通せ、絶対に渡さない
魔力と身体を癒しながら砦を目指していた三人の内、西から迫る馬に乗った十数の人影に真っ先に気付いたのはオードランであった。
すぐさま彼はアリューにそれを知らせる。
「アリュー、前方から馬に乗った奴が十数人程、こっちに来ている」
「騎士団の斥候か?」
喜色を顔に浮かべながらアリューは返事をする。彼は一刻も早く白竜を砦に収容し、しっかりとした術者に見せたかった。向かう時は無茶な移動方法で一日もかからず踏破した道のりを、彼らは怪我の影響から未だ半分ほどしか消化していない。
白竜が自身で言った期日を過ぎても、未だ眼を覚ましていないこともまた、彼を焦らせていた一因であった。
「いや、少し待て」
しかし彼の義兄は直ぐに眼を細め、迫る人影を確認し、更に遠見の術式を発動させる。
そして接近する者達の特徴をすぐさまつかむと、舌打ちせんばかりに苦々しい顔になった。
「違う、ありゃあ……貴族軍の連中だ」
王国軍は階級ごとに、全く同じ鎧を採用している。しかし目の前の男たちの着こむ鎧は、採用されるものの全てに一致していない。
ならば、残す可能性は彼らは王国軍ではない軍勢の一員、つまりは貴族軍であるということだけだった。
それを聞きアリューの顔も強張る。王国軍と貴族軍の仲の悪さは筋金入りだ。例え援軍だとしても素直に喜べなかった。
「真っ直ぐに向かって来ているから、もうこちらの存在は掴んでいるか。アリュー、一応だが白竜殿を降ろして彼女の傍で待機しろ。何時でも竜殺しは抜けるようにしろよ。後、絶対にお前は喋るな。こんがらがるから」
「分かった」
歩みを止め、彼らとの接触に二人は備えた。五分も立たないうちに前方からの一団は二人に近づき、目の前で整然と止まった。
誰も一言も発さず行動する様は、良く訓練されている印象を与えた。しかしそれを二人が褒めることはない。彼らの態度は友軍に向けるものではないと感じ取ったのだ。
一団の先頭、一番上等な鎧を着こんだ男が馬から降り、丁寧な一礼を二人にする。
「上級竜殺しのアリュー殿、同じく竜殺しのオードラン殿。そして白竜殿でありますね。貴方方の献身は私どもも聞き及んでいます。よくぞ生きて帰られた」
「丁寧な出迎え、痛み入る。貴官らの言う通り私達はアリュー、白竜、並びに小官のオードランであります。失礼ですが貴官の所属を伺っても?」
「これは失礼した。私はオラニエ大公より騎士の位を預かっているデフロットであります」
オラニエ大公、その言葉を聞くとオードランは薄い笑顔を張り付けながらも冷や汗を一筋かいた。
騎士が述べた名前は王と明確な敵対姿勢を見せる貴族派のトップの人物であり、領地は遥か西にある。
断じて眼前の部隊は偶然や善意でここに現れるわけのない者達である。
「それで、デフロット殿はどのような理由でこの東の地に?」
「王国の危機にオラニエ公は酷く心を痛めておられる。公は一刻も早い解決を望んでおられ、よって此度は王国軍の一助になればと軍勢を発しました。私はその軍勢の一員であります。そして私は迫る竜に対する斥候の役割と、それに勇敢にも立ち向かわれた貴方方の救助の命を預かっております」
「オラニエ公の、小官ら卑小の身に対する過分な配慮、感謝の念に堪えません。ですがそれには及びません。助けがなくとも自力で砦にたどり着けます。どうか貴官らは斥候の役目を果たして頂きたい」
できれば彼らの乗っている馬を借り受けることができれば、帰路も一気に圧縮できたが、ここで弱みを見せるわけにはいかないとオードランは助けを全て謝絶した。
「いや、貴官らは明らかに傷を負っておられる。国に尽くした勇士を無下に扱えば、戦神に愛想をつかされよう。そして小官の名誉はともかくして、我が主のオラニエ公の名に傷は付けられませぬ。どうか小官らに貴官らを送らせて頂きたい」
だがデフロットはそうはさせなかった。飽くまで懇願であるが、その言動からは有無を言わせないものを放っている。
それと同時に騎乗していた他の騎士たちが一斉に降りると、移動し三人を囲みこんだ。
ここまで露骨な行動を取られれば、オードランも儀礼的な対応をかなぐり捨てなければならない。
二人はすぐさま竜殺しを抜き放つと、魔力を一気に開放する。
「デフロット殿、警告させてもらうぜ。俺達を皆殺しか、白竜を殺すつもりかは知らねえが、上級竜殺しを舐めると色々と後悔するぞ。胴体と泣き別れはしたかねえだろ」
「貴官らの心配は有難いが、それ位は十分承知している。今のお二人の魔力ならば小官らで十分対応できるだろう」
すると騎士たち全員が抜刀する。そしてデフロットを含んだ騎士の四人程の魔力が一気に膨らんだ。
四人が抜いたのは貴族達でも所有している三級竜殺しであった。
「おいおいおい、本気だねえ」
オードランは後ずさり義弟と白竜の傍に寄った。
常であれば下級竜殺しなど倍の数であろうが歯牙にかけないが、今は身体も魔力もボロボロ、しかも白竜という護衛対象も抱えている。形勢は不利であった。
それでも二人は一歩も引かず竜殺しを騎士たちに向ける。それに対してデフロットは降伏を呼びかけた。
「オードラン殿、アリュー殿。小官は騎士としてその力とその心に尊敬の意を表する。これは何ら意図を含まず純粋な賞賛である。小官らの目的は白竜の身柄のみだ。引き渡して頂ければお二人には勇士に相応しい待遇をお約束する。これは私の命にかけて、たとえオラニエ公の意思に反しようが絶対に保障しよう。どうか降伏して頂きたい」
「そんなに賞賛されて嬉しいねえ。けど尊敬してくれるなら、剣を引いてくれれば有難い。通してくれたら俺はもうあんたを尊敬するね、信望してもいいぜ。子々孫々に至るまで崇拝する。だから通せや。つうか王直属の上級竜殺しに何ら理由なく剣を向けるとか、あんたら絶対処刑されるぜ?」
「残念ながら通すわけにはいかない。これが卑怯な行為であるとは重々承知しているが、命令であるならば従うのが、貴族軍の騎士である私の矜持である。それに死ぬのは確かに恐ろしいが、命を惜しめば騎士の名折れであろう」
「……俺の敵じゃなきゃ素直に賞賛するよ」
「返答は如何に?」
オードランは視線をアリューに向けた。
「返答はお前に任せる」
今まで口を閉ざしていたアリューはすぐさま口を開いた。
「皆殺しだ」
「言葉を選べ、言葉を。まるでこちらが悪役だろうが」
「……目標は白竜。殺して構わない。竜殺したちはできれば殺すな。同じ騎士だ」
騎士たちが三人に殺到する前にオードランは手早く簡素な術式を組立て、魔力を前面に発散しこちらに向かう騎士たちを薙ぎ払った。
「走れっ!」
白竜を抱えると二人は空いた穴から一気に囲みを抜け出した。
まともに戦えば勝てたとしても白竜は守り切れない。ならば後は逃走に一路の希望を賭けるだけだ。
危険を無視し魔力で身体を強化し騎士から遠ざかろうとする。風を活かした移動法は、未だ身体のがたから使えない。
しかし相手方も逃亡を十分に予見していたのだろう。吹き飛ばされた騎士たちは、竜殺し以外も綺麗に地面に着地をし、騎士の全員が二人と同じ様に術式行使で追いかけてくる。
馬よりも速く動ける二人とほぼ同等の動きを見せている。救いは二人が行きに使ったような術式を行使できるものがいなかったことか。
「敵攻勢術七っ、迎撃五っ、二は回避っ!」
白竜を抱え満足に後方の確認と迎撃ができないアリューの代わりに、オードランは声を上げる。
オードランは騎士たちの放った攻勢術を守勢術と攻勢術の迎撃で、過半を落とし残りを回避する。
アリューも何とか回避を成功させ加速を続ける。
普通の騎士の速度は二人に僅かに劣っているらしく、徐々であるが距離に開きが出始めた。しかしながら竜殺したちの速度は二人よりも速かった。
最初に引き離した距離が縮まっていく。
魔力を無駄遣いできない二人は此方からの攻撃はせず、回避と迎撃に専念していた。それでも早々に無理が生じ始めていた。
「攻勢術八っ、迎撃四っ、回避は不可能! 後ろ振り向いて白竜の盾になれっ、アリュー!」
アリューは一瞬振り返り、背の白竜の盾となった。受けきり体勢を崩すことなく再び前を向き直り前進を止めない。
逃げの手を打った二人であったが、振り切れる様子は皆無であった。
このままでは追いつかれて引きずり倒された後、追いついた騎士たちに囲まれて切り刻まれるか、後ろからの攻撃の的になって終わるかのどちらかであった。
できる手としてはアリューを逃がしながらオードランが突貫。アリューの逃げる時間を稼ぐか。
または味方の斥候を期待するかだ。貴族軍だけが斥候を出している訳ではないはずだからだ。
どちらの手をとるか、オードランは迷った。
だがそれが致命的な時間の消費となる。その程度の考えは相手方も十分考えていた。
そうはさせまいと一気に畳みかけてきたのだ。竜殺しと、いまだ追いついていた騎士数人から今まで以上の攻勢術が放たれた。
「攻勢じゅ、っ!」
言葉が詰まる。
数は先程までとは比べ物にならない程で軽く二十を超えていた。どれほど巧みに回避と迎撃をしようが、やり過ごせるのは十ほど。残りの十は避けられない。
そして五発も喰らえば確実に体勢を崩す。
詰みだ。
それでも無意識的に迎撃と回避運動にかかる。そして予想通りにさばけない十発ほどの術が、二人に等分に分けられ向けられる。
「反転っ! 白竜を守れ!」
だとしても悪あがきとばかりに白竜をかばわせる。アリューも状況を理解し、何としても白竜をかばわんと歯を食いしばっていた。
オードランも振り返り、足を止められてからの攻防に備えた。
二人が覚悟を決める。
そして、飛来していた術式の一つが突如爆散する。
「は?」
オードランが疑問の声を上げると、その後も次々と敵の攻撃が爆散していった。
一体何が起こったのか。二人が疑問の声を上げるよりも何よりも、彼らを追っていた敵がその疑問を解消した。
「敵っ! 十数っ、迎撃!」
彼らが敵と呼ぶもの、それはつまり。幾つもの蹄の音が後ろから響き渡った。そして今まで二人が聞いた中で一番に嬉しく感じた鬨の声が上がる。
二人を追い抜きながら騎乗した屈強な騎士が貴族軍に襲い掛かる。
「サノワ騎士団の到着だっ! 死にたい者から前に出ろ!」
上げる声には一切の怯みの色は混ざらず。
振るう剣は王国の敵を薙ぎ払い、並ぶ朋友と背の無辜なる民を守る。
東方の双璧と称せられるサノワ騎士団の到着であった。
「上級竜殺し両名と白竜殿の生存を斥候が確認! ですが先に接触していた貴族軍の斥候と戦闘状態に入っています!」
砦で貴族軍と対峙していたフェリクスに、執務室に転がり込んできた騎士がそう知らせる。
彼は勢いよく立ち上がると、大声をあげ喜びの声を上げてしまった。
「あの馬鹿どもは生きていたか!」
隣にいたオーバンは副官の任を全うしようと叫んだ上官をそのままに騎士に更に詳細を問い詰めた。
「それで、今はどうなっている」
「は、此方側の斥候は三名を回収しそのまま砦を目指しています。ですが相手側も追撃を続行。小競り合いをしながら此方に向かっております」
「分かった。一旦外で待て、追って指示する」
「は」
連絡の騎士が下がるとオーバンはすぐさまフェリクスと今後の対応を話し出した。
「おそらく連絡は散らばっている両軍の斥候の全てに行きわたるでしょう。そうなれば彼らを起点に早々に両陣営の斥候が集結することになります」
「そうなれば両軍で合わせて百は集まるか。どさくさに紛れて万が一に白竜を奪われる危険がある。下手をすればそれを機に両軍が激突するやもしれん」
激突を避けるために白竜を差し出すのは論外であるが、そうはいっても両手を上げて貴族軍と戦争をするのは避けたい。今両軍が本気でぶつかり合えば、血みどろの消耗戦になってしまう。
「相手も事が大きくなれば早々汚い手は打たないでしょう。五百でも援軍を出せば、表立っての戦闘は収まると考えます。ですが逆に両軍が援軍を派遣しあって、万が一大規模な衝突になれば眼も当てられません」
お互いに大規模な戦力を出し合って、何かを切っ掛けに相対する者達が切りあえばそのまま合戦に移行してしまう。
「できれば相手を刺激しないように事を大きくするのが最善手です。白竜を砦に匿えれば後は武力を用いない交渉で何とでもなりましょう」
「案は?」
「一応ありますが」
オーバンは考えていた案をフェリクスに話した。そのあまりな内容に思わずフェリクスは顔をしかめてしまう。副官はそれに何食わぬ顔で付け加える。
「団長の統率力に疑問を持たれる方も出るかもしれませんが、まあ問題ないでしょう。言わせておけば良いだけですので。不肖、オーバン。例え王国の全ての者が団長を馬鹿だ、愚かと思おうが私一人は団長を尊敬していますので」
「……」
「準備も簡単に済ませられますので直に実行できます」
「……」
「感謝は入りませんよ。ですが実行するならばお早く」
数十秒後、外にいた騎士は呼び戻された。
「砦まで後どれぐらいだ!」
「一刻程で着きます!」
オードランの問いに騎士の一人が大声で返事を返す。
騎士団の斥候が貴族軍に突撃した後、アリューとオードランは素早く騎士団が用意していた馬に乗ると、数名の護衛の下一目散に砦を目指していた。
砦まで移動するには魔力が足りないうえに、敵に攻撃されれば数に押されきってしまうためこの形に落ち着いた。
移動している途中、両軍の斥候が連絡によって彼らの元に集結していった。
今や合わせて百を超す大集団になった王国軍と貴族軍は、睨み合いながら並行して移動していた。
このまま砦まで何もなく行ければ一番であるが、貴族軍はそれを許さないだろう。
大集団といっても未だ百。愚かな末端の独走と切り捨てれば王国軍とぶつかっても、小競り合いで済ませられる。だが一旦砦内に白竜を匿われれば、本格的な激突を覚悟しなければならない。
とすればここらあたりでもう一度相手側の攻撃があるだろう。
騎士と竜殺しの数はほぼ同数。もしも遮二無二突撃をかけられれば、集団の中心で守られている白竜まで届く可能性がある。
お互いが訪れるであろう最後の攻勢に覚悟を決めていると、先頭で遠見を使っている騎士から全体に連絡が伝わる。
「前方より集団が一つ! 方向より味方と思われるっ。鎧は……はっ、これは……」
不明瞭な伝達であった。本来であれば上官がその騎士を殴り飛ばしていたことだろう。
だがそうなるよりも前に騎士が告げていた一団が見える。そしてそれを確認した他の騎士たちも、貴族軍ですら反応に困った。
数は五百ばかりで数だけで見ればこの小競り合いを一瞬で決する程の戦力であった。しかし援軍だというのに王国軍には歓声が湧かなかった。
その一団は鎧も剣も持っていなかった。
これは百歩譲って全員が理解した。きっと連絡を受け何も持たずに戦場に出てきたのだと。彼らの逸る気持ちがそうさせてしまったのだと、無理やり好意的に解釈できる。
だがその一団は酒瓶を片手に戦場で酒盛りをしていた。
騎乗しているにも関わらず、ある意味で見事だと言える程器用に片手で酒を煽りながら、その一団は近づいてきた。
何なんだあの集団。
両軍が凝視する中、一団が二つに割れ貴族軍と王国軍それぞれに向かう。
迎撃をする指示が飛ぶよりも前に、その一団は声を上げた。
「さあ、英雄の凱旋だ!」
「サノワ騎士団のおごりの酒だっ。有難く飲んでくれ!」
方向転換し、速度を合わせ両軍に並走すると外周に位置する騎士たちに、自分が飲んでいる酒とは別の酒を渡していく。混乱し受け取らない騎士には頭から酒をかけていく。
そして徐々に一団の中に入り込んでいった。本来であれば、危険としか言いようのない行為だ。
移動しながら相手の陣形にぶつかりもせず溶け込んでいくことなど、乗馬の腕前が余程ではないとできることではない。
しかもそれを酒を飲みながら、相手の了解も得ずに行っていくのだ。最早神業と言ってよいほどの行い。
身を乗り出しながらも相手の頭に酒をかけようとするさまは、命知らずとしか言いようがない。
もしもその真価が分かるならば溜息とともに賞賛するだろう。
さすが東方で名高い王国の盾。
さすが王国の剣、サノワ騎士団だと。
彼らがやっている奇妙な行動に目を瞑ればだが。
王国軍の中心にいたアリューとオードランにもその一団にいた者達が近寄ってくる。
笑顔でオードランに酒瓶を渡し、術式で何とか白竜を馬に固定しながら乗馬し、受け取る余裕がないアリューには頭からワインをぶちまける。
そして酒をオードランに渡す時に、男は彼に耳打ちした。
「ご帰還、団長、副団長共にお喜びです。正攻法で援軍を出せば不要な衝突が起きるので、このような奇妙な援軍になった。許せとのことです。後はまあ、三人の帰還の祝賀会代わりと思っていただければ、とオーバン副団長はおっしゃってました」
では、と笑顔で酒をあおりながら男はオードランから遠ざかっていった。
それを見送りながらオードランは呆れた声を一言発した。
「なんとまあ、剛毅なんだか、間抜けなんだか」
そして横を見、むすっとした顔をしワインでびちゃびちゃになった義弟を視界に入れ、彼は笑い出してしまった。
後から出された援軍を迎えながらも、貴族軍は白竜をそのまま砦に見送った。
五百の騎士団を蹴散らすとなれば最早本格的な衝突を覚悟しなければならないというのも、彼らが躊躇った理由ではあった。
だが何より近づいてきて酒を渡し酒盛りを始める相手に、殆どの者が混乱してしまい、残る冷静な者もこのような相手と死を覚悟して挑むなど御免こうむると毒気を抜かれてしまったのが、最もふさわしい理由であった。




