跪け、超越者の御前だ
此度の動乱。
結果的に見れば貴族側にとって幾らか有利な形で集結している。
王党派の近衛と上級竜殺し達は甚大な被害を被り、王国の台風の目であった白竜は行方知れず。
その文言だけみれば事態は貴族派にとって有利極まりない結果であった。
しかしながら同時に王党派を完全に追い詰めることも、追い詰める訳にもいかなくなっている。
東領土の防衛の破綻。そして白竜離脱の原因。この二つが彼らを縛った。
前者はこれ以上の諍いは王国自体に致命的な傷を負わせる危険性である。
監視網と東側戦力の半壊。幾ら担い手が王国軍であり、その疲弊は基本的に歓迎するものだとしても限度がある。
今王国は外敵への防衛力という免疫が著しく欠けていた。
もしも王国自体の疲弊を更に招けば国そのものが瓦解しかねない。
後者は貴族の重鎮のフェルナン候の余りにも大きな失態だ。
目撃者を王国軍側に多数残しながらの狼藉。幾ら言葉を武器にして戦う貴族達でもここまでの失態は隠しようがない。
国旗に誓っておきながらも騙し討ち。大凡最悪の醜聞だ。
幸いにもフェルナン候が行方不明であることを利用し、全ての責任を彼に追いかぶせたが、それだけで済むほど王党派の追及は甘くはなかった。
被害者である白竜が何処かに飛び去って行方不明にならねば、政治的にかなりの譲歩を要求されただろう。
白竜自体については事実上の放置が決定された。
王国内に居るのならばいざ知らず、東に飛び去ってしまえば王国側は探すことも連れ戻すことも不可能だ。
どうやったかは報告を受けた王政府も知りえないが、現在精神錯乱に近い状況に白竜が置かれていることを鑑み、逃亡の罪は問わずもし帰ってくるならば迎え入れることで合意が図られた。
そのような諸々の理由が合わさり、王政府が事態を完全に把握してからしばらくの間。奇妙な小康状態が王国に漂った。
赤竜の襲来による東の防衛瓦解に、両陣営数万を超える動員。そして損耗と抗争。
それらは両陣営共々に只ならぬ疲弊を齎している。
よって両派は様々な思惑が交錯しながらも、誰もが僅かな休戦期間を歓迎した。
このひと時が過ぎればまた熾烈な暗闘が繰り広げられると王都の人間は予測していた。
それを憂う者もいる。煽り自身の権力を少しでも拡大させようとする者もいる。
しかしだ。誰一人薄暗く汚らしかろうが、王国に続く平穏が破られることを理解できる者はいなかった。
誰一人東に飛び立った純白の竜が、災厄を呼んでくるとは予測できなかった。
悪夢の日は近い。
「だから行った所で途中で干からびて死ぬに決まってるだろうが!」
「うるせえっ! だからってここでゆっくりとしてられるか! 第一! 馬を使わず赤竜の時の術式使えば大荒野位突破できるはずだ!」
「その前にお前が地面の染みになるわ!」
白竜が飛び去ってから一週間。
サノワの砦で完全に回復したアリューとオードランは二人で言い争っていた。
白竜争奪戦の爪痕が未だ残る広場において、オードランはアリューを羽交い絞めにしている。
アリューの格好は荷物という荷物で何倍にも膨れ上がっている。
寝具に食糧に飲み水。衣服にその他遠征に必要な者を一人で抱え込んだらこうなるという良い見本であった。
「一週間だぞ! 一週間! この間白竜の奴はずっとあの変な首輪を嵌められているんだ! 外して連れ戻さなきゃいかねえだろうが!」
「人類未到達の地に一人で突っ込もうとしている馬鹿取り押さえる必要の方が遥かに高えよ!」
あの日以降王政府が命じたことは静養し、そのまま東の守りに着くべしとのことだった。
通常戦力が著しく減退している東部においては特級戦力である竜殺しの補助が必要。そう判断され、現地に一番馴染んでいる二人に任されることになったのだ。
しかしそれはアリューにとっては到底耐えられたことではない。
白竜に関しては探すどころか放置。帰って来たのなら受け入れてやれというあまりに投げやりな回答しか返ってこなかった。
事ここに至り彼は、休養し完全に体力を回復させると一人で白竜の向かった東に向かおうと決意したのである。
だがそんな暴挙を義兄は許すはずもない。
「お前はおとぎ話に出てくるアシムやダニアンにでも転職するつもりか! つかその二人も結局最後は戻ってこなくて『馬鹿なことは止めましょうね』ていう訓示の話だろうが!」
必死の説得にも青年は全く耳をかす気配はない。
オードランが竜殺しで頭をかち割ってでも止めようかと思案している頃に、少年の笑い声が聞こえてくる。
「いやー! いいね! 病み上がりにそういうの見せられると元気が湧くよ!」
いつの間にか薄い衣服を纏ったギーが近くで二人を観戦していた。
止めずに笑い転げている。
「笑わずにギー殿も止めてください!」
「あーらーらい」
軽く気負うとギーはアリューの真正面に立つ。
体格差からして大人と子供の差がある二人ではあったが、何ら問題とせず肩をギュッと掴む。
そして
「そいっと」
「うおっ!」
そのまま足払いをする。重心を完全に崩され重武装なアリューは、掴まれた肩を起点にぐるっと回り、そのまま地面に仰向けに倒れる。
「で、これで完了っと」
アリューが文句を叫ぶ前に首元に自分の竜殺しを突き付けて黙らせる。
「死にに行こうとしているんだから、今死にそうになっても別にそう変わらんしょ?」
小馬鹿にしながらも言い返せない正論でとどめを刺された。
完全に沈黙したのを見てにっこりとギーは笑うと、彼は青年を宥める。
「僕もね青春物は大好きさ、王子様が御姫様を助けるとか古典的過ぎると馬鹿にする奴がいるけど、それは捻くれた奴の言い分さね。だけどね、現実はちょっちそれより厳しいじゃん? 僕としては勇ましく進んで餓死白骨死体化しようとしている王子様はぜひ止めたいのよ。理解できるプリンス?」
「……はい」
「よーしよしよし。御褒美に後でお小遣いあげちゃう。ジルが」
わしゃわしゃとアリューの頭を撫でていると、横で息を整えたオードランが彼にお礼を言った。
「ありがとうございます。ギー殿」
「いいよ別に。こういうの好きだし。犬の躾みたいなもんだよ。馬鹿な奴ほど可愛いってね。こいつより年上で一匹違うのを僕も飼っているからよく分かるのさ」
本人の頭上直ぐ上で馬鹿と罵るという何とも酷い会話であった。
「ほう、最近の愛玩動物というものは、飼われているのに自分が飼っていると思い込むものなのか」
「何ジルいきなり自己紹介しながら登場して? 僕古典は好きだけど古臭くてナンセンスな表現は嫌いだよ?」
「……」
「分かった、分かった。悪かったよ。僕がまるっと全部悪かったって。だから一級抜こうとしないで」
同じように病人用の衣服を着たジルを、ギーはどうにか宥める。
何百回も繰り返したことなのだろう。その手際はまるで呼吸するかのように淀みない。
「ジル殿何時の間に」
「あれ程騒いでいたら嫌でも耳に入るさ。それに療養の身は暇を持て余していてな。楽しいことがあると思うとつい勇み足になってしまう」
「俺にとっては楽しくはないんですがね」
「いやすまん」
くつくつとジルは笑う。
楽しげに談笑する三人に地面に転がるアリューは抗議の声を上げる。
流石に先程と同じ様に飛び出そうとしないが、楽しそうに笑う彼らに噛みつく。
「オードラン! それにお二人方。笑っている場合ですかっ。白竜のことをどうにかしないといけないんです! まさか、見捨てるおつもりですか!」
「アリュー」
ぴしゃりとジルは青年の言を跳ね除ける。
「いいかよく聞けアリュー。対処というものは焦ることでも無意味なことをすることではない。堅固な城砦を破るため必死にそこらの木に登るような行為は、本人からしては必死なことかもしれないが、滑稽以外の何物でもない」
「……」
二人に打ちのめされたことでようやくアリューは完全に沈黙する。
それを見たオードランはようやく落ち着いたとばかり溜息を一つ漏らした。
「やっと止まったか」
「そう怒ってやるな。思慮は浅いが、そんなもの後でいくらでもついてくる。だが意思というものはそうそう身につけられるものではない。貴重な才格だ」
「できれば他人に迷惑を掛けてほしくはないのですが」
「まあそう言うなって。君以外には大概好評なんだから」
「はあ」
またしてもギーはからからと笑う。
そんな彼らを傍目に、身体に縛り付けていた大荷物を取り外しアリューはゆっくりと立ち上がっている。
さっきの威勢はどこへやらすっかりと意気消沈している。
落ち込んで今度は懇願するようにアリューは彼らに問いかけた。
「ではどのようにすれば白竜を助けるための最善となるのですか……」
「待つのも最善手の中の一つだ」
「待つですか」
その言葉を聞いてアリューは唇を噛みしめる。
「俺はあいつに、信じてくれと言いました。それをあいつは快諾した。色々思う所はあるはずなのに信じてくれたんです。だけど……俺はその信頼に応えられなかった。今更それを取り返せるわけ有りませんが、でも今も応えなくちゃいけないんです。応えたいんです。なのに今の最善手が待つことしかできないんですか……」
オードランとジルは難しい顔をする。
青年の無念は痛いほど分かる。分かるが残念ながら二人に彼が納得できる道を示す力はない。
待つという言葉も青年を押し留める方便に近いのだ。
「『待つことも時には攻めるがごとし』」
そんな時ギーは厳かに告げる。
一同の視線が集まった。
「それは誰かの格言か?」
「うん。今考えた僕お手製の格言さ」
「……」
「そんな顔しないで欲しいな」
ギーの顔が僅かに強張る。
「まあ冗談は抜きにしてだよ。結構この東の最前線で待つのは悪い手じゃないと思うんだ。僕ら人間が彼らの元へ向かうのは無理に近いし。それに、何かが来る可能性は高い」
「何かとは何だ」
「考えてごらんなさいな。竜の生活がどんなものか知らないか分からないけど、僕らと同じく知性ある者なら絶対に社会ってものは形成されているはずなのさ」
指をくるくるさせながら朗々と語る。
駄目な教え子を諭すように、主にアリューに眼をやった。
「で、あの性格の白竜君だ。友達の一人や二人はいるはずさ。ここからが本題だ。ある日突然遠出をして帰ってきた友人が、久しぶりに会ってみたら好戦的エクセントリック竜に変身していた。こうなればどうなるかね」
言葉を引き継ぐようにジルは呟く。
「何があったか訳を聞く。埒が明かねば此方に理由を探しに来る……か」
「その通り! あっちで首輪を外してくれれば万々歳。駄目でも此方に白竜の御仲間がくれば、突破口もできるというもんだよ」
まあ竜の社会の存在も白竜の友がいるかも分からないし、そも本当にあったとしても来ない可能性は十分にあったが、落ち着かせるための方便である以上二人が語る義理はない。
またしても口を閉ざしたアリューであったが、今度は空気はそこまで悪くない。
説得ができたかと彼らは胸を撫で下ろした。
だがここで予想外のことが発生する。
建物の最上部に備えられている警鐘が甲高い音を発生させたのだ。
何事かの異常事態を知らせるものであった。だがおかしい。
普段から斥候をだしている騎士団が、幹部の招集を掛ける前に警鐘が鳴らされるなどあり得ないことだ。
つまりはだ。斥候の通信術とそれに伴う招集を行う時間がないほど、虚を突かれたか。
そもそも発見してから此方が動くよりも遥かに速く、その異常とやらが迫っていることを意味していた。
全員が身構える。療養の身とはいえ、ジルは素早くギーにフェリクスに確認を取らせようとした。
だが彼らの動きは全くもって遅かった。
砦の壁上部から幾つかの発光が確認される。
それは壁上部の警備していた騎士が、何者かに攻勢術を撃ち込んだことに相違ない。
「上空警戒っ!」
何処からか騎士の叫び声が聞こえた。
そして彼らのいる広場から突然に太陽の光が消えた。正確には違う。
何者かが太陽の光を遮ったのだ。全員が竜殺しを抜く。
更に又しても変化が訪れた。遮られたと四人が感じたと思ったらすぐにそれは消えた。
通り過ぎたか? そう疑問を持った次の瞬間に今度は何かが広場に撃ち込まれた。
土が巻き起こり、視界が遮られる。
何かが落ちてきた。彼らは魔力で強化した視界でそれを捉えようとした。
幸いに土埃はすぐ払われる。突然に一陣の風が広場を襲ったのだ。
クリアになった視界で侵入してきたものの正体を見ることができた。
それは人間だった。少なくとも外見は人間だった。
この王国にしては珍しい黒髪に黒瞳。小柄な外見は童を思わせた。十もいっていない可能性すらある。
服装もまた珍しい。この辺りでは見ない意匠だ。そもそもどこの国のものかも分からない。
つまりは珍しいながらも唯の人間。一見すればだ。
しかしそのような外見を竜殺しである彼らが鵜呑みにするはずもない。
第一だ。人間があのような魔力の放流を見せるものか。見せつけるためにしているのではない。
飽くまで自然体。漏れ出る量だけで歴戦の勇士である四人は僅かに身震いした。
「ギー……お前には預言者の才能があるかもしれないな」
「そうだね……からっと焼かれて、才能でも開花したのかな……」
空から降ってきたそれは四人を興味なさげに睨んだ。ただそれだけなのに抜いた竜殺しの切っ先が震えた。
「白竜のに珍妙な物を嵌めた者はお前達か?」
真の超越者からの質問が彼らに投げかけられた。
保護者登場




