青春だ、守れ
『二時間の猶予を与える。それ以内に開門し我らの指揮下に入られたし。我ら同胞との無益な衝突は好まず。賢明な判断を希望す』
騎士団の数倍にまで膨れ上がった公の貴族軍は、閉められた砦の門の外から騎士団に通告した。
当然ながらその要請は到底騎士団には受け入れることはできないものであり、沈黙によって返答が成されることになった。
貴族軍としてもそんなことは百も承知である。戦を避けようとしたという事実が大事であり、別に戦を避けようとする心づもりなど毛頭なかった。
団長の執務室に主要な騎士達と、上級竜殺しの二人が集まっている。
「さて、どうするか。降伏したら許してくれるのかね? それとも誰かふん縛って犯人として差し出せば丸くおさまるか」
「残念ながら私達騎士団は白旗の振り方など習ってはおりませんので、前者は無理でしょう。後者ならば縄を用意させますが? 結ぶのは御自身ではできないでしょうから、私がやらせていただきましょう」
勧告に対し黙り込んだ騎士団であったが、その内部では如何にして状況を打開するか、話し合いがもたれていた。
「私達ですと、降伏にしろ生贄にしろ相手の顔を見ればたたっ斬ってしまいますので」
オードランの言葉に飽くまで騎士たちは冗談で返した。しかし誰の眼も笑ってはいない。
敬愛する上官が重傷で帰って来たのだ。騎士全員の心中には怒りが渦巻いていた。
戦場で相対し手傷を負わしたのならば、怒りも湧けど同時に称賛も湧く。そしてその怒りも戦が終われば騎士たちは流そうと努める。
だが鬼畜と誹りを免れない行為で、しかもどれ程政治的に対立しようが味方によってなされたのであれば許す道理などあるはずがない。
こうして落ち着き会議を開いているのは、これが相手の喉元に牙をたてる最良の行動だからであった。
「しかし如何に恥知らずかつ厚顔無恥な策であろうとも、効果的であったことは否めません。貴族軍は我々騎士団の制圧を実行する大義名分を得、王都より終息宣言が出されようが矛を収めずに済みます」
「自分で焼き払った指揮官の敵取りか。笑えもせん」
苦みばしった顔をする騎士達にオードランは口をはさむ。
「敵を賞賛するでも罵倒するでも後でいくらでもできる。それよりも手傷を負った四名の方々の状態はどうなんだ」
「現在術師が全力で治癒に当たっています。全員絶対安静ではありますが、今すぐに命に関わることはないと」
「……そうか。騎士団の指揮はどうなる。戦えるのか」
「最悪と言いますか幸いと言いますか、防衛にせよ打って出るにせよこの後の戦闘はそう長いものではないでしょう。短時間でありましたら私達上級の騎士たちで上手く回せます」
「それは結構。問題は状況があまりよろしくないだな」
騎士団と公の貴族軍との戦力差は既に論外と言っても良いほどの開きが存在している。通常戦力で三倍以上。竜殺しは上級の四人の内二人が重傷、残りが万全ではない状況では、実質的に十倍以上の差を付けられている。
「戦端を開けばこちらの必敗は避けられないでしょうな。勿論重ねて言うが降伏するつもりなど微塵もありません。どうにかして貴族軍どもに一杯食わして、白竜殿を逃がしたいものです」
「突破しかない」
今まで口を閉ざしていたアリューは難しい顔をしてそう断言した。一同が彼に注目すると言葉が続けられ、彼は考えを述べる。
「戦っても勝てない。籠城しても援軍が無いならば時間の問題。なら逃げるしかない。そのためには目の前のあいつらを突破するしかない」
「だがどうやって突破する」
「知らん」
最後の無責任な言葉に騎士達とオードランは肩をおとした。しかし呆れるより前にアリューの続きの言がその場に響く。
「はっきり言って俺はそんな良い案が考えられるほど頭が良くない。オードランとあんた達、いや貴方達が練った案の方が万倍ましなはずだ。だから俺はこれ以上何も言えない。後は貴方達を信じる。そして何の策が浮かばなくても、貴方達が白竜に味方しなくても恨まない。その時は俺一人、白竜を抱えて敵陣を突破する」
もう俺がここにいても仕方がない。後の戦闘に備えると、彼は周りに告げ、一礼と共に執務室から出ていった。
ともすれば非常に無礼に当たる行動ながらも、残った騎士たちは感嘆により息を吐くとにんまりと笑った。
「青いな……」
「正しく青い春というものですな」
「策も練れず他人に丸投げするなど上級騎士としては未熟に過ぎるが、人間としてはまあ、一角の人物に成長したのではないかな? オードラン殿」
「皆様方は褒めておられますが、俺としては今頃思春期が来たのかと辟易としています」
大げさに手を顔にあてて苦悩のポーズをとりながらオードランは、芝居かかった声でそう述べる。
「おや、彼には奥方が以前いた以上、こうしたことは前にもあったのでは」
「いやいやその時は二人はまだまだ若くて、あんな甘酸っぱいことは無かったですな。良くて仲の良い仔猫同士がじゃれ合うぐらいの話でして。無論両者が愛し合っていたのは事実ですが」
「それはそれで微笑ましい光景だ。だがつまり彼はこうしたことは初体験であるということか」
「それはいかん。ますます貴族軍の馬鹿共を追い払わなければいけない理由ができた」
「そうだな。無力な民草と人の恋路を守るのが騎士の誇りというもの」
騎士達の顔がほころぶ。王に対する義と上官の仇討という義。これだけでも戦をする理由には十分であるというのに、更に人の美しい営みと言うべき愛が付属するのだ。
否が応でも彼らの士気が上がる。
「ならば奴らの鼻っ面に一撃いれるだけではなく、おいたをするその両腕もへし折らなければなりますまい」
「では話を最初に戻すがどうする。貴族軍と言えどその練度はあいつらの性根の悪さに比例しているものでもない。近衛が無力化している以上、戦局は相手方に傾いている」
一同は沈黙する。
気力も十分。やる理由も一級品。それでも今の状態が最悪であることには変わりがないのである。
闇雲に突っ込んでも現実は歌の様に優しくはない。例えどれほど小さくとも、勝機がなければ勝てないのが戦なのである。
そうして再び暗い空気が場を支配しかけた時に、一人の騎士がはたとある策を思いつき、先程の笑いとは違う人の悪い笑みを浮かべた。
「この場から逃げるには最早戦は避けられない。しかし戦をすれば確実に我が方が押し負ける。ならば我らがするべきことは戦だけではない」
「というと?」
オードランが他の騎士たちの疑問に代表してそう発した男に質問を投げかけた。
「貴族軍どもは戦以外の方法で私たちに先制攻撃を加えた。ならば私たちの反撃の一手も彼らに習い賢くいこうではないか」
そうしてその騎士は自身の考えを語りだした。
アリューは戦支度を終えると、その足で砦の医務室に向かった。
戦傷を負った兵士を収容できるようにと広々と確保された部屋の一角では、襲撃を受けた四名が術師の必死の治療を受けていた。
彼は部屋に入ると四人と彼らに深々と礼をし、邪魔にならないよう仕事をする術師の間を慎重にそっと通り抜け、彼らとは離れた所にあるベットに向かう。
そこには病人やけが人の為に通常付き人として一人はいるはずであるのに、寝かされている人物しかいなかった。容体は安定している以上、緊急の重病人が出た状況では人員を割くのはできないのが理由だった。
彼はその寝かされている人物、白竜の傍によると、立ったままじっとその顔を見つめていた。
うなされることなく、すうすうと寝息を立てる白竜は彼の眼にはただ眠っているだけに見えて、いつ眼を覚ましてもおかしくないように思わせた。
周りの動きなど忘れてひたすらにその顔を眼に焼き付ける。そしてふっと息を吐く。
「状況は最悪だ。下手をすればあの赤竜の時と同じぐらいに危険かもしれない。でもなんだろうな。不思議と暗い気持ちになれない」
彼はそうぽつりと独り言ちる。
自身で言った様に彼の心には不安こそあれども、それ以上の説明のつかない高揚感があった。
「怖いと思う気持ちは今もあるはずなのにな。もう一度失うのは御免だ。だけど守れると思ってしまうし、そう思うと嬉しくてたまらない」
勝算は少ない。もしかすれば無いかもしれない。そんな中にも関わらず、彼は今までのどの勝ち戦、どの勝機の高かった戦闘よりも闘志にあふれていた。
「貴族共、赤竜。相手にするのは馬鹿だと思える相手を前にしても、セレストやお前の親が、どんな関係か分からず迷っても不安になれない」
その理由は義兄が願って止まなかった行為を彼がしたからだ。
彼はようやくその視線を後ろから前へと向けたのだ。
憧憬を抱かせるだけのかつての思い出と、苦悩をもたらすだけの絶望だけに惹きつけられていた彼にとって、今がどれ程過酷であっても新しく広がる道は明るく思えた。
どれほど辛かろうが、掴めるかもしれない希望がそこにあるのだ。彼にとってはその光は心を鼓舞するには十分に過ぎた。
「眼が覚めた後にあんたと、どうしようかなんてはまだ決めていないけれども。とにかくそれができるように外の馬鹿共からお前を絶対に守る」
そう断固とした意志を改めて固め終えた彼は、名残惜しげにもう一度白竜の顔を一瞥し、背を向ける。
「……馬鹿、アリューが……」
そう呟く声が聞こえると、彼は驚き後ろを振り返る。
しかし白竜の様子は変わらず、眼を開いてはいなかった。幻聴か、寝言か、彼にはどちらにもとれた。
だがそんなことは彼にとって重要なことではなく、僅かに口角をあげ聞こえた声に反論した。
「お前の方が馬鹿だろう、馬鹿白竜」
今度こそはとベットを後にしようとし踵を返したところで彼は固まる。
そこには方針が決まり彼を呼びに来たオードランと騎士達の数名が、いいものを見たとばかりににまにまと笑っていた。
その時先頭にいたオードランは、戦闘前にその顔面に傷を造ることとなった。
時間は流れていき、貴族軍が通告していた時刻の間近にまでなる。砦に立て籠もる騎士団はその間何ら返答を貴族軍にしなかった。
貴族軍は砦を二重に囲み、後方に幾らかの予備兵力を配置し布陣していた。
近衛は武器を取り上げた後幾らかの手勢に監視されながら、砦から少し離れた位置に置かれている。
未だ時刻には至ってはいないが、事実上要求を拒否したと判断した貴族軍は、今か今かとばかりに突入準備をしていた。
そんな戦直前の空気を醸し出す貴族軍の中心、攻城戦のために置かれた指揮所の更に中央部には、最高指揮官がいる天幕が張られていた。
その中には二人の人物がいる。三十台ほどの無骨な騎士、それこそ戦を駆ける戦士はこうあるかなと言われるような男は戦場で使われる簡素な椅子に腰かけている。
身に着ける鎧は男のいるはずであろう地位に相応しくなく数多の傷がついている。しかしそれは貧相であるとか粗暴であるといった負の印象を周りに抱かせるのではなく、男の経験した戦の数を雄弁に語り、男に凄みを与えている。
そして男の横にはまだまだ少年の姿を残しながら、顔には若さから見せる正義感と勇猛さを浮かべた青年がいた。
固さが残り青年の経験の浅さを浮き彫りにしていたが、それでも騎士に相応しく堂々と立っていた。
男は椅子に座りじっと時を待ち、青年はひたすらにその男を待つ。
告げた時刻になれば男の振り下ろす手のままに、貴族軍は砦を落とすことになるだろう。
だがその前に目線は前に向けられたまま、男は横に立つ従者に声をかけた。
「そう緊張するな。こちらの数はあちらの騎士団よりも数倍。質も優りはしないがそう嘆くほどでもない。失敗する可能性は殆どなく、戦死する可能性は皆無。死ぬ危険が無いのならば気を詰める必要はない。力を抜け」
「……はい」
上官の気遣いの声に未だほぐせない緊張の色と、そして隠していたが僅かな非難の声が入り混じっていた。
それを青年の倍以上の人生を生き、数十倍の時間の間戦場を渡り歩いた男が見逃すはずがなかった。
「そして不満を述べた従者を叱責するほど私は狭量であるつもりはない。隠すことも出来ぬのならば吐き出せ。言わぬのならば二度と吐くな」
表情筋をぴくりとも動かさず叱責とも忠告ともとれる言葉を青年に投げつけた。
青年はたじろぎ少しの狼狽を見せた後、意を決して上官に自身の不満を漏らす。
「このまま、このまま私達はあの砦を落として良いのでしょうか? あの勇士たちを引きずり出し、此度の功労者を殺すことは許されるのでしょうか?」
「王は許さないだろう。王国軍の騎士たちも認めはしないだろう。だがオラニエ公はそれを許し、望まれた。私達貴族軍には理由としてはそれで十分だ」
「しかし! しかし……ニコロ様。これは。我らは」
「言葉は簡潔にするべきだビセンテ。お前が言いたいのは貴族軍が騎士にもとる行為をしても良いのか、ということだろう」
「は」
「答えは良くはないが、やらねばならないが答えだ。民と王国を守り、騎士として生きたいのであれば王国軍を目指すべきだ。障害こそあれど、公の領地から王国軍を志願することを公は認めておられる。しかし一旦貴族軍になったのであれば、私達は主人のため、公の為に剣を振るわなければならない。騎士として生きるのは飽くまでそれが妨げられない範囲内でだ」
正義感に溢れた青年にとって、その言葉はとても許されるものではなかった。
顔を真っ赤にし、声を荒げようとしたところでなんとかそれを抑え、押し殺し上官に反論した。
「では。では公が民を切り、王国を滅ぼせと言った時、それを成すのが貴族軍の誉れとでも言うのですかっ」
「誉れではない。汚名であろう。だがそれを成すのが貴族軍だ」
それではなぜそれをするのか、そんな非道を防ぐことこそが兵士の役目ではないか、と食って掛かろうとしたビセンテを、ニコロは初めて視線を彼に向けその鋭さで黙らせた。
「逆に聞こう。主人の敵を切らず、あまつさえ主人にその先を向ける剣に一体何の価値があるか」
ビセンテの顔が苦悶にゆがむ。
「柄を持った人間の手が汚いからと拒否する剣になど存在価値はない。磨き、練磨し、朽ちさせず使ってくれる主に、その職分を全うし報いない道具が矜持を持つことを許されるはずがない」
男は迷いもなくそう言い切った。貴族が望むならば正義も悪も無力な民も一刀に切り捨てると公言したのだ。
青年は纏っている鎧と下賜されている剣の意味を悟ると自己嫌悪に身体を震わせ、詰まる声で、縋るようにニコロに問いかけた。
「では私たちは何を道しるべに生きていけば良いのですか。冷たく、それこそ貴方様が仰った様に血の通わぬ剣のように、卑劣な悪鬼のように生きろとでも言うのですか」
それに男はすぐさま答えず。幾ばくかの間を置いた。
そして静かに青年と、彼自身を言い聞かせるように返答を紡いだ。
「前指揮官であるカロン殿は術師の治癒を拒み、先程息を引き取られた」
「……」
「王国軍の者達が聞けば鼻で笑うのかもしれんが、私達貴族軍にも誇りがある。確かにあのような手は騎士の道に背く行為だろう。しかしあれを考え、誰にも任せず自身で実行したのは他ならないカロン殿だ。汚いだけの人間がこのようなことができるか」
彼の声からは、僅かながらも隠し切れない悲痛さと故人を悼む心が籠っていた。
「もしもあのまま真正面に戦えば双方どれ程の被害が出たか。数千の者の血がこの地に吸われただろう。公の目的が非道であっても、堂々と前から戦えば卑劣漢の誹りは免れるかもしれないが、そんなことなどただの自己満足に過ぎない」
そう言い終わると、彼は青年をもう一度見る。威圧ではなく教え込み刻み込むために青年の眼を捉えた。
「質問に答えようビセンテ。我ら貴族軍は汚泥を被り悪を成したとしても主の命をなし、それでなおも騎士の誇りと矜持を保つのが道である。誇りを忘れ剣を振るう者になるな。そうなればお前の言ったようにただの剣や悪鬼に成り果てよう。誇りに縋り何を成すべきか忘れるな。誤れば主の騎士ではいられず、入らぬ犠牲を一時の満足感の為に生むだろう」
青年はすぐさま返答をすることはできなかった。いつものように敬礼をしようと右手を上げ、力が入らずに途中でぶらりと腕をおろした。
どうにかして力を振り絞り、顎を僅かに上下させることで精いっぱいであった。
青年に上官の言葉が正しいかどうかは分からなかった。だが彼が述べた言葉に籠るその気迫から追随といった下劣なものではなく、青年の心のどこかがそれを肯定させた。
「此度の戦は戦いを学ばなくても構わない。ただ貴族軍の本質を感じ取れ。そのためにお前を私の従者として連れてきたのだ。いずれ大成すればお前が軍を率いることになるのだからな」
「は」
幾ばくかを待たずして事態が動いたことを知らせる騎士が、その天幕に訪れることになった。
その内容を聞くと、ニコロは僅かに眉を動かした。
刻限が迫る中、なんと砦が開門されたというのである。




