振りだしだ、全てを台無しに
アリューが喉に竜殺しを突き刺したまま、赤竜の巨体が揺れ、そしてどうと地面に倒れた。
それを見た周りに居る竜達の動きが止まった。
当然だ。信じられないものを見たのだから。自分たちの頂点に居る存在が敗れ、その巨体を地面に晒したのだから。
現状を知らない前線では未だ戦いは続いている。
だが赤竜の周りだけは嘘のように静まり返ってしまった。
アリューは赤竜の喉で身を横たえていた。既にその魔力を活かした、無理やりの治癒を身に施していたが、その身はボロボロであった。
限界を超えた魔力の行使に筋の何本かは断裂し、見える肌はそこかしこ剥がれていた。
それでも彼は満足げに笑った。勝ったと、勝利を確信した。
だがその確信に反し、赤竜の喉は上下していた。未だ赤竜は死に絶えていなかったのだ。あまりの生命力の強さに彼は驚愕する。
そして今度こそ止めを刺そうと竜殺しに力を籠めようとした。
『おいおい、止めてくれよ。俺がせっかく良い気分に浸っているというのに』
声に敵意はない。そこには安らぎとどこまでも満足感があった。
「あんだけやったのに死なねえのか」
『そりゃあそうだ。古竜を侮り過ぎるなよ。今だってこんな傷数瞬後には癒せる。だが今はこの傷の余韻に浸っていたいんだ』
アリューが見上げればいつの間にか赤竜の顔が此方を上から覗き込んでいた。
それは前回と同じ様な構図であったが、今度は勝者と敗者が入れ替わっている。それだと言うのに赤竜は青年が見たどの時よりも満ち足りているように見えた。
『すげえなあ』
子供の様な声を上げた。
『俺は今まで今回みたいな死合を一つもしたことがなかった。何時もするのは実力も分からない塵ばかりが相手で、本当に強い奴は俺に見向きもしねえ』
そしてアリューを見る。
『お前らは弱い。実際、このまま傷を治してもう一度やれば俺の勝ちだろう。だがそれはどうでも良い。そうじゃないんだ。ああ、なんて言えば良いのか。もどかしいぞ』
赤竜は内から湧き上がる衝動を言葉にすることに労しているようだった。
それでも思っていることを全て何とか出そうとした。
『前見せた突きは凄かった。思わず人間の癖にと感心したものだ。だが今回のは、正直言葉にならん。はっきり言えば敵わないと思ったのか……』
赤竜の声がはしゃぐ。
『そうだ。純粋にあの瞬間だけはお前の方が上と感じた。お前に生命を奪われると感じたときに心が躍ったのだ。ああ、なんて凄い奴に俺は殺されるのだろう、とな』
力を抜き頭をそのまま地面に寝かせる。『ああぁ』と声を漏らした。
『だからもう満足だ。もう再戦する気も起きないというか、この良い気分に浸ったまま死んじまいたい。今更弱い今のお前達を殺してこの気持ちを台無しにしたか無いんだ』
「…………」
そう言い切った。
それを聞き終わったアリューは静かに竜殺しを引き抜く。ずぶりという音と共に更に血が噴き出してくる。
青年は赤竜に深く一礼をした。そして赤竜の首元から飛び降りた。
『ああぁ、いい気分だなぁ』
赤竜は心から笑った。
青年は放り出された義兄の元に駆けつけた。周りにはジルとギーが二人して治療に当たっていた。
「オードランは」
強張った声でアリューは二人に尋ねた。それにジルが冷静に返す。
「あんな無茶をしたのだ。重傷に決まっている。左腕も無く、恐らく魔力で身を焼かれた以上、二度と魔術の行使もできないだろう。騎士生命としてはもう終わりだ。だが……生きている」
そう言って彼は青年に義兄を見せた。身体中から血を流したのだろう。鎧は固まった血で黒く染まっている。爆発の火傷も酷い、回復後も傷は残るだろう。
それでも確かに生きていた。その胸を懸命に上下させている。
「……よ、う」
「やったぞ」
「とう、ぜんだ。お、れ、の。す、ぺ、しゃ、る、だぞ。はち、割は、おれ、の、おか、げ、だ」
「そうだな」
力強く頷き、義兄の手を握る。幾らか低かったが、確かに温かい。
彼は必死に言葉を紡ぎながら、まだ仕事の残っている義弟を勇気づける。
「もう、つか、れ、た、から。ちょっ、ち。やす、む、は。……あと、へま、するん、じゃ、ない、ぞ」
「ああ」
そういって彼は立ち上がった。オードランのこれまでの全ての支えを無駄にしないためにも、彼には最後に大仕事が残っている。
身体は完全ではなかったが、心から湧き上がるものが、彼をこれまでの中で最高の状態にしていた。
彼は振り向く。全ての障害は除かれた。いざ、白竜の元へ。
赤竜は倒れ後方の一部の竜達の動きが止まっても、人間達と争う竜はその動きを止めなかった。
連合軍を蹂躙し、その機能を奪った後は、彼らは軍隊が守っていた首都へと向かう。
もう煩わしい障害は残っていなかった。後は一直線に人間の元へ行き、あの忌々しい建物と中に居るはずの人間達を殺すだけだった。
しかし僅かばかりの異変が起こりだす。
飛んで向かっていた全ての竜が何故だか突然に飛行が狂ったのだ。彼らが自身の翼を良く見れば微かに震えていた。
しかもそれは段々と強くなっていく。
何故だろうかと多くの竜が疑問を抱いた。何故自分たちはここまで怯えているのだと。
逃げろと、理性ではなく本能が叫ぶ。頂点たる竜が何から逃げると言うのだ、理性が否定する。
だが王都に近づくに従って、遂にそれは顕著になる。
身体が震え真面に飛行ができない。竜達はそのまま地面へと次々に落着した。
理由は分からないのに身体が縮こまる。少しでも身体を小さくし、『あいつ』に眼をつけられてはいけないと身体が思っているのだ。
全ての竜がそのまま場を動けないでいると、どの竜かが『あ』と声を漏らした。まるで魂を抜き取られたその声は、見てはいけないものを見た様だった。
王都と竜達を挟む間に一匹の竜がいた。そう、たった一匹の竜だ。
黒い鱗に身を包んだその竜はゆっくりと飛びながら此方に迫ってきている。
それが竜達にとっては何よりも恐ろしい。
その黒い竜から思念波が届く、未だかなりの距離があるというのに、尋常じゃない効果範囲であった。
『久しぶりに力を解放したから、どうにも慣れてはおらぬのだ。許せよ。それでもどうにか抑えて一割までしか発していないのだから、まだ『死ぬほどではないだろう』?』
ゆっくりとゆっくりとそれは迫る。
『お前達にはただ私の願いを一つだけ聞いて欲しい。何難しいことではない』
淡々とそれは告げた。
『何もせず、此処から去れ。でなければ殺す』
その声にただ竜達は動かぬ身体で平伏し、許しを乞うしかなかった。
それは静かに竜達の間をすり抜けていき、そのまま戦場を目指した。追い抜かれた者は、静かに震えているだけだった。
は? は?
目の前には倒されるはずのない古竜が倒れていた。満足げに笑うそれは起き上がる様子が無い。
絶対強者が、超越者が、竜の中の竜が、人間如きにやられて地を這っていた。
『何故だ……』
自然と言葉が漏れていた。
一人で戦いたいなんて我儘を許したのは負けの目などあり得ないと思っていたからだ。それ程に古竜とは絶対者であり、負けるのは同じ古竜にしかありえない。
だと言うのにナゼ?
呆然としているとアリューが此方を向いた。圧倒的強者である自分の身体がぴくりと動いた。
唖然としているとアリューが此方に歩き始めた。超越者である自分の身体が一歩後ろへ退いた。
おかしい、おかしい、おかしい!
こんなことは不条理だ。この戦争は勝つか負けるかじゃない。どれほど労力を使わず勝つかを考える戦争だったはずだ。
なのに今は、脳裏には負けという言葉が浮かんでいる。
思わず周りにこの男を殺せ、と叫びそうになる。だが辺りの竜の様子を見て、その無益さを悟った。
誰もかれもが呆然とし、動きを止めている。そうだ。そうなるのも無理が無い。
竜達の中で頂点に立つ者達の一人が脆弱なはずの人間に倒されたのだ。
では単純な話、この男たちは自分達よりも強者なのかと考えてしまっている。
単純に皆で襲えば勝てるはずなのに、決定的に心が折られてしまっていた。
本格的に負けの文字が見えてきた。
一瞬考えすぐに振り払う。何を言っているのだ。竜はこの場に居る者だけではない。まだむしろ前線の方が数が多いのだ。
全体で見ればまだまだ此方が優勢。すぐに呼び戻せば、
と戦場の方を振り返り、身体が硬直する。
絶対の超越者がそこにいた。
戦場では人間竜共に伏してそれをやり過ごしており、その黒い竜だけがゆっくりと此方に向かって来ていた。
最強とは古竜だ。ではその基準をどの様に感じていたかと言えば、俺は倒れている赤竜に置いた。
実際力を見せてくれる竜の中でそいつ以上の力を振るった者はいなかった。
だからこそ俺はそれが上限だと信じていた。上がいても左程差が無いと疑っていなかった。
なのになんだあれは!
身体が言う事を聞かない。あれを眼にしただけで、敵わないではなく、敵として相手になることすら想像できなかった。
黒竜。なんでお前が人間側に立ち、そんな強さなのだ!
「白竜」
身体が震えた。
「その首輪を外せ」
赤竜は倒れ、敵に無敵の黒竜が現れ、こちらの軍勢は無力化された。
では扇動した俺はこの後どうなる?
『あああああぁぁぁあ!』
恐怖で竦む身体を叩き起こし一気に羽を伸ばす。
「白竜!」
制止を無視し衝動的に俺は高く舞い上がった。逃げる。当てもなく東へ。
「白竜!」
青年が制止するも虚しく白竜は飛び立ち東へ向かう。
せっかく決着がついたのに、本命である白竜を逃がしてはアリューが何のために頑張ったのか分からなかった。
戦場を振り返る。すると不思議なことに争いが収まっていた。
誰もかれもがうつぶせになり、恐怖に身を縮ませていた。
どうしたことかと疑問に思うより前に上空から声が掛けられた。
『追わなくて良いのかアリュー。貴様の好いた竜が逃げてしまったぞ』
目線を向ければそこには巨大な黒い竜、黒竜がいた。
あれが原因だったかと彼は悟る。成るほど身が竦む力だ。周りの三人も顔を青くしている。それを理解しているのだろう。
黒竜が魔力の炎に包まれると、中から砦で会った子供の姿が現れる。此方もその力は恐ろしいが、それでも随分と和らぐ。
地面に着地すると、青年に向かって不敵に笑う。前とは打って変わった態度だ。
「今頃になって何で協力する」
「何心境の変化というやつだ。又は新たな出会いを祝してとも言えるか」
好奇心から理由を聞き出してみたいと彼は思ったが、今はそれどころではない。
「さっきの答えだが勿論追うさ。この竜殺しなら、あいつ位の速度には追いつける」
「そうか。しかしお前の、気が許すなら私が追って取り押さえても良いぞ」
「良い。それは俺の役目だ」
「そうか、なら少しばかり祝福をしてやろう」
黒竜の右手がさっと振るわれる。光がアリューを包んだかと思うと、傷がたちどころに治り、魔力も戻った。
「……お前は魔術ではなく魔法を使うのか」
「数千年も生きればどちらも一緒だ。両者の間には効用の差しかない」
さも当然そうに笑う。
「後はあそこで転がっている奴や死にそうな奴にもかけておこう。流石に腕も生えないし、生き返りもしないが、やらないよりかは増しだろう。今日は私は気分が良い」
「感謝する」
「いいから早く行け、見失うぞ」
ひらひらと黒竜は青年に催促する。
言われなくてもと彼は魔術の発動を準備する。そして行使する前、最後にこれだけはと黒竜に聞いた。
「黒竜、貴方は歩き出せたか?」
「ああ、歩けば意外となんてことはない」
「そうか、なら互いに良い人生を」
そう言ってアリューは飛び出した。
心が絶望に塗りつぶされている。
今まで積み上げた物が全て崩され、今の俺にはどうしようもない。
後ろからはアリューが凄まじい速度で追いかけてきている。振り切れそうにない。
どうする? 戦争を計画し負けた俺はどうすれば良いのだ。東の竜社会に戻ってももうそこは平穏ではない。
黒竜が彼方についたのならば、いずれ引っ張り出されて打ち首拷問だ。
じゃあ逃げよう。竜も人間もいないどっかの辺境へと逃げるのだ。数百年もすればほとぼりも冷め許されるに違いない。
……
逃げる?
『我々』が?
何故逃げなければならない。何故非もない『我ら』が逃亡せねばならない。
この計画が失敗したのも、そも俺が計画したのを悉く邪魔をしてきたのは誰か? それは後ろで追って来ているアリューだ。
怨敵が、『憎い人間』がいるのだから逃げるのではなく、殺すのが正しい道ではないか!
そうだ弱気になって目的を忘れてはいけない。憎い人間を一人でも殺すのだ。せめて、あの追ってくるアリューだけでも始末するのだ。
そうと決まれば逃げてばかりはいられない。何処かで止まり、殺さなくてはいけない。
そこでふと絶好の場所を思い浮かべる。
あいつと、あの竜殺しに宿る融合モンスターとが因縁の深い場所、いざとなれば東に逃げ込める場所。
そこであいつを始末するのだ。
油断、情、何でも利用し何としてでも抹殺してやる!
そう決めれば翼で方向を微調整する。
向かうは王国東、コルテ。
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