竜殺しだろう、真価をみせろよ
竜殺し。
それは上級下級を問わず、人類が現在保有する最高戦力である。
下級でさえ数百の軍勢と渡り合うことが可能であり、通常二人組で運用されている上級竜殺しは、王国軍の正規騎士団に匹敵する。
正に無双。お伽噺に出てくる勇者たちと何ら遜色がない存在こそが竜殺しなのである。
だがそんな彼等でさえも竜征伐を単独で成し得ることは難しい。常に数千の大軍に守られなければ、竜殺し達はその剣を竜に振るうことはできない。
それは何ら不思議ではない自明なことではある。
竜殺しとは竜の爪が特別な製法で加工された物に他ならず、その力の根源をたどれば竜に行き着く。
例え殺した竜の魔力が全て爪に宿るとしても、八分割、すなわち竜が持つ爪の数の分だけ分散されてしまうことは避けられない。
更には人間の身体は脆弱だ。竜に届き得る力を得たとしても、その身体は竜に比べれば絶望的なほど柔い。
つまりはどれ程の武であろうが、人間とは竜の力を間借りしているにすぎず。
圧倒的な種族差がそこには横たわっているのだ。
その程度のことはアリューも嫌という程理解していた。それは彼が構える竜殺しの切っ先が揺れていることが暗に示している。
竜殺しは竜の領域に片足を突っ込んだ者。だからこそ何者よりもその乗り越えられぬ差が実感できる。
勝てる訳がない。白竜が述べた様に、勝率が万分の一だとか、億分の一だとかの話ではないのだ。
勝率はゼロ。可能性がないのだ。
「おい! 蜥蜴野郎!」
だとしてもだ。彼が引く理由にはなりはしない。ぎょろりと赤竜の大きな眼が青年を捉える。
「あいつを見逃せ」
彼がしたことは命乞いだった。
「あんた達が人間の言葉を理解できる程頭が良いのは知ってる。だからな、お願いしたい。あいつだけは見逃してくれ」
だが彼の眼は敗者のそれなどではない。
「あんたがどんな理由で襲ってきたのか分からない。もしかしたら止むに止まれない理由があるのかもしれない。それでも見逃してくれ。もしそんなことないのなら、尚のこと見逃してくれ」
言葉は力強く、彼の心は燃え上がっていた。
「一目見て分かった。俺じゃあんたを殺せない。実力じゃあいつを助けられない。だから少しでも可能性がある、あんたの慈悲に縋りたい。俺はあんたとは比べ物にならないくらいちっぽけな存在だが、どうか俺の願いを聞き届けてくれ」
竜殺しを赤竜の鼻先に向ける。震えはもうなかった。
「だがな、お願いするだけじゃねえ。ちっぽけな存在らしく悪足掻きさせてもらうぜ。あんたがうんざりして、めんどくさくなって、諦めるまで抵抗してやる。死力を尽くしてな。その自慢の爪や牙、数本は置いていってもらう」
アリューの後ろからは、後頭部を掻きながらオードランが歩いてきて彼の横に並ぶ。
彼の表情も晴れやかであった。
「地味に俺もお前の道連れにしていることは小一時間問い詰めたいところだが、まあお前の考えにしちゃあマシな案だな」
彼も迷わず竜殺しを赤竜に突きつけた。
「寝首をかくという言葉が人間の間にはありますが赤竜殿。我々の要求を呑んで頂けないのならば、その傷付いた首、もしかすれば我々が刎ねてしまうかもしれませんよ?」
傍から見れば彼らの状況は救いようのない状態だ。
二人がどれ程抵抗しようが、白竜を見逃す理由には成りえないし、そもそもその要求が受け入れられたとしても二人の生命は助からない。
しかし二人が今していることは彼等はしたかったことだ。
アリューは守りたいと思った者を守り。
オードランは義弟に前を向かせている。
死は当然二人には受け入れがたいことだ。それは生物である限り不変である。それでも彼等はしたいことをした結果の今を、否定するつもりなど全くなかった。
青年達の視線が赤竜に集中すると、彼らの頭の中に僅かな痛みと共に声が響く。
『よくぞ言ったひ弱な人間』
重低音の、男に近い声だ。
咄嗟に二人は周囲を確認しようとしたが、すぐさま彼らの目の前の存在が発したものだと気付く。
「不快にさせたか?」
『いや、心地良い。命乞いをする愚図など目にすら入れたくないが、貴様たちはそれとは一味違うようだ』
赤竜の開いた口から鋭く長い牙が覗けた。
『だが少々まずかったな。俺は元々この白竜を殺すつもりはなかった。まあ、殺しそうにはなったが。しかし貴様たちの言葉で気が変わった。貴様たちの闘争を俺が気に入れば奴を助け、駄目ならば殺そう。俺は弱者の言に従うのは嫌いでな』
竜という他種族の言葉ながらも、青年達には赤竜がこちらを試すかのように獰猛に笑っているのが感じられた。
それに対し竜殺しにより魔力を高めることで二人は応じた。
「なら良い。やることは変わらない」
「こちとら将来建設予定の暖かい家庭が待ってるんでね。その首掻っ切らせてもらいますよ」
彼等の剣が赤竜に躍り掛かった。
竜征伐の基本戦術は多対一もさることながら、徹底的に防御を捨てた機動戦、もしくは攻勢が王国軍においては採用されている。
何故ならば、現在運用している鎧と守勢術を扱う通常戦力と下級竜殺しでは、色なしの竜の一撃ですら防ぎ得ない。
更には唯一防御を検討し得る上級竜殺し達でさえ、その能力を攻撃に割かねば竜に傷を付けることが叶わないのだ。
だからこそ二人が選べる方法は二つ。そしてその身を守ってくれる騎士団が存在しない時点で、彼らは機動戦を選択した。左右に常人では追い切れない速度で駆けだす。彼らの踏みしめた地面は鍬で抉られたかのように穿たれる。
そして赤竜に接近すると各々の竜殺しを振り下ろした。しかし、
「ぐっ」
「硬え!」
アリューの竜殺しが微かに傷を付けるばかりで、オードランに至っては刃がたちすらしない。
腕に痺れが入り二撃目を叩きこむ前に、振り回され襲い掛かる赤竜の尾の攻撃を大きく飛び退ることで逃げ延びる。
『僅かとはいえ傷をつけるか人間!』
赤竜の歓喜の声に反応することなく、地面に着地しながら二人は眼配らせをした。瞬時にお互いの意見をすり合わせる。
青年達が集中する先は、白竜が傷を負わせた個所、つまりは赤竜の喉元だ。あそこならば硬い鱗ははげ、下の肉が露出している。一撃をみまうのであれば、あそこ以上に最適な部分は無い。
問題はどの様にしてその一撃を入れるか。
もう一度とばかりに二人は動き出した。それと同時にオードランの竜殺しが淡く輝く。
彼が成すのは純粋な魔力の発露ではなく、それによって起こされる擬似的な奇跡。
無色の魔力はすぐさま色を持ち現実のものへと具現化される。色は赤。何ら魔力的防御を施さなければ近づけぬ程の凄まじい温度。
彼の剣から立ち上る様は炎のようであったが、溶かしたガラスの様な粘度を保っている。
「喰らえやっ!」
それをオードランは剣を振りぬく形で赤竜の顔面に射出した。
相手が人間であるならば、必殺の一撃になるが彼の狙いはそこではない。赤竜に直撃する寸前、花開くかのようにそれは赤竜の視界を埋め尽くす。
心得ていたとばかりにアリューはオードランの攻勢術を盾にし、赤竜の喉元へと突撃した。
経験と技術、連携を活かした妙技ともいえるものであったが、赤竜相手には荷が重すぎた。
「!」
アリューは膨大な魔力を駆使し術式を即座に組み換え、軌道を赤竜から逸らす。
間髪入れず彼が先程までいた空間に赤竜のブレスが通過する。どうせ視界を奪われるのならばとばかりに、赤竜が辺り一帯に叩き込んだのだ。
たまらず後方のオードランも強化した脚力で迫りくる炎を避ける。
そして避けながら赤竜を見据えると二人は驚愕する。
追撃は無く、ほど近い場所で彼等は揃って着地した。最上級の色付きに分類されるであろう赤竜を、捌ききっている彼等の強さは称賛されるべきものであるはずだが、全く誇る様子は無い。
それどころか、オードランの額からは一筋の冷たい汗がつたう。
凌ぎ切ったのではない。見逃されたのだ。彼は正確にそのことを把握する。
二人が空中に身を預けている瞬間、赤竜のその眼ははずれることなく二人を捉えていた。さらにその表情、人間である彼でさえそれがなにか分かった。
それは即ち絶対強者がみせる余裕と、底なしに闘いを狂喜するものだ。
『さあ、次は何を俺に見せる』
彼等は改めて、いや正確に赤竜と自身等の隔絶した差を理解した。
アリューは自身の死を悟る。殆ど、十中八九死ぬだろうという実感はあった。だがだ、もしかすれば、それこそ刹那の可能性を心のどこかで夢想していた。
しかし所詮は夢は夢。コルテの勇士達が散っていったように、希望も無く死ぬのが現実だ。
その時彼は取り乱しこそしないが一抹の寂しさがよぎり、小さな溜息をついた。
そしてふとオードランのことが彼の頭によぎる。この結末は彼自身では上等だと満足していた。
復讐に駆られ、周りを省みずに生き、だが最後の最後でやりたかったことをして死ぬ。守れず、周りに迷惑をかけ続けた自身にはもったいない最後ではある。
けれどもオードランにとってはどうか? ずっと付き添ってくれた彼にとっては、あまりにもあまりなものではないかと感じてしまった。
だから彼は義兄を横目に見やる。オードランはそんなアリューの態度に気付いた。
「んな生暖かい眼で見るな気持ち悪い」
彼は何でもないかのように振る舞う。そして見透かしたかのようにアリューに釘を刺す。
「俺もやりたいことを最後にやれて満足だぜ? できりゃあ楽しい隠居生活の一つでも味わってみたかったけどな。ま、人間腹八分目で我慢しとくのが無難だろうよ。そして後ろを見てみろ」
彼等の遠く後方には、白竜が一人寝かされている。
「騎士の本分は生きることではなく、守ることにあるってね。守ろうぜ、アリュー。セレストを殺されて悔しかったのはお前だけじゃねえんだ。俺も今、守りたいもの守ることができて満足してるんだ。ついでに義弟にも前向かせられてるしな」
「……そうだな」
「ああ、そうだよ」
お互いに呟き返した後に、彼等は竜殺しを持ち上げる。そしてもう一度、最後になるだろう攻撃を仕掛けた。最初と同じく、二人は左右に分かれ竜に接近する。
赤竜から眺めて右方、オードランがアリューよりも先行した。またもや彼の竜殺しが光を発し始める。
竜の前に彼は躍り出た。
その時赤竜が感じたことは、失望に他ならなかっただろう。変わり映えの無い攻勢。忠告とばかりに見逃してやったにも関わらず、何の捻りもそこには存在しえない。
少なからず期待していた赤竜には拍子抜けの事態であった。無価値な連中。そんな存在と相手をする必要は最早なく、赤竜はその脆弱な愚者を引き裂くことを決めた。
尾を振り回す。それは無慈悲にオードランに向かう。
速度は彼らのそれよりはるかに上回っていた。回避するためには攻撃を中断しなければならない。そして、例え回避に移ったとしても速度がそれを許さない。
その瞬間、オードランの命運は決まった。だが、それでも彼は笑った。竜殺しから立ち上る炎を構えながらだ。
「掛かったな、クソ野郎」
彼の攻撃は何ら変わり映えの無い攻撃だ。目潰しをし、後方のアリューに全てを任す。
それは正にその通りで赤竜の読みには何の間違いも無かった。しかし、それを行う二人の前提が、全くもって前とは違う。
オードランは回避行動をとらなかった。守勢術の一つすら使わない。
ただ攻勢術を赤竜に放った。
そう、彼等は死ぬかもしれない攻撃は止めた。
死ぬが当たる攻撃を、捨て身に移ったのだ。
赤竜は尾でオードランを薙ぎ払いながら、驚愕する。何故ならば犠牲という概念が理解できなかったからだ。強者故、自身の身を犠牲にするという機会も考えもない。孤独な覇者だからこそ、次に繋ぐという感覚もない。
だからこそ赤竜は隙を突かれ、大きく崩されることとなった。
赤竜の視界はオードランの攻勢術で一杯となる。視界を奪うことに特化したそれは、僅か数秒、されど高速で戦闘する彼等には致命的ともいえる時間を、赤竜から奪い去る。
そして視界が開ければ、喉元の目前にアリューはいた。
「おおおおお!」
彼は咆哮をあげながら、一直線に喉元を目指す。薙ぎ払われたオードランには目もくれない。
自身の義兄が稼ぎ出したこの瞬間、彼はそれを一欠片たりとも無駄にしない。ただ、守る。ただ、貫く。
頭の中は全てその思考で埋め尽くされる。そして彼は竜殺しを突きだす。
見事としか形容できない一撃であった。赤竜さえ、生物としての頂点に達する古竜さえなんとか認識できるぎりぎりの神速であった。
それが仲間一人を犠牲にして成され、赤竜の油断の産物だとしても手放しで称賛されるべき奇跡であった。
一瞬とはいえ、人間が古竜を凌駕した瞬間であった。
だが、しかしだ。
現実とは実に非情であり、全ての者に平等であった。
無機質な音が響く。
竜殺しが虚空で止まる。
『見事だ……』
必殺の一撃は不可視の壁によって遮られていた。その正体は赤竜のマナだ。
鱗が剥がされた脆弱な部分。白竜も狙った部位だからこそ、赤竜はそこにあらかじめ魔力障壁を築いていたのだ。
赤竜は腕でアリューを薙ぎ払う。
彼は咄嗟に竜殺しを構え防御の姿勢を取った。しかし強者である竜の一撃を凌ぐにはあまりにも脆弱な盾であった。
鈍い肉が潰れる音と共に手の骨が折れ、腕の骨がひしゃげ筋肉が断裂する。
胴体に達した一撃に、内臓や背骨といった生命活動に必要な部位は致命的な損傷は避けられたものの、それ以外は鎧と共にずたずたにされた。
衝撃と共に地面に打ち付けられる。満身創痍。彼はもう身を動かすことすらできない。竜殺しは吹飛ばされると同時にどこかに投げ出してしまった。
鎧の間から血が流れ地面を汚していく。彼の生命が徐々に失われていく。
『素晴らしい、素晴らしい!』
アリューは霞む視界で何とか赤竜を捉える。あらん限りの力で竜を睨みつけた。
抵抗する力は既に彼にはない。だがだ、そんなことは彼には関係が無い。オードランが彼に全てを託したのだ。ならばその心臓が止まるまで、赤竜を殺すことに尽力するのが彼の義務だ。
『弱者よ、いや小さき強者達よ! あの一撃は確かに俺に届き得るものであった。もしも俺が用心してマナを張らねば、お前の剣は俺に突き立っていたかもしれぬ! そして、もしかすれば、そう。人間である貴様たちが俺を殺したかもしれぬのだ!』
喜びの咆哮をあげる赤竜の声が、彼に憎々しげに聞こえる。
地を震わしながら巨体がゆっくりと近づき、頭上から彼を覗き見た。
『約束は果たそう。俺は貴様たちの闘争を評価する。白竜は見逃す。そして貴様たちに敬意を示そう。苦痛なき最後を』
赤竜は右腕を持ち上げる。致命の一撃を喰らっている者に、安楽をもたらすためにそれを振り下ろそうとする。
アリューはそれでも、最後まで眼を瞑ってなるものかと眼を見開いた。
そして、
「ギャアアアアアアアアアッアア!」
深々と一撃が喉元に突き刺さる。
赤竜の喉元に竜殺しがだ。
持ち主から離れたそれは、溢れんばかりの魔力を放ち光り輝いていた。




