは頷きかけていた。
王は周りを無視しながら竜に語りかける。
「王国になにか利益があるか」
綺麗ごとを並べても、害にしかならないのならばどんな理想も採用されることは無い。
王は言外に竜に問いかける。
「忠誠を」
竜の言葉に辺りが騒然となる。忠誠。この竜は王者であるにかかわらず、人間を上に置こうというのか。
嘘にしてもあまりにも信じがたいことだ。だが白竜の表情は至って真面目なものであった。
「私は人間と竜が共に歩く未来を見てみたい。貴方たちが歩もうとする限り、私にその未来を見せようとしてくれる限り、私は王の牙となり翼となりましょう。そこの騎士殿。剣をよろしいか」
配備されていた一人の警備兵が、びくりと身体を振るわせた後、どうすべきだと視線を左右に迷わせた。
王はそんな騎士に眼で渡せと促す。おっかなびっくりとした感じで、騎士は白竜に剣を受け取らせると、すぐさま後ろに下がる。
白竜は刀身の先端を首に突き付け、その柄を王へと向ける。
「もしも私の忠節を信じられぬのであれば、私をお殺し下さい。人間の姿をとっている今であるならば、普通の剣でも十分に殺せるはずです」
その態度、言葉、表情には一片の迷いもなかった。
今の白竜には竜形態の時とは違った風格が漂っていた。その強大な力が発する威容ではない。
それは王が示すものと同じ。力ではなくその有様が、その生き様が他者に対して敬服を抱かせるものであった。
白竜の姿は、排除を謳っていた貴族ですら黙らせる。
静まり返ったなか、王が竜へと歩き出した。
白竜は頭を垂れたまま、上げることなく王を待つ。
王は竜の真正面に立つと、その柄を掴んだ。殺すか、生かすか。皆が固唾を呑んで見守る。
「答えの前にまずは謝らなければなるまい。竜殺しを呼んでのあの態度。王国が客を持て成すものではなかった。許せ」
「お言葉ですが、王よ。ならば私も竜化するのはとても客の態度ではありません。詫びて頂くことではありません」
「そうであったな」
その時竜は頭を下げていて確認できなかったが、周囲の者達は、王がその顔にはっきりと笑みを浮かべていることに気付いた。
「オーシュ王国国王レイナルドが今ここに宣言する! 今よりこの者は我が家臣。汝らが轡を並べる友となる! かの者を傷つける行為は、我が王国に剣を向けることと同じと知れ!」
この宣言により、人類史上初めて竜を従えた王国が生まれることになった。