母だ、涙しろ
慎重にお電話対応で聞きただす。
他者という異物を意識したからなのか、随分と思考と感覚が明敏になっていく。
今この状況は何なのか? 現実、では勿論ない。夢か、と言われると近いがどうもしっくりこない。
何というか意識だけ抜き出して他者との通信をしている感じ、そんなスピリチュアル的なノリである。要は訳が分からない。
ともかくも現状どうなっているか分からないのだから猫は厳重に被っておく。
「……いや、確かに……この反応は、当たり前、なんだけど……私・我は、どうにも、こう、辛いっ!」
そう対応すると目の前の人物は身をよじり悶絶する。どうにも反応が過剰な奴だと心の隅で考えていると、気を取り直したのか改めてこっちを向く。するとなんといきなり抱きついてきた。
身体の意識やら輪郭やらがまだぼやけているので、抱きつかれた感じがしたというのが正確だが。
「とにかく私はあの人を立ち直らせてくれた人に会えて、感謝したいし嬉しい! 我はやっと自身の役目を果たせ、子に会え嬉しい。つまりは私・我は今猛烈に嬉しいのだ、白竜よ」
返答になっていないどころか、少々電波が混入しているのかと疑いたくなる言動だが、聞き捨てならない単語を俺は耳にする。
「子?」
そう呟くと相手はぱあ、とそれこそ花を咲かせたような笑顔になる。
「そう、お前は我の子だ」
「つまりは。貴方は私の親なのですか?」
聞き返すと自称親は掌をこちらに見せ、それは違うと意思表示をする。
「そうとも言えるけれども厳密には違う。それは我だ。私・我はアリューの妻だった私も含んでいる。だから言うなれば私・我はお前の親でもあり、お前の将来の夫になるかもしれない男の元妻だ」
『お前、何言ってんの?』と真顔で聞き返さなかった自制心を、ぜひどなたかに褒めていただきたい。
寝てたと思ったらいつの間にか不思議空間にいて、更に仮の姿とはいえ自分と瓜二つの相手と遭遇。
しかもその相手は自分を一度も会ったことがない親で、かつキチガイ同僚の妻が合体したとんでも生物であると言ってのけたのだ。
ここで『そうだったのか……』と言える方がいるのでしたらどうか現れて欲しい。前世でお前の親だったからお金貸してとか言いたいから。
本来ならば頭の具合を心配し憐みの視線か、またまた御冗談をとばかりに笑い飛ばす。
だが真に残念なことに情報が足りない。
もしも。もしもである。万が一そうであったのならば、その対応は悪手にすぎる。感動の再会のぶち壊しである。本当に相手がそういう存在だとしたら、再会即破断の一直線コースだ。
違うにしても謎の存在Xをぞんざいに扱うのはリスキーすぎるのだ。
だからこそ穏便な対応をしなくてはいけない。掌返しは何時でもできるが、した後握手を求めるのは至難の業だ。
とりあえず相手の顔を、特にその眼をじっと見つめる。なるべく誠実に力強くだ。
そして何かを悟ったような表情をした。更にその後手持無沙汰であったその両腕でぎゅっと抱きしめ返す。
その間言葉は何も発さない。ついでとばかりにスパイスとして頑張って涙を流す。
「んっ」
すると相手も何事かを理解し、抱きしめる力を強める。お互いの身体の熱を交換し合いポカポカ状態である。あやす様に相手の手が俺の背をぽんぽんと叩く。
言葉はいらない。その態度こそが全てを物語っているのだから……的な雰囲気がその不可思議空間に満ち、俺とその自称親・同僚の妻の二人はしばし抱き合うこととなった。
良く分からなくても、黙って相手の言い分を受け入れることも大人の対応の一つなのだ。
暖かくは迎える。けれども絶対に言質は与えない。
「それで、ここは一体どこなのです? 貴方は私をどこに連れてきたのですか?」
「どこもここもない。ここはお前の中だよ。子よ。お前をどこかにやったのではない。私・我がお前の中に入ってきているのだ」
さらっと人様の中に入ってこないで頂きたい。
ぐっと文句を押し殺しながらもう単刀直入に問いただしたくなった。
「ではなんでいきなり現れたのです? 今までなぜ姿を見せてくれなかったのですか」
「う、ぬ。今まで姿を見せなかったのは、会いたくとも会えなかったからだ。私・我に意識のない状態で触れてもらわなければ干渉もできぬし、他の者に伝えようとしても他者では、それこそアリューにもできぬ。飽くまで私・我とお前の存在が近しいからこそ使える非常の手段だからなあ」
そして言葉を切ると何やら身体をもじもじとし始めた。
「理由に関してはもう一言には言えぬ。私はさっきも言った通りあの人、アリューを助けてくれてありがとうって気持ちを伝えたいために会いたかったし、貴方とお話ししたいと思ってる。あの人のことで一緒に盛り上がりたいともね。もうやりたいこと話したいことなんててんこ盛りなのよ! そして我はお前に継がせなくてはならんことがある。それにお前のこれまでの生の話を語り合いたくもある」
そう一息に言い切ると、今度はさらに顔を薄く赤く染める。
嫌な予感が脳裏に走る。
「しかしだな、そんな素晴らしい時間が私・我に用意されているとは思えぬ。悠久の時を生きる我らでも、今は瞬きする時間すら万金に値するはずだ。だからな……」
「だから?」
ばっと不審人物が視線を自分へと合わせた。
状況が理解できない人物ならば、(残念ながら自身も理解しているなどとは口が裂けても言えないが)女性が意中の相手に告白しようとする風に見て取れただろう。
「そういった面倒臭さを解消すべく、その、あれだ、あれなのよ、いやあれである。うん。チューをしてくれないだろうか」
場が凍った。
フェルナン。
その名は王国の情勢を僅かでも知るものであれば一度は耳にするはずの名だ。
成り上がり。貴族派の両翼の一対。無表情の俗物。妬みや嫉みの数えきれない罵詈雑言でこの人物と一門は説明されていた。
そんな人物が騎士団の前に軍勢を率い現れた。
当然王権派である騎士団から見れば敵の親玉だ。大丈夫です、味方ですから止まって下さい、などと伝えられた所で素直に頷くはずがない。
むしろのこのこと出てきたからには、捕えて人質にして突破を図ることすら考えられた。
だがそんなことなどフェルナンは百も承知だった。
逸る騎士団を目の前にして彼は悠々と右手の甲を彼らに示しながら宣言した。
「信じて頂けないのは百も承知。よってこうして誓いをさせて貰う。私フェルナンは不義がない限り諸君等及び白竜の生命を、我が命によって保証することを『国旗に誓う』」
僅かな魔力が走り彼の右甲には薄らと王国旗と先ほどの誓約文が浮かぶ。
それを見た騎士団は動揺を露わにせざるを得なかった。
王国旗に誓い、それを右甲に刻む。
それは何ら術式的には拘束力を持たないものではあるが、持つ意味は重大極まりない。
これによって成された誓約は絶対遵守。一切の事情、身分は斟酌されない絶対の誓いだ。 破られた場合は過失の有無に関わらず誓った者の命と名誉で贖われる。
身分ある者であれば一切の権利剥奪の上斬首。
これは制定した王族であろうがそれを翻すことはできない。
そして誓約を隠蔽改竄した者も同様の処置を受け、その嫌疑をかけられて晴らせぬ者もその権利が奪われる。
正にそれを口にすることには命が求められる行為であった。
つまりはだ。この人物が自身を犠牲にでもしない限りは、ここで矛を収めれば身の安全を保障されるという事だ。
それに対し彼ら、特にオードランは眼をつむり思案した。
目の前の人物を信じられるはずがない。単なる善意で施されたわけではないことは明らか。態々敵の懐に飛び込むことなど愚の骨頂だ。
だが自身らは限界であった。自軍の数倍に上る敵軍を突破し、ここまでの強行軍。誉れ高しと謳われる騎士団でも更に五千の敵を跳ね除けることは不可能だ。
仮に彼らの手を払い交戦したとして、手間取れば振り切った貴族軍に後背をつかれる。そうなれば助かる可能性はゼロとなるだろう。
「受けよう」
彼の言葉に周りもそれしかないだろうと、武器を降ろすしかなかった。
「武器は没収しなくても良い。いやそも何もせずとも良い。今はただ誠実にあの者達を護衛しろ。我が領地に安全に送り届けることだけを考えよ」
率いている軍の指揮官が派遣した伝令に、フェルナンはそう通達し下がらせた。
彼は体面上この軍の頂点であるが武官ではない。指揮は部下に任せ、早々に自身の領域である謀略に思いをはせた。
白竜は抑えた。敵もこちらの管理下に置いた。
彼らの生命をフェルナンは命に代えて守らなければならなくなったが、そんなことは構わない。
なんならば歓迎の宴を開いて彼らにワインの一つでも振る舞ってやっても良い。
彼らの命など微塵も欲していない。
「『首輪』の調整はどうか?」
主の発言に周囲にいる護衛の中から一人、通信術を使えるものがスッと、フェルナンの前に出た。
「多少の粗があるものの終えております。準備も手筈通りに」
「信用性は?」
「必ず、とは確約致しかねますが十分な余裕を持たせております。それにあの衰弱具合から更に信用性も増すでしょう。これ以上のものをお求めならば申し訳ありませぬが、また暫しの時間を頂きたく」
「いやそれで良い。このままの計画で進めろ」
「は」
主の許しを得るとその者は再び護衛の輪に戻った。それを一顧だにせずフェルナンはまた黙り思考の海に沈む。
彼は鉄面皮を崩すことなく、けれども心の底から興奮が湧き上がっていた。
もう少しで彼は新たな力を手に入れる。灰色の蜥蜴などというまがい物ではない。真の竜の力を手中に収めることができるのだ。
そしてその力は、彼が今まで手が届かなかったものを呼び寄せることになるだろう。
それは初めて男の視界に至高の座、つまりは玉座が入ったことに他ならない。
無論可能性ができたとしても今はまだ細い糸の一本。
その端も掴めるかどうかは未だ分からなかったが、彼にはそれで充分であった。
「だがそれで構わぬ。危険な賭けであろうが私は泳ぎきってみせる」
呟くと、彼にしては珍しくその口元を歪め、嗤った。
あまりと言えばあまりの発言に、さしもの俺も正気か、とばかりに不審人物を見てしまう。
「ご、誤解はしないでほしい! 私も我もそんな非生産的な趣味を持ち合わせてはおらぬし、ましてや子をそんな下種な感情の対象にしているなどあり得るはずがない!」
その視線に気付いたのだろう。慌てて赤面し弁解の言葉を続けた。
しかしあれだ。危険人物と思われる人に『私は怪しくないです』と言われるような状態になっている。一言で表すと全力で墓穴を掘り始めている。
「色々なモノを受け渡したりするのには、繋がりを造らなくてはいけなくて、その、それにはチューが一番で、勿論他に方法もあるけど、それはチュー以上にあれな行為で……それにそう時間も取らない! こうすれば数日が掛かるであろうことをたった五分で済ませられる!」
この人物にとって、初対面の人物に五分の熱烈キスを求めることはちょっとした行為らしい。
温厚で聖人君子の外面を操る俺も流石にそんなことは遠慮したい。良く分からん人物と、しかも同じ顔をした奴とキスなど御免こうむる。
どう穏当に断ろうとしたところで、不意にある変化に気付く。
不審人物の輪郭がぼやけ始めたのだ。
「ああ! アリューめ。良い所で竜殺しを子から離しはじめているな!」
どうやら外でクレイジー青年が何かやったらしい。偶には役に立つな。
このままの流れならば目の前の人物は直にご退場になるのだろう。全てがうやむやに流れて万事解決し、ほっと息を吐きかけた。
しかし相手は最後の最後に先程までの空気はどこへやら、面倒くさそうな真面目な態度をしてきた。
「なあ子よ」
「……なんでしょうか、母よ」
ぎこちなく、内心とっとと消えろという感情を隠した言葉に、相手は『もう少し躊躇いなく呼んでほしい』と苦笑いした。
「子よ。お前の生き方は奇しくも我と似ている。いや一緒にしてはならぬな。我には無かった強さがある。我が尊敬する私、彼女が持ち合わせていた無私ともいうべき貴き強さが」
右手を俺の右頬に持ってきて、不審人物はそっと髪をなでる。
「だが今のお前には我が持っていた武という強さが無い。それは決して恥に思うことではないが、お前の進む道には残念ながら武が少なからず必要となろう。だからこれは少しばかりの御裾わけだ」
なっ、と驚愕する。完全に不意を突かれた。
いきなりに顔を急接近させるとそのまま一直線に唇が互いに近づき、そしてくっついた。つまりはキスだ。
ここまでで十分に驚きに値するのに、何とそれに飽きたらず熱い何かが身体の中に入ってくる。
驚愕で身体が固まる俺を差し置いて、不審人物は満足げに顔を離した。
「本当は我の全てを受けてほしいが、時間が無い。少しばかりの力を分け与えた」
にっこりと笑う目の前の人物に何をしたと詰め寄りたかった。
だが聞ける雰囲気ではない。
その時間もないだろう。本格的に相手の身体が霧散し始める。
「暫しの別れだ、子よ。健やかなれ。お前がどの道を進むことになろうが、その全てに祝福を」
意識が急浮上する。
それとともに身体の感覚が戻り始める。夢から覚める様を覚醒して体験しているようであった。
何だったのであろうか、あの奇怪人物Xは。
親と人間が混ざった超生物などいきなり現れてもらっても困る。できれば二度と現れてほしくない。
絶対にあれは面倒くさい。何かとんでもない背景があるはずだと俺の勘が告げている。それこそ小説に書けばそこそこ書けるぐらいには面倒くさい。
俺のこれからの輝かしいまったり安全ライフには一ミリも必要とされていない。
どうか隅っこの方で大人しくして朽ちていってほしいものである。
そうこうする内に完全に意識が現実に戻る。意識が身体を認識する。
だるさを感じながら俺はゆっくりと眼を開ける。
眼から様々な情報が入ってきた。
見知らぬ、しかし高級そうな天井がまず入ってくる。
視線を左右に少しだけ動かすと何やら怪しげな黒ローブを羽織った人物たちが俺の周りをうろちょろしている。
視線を下にずらすと、どうやら俺はベットに拘束具で拘束されていた。
総評すると、良く分からぬ場所で、良く分からぬ怪しげな人物たちに、拘束されていた。
「は?」




