騎士だろう、躊躇えよ
素直に退いてくれて安心し、ほっと息を吐く。
なにせ相手はこの異世界で数百年生きた竜だ。こちらで数十年生きた俺の常識なぞ軽く凌駕している。
現代日本人が中世のヨーロッパ人と話し合うぐらい違うのだ。
時々意味が分からなかったり、そんなこと聞くなよと思った時は黒竜の眼を凝視して適当に何か言うようにしている。案外何とかなる。
ともかくも死なれては困ると、地面にうつ伏せで転がる青年達を丁寧に仰向けにする。鋼鉄製の鎧では竜の爪は荷が重すぎたのか、凹んだり切り裂かれたりと見るも無残であった。
傷を確認するため爪で器用に留め具を破壊し剥いていく。
二人とも肉は幾らか削れていたが内臓までは到達していなかった。
これならば楽にできると治療を始めようと集中することにする。もしも俺の周りに誰かがいるとしたら、その白い身体が淡く発光し始めたことが分かっただろう。
この世界では、アフリカゾウもびっくりの竜の巨体が飛んでいる。
初めは物理法則でも違うのかと考えていたが、何てことはなかった。そんな不思議を軽く鼻で笑うようなものがこの世界には満ち溢れているのだ。
黒竜はそれをマナと呼んでいた。マナは物質にもエネルギーにも容易に変化し、空気中に酸素よりも豊潤に含まれている。
この世界のファンタジーは大概このマナのせいだ。
竜が生物兵器かと思う程強かったり、人が魔法と称して手から火をだしたり、子供を寝かしつけた後、両親がベットで夜の運動会でにゃんにゃんするのも全部マナのせいである。
冗談はさておき、つまりはマナを大量に使いこなせる、身体にマナが大量に含まれている者は適当に念じれば大体のことはできてしまう。
身体の90%以上がマナで構成される竜なんぞは、こうして治れ治れとうんうん唸れば奇跡は軽く起こせるのである。
勿論人間が魔法として体系づけたマナの運用方法とは比べられない程非効率で、こうして視認できるほどマナが溢れてしまうのだが。
さて治療は終わったが目が覚める様子も無く、太陽が傾き始めたので今日はここに野宿になるのだろう。
竜は寒暖に弱くはないし食事も大して必要ないのだが人間は別だ。食事と火の用意をしなくてはいけない。
青年達が起きてややこしくなる前に動き出した方がよいはずだ。
黒竜を傷つけた武器は怖いので適当に隠していこう。起きた青年達がこちらの話を聞くかは分からないが、駄目だったら逃げ出して何回か挑戦するしかあるまい。
こちらとしては秘策の人間化がある。人間の姿をとれば相手だって躊躇うだろう。
とる姿は黒竜が言うにはもっとも近しい縁がある人間の格好らしいが、こちらでは遠巻きにしか人を見ていないので、おそらくは前世の姿にでもなるはずだ。
鎧の硬さとは違った、ごつごつとした地面の凹凸の痛さに二人の青年の片方、短く纏められた栗色の毛を持つ青年は目を覚ました。
ゆっくりと眼で倒れている身体に視線をいかせ、どこか致命的な傷が無いかを慎重に吟味しながら手足を僅かに動かす。
そして何故か掠り傷や打ち身といった怪我があるものの、問題もなく動く自身の身体に疑問を呈しながらも身を起こす。
辺りはすっかりと陽が落ち唯一の光源である幾らか大きなたき火が、青年の眼に飛び込んできた。
ふと眼を隣に移せば片割れである青年も彼と同じように仰向けに寝かせられていた。手には武器は無く使い物にならなくなった鎧も外されていた。
そこで青年は仲間の騎士達に回収されたのではないかと思い至った。
自分は回収され偶然に友軍の治療魔法の使い手によって癒されたのだと。でなくばあの戦場で血の染みにでもなっている。
青年は改めてもう一度周囲に目を向ける。治療できる者がいるのだから臨時拠点であろうが、規模としてはそこそこの大きさである。とすれば近くには人がいるはずだ。
しかし目の前で爛々と燃え盛るたき火以外に炎は見えない。
火の光が届く場所より外側は、暗闇の帳が下され青年では見通すことはできなかった。
ここで青年はある事実に気付く。明かりはたき火一つ。だがそれにしてはやけに明るすぎると。そしてさらに気付く。それはたき火よりも向こう側に巨大な白い何かが光を反射しているからだと。
巨大な何かであった。野営で使われる天幕の大きさでは決してない。
第一天幕はここまで光に当たり輝くことは無い。彼はそれに近しいものをすぐ前に対面したことがある気がした。
まじまじと観察する。よく見ればそれには足があった。手があった。翼があった。
そう、それは正しく彼が死闘を繰り広げた竜という種ではないか。
「っ!」
咄嗟に手に自身の武器を手繰り寄せようとするが、今彼の周りにはガラクタになった鎧しかない。
彼は神に向かって罵詈雑言を吐きそうになり、口を紡ぐ。なぜなら竜の眼は閉じられ眠っていたからだ。
彼に、あの武器なしで魔力を練る才能はない。
とすれば抵抗する手段は無きに等しく、取るべき行動は寝ている青年を起こして気付かれずに立ち去るという、僅かな可能性に掛けるしかなかった。
ゆっくりと、されど最大限の速さで彼は仲間ににじり寄ると、肩を揺さぶり覚せいを促す。
「うぁっ」
微かに声を上げながら眼を開けた相方に、彼は直に手振りで黙れと合図を送ると共に、今も傍で眠りこける竜の存在を知らせる。
だが起きた青年はその表情に憎悪の念を浮かべだした。
『アリューっ! 今の俺達には三級竜殺しすらない。何したって殺されるだけだ。逃げるぞ』
『ああ......分かった。オードラン』
慌てて耳打ちし彼はアリューを止めると、目を配らせながら立ち上がる。竜の探知領域は人間の比ではない。
逃げ切れる可能性は皆無に等しかったが、このまま戦うなり残るなりして確実に殺されるよりは、万倍も良かった。
一歩、二歩と彼らは竜から遠ざかる。
物音一つ、自分達の呼吸音にすら気を払いながら後退していく。緊張し、顔からでた汗が顎から地面にぽとりと落ちる。
彼等にはその音すらも恐怖の対象だ。
そして遠ざかっていき、たき火の光が届くか届かないかという位置まで後ずさり、僅かながらも淡い希望がみえはじめたところで、オードランは今度こそ神を呪い殺したくなった。
なぜなら今まで閉じられていた竜の瞼が開けられ、その青い忌々しい眼がこちらを凝視しているからだ。
「ちくしょうっ! クソ神めっ」
彼は神に目一杯呪詛を投げつけると、一目散に逃げ出そうと竜に背を向け走り出そうとする。
相方のアリューがどうしているかは知らなかったが、多かれ少なかれ彼らは死ぬのだ。最後ぐらいあの馬鹿に指図する必要は無いだろうと割り切る。
どうかあのミラクル馬鹿野郎が、また奇跡でも起こしてくれと願いながら暗闇に身を眩まそうとするが、オードランにはそれができなかった。
「あぎぃっ」
彼は黒竜に殺されかけた時と同等の痛みがその頭に直撃したからだ。
外部からの衝撃ではなく、頭の中ででかい鐘でも鳴らされているようであった。血が乾いてバリバリになった髪を右手で思わず掴みながら、後ろを振り向けば、アリューもこの現象が襲っているのか地に膝をついていた。
いっそ殺してくれと言いたくなるほどの痛みが、永劫に続くかと思いながら身を震わしていると、突然それは止む。
たまらずオードランとアリューは荒い息をして肩を激しく上下させた。
ああっ神よ、助かった! 混乱する思考でオードランはその場にへたり込むと、彼を照らす火の光が遮られた。顔を上げれば、竜が身をこちらに近づけていたのだ。
喰われるのか、と彼は不思議と冷静になる。
黒竜に殺されかけ、神に見放されたと怒り、死ぬかと思う程の痛みを浴びせられたりと、あまりにも短期間にいろんなことが起こり、彼の精神は半ば麻痺していた。
喰われるのだろうか、踏みつぶされるのだろうか、引き裂かれるのだろうか。様々なことが思い浮かんだが、何故か彼はこれが終わったらとりあえずアリューを殴ろうと変な考えに至る。
そして竜の影が彼を完全に包み込みオードランは硬く眼を閉じた。最後の時を覚悟して待つ。
だが待てども待てども終わりは一向に来ない。弄ばれているのかと疑問が上がったところで、彼は自分の前に何か金属が落とされたのを耳にする。
何なのか、彼はゆっくりと固く閉じられた眼を開けた。
そこには彼らが着込んでいた鎧の破片の胸部に当たる部分が落ちていた。ぽかんとした顔でそれを眺めていると、不思議な光る文字が破片の表面に浮かび上がり始めた。
『すまない。竜の会話は人間には適さないようだ。大丈夫か、そしてこの文字が読めるだろうか?』
オードランは白い竜を凝視する。
決して牙や爪で襲ってくることはせず、只々こちらの反応を待っているかのようだった。
彼は竜と文字を首が千切れるかという勢いで、何回も見比べる。そしてぽつりと呟いた。
「神よ。貴方は御布施以上の仕事をして下さるのですね」
危ない、もう少しで生卵を電子レンジでボンッ、とする所であった。
何が卵で何が電子レンジであるかは俺の名誉のため伏せるが、結論としては無知とは怖いものだと思う。
とりあえず直接の会話は不可能だと判断して、すかさずそこらにあった鎧に文字を浮かび上がらせることで交流を図った。
文字はこちらに生まれ落ちた時に既に習得済みだ。
ああ素晴らしきかな転生。だが神がいるのでしたら、どうかアフターサービスもしっかりして頂きたい。貴方の被造物である人間はあまりにも恐ろしいです。
『それでもう一度尋ねるがこの文字を理解できるか? 貴方達は格好からして騎士階級の人間でしょう。それならば文字を読むことはできるはずなのですが』
こちらの推察通り二人は一定の教育水準にいるのか、理解する素振りをみせる。そしていきなりの事態に驚いているのだろう。
しばらく場が停滞すると、恐る恐る喋ろうとし、そして止めるとすぐに地面に文字を書こうとする。
『貴方達の言語はしっかりと把握しています。普通に話してもらって構いません』
「あっ......ああ、この文字は、やはりその、竜殿が書いているのだろうか」
『ええ』
逃げ出そうとした方がおっかなびっくりと話し出す。
立ち向かおうとした方は、恐怖が顔に張り付きながらも、それを覆うように俺に憎悪を投げつけていた。やはり種族差は遺憾ともしがたい。
ともかくも一人はこちらと交流を持とうとしていることから、彼を基軸に話を進めていこう。
「しかし、竜殿が、このように流暢に言葉を介するとは、思わなんだ」
『人間だけが言葉を話すとでもお思いか?』
「いや! そうではないっ。決して貴方を侮辱したわけではない! 本当だ! 失言を許してくれっ」
『慌てなくてもよろしいですよ。純粋な疑問です』
どうやらまともに会話に成りそうにない。
まあ拳銃を額にごりごりとしながら『今日はいい天気ですね』と話しかけたところで、相手にとっては全て脅しになってしまうのも仕様が無いだろう。
だがそれではまずい。
この二人には俺のことを素晴らしくて優しい竜として国元に知らせして貰わないと困るのだ。
交渉を円滑にするためにもこちらが武力を持つのは正解だが、武器を置いてにっこりと笑う必要だってある。
『このままの姿ではそちらを怯えさせてしまいますし、なにより文字での対話は面倒臭いですね』
とすればここは人に変身してフレンドリーさを演出し、あちらが下手に武力に訴えないようにさせよう。
人とは自分と同じ行動をとってくれると、嬉しかったり安心するのだ。爬虫類よりも人間の姿の方が万倍も良いはずだ。
なのでとっとと変身することにする。
粒子状のマナが白い身体を包み込んだ。栗色の髪の青年は腰を抜かしかけているが心配ない。すぐに安心させてあげよう。
前世の姿はあまり自信がないが、別に醜いというわけではない。
実を言うとこれが初めての変身なので、もしかしたら多少の差異がでてしまうかもしれないが、大して問題ないだろう。
変身した竜を見たことがあるがしっかりとした人間だった。黒髪が別の色になるぐらいなはずだ。そして服も理屈は分からないが自然と着いてくる。
真っ裸の醜態は晒さない。
身体からマナが急激に抜けていくことが分かる。一度身体のマナの部分が、形を物質から元のマナに戻し、人間の身体の形成に必要な分だけのマナが集まり身体を成していく。
時間にして約一分少々。
そしてマナの放流が終わり俺は自信たっぷりに彼らに姿を晒す。
髪は腰まで伸びてしまい色は栗色、怯える青年と同じになってしまった。個人的には不良のようだが仕方がない。
背は青年達の一回り小さくなり、顔は贅肉は一切ないもののふっくらと丸びを帯び少々鼻が高くなる。この世界の人間は総じて外人顔だ。
これが世界の基準なのかもしれない。だがちょっと変わりすぎではないだろうか。そしてちょっと失敗したようだ。
なんか肩が重いのだ。やはり無理な身体改造はよろしくないらしい。
と視線を下に落としてみる。なんと足元が見えない。
いや別に視力が悪くなったわけではない。人間の身体なのだから透視ができないのは当然だ。
俺の眼には胸が見事に隆起し綺麗なバストラインを形成した。うむ、大きさだけではなく形も胸の重要な要素なのだなと良く分からない納得をした。
「はあっ!?」
と随分高い間抜け声をあげてしまう。何が起こったか理解できない。しかしそれを確認するよりも前にさらに驚くことが起きる。
「え、速っ」
なんと憎々しげな顔の青年が、その顔をそれ以上あったのかという程の形相に変えると、人間の身体になり動体視力が落ちた俺の眼が捉えきれない程の速度で突っ込んできたのだ。
たまらず押し倒されると同時に、なんと首を締め上げてきた。何故に貴様は人間形態になった方が好戦的になるのだ!
「はな、せっ」
たまらず俺は竜の力を振るおうとする。
友好的に接しようとは思っても、聖人君子になるつもりなどまったくない。全力で引き剥がしてやると、マナを身体で循環させようとして愕然とした。
え、これ全然力を発揮できないよね。
どうやら人間形態の時は人間種における、マナ適性があるぐらいしか力が使えないらしい。
そして大雑把な力の使い方しか知らない俺は魔法は使えない。竜とは違って汗を流しながら俺は思った。これはまずい。死ぬ。
無知は怖い
馬鹿やって描写を間違えました。
竜の人間形態の髪の色は、オードランと同じ、栗色です。




