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蝙蝠だろう、大人しくしろよ

 王都の中心位置には、王城を囲うように貴族街が存在している。

 その中の比較的一等地に近い土地の一つに、世間では貴族派の主要人物と捉えられているフェルナン候の屋敷が構えられていた。

 王国でも有数と謳われる貴族の所有物らしく、他の上級貴族のものと比べて何ら遜色のないものである。


 フェルナン候はその一室、自身の寝室と定めている部屋にいた。

 大貴族の部屋にも関わらず、就寝用のベットにいくつかのタンス。そして一対の机と椅子しか備えられていない。

 彼はそんな質素な部屋の窓際に立ち、何も言葉を発することなくただただ外を眺めている。


 屋敷は王都でも高い位置の土地に建てられていることもあり、難なく城壁の外を見渡すことができた。

 彼の視界には王都から離れていく黒点の群れが映っている。正確にはその群れとは、王国軍を中心とし幾らかの貴族軍を束ねることで臨時に編成された混合部隊であった。

 その軍隊は遠くから観察しても分かるほど急ぎ東に向かっていた。


 突然、何の音も発せられない寝室にノック音が響く。不思議と鳴らす者の上品さが伝わる耳に心地よいものだ。

 フェルナン候はそれに応えることはない。そして返事も返されないにも関わらず、屋敷の主人の部屋に遠慮なく、だが礼儀正しく一人の男が入室した。


「フェルナン様、お茶をお持ちいたしました」


 執事服に身を包んだ初老の人物だ。老いからか彼には静粛さと気品が感じられた。しかしその背は曲がることなく一直線であり、足取りも一切不安なところは無い。

 老いることでその価値を増している極めて稀有な男であった。


 彼は反応を示さない主に構うことなく両手で運んできたティーセットを机に置くと、一杯の紅茶を入れる。そしてそれを静かに主の前に差し出した。


「オラ二エ公は御喜びでありました。これで王の剣の一本を削ぐことができたと」


 瞬間、フェルナン候は執事の手に乗せられていたティーカップを憤怒の表情で払いのけた。

 ひどい音を立てカップは床に落ちて割れ、紅茶は絨毯に吸い込まれていった。

 普段候と相対したことがある者ならば驚愕するような感情的で怒りがこもった口調だ。


「何が捥いだかっ。ただ惰眠を貪る老いぼれめ。我らにその剣が無ければ王座にとどかぬとなぜ分からぬ!」


 怨嗟の声に初老の男は頭を少し下げ、主人の心を少しでも落ち着けることに努める。

 彼はこの世で何よりもこの主人のことを把握しているつもりであった。

 貴族派から見ればフェルナン候はオラ二エ公にひたすら追随する腰巾着にしか過ぎなかった。

 王党派からは厄介で卑しい反逆者。事情を知る中枢部の者ならば忠義を尽くす一人の貴族として捉えれらていた。

 

「持てるもので満足している豚めっ。何が慎重に行くだ! ただ怖気づいているだけではないか!」


 だが実際はそのどれでもない。

 貪欲者だ。

 フェルナン候はひたすら自身を、そして家を上に押し上げることにしか興味を満たさない人物であった。

 酒も美姫も彼にとっては、その手に収められていては等しく無価値であるのだ。

 彼は飽くることなく自身の手に入らないものを求め続けている。

 そんな彼にとって求めて止まない究極のものが玉座であった。


 彼にとって、今回の出来事はそれに至るために必要な道具の一つを取りこぼしたことに等しかった。

 フェルナン候は荒い息を吐き肩を震わせる。だが次第に息が整い、表情も無表情に近づいていく。

 彼もいくら怒鳴り怒り狂おうが全くの無益であることは承知している。それどころか冷静な判断を狂わせる厄介な御荷物だと判断していた。

 だからこそ彼は通常時は抑え、側近中の側近である執事服の男の前で一気に噴出させることにしていたのだ。


 浴びせかけられる男の方もそれを十分に理解しているため、ただ受け止めることに終始するのが何時もの常であった。


 そしてフェルナン候は頬が僅かに紅潮してはいるが、平常時とほぼ変わらない状態に戻る。


「それで、出立した軍の編成と到着時期は」


「は、近衛が三千に貴族軍が三千、これが今出発した総数でございます。途中で更に近衛一万と東部貴族を中心とした貴族軍六千も合流いたしますので、国軍一万三千、貴族軍九千の合計二万二千の兵となります。竜殺しは一級が二人に二級が五人。三級は百程度でしょうか。コルテにはどう急いでも二週間はかかるでしょう」


 男から発せられた兵力は、色つきの竜征伐にしては破格の数字であった。

 常ならば通常兵力が一万未満に上級竜殺しは二、三人が妥当といった所か。それを鑑みれば今回が如何に異常であるか伝わってくるだろう。

 

「特級優先通信か……」


「もはや歴史の中だけのものになっていますし、情報も錯綜しています。王政府もどのような対応をとって良いか迷っている様子。他の貴族達も未だ静観しております」


「無理もあるまい。コルテ騎士団壊滅に、今度は東部国境監視団さえも潰されたのだ。国王の失策を責めるのは簡単だが、こうも東部が危機に晒されてしまうと今王国軍とは不仲にはなれん。特に東部の連中にとってはな」


 嘲笑うかのようにフェルナンは言う。

 フェルナンの言葉通り、王の派兵の決断に貴族軍が簡単に応じたのはこうした危険が身に迫っていたからだ。事実、貴族軍は東部の貴族達を中心として固められている。

 おそらく東部の貴族達は、このままこの突発的に湧いた災害ともいえる事態によって力を弱めることになる。不運としか言いようがないのだが、彼はそんな感情は抱かない。


「だが結局は自業自得だ。東部の連中の多くは王都から遠く領土を持つため、貴族派にも王党派にも属してこなかったのだからな。王か我らのどちらかに尾を振っておけば、より一層の兵を割いてもらえたものを。巻かれることすらできないのだから、自身の血を流すことになる」


 彼は無策でただ安寧の日々を送ってきた東部の貴族達を侮蔑した。

 策を練り失敗するリスクは当然ある。しかしそれに怖気づいてどうする。

 挑戦し失敗した者を嘲笑う者は、確かに失敗した者よりも賢く映るだろう。だがそんな者はただ足を止め口を開き餌を待つ豚なのである。

 真に尊き存在はひたすら上を目指す強者なのだ。


 彼の、フェルナン候の行動原理はそれに尽きた。

 だからだろうか、彼は結果的に悪い結果を立て続けに引き出した王に対しては、それ程の悪感情は持っていなかった。


 ともかくも彼は自身にとって無価値な存在である貴族たちのことなど頭から振り払う。

 今一番彼が問題にしていることはオラ二エ公のことである。


「オラ二エ公も兵を派兵すると聞いたが」


「はい。『偶然』演習のため大規模な兵を即座に動かせる状態にあったようです。『残念ながら』準備の関係もあり、到着は混成軍よりも少し後でございますが。数は一万、竜殺しは百といったところです」


 フェルナンは鼻で笑う。

 貴族派の筆頭であるオラ二エ公が、騎士団の様な大々的な常備兵力を持っていることは周知の事実である。勿論名目上は、常に一定の割合の部隊が代わる代わる演習をしていることになっているが。

 出発の遅れも、混成軍と竜との激突に巻き込まれないようにするための方便にすぎない。


「消耗した王国軍に無傷の軍を当て、その場で白竜の処分を迫るつもりだな」


「ご推察の通りかと」


 王は白竜の即刻の処分はするなと厳命しているだろうが、戦場になれば幾らかの『現場判断』が効く。

 理由など後からどうにでも取り繕えるし、いざとなっても現場指揮官の首を刎ねるだけで事足りるのだ。白竜を抹殺するのならばこれ程の好条件の場などない。


「王国軍が丸々温存されたと仮定し、一万対一万三千。竜殺し達に関しては竜征伐の後だ。実質的に討伐の主力になる上級竜殺し達が戦力になるとは思えぬ。東部の貴族達も性根からして危ない橋は渡ることは無い。確かにこれならば押せばいけるやもしれぬな」


 しかもそれは一兵も失われないという奇跡に近い前提にしている。

 実際は失われる兵は多くに上ることだろうし、兵の疲労の面も無視できない。

 

「慎重に行くと言っただけはある。嫌らしい手だ」


 王国軍は防衛のため出兵せざるを得ない。東部の貴族を軒並み見捨てるなど、今回が無事に済んだとしても東部の貴族達が丸々王旗に離反する結果になってしまう。

 そして数を増やそうとしても即座に出せる戦力の限界を今回はもう出している。援軍は望めない。

 

 オラ二エ公はさぞ自宅で美味そうにワインを飲んでいるところだろう。

 けれどもフェルナンにとっては計画を台無しにされる事態だ。


「『首輪』はどうなっている」


「開発に携わっている者からの報告によりますと、実動までは何とか。しかし未だ不安は残っているそうです。術の施行に至っては事前に入念な陣を敷かなければならなく、とても戦場で使えるものではないと」


 フェルナンは王座へと手を届かせるために力を欲していた。貴族派としてではなくフェルナン個人が自在に使える武力を。

 派閥など男には何の価値も無い。主義も主張も利益を得るための道具に過ぎないのだ。だからこそ彼は二重スパイの真似事すらやってのけている。


 そんな彼にとって二度とない絶好の機会が白竜の登場であったのだ。


「オラ二エ公に術の施行の目途が立ったとお話ししては如何でしょうか?」


「実際に成功もしていないのにあの臆病者が肯く訳があるまい。袖にされるのが目に見えている」


 従者の発言に彼は忌まわしげに吐き捨てる。

 右手を窓のガラスに押し当てる。男の指が白くなるほど力が籠っていることが分かる。


「だが諦めるわけにはいかない。今回が最後になるとも限らんのだ」


 振り絞った、執念すら垣間見える声だ。

 

「術はできるのか?」


「軍が戻ってくるまでには。やらせてみせましょう」


 フェルナンは振り返る。そして従者に命じる。


「私の領からも兵を出せ。最低三千以上ならば良い。そしてなんとしてでも白竜を王都に、いや私の領地である中央まで連れてこさせる。そこで術を施行するのだ。成功させれば私が何としてでも王とオラ二エ公に呑ませよう。そして私の戦支度も整えよ。私が直接東に赴く」


 従者は驚きに目を見開く。だが反論せず、ゆっくりと了解の意を示す礼をした。


「承知いたしました。ご主人様」


 フェルナンはそれで話が終わりとばかりに、また窓の景色に耽る。

 その態度を理解した男は入ってきた時と同様、優雅に主人の部屋を後にした。鳴ったかどうか疑わしいほどの小さな音を立て、扉が閉められる。


 フェルナンの視線はもう混成軍にはなかった。彼の意識はそれよりも遥か東に向いている。


「我々も上級竜殺しを、それに匹敵する力を手に入れねば王国軍には敵わないのだ」


 現在貴族達が所有している竜殺しは全て三級だ。

 貴族達は王国軍とは違い単独で色付きを駆逐できる戦力は存在していない。


 それこそが貴族達がどうしても王に最後の一線で逆らえない大きな原因になっている。

 幾ら貴族達が戦力の拡充をめざし三級の数を増やしていっても、王国軍の竜殺し達が新たに手に入れる上級、下級竜殺しの戦力には敵わない。

 王国軍の疲弊を誘えても、絶対に乗り越えることができないのだ。


 更に皮肉なことに色つきの来襲を貴族達では対応できないことで、王国軍に頼らなくてはならない事態も招いている。

 王を超える目的のため拡大している竜征伐が、王に頭が上がらない要因を新たに造りだしてもいる。



「忌々しい一級竜殺し……始まりの竜殺しが。何が人類の新たな力だ。できた経緯も分からぬものに私は今振り回され、王国も計り知れないほどの血が流れている。希望どころか死神と同じだろう。貴族派を王国の敵と揶揄する者がいるが、真の敵は一級を振るうあの小僧ではないか」


 フェルナンが睨みつける先には王国最東端の地、人類史上初めて竜殺しが発見されたコルテが存在していた。






 決断する、挑戦することには何事もリスクが必ず存在している。

 勿論だがそれに怖気づいて何もしないのは愚の骨頂だ。やらないで後悔するより、やって後悔しろ。

 先人たちもそう言葉を残しているのだから、挑戦が尊いものであることは絶対なのだ。


 でもやって後悔しろってのは、失敗しても良いと言う訳では無いのだよ。


 今南を迂回して大荒野に逃げ出すため、俺は南東に向かって低空で飛んでいた。時々生える木々が腹をかすめかけ、地上で呑気な野生動物達がばっちり分かるほど入念に高度を下げていた。

 マナも操作できる限界まで抑え、赤竜の感知にできるだけ備えていたのだ。

 

 だが、だがである。

 先程からマナ無しでもびくともしないはずの竜の翼が、何故かみしみしと音を立て始めている。

 野生動物特有の生命の危機を告げる感が、さっきから鳴りっぱなしで、しかも何故かどんどん強まっている。

 地上の鹿とかも肉食獣に発見されたかのように逃げ出し始めた。


 何故だろう、何故だろうか。分かる人はぜひとも俺にご教授願いたい。いやこの現象の理由についてではない。世の不条理についてだ。


 原因なんて分かっているんだ。強すぎるマナを持った何者かが接近し、俺と野生動物達が生命の危機を感じ取っているのだ。

 そしてほら、それを裏付けることもおきた。向かっている東の向こう、そこには何やら禍々しい赤が……


「!」


 俺はすぐさま急停止、かつ大きく息を吸い込む。そして


 ゴウッ


 一気に口からいわゆる竜のブレスやらを吐いて、一転身を翻し目の前の存在から逃げ出す。


(絶対にあのくそ小僧っ、ぼんくらキチガイのせいだ! 呪う、末代まで呪ってやる!)


 俺が目にしたのは間違いなく出会いたくなかった古竜、赤竜であった。

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