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日常だろう、大切にしろよ

 俺は鬱々としていた。

 今砦の自室に備えられた机において、従者となった少年と共に茶会もどきに興じている。

 砦に着いて早三日。到着してから俺はずっとこの安寧とした日々を送っていた。

 竜が早々に襲いに来るはずもなく、することはない。だがいつでも出撃できる様にとこの砦に押し込められている。


 退屈だがそれは良い。文句を言おうにも中世の娯楽レベルは底辺を穿って更に地下に潜る。

 こうした茶会ですら所謂贅沢の極みなのだというのだから、これ以上何を期待しようが出てきやしない。

 むしろこの日常は歓迎したい。文化レベルは低いが今の俺の生活は模範的文化人のものだ。

 不安定からは遠く、死を感じることは一切ない。正に俺自身が望んだ生活であった。


 だから理由は別。古今東西、人が大いに苦悩するのは人間関係だ。

 紅茶を飲みながらどうしたものかと悩む。


 悪かったとは思っている。

 面倒事を持ちこんできた相手が、はしゃぎまくれば警護する人間を不快にさせてしまうのは道理であろう。

 しかもその相手がたしなめにくい人(竜)であったのならば、言えない鬱憤を含め怒り心頭になってしまうかもしれない。

 それはいけない。俺の身は永久就職。驚きの数百年を同じ職場で過ごす以上、人間関係の悪化はこの先の人生を暗雲で閉ざしてしまうことになる。


 だから反省する姿勢を示すのは大切なことだ。頭を下げれば不快にもさせず、叱責は頭上を通る。

 下手に出るという行為の何たる便利さか。それは相手を理解せず、自省もしなくても穏便に済ますことができる大人だけの特権だ。


 

 しかし熱々の御茶をかけてきた相手にどう謝れば良いのか。


 確かにこの身体は見かけによらず頑丈だ。少々火で炙られたところで日向ぼっこぐらいの感覚で済ませられる。

 だがそれとこれとは別だろう。大丈夫だからと相手の頭から水をかけて許されないことと同じだ。


「どうしよう」


 何故にあのアリューはここまで突っかかってくるのだ。

 仲よくしろとは言わない。人それぞれ抱え込むことはある。けれどもわざわざ近寄ってきて一々癇に障る行為をするのは頂けない。

 せめて遠巻きにして無視するだけに留めたっていいじゃないか。


 一口お茶を口に含む。

 紅茶の良い香りが鼻孔をくすぐる。


 もうアリューが墓の下にいくまで待つか。でもそれでは兵士の平均勤務年齢は判断つかないけれども、十年ちょっとはあの青年と顔を合わせることになる。

 強硬手段に訴えるのは難しい。立場は不安定で、危険を冒してまで排除に動くのは馬鹿なことだ。


 はあ、と何度目か分からぬ溜息をつく。


「白竜殿。その、先程から暗い表情を取っているのはアリュー殿のせいでしょうか」


 同じく紅茶を楽しんでいたアミルカーレがおずおずと尋ねてくる。

 俺は意外とこの少しお馬鹿な従者のことを気に入っていた。適度に敬意を払い、適度に引いてかつ親身に話しかけてくれる。

 

「すみません。独り言が漏れていたみたいです。アリュー殿ですか……確かにそうかもしれません。ですが彼が悪い訳ではありません」


 ストレスが溜まって誰かと話して共有したかった。聞いてくれて絶好の機会であるが、一度一歩退く。

 嫌ではないが困っているという体をつくる。そして本当は仲よくしたいのです、とする。

 でないと下手に悪口を言ってあの青年の耳に届いたりしたら、今度は熱湯を頭からかけられるかもしれなかった。


 この短期間でお馬鹿ではあるが、御人好しの気がある少年は、そんな困り顔の俺を見て、意を決した顔をつくった。


「アリュー殿のことをお嫌いになっておりますか?」


 全力ではい、そうです。

 そんなことは絶対に言ってはいけない。好きですも駄目だ。あの態度がそのままでは困る。

 だから玉虫色の答え方で、かつ困っています、どうしようとアピールすることに留まる。

 ということでどうとでもとれる苦笑をアミルカーレに向ける。

 そして右手に持ったティーカップを腕を伸ばして少年に近づけた。


「アミルカーレは例えば今私がこの紅茶を貴方の頭に掛けたら、私のことを嫌い、金輪際口を利かなくなりますか?」


「それは……まずはとても驚きます。そして何故私に掛けたのかとお聞きすると思います」


 俺ならば灰にします。しがらみが無ければ。


「でしょう。その理由を聞いた後で、私も怒るか嫌うかを決めます。私には今アリュー殿が何故私を嫌うのかが分かりません。勿論私が不愉快な格好をしていることもあるのでしょう。それでもそれだけではないと思うのです」


 手を引込め優雅にもう一度口にする。


「だから私はそれを知るまでは彼のことを嫌いになることはありません。それに私は彼のことを理不尽なことをする人でなしとは考えていません。何か理由があるのでしょう。私を許すことができない理由が」


 話し終わると少年はほっとした表情を取る。どうやら俺にアリューのことを嫌って欲しくないみたいだ。

 まあ当然か。暴れて被害が出れば従者であるアミルカーレもどうなることか。


「安心しました。そして嬉しいです。やっぱり知り合いの人が、いがみ合うことは悲しいですから」


 竜ですけどね。

 

 万分の一、億分の一気分が軽くなる。

 本当にどうするか。就職先は決まったのだ。後は職場の環境さえ整え終われば人生は薔薇色だ。

 しかしアリューの自然死しか解決方法は今のところ見つからない。

 堂々巡りをし、再び溜息をつく前にアミルカーレは勢いよく立ち上がった。


「それじゃあ聞きにいきましょう!」


 どうじゃあ、なのか。まさか本人に聞き出すわけにもいかない。それができるなら、今頃俺と彼は手でも繋いで駆けっこできる仲だろう。


「しかしアリュー殿に聞いてお答えいただけるかどうか」


「じゃあオードラン殿にお訊ねしたらどうでしょうか。あの方はアリュー殿の知己です。きっと何らかのお答えが頂けるはずです」


 オードランに聞くか。ふむと考え込む。アミルカーレが言うように、そうほいほいとそこまでの仲であるアリューの情報を、零してくれるとは考えにくい。

 だが訊ねる形をとりながらクレームを入れることができるかもしれない。


 フェリクスに話しても苦情をただ伝えるしかない。

 だがあの青年の知り合いに、仲良くなるためにはどうすれば良いかと聞けばどうか。

 こちらが困っていると間接的に伝えながら、こちらは嫌っていませんよ、というアピールに繋がる。


 いけるかもしれない。


「それでもオードラン殿を御不快にさせるのではないのでしょうか」


「大丈夫です。いざとなれば僕が土下座でも何でもします!」


 そしてスケープゴートすらできた。

 この立場を得たのは俺が行動してこそだ。ならば最後の仕上げとしてもう一度動くのも道理である。


「……分かりました。行きましょう」


 最後の勝負である。



 

 オードランは濡れた髪をかきながら自室で書類仕事に取り掛かろうとしていた。

 訓練を終え、水浴びを済ませ、彼は程よく疲れて気分が良かった。

 これなら仕事もはかどるだろうと意気込みかけると、ペンをとり書類を片付け始める。


 竜殺しを従騎士にもつという、複雑な立場の彼が処理するものは、一騎士としては破格に多い。

 しかしそれを彼は難なくさばいていく。

 しばらく彼のペンは走り続け、半分が過ぎ、きりが良い所で一度止まる。

 

「しっかしあいつはどうするかね」


 彼はふと相棒であるアリューのことを思い浮かべる。

 アリューと白竜の仲は、あの野営以降更に悪化した。勿論アリューの態度が更に悪くなっただけで、白竜が彼を嫌うことは無かったが。


「慌てふためきやがって。今頃になってようやくあいつの時計が動き出した。遅すぎるってもんじゃねえだろう」


 彼は副団長に述べた様に、白竜にある期待をかけていた。

 

 アリューとオードランが同じ騎士として剣を取り、復讐に駆られてから幾年も経った。

 その長い時の中でオードランの心は擦り切れ、昔の感情は古い物に成っていった。

 相方のアリューならばそれをセレストに対する裏切りだと断じたかもしれない。


 しかし彼は、その一種裏切りにとれる行為をアリューにして欲しかった。

 確かにアリューはセレストに対して誠実であった。兄としてそれを嬉しく思わないわけがない。

 何年も思い続けてもらえることは、死者にとって幾らかの慰めになろう。


 だがそれを永劫に続けてもらいたい訳では無いのだ。

 残酷ではあるが、彼にはセレストのことを忘れて貰いたかった。疲れて剣を捨て、そこらの女と一緒になって欲しかった。

 そして時たまセレストを思い出し、その死を悲しむ程度になって欲しかった。


 誰が愛しの妹が愛した男にずっと死の国を見つめ続けることを願う者が居るだろうか。

 どうして永久に義理の弟がその身に血を浴び続ける未来を選び続けることを嬉しいと思うだろうか。


 オードランの説得はアリューの心の氷を溶かすことはできなかった。

 竜が襲い続ける時代において、安寧を彼に提供することは不可能だった。


 だが白竜はそのどちらも成し遂げかけている。

 このまま行けば白竜は竜との戦を止めることができるだろう。

 王は戦を止めることを決断している。竜を抑えきれれば騎士達の多くが死なずに済むかもしれない。


 そしてアリューの心を白竜は揺さぶることができた。

 最初は憎悪だろう。次に来るものとて、得体のしれないものにたいする疑念にすぎないだろう。

 だがアリューの復讐を止めることができた。

 

 殺すこともできる状況で踏みとどまらせることに成功した。今はアリューを過去に目を向けさせることができている。


 今まではアリューは復讐だけが全てであった。未来には勿論眼を向けていない。幸せであった過去をすら彼は思い出そうとしていなかった。

 ただ竜を殺す。その一念に青年は憑りつかれていた。


 彼は初めて今復讐以外の思いを抱いている。それがオードランには嬉しくて堪らなかった。

 どうかこのまま矛を収めて欲しい。ヒロインを愛する悲劇の英雄にならなくても良い。

 そこらの平凡で凡庸な、一角の幸せを享受する男になって欲しかった。


 いざとなればこのまま騎士を続けても良いだろう。だが前だけは見て欲しいと願う。

 オードランは静かにアリューを見守り続ける。


「うん?」


 ふとドアをノックする音が響いた。椅子を後にし扉の前に立つ。開けるとそこには白竜とアミルカーレがいた。

 すぐさま彼は白竜に敬礼を取ろうとするが、白竜がそれを止めさせた。


「白竜殿。私に何か御用でしょうか?」


 何かしでかすのかもしれないという不安と、何をしてくれるのだろうという期待が胸に湧き上がる。

 彼には白竜が眩しく映っていた。単純で馬鹿で世間知らずの竜だ。

 だがここまで大きく人を動かし、心に影響を与えた存在が、彼の人生の中でいったい何人いただろうか。


「貴方にお聞きしたいことがあるのです」


「何でしょうか?」


「アリュー殿について教えて頂けないでしょうか? 私は彼のことが知りたいのです」


 突然で無礼な問いである。彼の妹の声音は、オードランの心に障る。

 しかしその真っ直ぐな瞳と、芯のある声は何ものよりも彼の心に響く。


 いい女じゃないか。泣き虫アリュー、いつまで下を向いていられるかな。


 彼はそう心の中で呟くと白竜を部屋へと招き入れた。


 だが彼らが話し合う時間は存在していなかった。









 王国東部、コルテとサノワの中間に位置する草原において、一頭の馬が矢のように疾走している。

 精悍でしっかりとした体躯を持つその馬は王国が扱う軍馬だ。本来であれば軍馬の立派な身体つきは、王国軍の精強さを遺憾なく示すことだろう。

 だが現在、その騎乗者はそんな印象をかき消してしまっていた。

 騎乗者である兵士は満身創痍であった。兵士の肩からは止めどなく血が溢れている。負っている傷口は大きなもので十を超え、小さなものを含めればとても数えられたものではない。

 彼は顔を恐怖に染め一心不乱に逃げ出していた。


「こちらは第十七コルテ監視台! これを傍受した者は直ちに応答を求む!」


 男は術を展開しながら力の限り叫ぶ。

 彼が使用する通信方式は、王国での使用を厳格に制限されているものだ。各拠点に設置されている通信術式には遠く及ばないものの、個人が扱う術としては最大級の通信範囲を誇る。

 

「これは特級優先通信である! これを聞いた者は状況の如何に問わず返答を願う!」


 その通信は範囲の全ての術者に無差別に行き届く。そして階級、身分、状況を鑑みず、察知した者全てに王国は応答し内容を広める義務を負うことを定めていた。

 これはみだりに使われれば王国の指揮系統に甚大な被害をもたらすため、必要もなく使用した者には極刑を下されることになっていた。


「東部国境監視団は定められた権限により『大動員』を王に奏上するものである!」


 この術が正当に行使される事態は唯一つ。術式の行使権限を認められた機関の長が、王国に対して可及的速やかなる解決を要求される危機が迫っていると認めた場合のみである。

 王国の歴史において発令された回数は僅か三回。しかも最後は約百五十年前の、南部の貴族達の殆どが王権に反旗を翻した大反乱であり、その存在は演習か歴史におけるものに過ぎなかった。


 それを傷を負った兵士は何ら躊躇うことなく使用し喚き続ける。彼にとっては自分の首を両断するギロチンの刃は、恐怖心を煽るものではない。むしろ彼にとっては救いの手とすら思えてしまう。


 彼の眼裏に映るのは根源的な恐怖。

 絶対的であり超越的であり超絶的である存在が彼を駆り立てる。


「第十七監視台は竜の越境を確認せり! 色は赤、色つきだっ。だが違う。あれがただの色付きなんかじゃない!」


 言葉が崩れ男の顔が歪む。王国軍としての責務を果たさんとして抑え込んでいた感情は、彼を恐慌状態に導いていく。

 

「監視台は竜を捉えると共に壊滅! 生き残っている奴がいるかは分からないっ。他の監視台がどうなったかも知らねえっ。だが少なくとも周りの五つからは返答が無い!」


 男は兵士から弱者へと変わる。彼の報告は助けを求めるものに塗りつぶされる。

 早く知らせねば。助けを呼ばねばならない。

 そうでなければあれは後ろから飛んでくるだろう。地べたを這いずることしかできない人間や馬が逃げるよりもずっと早く、それは死の鎌を振り下ろしに来るだろう。


 男の仲間達は全て焼き尽くされた。抵抗することも、攻勢術や通信術を使うまでもなく監視台ごと焼き払われた。

 

「助けてくれ! 助けて! 竜殺しだろうが騎士団だろうが糞の貴族軍でも誰でも良い!」


 助けてくれ! その声は草原中に響き渡り続ける。

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