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仇同士だろう、戦うなよ

「なんだ……あれ、は」


 竜殺しから放たれる膨大な魔力は持ち主が発揮する以上のものであった。

 驚嘆するべきなのはその質と量だ。竜殺しが扱うものとは段違いの、それこそアリューが今相対している竜に並び立つほどに凄まじい。


 彼の眼に輝く竜殺しこそがその良い証拠だ。術式行使による圧縮を経ずに、純粋に溢れだしてるだけで爛々と輝く魔力は人類が扱えるものではない。

 そも魔力の可視化などはそれを主目的とした術式以外においては、規格外の竜殺し達が戦闘時において使う簡易化された術式にしか見られない。

 それも起動時に僅かばかりに輝くだけで、術が成ればたちまち消え去るものだ。


 更に事態はそれだけに留まらない。

 止まることを知らない魔力は辺りに満ち初め、一種幻想的な光景を構築し始めたのだ。


「竜殺しから、いや、違う。これは一帯、から」


 一帯にむせ返る様に放流している魔力は、竜殺しからのものではないと彼は気付く。

 どこからか、あえて表現するのならばこの地から湧き出てくるように魔力が発生しているのだ。


「グウゥゥゥゥウッ」


 異常な事態でありながらも、彼は驚いてばかりもいられなかった。

 赤竜は喉元に突き刺さる竜殺しをその腕で引き抜こうとしていた。しかし何らかの力が働いているのだろう。

 剣は抵抗するかのように竜の力に逆らい、再びその首を掻っ切ろうと刀身を肉に埋めようとする。

 赤竜はそれを無視し、竜の怪力で周りの肉を削ぐのも厭わずに一気に抜いた。ぼたぼたと、赤竜の首元からは血が地面に流れ出る。

 そして竜殺しを空中に放り投げる。


 しかし不可視の力が働き、剣は一直線にアリューを目指すと、投げ出されている彼の前に突き刺さった。

 敵を彼に通さぬとばかりに、刀身は輝きを増していく。


『人間よ、お前たちは、お前が使うこれは!』


 赤竜から伝えられる言葉には少しばかりの苦しさと、初めて彼に見せる驚きがそこにはあった。


『お前たちは竜の遺骸を使ったのだな!』


 アリューが応えるよりも先に、竜殺しから放たれた閃光が、辺りに居る者全てを包んだ。

 






 夢の中の微睡の様な、非現実的で身体の感覚が抜けきった感覚にアリューはさいなまれる。

 何かに包まれる安心感を覚え、そのまま眠りについてしまおうかという誘惑に駆られたが、彼はそれを払いのけ閃光で瞑ってしまった眼を開いた。

 辺りからは赤竜や戦闘の傷跡、建物は消えてしまい、代わりにそこには木々が生い茂っていた。

 彼が先程までいた村ではなく、人の手が入っていないどこかの森の中だ。血埃が舞う戦場とは似ても似つかぬような、長閑な光景であった。



「何が……赤竜はどこに、違う。そもそも先程までとは場所自体が移動しているのか」


 咄嗟の事態に彼は混乱してしまう。自身の身体を見れば、何と致命傷に思えた傷が消え去っていた。

 いよいよをもって思考が成り立たなくなりそうになった時、青年の耳は遠くから微かな音、誰かが近づく足音を聞き取る。

 

 竜殺しを構えようとし、持ち合わせていないことに気付く。

 代わりとばかりに屈み込んで相手を窺おうとし、姿を現した相手に彼の心臓は押し潰されそうになった。


 オードランと同じ、栗色で腰まで伸ばされた髪。

 決して絶世と謳われることは無くとも優しさを湛え、誰にも安堵を感じさせる顔。

 どこか抜けていても、彼には何よりも愛おしく思わせた表情。


 彼に分からないはずが無かった。例え似ている存在である白竜がいようと間違えるはずがない。

 涙が溢れそうになり息が詰まった。

 アリューは大声で彼女を呼ぼうとした。


 セレストっ!


 しかし彼は喉から声を上げることはできなかった。何かが彼を押しとどめる。そして理由など無しに、それこそ人が手の動かし方を知ることが自明であるように理解する。

 この空間に至ってから包み込む感覚、それが彼に囁きかける様に分からせるのだ。ここは現実ではなく、誰かの記憶の世界。自分は入り込めても干渉することなどできない。


「こっちから声が聞こえる。助けてって言っている」


 彼の横を愛おしい人が通り過ぎる。彼は咄嗟に手を伸ばすが、触れようとした彼の腕は届く前にその存在を霧の様に消失させた。

 身体に手繰り寄せれば元通りに戻っている。


 抱きしめたい。今すぐ彼女を自分の元に取り戻したい。そんな、叶わない感情が彼の心を焼いた。

 食入るように彼は妻を見つめる。


「出てきてよ! 傷付けたりなんかしないわ!」


 セレストは誰かに呼びかける様に声を上げながら森の中を進んでいた。これがもしも誰かの記憶なのだとしたら、ここは必然的に村の近くの森の中なのだろう、と彼は思い至った。

 彼女は生涯村の外に行った事は無かったのだから。


 しかし何故彼女が森の中に入り込んでいるのかが、彼には分からない。

 いくら開墾された村の近くの森とはいえ、ただの村娘が立ち入るにはあまりにも危険だからだ。


 そんな疑念を抱く彼を置き去りにし、周りの風景が本のページを捲るかのように変わっていく。

 これを見せている誰かが、最も見せたい部分に誘っているのだ。光景は森の奥に進んでいく。

 その時、彼にある考えが過った。まさか、と顔が青褪める。


 そして視界が開けた空間に出る。木々がなぎ倒され、その上には巨大な何かが鎮座していた。

 それは元は純白であったであろう、今は血と埃で薄汚れた傷だらけの身体を揺らしながら、ゆっくりと呼吸している。

 

「あああああっ」


 彼はそれを見たことがある。その憎いおぞましい相手を覚えている。妻を殺した悪魔。彼が復讐に憑りつかれた諸悪の根源。

 白竜と同じ、純白の色をした竜だ。


 彼は悟る。この瞬間が何時で、これから何が起こるのかを。がさりと、彼の後ろから草木をゆする音が響く。アリューは振り返る。

 そこにいたのは驚愕の表情をしたセレストだ。両手で口元を抑えて、叫び声を押し殺していた。


 止めろっ! 逃げろ!


 必死で声を絞り出そうとしても、彼の喉は焼きついたかのように少しも声を上げようとしない。

 顔を真っ赤にし、どれだけ力を込めても、一切制止することはできなかった。


 事態は彼をあざ笑うかのように止まらない。どのような決断を下したのか、彼女は意を決したかのように白竜へ近づいていく。

 彼は彼女を抱きとめて止めようとするが、届く前に身体は消え彼女を通り過ぎると、勢い余って地面に頭をぶつけた。


 そして邪魔をするなとばかりに彼は不可視の力で、身体を押さえつけられる。

 何故だ! なぜこんな真似をする! 

 彼は知らない相手に心の中で怒鳴りつけた。感情が暴走し、眼から涙が溢れていた。


 彼女はゆっくりと白竜の前に行くと、右手の掌をそっと白竜の身体の一部に触れさせていた。

 彼女の表情は様々なものに変わっていく。恐怖、憐憫、義憤、諦め。そして最後に何かを考えるかのようにふさぎ込んだ。


 なんで逃げない。


 彼女は一歩も退くことなく、そこに留まり続けていた。この後の惨劇を彼は知っている。彼女がこのままこの竜に殺されてしまうのを彼は分かっていた。

 だけどどうしてだ、と彼は霞む視界で、声なき声を張り上げてセレストに問いかける。

 お願いだ。今すぐ踵を返し、一瞬でも早くこの場から離れてくれと、彼はセレストに願った。


 しかしいくら彼が祈ろうが願おうが、過去は変えようは無く、そして今の状況に干渉することはできない。

 呪詛にも似た風に彼の心が渦巻く中で、いくらかの、彼にしては悠久にも等しい時間が流れた。

 セレストは顔を上げ、決心し何事かを告げるかのように白竜に向く。

 次に足を震わしながら恐る恐ると動き、白竜とは反対側、つまりはアリューの方を向いた。


 そしてその時が来た。


 彼女は一瞬目を瞑り、そして見開く。

 偶然であったのだろう。彼女には見えているはずもないのだが、その眼は確かにアリューの方を向いていた。

 万感の思いを込めたのだろう。次に紡がれる彼女の言葉は小さいけれども、彼の耳にしっかりと届いた。


「愛しているわ、アリュー」


 彼女の胸から真っ白な、巨大な爪が生える。白竜の腕が動き、セレストの胸を深々と貫いていた。

 着ている服は見る間に深紅に染め上げられていく。爪が引き抜かれると、支えるものが無くなった彼女の身体は、どさりと地面に投げ出される。



「ああぁあぁ」


 最早今上げようが何の意味も無い声が喉から搾り上げられた。

 彼は気が狂いそうだった。例えこれが真実でなかろうと、彼は再び妻を守れず、ただそれを傍観しているだけしかできなかった。

 失った悲しみ、奪われた怒り、全てがぐちゃぐちゃに混ざり合い、涙が顔を汚していく。

 彼は憤怒の表情で白竜を睨みつけた。それは、どうしようもない感情を、彼なりにどうにかして処理しようとした、無意識の防衛行動だったのだろう。


 だが彼は後悔した。白竜の顔を見た瞬間、頭の中身が全て吹っ飛んでしまうかのような衝撃を受けた。

 泣いていたのだ。その青い瞳から幾筋の涙が落ちていた。

 罪悪感と後悔を滲ませた表情をしている。それは人を簡単に殺すような、悪竜がするようなものではなかった。


「何でっ、泣いてるんだよっ! 何でっ」

 

 どうして奪ったお前が泣いているのだ。

 

 彼はもう全てが理解できなかった。何で妻が逃げなかったのか。何故自分から愛しの者を奪った竜が泣いているのか、どうして彼がこのような光景を見ているか。

 分かりたくもないとばかりに彼は思考を放棄しようとする。


 だが、この状況の全てが彼を休ませてはくれなかった。

 地獄の悪魔が上げるような、到底人間が上げるものでは無い様な奇声が森に響き渡る。それは悲しみと憤怒といった、あらゆる負の感情が詰め込まれた、醜悪な叫び声であった。


 それは一人の少年から上げられていた。ようやく青年になりかけている、本来ならば快活であったはずの少年は、悪鬼も逃げ出す悪魔になっていた。

 いつから現れたのか分からない彼の右手には、一振りの剣が構えられていた。


 アリューは知っている。この少年が誰なのかを。義兄から貰った剣を震わせながら、涙を流し叫んでいるこの人間を知っている。

 少年は幽鬼の様に白竜に近づいていく。


「止めてくれ……」


 彼の口から、制止の言葉が漏れ出る。彼はもう何も見たくなかった。愛しい人だろうが、憎い敵だろうが、もう無駄に誰かが死んでいくのは見ていたくは無かった。

 しかしそんなささやかな願いさえ、誰も叶えてはくれなかった。


「もう、止めてくれ」


 少年の剣が白竜に振り下ろされると同時に、その世界は粉々に砕け散った。






 


「何だよこれ、何だよこれっ」


 至る所が裂けている身体を構わず震わし、アリューは元の場所で叫ぶ。

 辺りからは既に魔力は消えうせていた。眼を覆わんばかりに輝いていた竜殺しは、何時の間にかその光を失っている。

 今までのあれは何だったのか、彼はそれを処理しきれずにただ叫び声を上げていた。


『記憶を溜めこむ竜の遺骸を使えば、当然ああなる。本来の使い方こそがこれだ人間』


 喚き続ける彼に、意外にも頭上から一つの声がかけられた。そこには先程までとは違い、しらけきった雰囲気をした赤竜がいる。

 

『知らぬ男のために出張ってきたかと思えば、あの小娘のものも混じっているのか。それで子供諸共見逃せと。約束を破ったつけを返せか。は、興醒めもいいところだ』


「どういうことだ!」


 一人納得している赤竜にアリューは咬みついた。


『どういうこともあるか。お前も聞いただろう。あの小娘と白竜の親の会話を』


「会話、白竜の親……どういう、」


『聞こえていなかったか? 成る程、巻き込まれた形であるお前ではそこまで聞き取れぬか。だが白竜の親を知らぬとは。まさか白竜もお前も何も知らぬと? それでこのようにして一緒に戦った? ハハハッ! 何とも愉快なことよ。そして、ふむ。ならばこれを教えれば一層お前たちは俺を殺しにかかってきてくれるか。襲うなと白竜は言ったが、襲われれば仕方が無いよなあ』


 口角を吊り上げて赤竜は嗤う。

 そしてアリューを覗き込んだ。何故だか彼は、それを聞きたくない様な、けれども聞かなければならない様な思いに駆られる。

 呪いの様な言葉が、赤竜の口から発せられ、アリューの心へと沈み込んだ。


『白竜があの場所にいた原因は俺だ。あいつの傷は俺がつけた。それのせいで白竜はこんな辺鄙な村に行き着いた。そしてお前が殺した白竜。あれは向こうで転がっている白竜の親だ』


 囁くような、蝕むような声音だった。


『つまりは俺はお前の女の仇であり、お前はあの白竜の親の仇ということだ』


 呆然自失となった。


『女を殺したのは白竜だが、責任は間違いなく俺だ。先代の白竜のは殺生はしないからな』


「待てよ……」


『お前の与えた傷も勿論白竜のの致命傷になった。間違いない、俺が保障する。俺達は間違いなく仇だ』


「待てつってるんだよ!」


 ついに怒号を発した彼に対し、赤竜はその瞳をまじまじと見つめる。

 

『良い眼だ。憎しみだか、怒りだかは知らんが、俺を殺そうとしている。目の前から消し去ろうとしている。先の戦闘の時の眼も好きだが、やはり殺し合いするにはこうでなければ。ああ、また死合たい。だが我慢だ。今では一潰しで決まってしまう』


 アリューは上がるはずの無い腕に必死に力を籠め、近くの竜殺しを手に取ろうとした。

 だがそもそも身体を起き上がらせることすらできず、芋虫の様に地面をのた打ち回るだけであった。


『そうだ。そうして俺を殺しに来い。荒野までくれば相手になってやる。大丈夫だ。ちゃんとお前達人間のために理由も造ってやる』


 そう告げると、赤竜は翼を広げ一気に上昇した。マナを駆使し、その巨体に見合わぬ速度を出した竜は、そのまま大地から十分に離れると、空中で停止する。

 通常の生物ではありえぬ程、物理法則を無視した感知能力で、遥か遠方の、ある一団に狙いを定める。


 大きく息を吸い込む。何度もやってきたような、ブレスの予備動作のそれではない。

 その身にある膨大な魔力だけではなく、大気中の魔力を根こそぎ吸収することで、赤竜は一つの術をこの世に生み出す。

 それを表すのだとしたら、太陽だろう。本来であれば何者も手が出せるはずがないそれを、赤竜は容易に造ってみせた。

 そしてそれを射出した。


 地上にいたアリューにはその眩く恐ろしい何かがどこに向かったのか分からなかったが、西にそれは向けられ、西の地平線の向こうが真っ赤に燃え上がるのが見えた。


『これは土産だ! 人間、俺を殺しに来い! ハハハッ! ハハハハハッ!』


 遥か高みにいる赤竜は、そう言い残すと東の空を目指した。


「どこ行くんだよ……」


 這いつくばりながら、必死にアリューは赤竜を睨み続ける。

 けれども彼の視界は霞んでいく。流しすぎた血のせいで、彼の身体は急速にその熱を失っていく。


「俺は……」


 彼の意識はそこで途切れた。

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