護衛だろう、殺気立つなよ
オーシュ王国の王都は、王国の西部の、海から僅かばかりの位置にある。
周りが肥沃な土地に囲まれていることもさることながら、西は海、北は名目上の宗主国である教皇が治める国、『神国』に面しているため、防衛の観点からもその立地に落ち着いていた。
そんな王国一活気あり神聖な王都の中心、そびえたつ白亜の城において、いつにもなく人々が浮足立っていた。
サノワ騎士団、王国東部において竜と接敵せり、しかし戦闘には至らず。
色つきの竜、以下白竜と呼称する竜において王国と交渉する意思を認む。
又、この判断は死亡したと思われていた一級並び二級竜殺し、サノワ騎士団団長が下したものとす。
王国政府においては、勅令の続行か否かの指示を求む。
件の通信が、東部王国軍においてもたらされると、オーシュ王国王都は混乱の渦に投げ込まれた。
東部王国軍の報告をまっこうから否定する者。
通信を信じ、竜を王都に呼びよせようと言う者。
騎士団と竜殺し達を竜に寝返った裏切り者と罵倒し、竜共々殺せとがなり立てる者。
王城、玉座の間において数々の意見が出ては消え、王国首脳部の意見は一向に纏められる気配がなかった。
元々王権派、貴族派が入り乱れる王国首脳部において、すぐさま意見の統一が図れることはほぼない。
この前代未聞の事態である。様々な思惑が入り乱れ、会議は戦場もかくやという混迷ぶりを見せ始める。
貴族、官僚達が怒鳴り合い、同僚を諌めたり、時には相手の言葉尻をなじり合ったりする。
そんな不毛な時間が延々と、それこそ日が暮れるまでするのではないかと思われた。
だが落ち着いた何人かの穏健派が、まずは事態の把握をより正確にするべきではないかと主張した。
体の良い先送りであったが、決まらない以上その場の全員が同意の意を示す。
よって東部王国軍には現状待機を命じようとしたところで事は急速に動いた。
玉座の間において最も尊い場所、玉座に座る王が、その重い口を開いたのである。
「竜をこの王都に連れてくる」
初老の、年齢をかさねてきた者しか出せない叡智と、揺るがない重みをもった発言であった。
誰もがその言に平伏してしまいそうになる。生粋の支配者のなせる業であった。
「王よ! それは浅慮であらせられます。もし道中や王都で竜が牙を剥けば、どれ程の民草が死ぬことになるか。王都に連れてくるなど、盾の内にある王国という身体を、凶刃に差し出すことと同じではありませんか!」
だが誰もが従う訳ではない。ある大貴族は王へと意見する。
彼は東部に領地を持つ貴族だ。もし竜の暴力が領地に降りかかるとしたら、彼の財政基盤は瓦解しかねなかった。
他の数人の貴族も頷き追随する。彼らも東部に位置する貴族達であった。
自分達だけが損を取るなど到底許容できるものではない。彼らは言外にそう主張する。
そんな貴族たちに王は更に言葉を続けることで彼らを封殺した。
「王都と南部に一級竜殺しを一人ずつ残し、後の全てに竜の道中を警備させる。二級竜殺しの半分を同様に差し向けることにする。そして現地の騎士団と竜殺し達もつければ防備には十分なはずだ」
ざわりと玉座の間が沸き立った。
王が直接指揮できる兵力は、王都の近衛兵団に各地の騎士団で構成される王国軍、更に、厳密に言えば王国軍に所属しているが、実質的に独立する一級、二級竜殺し達だ。
王国軍は大軍で構成されるため、自由に動かすことはそうはできない。よって緊急時の王の手足となるのは竜殺し達となる。
しかし彼らはその絶対数が少ないため、各地の貴族たちに対する睨みの為にも、どうしても分散されて運用されてきた。
だからこそ古竜征伐においても、一級、二級が各一人しか派遣されなかった。
にも関わらず、これ程の竜殺しを派遣するということは、王がどれ程この事態を重視しているかということを示していた。
「しかしそれでは西の防備は良いとしても北は如何します。一級と二級達が抜けてしまえば、二騎士団を割くことに等しい。急な戦力低下は国境を不安定化させます」
「つまり貴殿は教皇殿が率いる神国が攻めてくると言いたいのか」
「……お戯れを」
大貴族は苦虫を噛み潰したかのように黙る。
神国は王権を授ける立場であり、王国が国教とする『神教』の総本山である。
公然の場で批判しても良いものではとてもなかった。神国を非難するのかと問われてしまえば何も言えなくなる。
「民の安全は余自らが保障しよう。王領に限らずとも、でた被害は全て王国が補てんすることを余の名の元に誓う。これで誰か異論があるものはいるか」
王が自分の名前まで出して断言したことに、反論する者は、その場には誰一人いなかった。
それによって王国中が動き出した。各地へ散らばった竜殺し達は東に。
貴族派の貴族たちは王がみせた動きを観察しながら件の竜に注目を集め。
竜が領地を通る貴族たちは万が一のために領地へと舞い戻った。
一匹の白竜の行動に、大陸最西端に位置するオーシュ王国は大きく注目を集めだした。
「では大荒野を超えたところでは地平線を埋め尽くすほどの森が広がっているのですか」
「ええ、勿論それだけではなく草原や山もありますよ。そこにしか住まない動物達もいますし、竜達の中にはそこで暮らす者達もいます」
騎士団の砦の中で、俺と騎士団長のフェリクスは、団長の執務室で和気あいあいと話に花を咲かしていた。
夜でも部屋はマナの光源で明るく光り快適である。防犯は竜殺し達総勢十五名が、密かに部屋の周りを固めており完璧であった。何かあればすぐこの部屋に飛び込んでくるだろう。とんだVIP待遇であった。
さてさて王国政府は入国した俺こと白竜を迎え入れてくれることを決定し、なんとか悲劇の遭遇戦は避けられた。
しかし突然訪れたので王国は、歓待の準備に時間がかかるということで、俺を騎士団の砦で待機してくれとの要請があった。
ということで、俺はこうしてやけに眼が剣呑なサノワ騎士団さんのアットホームな職場に来ている。
騎士団はこの後俺の王都までの護送もしてくれるとのことで、騎士団の団長と親睦を深め、護送の時に少しでも不測の事態を減らそうという主旨のもと今の二者面談を行っていた。
王国のお偉いさんと顔を繋ぐことは望ましいことなのだけれども、さすがにこれ程露骨に敵意が垣間見えると嫌になる。
「しかし竜が人の姿になるとは驚きました。自分の見識の狭さに恥じ入るばかりですな」
「飛べもしませんし、力もでませんから普段は変身しませんからね。人間である貴方が知らないのも無理はありません」
そう現在の姿は人間である。竜ではあまりにも周りの騎士達が怖がり、砦にも入れないので変身するようお願いされた。
アリューにはひどく睨まれた。逆恨みだ、青年よ。
ちなみに力がでないというのは今は嘘だ。前回は人間を模倣しすぎてマナが分散したが、今は身体の中に上手く凝縮されている。
人間というよりは人間の皮を被った竜である。いざとなれば一般騎士程度片手で捻れる。
「それは勿体ない。竜の姿の貴方も優美であられるが、人間の姿も十分魅力的だ」
「それ程でもありませんよ」
明らかな世辞であった。顔は鏡がないので分からないが、格好はそこらの農村に住む娘そのもの。
目の前のイケメン騎士に褒められるほどの美貌は持ち合わせていまい。
というか空しい世間話は飽きた。夜も更けたのだからいい加減にあてがってくれた部屋に行きたい。
「それならば騎士団長殿、貴方の方が余程美しい」
「ほう、それはなぜですかな?」
眼は置いといて、にこやかに微笑んでいたフェリクスの顔が、軽く強張った。
やばいな、地雷踏んだかもしれない。なにかしらのコンプレックスでも刺激したのか。
ずっと話し込んでいたことも相まって、話し方が雑になってしまったのかもしれない。
ぼろがでて不興を買ってしまうのは困るので、急いで話を畳んで、お暇することに決めた。
俺はできるだけ好印象に映る様に彼に笑いかける。
「顔立ちではありませんよ。私は竜ですから良し悪しが分かりませんしね。貴方の眼を見て美しいと言ったのです。強い意志を持って爛々と輝いています。そこら辺の竜よりもずっと、貴方の方が気高くある」
なんだか自分で言って恥ずかしくなる内容であった。もう一度言うならば舌を噛み切ろうと衝動に駆られるかもしれない。
顔が赤くなる前にちょこんと両手でスカートを持ち挨拶すると、俺はそそくさと部屋を後にした。
「もう出てきてもいいぞ、お前達」
白竜が去った後、部屋にはフェリクス以外いなかったはずであるのに、三人の男たちが姿を見せる。
アリュー、オードラン、アミルカーレの三人だ。
彼等は隠し部屋に相当する部屋で息を潜めていた。砦という軍事拠点では、伏兵用にこうした細々とした仕掛けが所々に仕掛けられているのだ。
「どうでしたか?」
「どうもこうもない。あそこまで暖簾に腕押しでは、こちらが参ってしまう」
オードランにフェリクスは疲れた声で返答する。
王都による決定で竜を護送することに決まった。それはいい。騎士団が口を挟むことではない。
だが上が決めたこととはいえ、いざ王都で暴れだして民に被害が出てしまった時、知らんふりをするにはあまりにも心が痛い。
よってフェリクスは直接竜の性根を確かめようと、一対一の話し合いの場を設けた。
ついでとばかりにコルテ騎士団の生き残りを含めた竜殺し全員を、部屋の周りに付け護衛と称し竜に告げた。
それだけで挑発には十分であったが、フェリクスは更に敵意丸出しで挑んだのだ。
人間の姿とはいえ竜は竜、竜殺し共々、フェリクスの背中は冷や汗で濡れていた。
「これ程露骨な格下の挑発にのらないなら、よっぽど臆病な奴か、竜に使うのは変だが善人か、それとも敵意も察せられない間抜けだよ」
「私としては世間知らずの善人を押したいところですが」
苦笑しながらのオードランの言葉を聞き、どうだろうなと考えながら、フェリクスはしかめ面をするアリューに声をかける。
「いい加減にその顔を止めろ。意図せずそこまで敵意を露わにする馬鹿がいるか。竜より理性がないなど笑い話にもならん」
「申し訳ありません……」
「従騎士が粗相を。ですが団長殿。あの竜の姿は、竜に殺されたこの者の妻のものなのです。どうか御容赦を」
「ほう、貴様が善人と言う割には愉快なことをするではないか」
「いえどうも本人も何故あの姿になったのか皆目見当もつかないらしく。一度私達に姿を見せた後は、ずっと竜の姿でした」
「竜は魔法は不得意か」
話に割り込むように外側から扉がノックされる。フェリクスが入れ、と命令すると、副官のオーバンが入室してきた。
通信で連絡されたことが書かれている羊皮紙を、手に携えていた。彼は軽く一礼する。
「王都より追加で連絡が来ました。明後日最低限の兵を残し砦をたてとのこと。行先は王都。途中ロクロワで援軍が合流するとのことです」
「了解した。援軍の数は」
「一級竜殺しが三人、二級が三十人です」
「それは……」
あまりの戦力にフェリクスは愕然とする。今この場にいる二人の竜殺しを含めれば、上級の竜殺し達半分以上が、一軍に合流することになる。
各地の防衛のことを吟味すれば、王個人が迅速に割ける最大級の戦力だ。
「それ程こたびのことは、王にとっては大事なのでしょう。失敗はできませんね」
「どの作戦も失敗は許されるものではないがな。よし分かった。とりあえずは様子を見るしかあるまい。アリューとオードラン。竜殺しの貴様たちは悪いが今から竜の隣の部屋に行け。現状お前達以外に、本気になった竜を止められる者はいない。寝るなとは言わないが竜を見張っていろ」
二人は黙って首肯する。そしてそのまま部屋を出ていく。
強行軍で疲れている二人には気の毒だが、数がどれほど居ても竜にとっては意味が無い。
竜殺しの恩恵で何とか乗り切ってもらうしかない。
二人に少しばかり申し訳ない気持ちになった後、それはそれと置いといて、無視していた問題に彼は取り掛かる。
「で、だ。アミルカーレ、どうして貴様はまだここにいる。竜退治は終わりだ。はやく領地へ戻れ」
「それは、えっと、そのですね」
先程から話に加わっていなかったアミルカーレは、突如話を振られあたふたとした。
部屋の隅にちょこんといたアミルカーレに、フェリクスは呆れ半分、苛立ち半分で睨みつける。
砦に帰り、領地からなにやら使者がアミルカーレに訪れた後から、この少年は帰る気配を見せない。
そのせいで五百の兵は砦で夜を明かすことになっていた。収容できないわけではないが、迷惑である。
「昼間に使者が来ましたよね」
「ああ、来たな」
「それでその使者に父親から勘当されたと伝えられまして。勝手に兵を動かしたのは何事かと」
「……お前は確かに親から了解を取ったと言ったはずだぞ」
「はい。取りました、その、書置き、で……」
沈黙が下りた。フェリクスの頬がひくひくと怒りで動いている。
「僕どうしましょう! 勘当されるなんて! 父さん、自分がいないときに何かあれば、書置きを残せば良いと言っていたくせに!」
「物事には限度があるわ! この大馬鹿者め!」
フェリクスは怒髪天を突き、アミルカーレに怒鳴った。オーバンすら呆れて冷たい目をしていた。
この後騎士団で雑用でもなんでも良いから雇ってくれと、フェリクスの足に泣きながら絡み付いてきたアミルカーレを、雇ってやるから出てけ、とフェリクスはなんとか彼を追い払った。
扉をくぐる時、笑顔だったのが余計にフェリクスの癇に障った。おそらく彼の仕事先は相当な地獄になるだろう。
「しかしまたここに命あったまま戻ってくるなど想像もしていませんでした」
怒り荒れ狂う上司を冷ますように、オーバンは言う。しみじみとした感慨の物言いに、フェリクスも落ち着きを取り戻す。
外見に反して、この上司と部下の関係は、部下が冷静に上司を諌めるものであった。
いつもの調子を取り戻した彼は、部下と皮肉の応酬を始めた。
「だが天国とは違い、ここは相変わらずむさ苦しい。唯一の女が竜とは、地獄とそう変わらんかもしれんぞ?」
「おや、私はここを気に入っておりますが」
「貴様がそれを言うか」
くつくつとフェリクスは笑う。なんということはない、いつもの二人の光景であった。
だが死んだ者達ではけっしてできない贅沢を、彼らは堪能していた。
しばらくとりとめもない応酬が続き、話題も尽きたところで、オーバンはフェリクスに尋ねる。
「どうですか?」
何が、とはフェリクスは聞き返さない。
「どうだろうな。私は神ではないし、王でもない。あの竜で何が起こるかは分からんさ。だがあの竜自体には期待が持てるかもしれないぞ?」
「それはまたどうして?」
フェリクスはオーバンに向き直ると、その眼を指さす。
「私は今まで腐るほどこの容姿を褒められてきたが、眼だの意思だのを賞賛されたことは一度もなかったよ。しかもあの竜は私をそこらの竜よりも気高いと言った。なかなか見る目があるじゃないか。ただの馬鹿ではあるまい」
「それはそれは」
オーバンは薄く微笑む。
「それでは駄目かもしれませんね」
「そこは同意する所だろう」
二人の毒のある関係は、まだまだ終わりそうになかった。
主人公の部分が一番少ない。どういうことだ!