仲間だろう、連れてけよ
鬼気迫る白竜の言動に一同は思わず言葉に詰まってしまった。
先程までの勇ましさは鳴りを潜め、肩は僅かながらも誰もが分かるほどに震えていた。それは何よりも雄弁にこの白竜が怯えていることを示している。
そう怯えているのだ。絶対者である竜の中でとりわけ魔力が強い色付きに分類されるこの白竜が。
白竜はゆっくりと噛みしめる様に言葉を紡ぐ。
怯えてかちかちと五月蠅くなる歯を抑えながら必死に騎士達に説いた。
「人間が、たとえ貴方達が誇っているその剣を持つ貴方達だろうが行ってはいけない。あれの前に立てば殺される。可能性ではありません。必ず殺される」
「白竜殿、何を」
「古竜です。鮮血よりも赤き赤。監視台を一瞬で潰す竜で赤き者など私はその者しか知らない」
フェリクスの声に被さって白竜は語る。古竜。その単語にアリューとオードランは顔を強張らせた。
彼等の脳裏にはコルテ騎士団を粉砕した黒竜の巨体が浮かぶ。
王国においては古竜は竜の分類を示す正式な言葉ではない。竜に対して使われるのは『色付き』か『色なし』の二つのみである。
古竜は長く生きその存在を言い伝えられてきた色付きの竜に、人々が俗称で付けたものに過ぎないのだ。
その分類も曖昧で、いくら強大な個体でも知名度が低ければ古竜とは呼ばれることはなく、逆に何かの事件を起こし有名になれば、二百年やそこらで古竜として一般に認知されることもある。
だが白竜が使う『古竜』はそんな生半可なものではない。
それは絶対者を超える超越者。竜といえども頭を下げざるを得ない古き強者を体現する言葉なのだ。
「あれの前にはこの場の者など芥と同義。私ですらようやく鼠になれるかどうかです」
「……しかし行くしかあるまい。白竜殿、貴方にとっては古竜と他の竜とでは大きな違いになるかもしれない。ですが我等人間にとってはどちらも見上げる程の巨大な存在であることに代わりが無いのです」
「団長殿、勘違いをしておられる。貴方は挑戦ができると考えていますが間違いです。それすらもあの方たちに対しては傲慢となってしまうのです。足を止めることすら敵わないでしょう。靴に着く埃に貴方は立ち止まりますか? 逃げることすらできないでしょう。地面をのたうちまわる虫を踏みつぶすのにどれだけ労力がいりますか?」
あまりと言えばあまりの侮蔑にフェリクスは白竜をきつく睨む。白竜はそれを懇願にも似た表情で返した。その顔がなにより雄弁に表している。悪意があるのではない全てが事実なのだと。
フェリクスもそれは感じ取っていたのだろう。すぐに頭を軽く下げて白竜に謝意を示した。
「けれども白竜殿。行けば必ず襲われるわけでもありますまい。こちらには貴方がおられるのです。以前に人間側から襲っていたのであれば分かりませんが、色つきで赤は未だに交戦記録はありません」
オードランの提案に白竜は頭を左右に力なく振ることで答える。
「駄目です。赤竜の、は例外です。同胞だろうが何だろうが意に介さない。今まで何体もの竜が屠られました。大した理由も無しにです。故があろうがなかろうが関係が無い。監視台を襲った以上私達が現れれば問答無用で襲い掛かってくるでしょう。交渉すらできないのです」
沈鬱とした声音に一同は黙り込んでしまう。
白竜の言の通りならば向かってくる竜との戦闘は避けられないのだ。しかもその相手は白竜さえもここまで怖気づくほどの強敵。
サノワ騎士団が総力でかかろうともその歩みすら止めることができないという。手詰まり。誰も口には出さないがその頭の中に思い浮かべてしまっていた。
白竜はぽつりと口からこぼす。
「行けば確実に襲い掛かってくる。人間である貴方達ならば逃げることも絶対に無理でしょう。だが私だけならば、鼠のように逃げれば万に一つ可能性がある。そして追いかけてくれば私は東に向かいます」
「東ですか」
オーバンが執務机に拡げられていた地図に目を落とす。東には人間が踏み入れることがない不毛の地、大荒野がある。
そしてなおそれよりも東。地図にすら描かれていない所には、竜達が住まうという大森林が広がっている。
「大森林まで何とか飛べば好意的な古竜の方もいらっしゃります。その方に助力を乞うつもりです。そうすれば赤竜のもおいそれと手出しできないでしょう」
白竜は顔を硬く強張らせ気弱に微笑む。
フェリクスは何も言わずに見つめると静かな声で問うた。意識して感情を排そうとしていた。
「成功率は」
「……何とかなるでしょう、いや何とかしてみせます」
白竜の態度から全員が口に出された案が無理に近いものだと悟る。
大荒野がどれ程の広さか把握できている人間は存在しないが、人類が踏破できないほどの広大さではあるのだ。竜の翼を使ったとしても一刻や二刻できくはずがない。
そんな長い時間を格上の存在から逃げ続けなければならないのだ。到底まともな成功率がはじき出されないだろう。
つまりはほとんど捨て身に近い作戦だ。
だがそれでも選択肢の中では最良と言っても良い。なぜならば他の案では成功の目すらないのだから。
東の守りを任されているサノワ騎士団団長であるフェリクスは、それを理解し実行しなければならないとはとっくに気付いていた。
それが白竜に死ねと言うことに等しいとしてもだ。
だとしても彼には若干の躊躇いがあった。たとえ短い間であろうが、そして他種族であろうが同じ旗を仰ぐことになった者なのだ。容易く死を命じられるほど彼は恥知らずではなかった。
そして実利で考えても結論を出すのは難しい。この竜は史上初めての人間についた竜である。可能性は計り知れず、おいそれと使い潰しても良い存在ではない。
そうした苦悩を察したかのように白竜は行動に出る。
失礼、と断りを入れるとオーバンの鎧の肩の部分をいきなりひっぺ剥がしたのだ。
周りが驚く前に白竜はその金属片を皆の前で軽々と握りつぶす。そして掌を広げるとそこには石ころ大に圧縮された鎧のパーツがあった。
優しく、だが厳かに白竜は告げた。
「こうした力を発揮する化け物の前に民草を晒すつもりか、サノワ騎士団長フェリクス」
その一言には全てが詰まっていた。
騎士団の後ろには武装すらしていない王国民がごまんといるのだ。白竜を惜しんで後ろに下げれば、矢面に立つのは騎士団と貴族軍という脆弱な盾と矛しか持たない民たちなのだ。
そんなことは民の盾たる騎士団が許して良いはずがない。
だからこそフェリクスは決意する。白竜に対して死刑執行書のサインをしようとした。
しかしそれよりも早く、低くこの場に似合わぬ熱量をもった声が彼を止める。
「待っていただきたい。白竜の単独斥候に私の同行も許して欲しい」
声を挟んだのは先程から黙り込んでいたアリューのものであった。
なぜ止める? どう考えても行かせる流れだろうが!
危うく口の端がひくひくと震えかけているのを押し殺しアリューに向き直る。
戦っても死。単純に逃げても逃げ出せずになますにされるか、成功しても社会的に死んでしまう状況。
端的に申し上げて正攻法ではどっちにしろ死しか残っていない。ならばと俺が選んだ道は雲隠れであった。
海外映画でよくあるあれだ。『ここは俺に任せて先に行け』と言って敵に突撃した兵士が、最後ちゃっかり生き残っているそれだ。感動的で誰も非難しないだろう。今回はそれを少しだけ変えて行うだけだ。大した違いは無い。
敵に発見されない様低空でマナ押し殺して飛行するだけだ。
ほとぼりが冷めたら適当に奮戦して死にかけているふりをして戻るだけだ。
赤竜が人間とコンタクトをとろうとしても、電子レンジでパーンになるだけで真実は伝わらない。
監視台の皆さんは全滅で心配なし。もし生き残りがいても、俺が丁寧に『救助』するので問題ない。
つまりは真実は闇の中で確定なのだ。
人類側は信じた相手に裏切られたと感じず、今後も心配なく俺と付き合えてハッピー。
俺は単純に生き残れて信頼を裏切らずにハッピー。
素晴らしい幸せの輪が完成している。
竜は襲わないだろう話が違うのではないか、と責められたりだとか、そもそも発見されず隠れおおせたりできるだろうかとか色々な心配は勿論ある。
だがリスクは当然。怖がって動かなければ万歳特攻まっしぐらなのである。それぐらいの危険は喜んでかぶろう。
そう考えての悲痛な送り出しを演出していたのに。何故こうまで俺の前を遮るのかこのアリューは。
自己犠牲精神二割、恐怖心三割、勇気五割を絶妙にブレンドした笑顔を向け、なんとかこの紅茶青年を退けようとする。
「アリュー殿。先程も言った。貴方が来たところで何の意味も無い。たとえ短い付き合いだろうが、私は知り合いが殺されるのは我慢できません。そしてもしも私のことを信じられずにそう仰るのでしたら、どうか一度だけでも私に信を置いては頂けませんか」
「それは違う白竜殿。私はそんな感情論で語っているのではない。貴殿は赤竜よりも早く飛べるのですか?」
公式の場だからだろうが、いきなりの丁寧な言葉かつ理論的な話に一瞬だけ怯む。
「貴殿は以前こう言った。マナの繰りに自身は慣れていないと。貴殿の背中に乗り竜の飛行がマナ、私達が魔力と呼ぶもので飛んでいることは分かっています。果たして長い時を生き魔力の繰りに長けた古竜よりも早く貴殿が飛べるでしょうか」
素晴らしく記憶力が良いな。泣きそうだ。
どうしてそう感情的だった君がそこまで知的に話すのだ。最後まで狂犬系キャラを突き通して良いはずだろう。
「そうだとして何なのです? それが貴方が私に同行する理由にはならない。良いでしょう。はっきり言いますか? この作戦は成功率が限りなく低い。だがやらなくてはならないのです。決死とも言える作戦に貴方の様な足手纏いが居れば、万に一つの確率がゼロになってしまう」
どうだきつい一言であろう。『ふざけるな』とか叫んで大丈夫だぞ。ついでにここから出て行ってくれれば更に喜ぶ。
しかし絶望的なことに、アリューは覚悟を決めた壮絶な顔をしてこちらに言い返した。
「私をおとりに使えばいい」
「は?」
「赤竜と相対した時、私を囮にして貴殿は東に逃げて頂きたい。さっき私達を芥と仰られたが、私は一級竜殺し所持者だ。芥だろうが躓かせるほどの大きさはある。二十秒、十秒、もしくは五秒と持たないかもしれないが、その間貴殿が東に向かう時間は稼げる」
まずい。喉から思わずせりあがってきた声を呑みこむ。
そんなことされては、アリューと共に赤竜の前まで行かなくてはならなくなる。それではまずい
たとえ言う通り見殺しにしても逃げ切れなくなる。逃亡は赤竜に見つからないことが絶対条件なのだ。
アリューの指摘通り赤竜の飛行速度は俺の二、三倍。追いかけようと思われたところでアウトだ。
反対しなければ、死ぬ。
「……その剣は貴重な戦力ではないのですか。私が死んで赤竜の災厄が終わった後にも、その力は王国に必要なはずです。それはある程度の竜ならば十分に有効なはずなのですから」
「竜はこの剣の真価を知らぬはずです。事実貴殿は気付かれなかったですし、黒竜にしろそうです。使い手が死のうが、その後に誰かが拾えば全く問題は無い」
ずいぶん口が回る。できればこんなところではなく、普段の会話に役立てて欲しいのは俺の我儘だろうか。
言い返せない。冗談じゃない。どうしてこう想定外の事態が起きるのか、そして何故よりによって一番こんなことをしでかしそうではなかったアリューがするのか。
「貴方は馬鹿ですか」
「残念ながら学はありません」
「そうではない。子供の頭でも分かる。私は万に一つでも生き残る可能性はある。だが貴方にはない。完全な、絶対な死兵です。それが理解できないか」
「貴殿には関係ない」
関係ない? 大有りだ。お前は今、俺の地獄行き切符を切ろうとしているんだ。
アリューがフェリクスに直談判をしにかかっている。
駄目だ。このまま見過ごしていてはいけない。場の雰囲気がまずいことになっている。
止めなくてはならない。多少強引でも無理やりこちらに引っ張るのだ。有無を言わせず一瞬で押し通らせる。
俺はアリューに近づく。
「アリュー……」
「何っ」
疑問の言葉を言わせる前に右手でアリューの胸ぐらをつかみ持ち上げ、そのまま部屋の中を跳躍し壁に叩きつける。
「あがっ」
「何をする白竜殿!」
「黙っていて頂きたいオーバン殿!」
慌てて剣を抜きかけたオーバンを一声で制止させると、苦しく呼吸するアリューを覗き込む。
どんな理論でも良い。とにかく高らかに圧倒的に彼の意見を折らなくてはいけない。
「その珍妙な剣を持って増長したようだなアリュー殿。いや、人間。古竜を止める? このざまでよくそんなことがほざけるものだ。感心するよ。今私が掴んでいる手を少しでも強めればお前の首は簡単に飛ぶぞ?」
「うるっせえ……」
「言い返すこともできないか。おい、これを見ろ」
掴んでいる右腕とは逆の左腕を上げ、視界が狭まっているだろうアリューにも分かる様にする。
そして勢いよく俺は左腕にかぶりつき、肉をごっそり噛み千切る。
痛い、痛いっ、痛い!
人間に模せられている神経から全力で危険信号が送られてくる。だが我慢しなければ。空気をつくるのだ。誰もが文句を挟めない空気を。
周りの一同がひいているのが分かる。アミルカーレに至っては悲鳴を上げかけていた。
それを確認しながらゆっくりと、まるで気にしていないかのように悠然と左手にマナを集める。
イメージは治癒。最初ぶっ倒れていた二人を直したものと同様のものだ。
ゆっくりと傷口が塞がり始め、そのまま何事も無かったかのように綺麗な肌に戻る。その一部始終をまざまざとアリューと他の者に見せつける。
「人間は本当にひ弱で脆弱だ。こんな掠り傷ですら周りが驚いてしまう程に脆い。お前ごときが赤竜のの前に立てば一瞬で土に帰ろう」
良く分からぬ謎説教をかまし、更に反論できないように俺はアリューを反対側の壁に備え付けられている本棚に投げつける。
本棚は一瞬で粉砕し、木片と本の残骸に彼は埋まる。
「お前は人間なのだアリュー。逃げたところで誰も責めぬ。いや無駄に命を散らす者は卑下にすらされよう。だが私は違う。私は竜だ。私自身の誇りが、竜としての自負が誓った誓いを、信念を捻じ曲げさせてはくれぬ」
兎にも角にも黙らせた。
周りも圧倒されてついてこれていない。
今だ。この瞬間にとっとと逃げ出さなければならない。執務室にある窓を急いで開ける。
冷静に見れば同僚を投げつけた後、逃亡しているに等しい行為だが、勢いで何とかなっている。
ふと竜に戻りフライアウェイする前に、一言だけでも本音で嫌味の一つでも言おうと思い立つ。
「お前のことが大嫌いであったよ、アリュー。精々生き恥を晒すことだ」
言い残すと俺は窓から飛び出した。




