竜だろう、誇りを持てよ
無惨に岩肌を晒した山々と荒野が広がる場所で、数多の怒号と金属音が響き渡る。それは時折重量のあるものが振り回される音の後には一層の大きさとなる。断末魔や金属や肉が潰される音だ。
その生命を持つものが忌避する不協和音が原因となり、辺りの細々と植生している植物を主食とする動物達は皆姿を隠してしまっていた。
少数生息する肉食獣達も巣穴に身を縮こまらせてることを考えれば、今この大地がどれ程忌避する状況であるかが分かる。
そこでは大型の動物に蟻のような小さな者達が群がっていた。いや群がられている方があまりにも巨大であり、そう錯覚させられるだけであった。
群がる者達は蟻などではない、鎧を着こみ、各々剣や弓を持った人間だ。 一般に騎士と呼ばれる者達である。彼らは果敢にも巨体を取り囲みながら剣を突き立てていた。
騎士達に囲まれているものは身体の一部を振るうことで煩わしげに彼らを掃う。その度に形成される円の一角が吹き飛び騎士であった者の肉片が雨の様に大地に降り注いだ。
そんな人間からすれば超常の力を振るう存在。当然振るう者も隔絶した生物だ。
竜である。
山よりは小柄であるはずなのだが、その竜の偉容さによって周囲の貧相な山々よりも数倍のサイズに錯覚させる。
身体には騎士たちが持つ剣よりも余程切れ味のありそうな牙と爪が生え揃っていた。黒水晶と見間違おう程の黒く澄み切った鱗が皮膚の全面を覆っている。
先程から騎士たちを薙ぎ払う尾は巨木の幹よりも太く、背の翼は巨体を持ち上げるに相応しい大きさを持っていた。
彼らの戦闘を見ればどちらが優勢であるかは明らかであった。
騎士たちの剣は竜の鱗を突き通すにはあまりにも脆く、竜の一撃は数十の人間を屠っていく。元々は整然とした隊列を組んでいたのだろうが、今や後方にいたであろう弓を持った者達もその手に剣を取らなければならないほど崩れてしまっている。
組織だった攻撃ができるものの、最早蹂躙の一歩手前であった。
騎士達を褒めるとするならば半壊とも言える状況で未だ踵を返す者が居ないことか。だがそれも戦いには何ら寄与することは無かった。
山の頂上にそれは鎮座していた。
それは地上の竜とはまた違った姿をしていたが、まぎれもなく竜であった。巨体ではあるものの色は純白。黒竜が他者を威圧するのに対して、その白竜は畏敬の念を感じさせはするものの決して恐怖を感じさせない。
白竜は眼下の黒竜と人間達を見下ろしていた。同族に加勢することもせず、哀れに惨殺されていく騎士たちを助けることもせず、ただじっと事の成り行きを見守っている。だがその眼にははっきりとした憂いの念がこもっていた。
白竜が観察していると地上では新たな動きが起こる。今まで騎士たちしか上げなかった悲鳴に初めて黒竜のものが混じったのだ。雷が落ちたかと思う程の轟音が竜の口から洩れる。
山頂に居る白竜はその快挙を成し得た者達をはっきりと視認できた。
二人の青年だ。身に纏う鎧は他の騎士と同じ物であったが、振るう武器は一線を画いていた。
黒竜の血液が付着する剣は陽光を反射しながら、竜の爪と牙に勝るとも劣らない業物であると示していた。
騎士たちにとっては快挙であった。悲鳴とは別種の喜悦の声が辺りから上がる。しかしそれが人間としての限界であった。
黒竜は大きな眼を見開くと、尾ではなく爪のついたその両椀で青年達を含んだ前面の騎士達を薙ぎ払った。
初めて竜に傷を負わせて油断していたのだろう。騎士達全員がそれをまともに受ける。
不思議なことに周りの騎士達が身体を寸断されたのに対し、青年達は宙を舞いながらも手足は千切れていない。
だがそれとて意味は無く、二人の青年は地面に落ちると身動きすらできない程の大怪我を負っていた。
青年達が切り札であったのか、あれほど勇戦した騎士達の顔が絶望に塗り替わっていた。信じられないと言った表情で青年達を見つめていた。
そして真実であると理解すると、黒竜と離れていた数人の騎士が竜に背を向けて逃げ出した。それが決め手となった。逃げる騎士の数が数十人、数百人となり、そしてその場の全員が戦場から逃避しだした。
それを見下ろしていた白竜は意を決した様に空中へと羽ばたいた。
典型的な転生であった。いつも通り寝て起きたら俺は見知らぬ山々で目を覚ましたのだ。しかも身体は見るからに爬虫類であったのだから、一発で自分が世に言う転生に巻き込まれていたことを理解した。
まあ最初は焦ったが直にそれも嬉しさに変わった。なぜなら自分がこの世界における食物連鎖の頂点である竜だったからだ。
飛べばどんな鳥も置き去りにし。岩を殴れば岩が砕け。身体の鱗よりも硬いものは自身の牙と爪だけ。
更には魔法も使え言葉も喋れるし、工夫もすれば人間の形をとることだってできる。卵から孵った時は親もおらず貧弱な身体も十数年がたち成竜と何ら遜色がない。
パーフェクトだった。文句の言いようもない。気分は宝くじを当てた感じだ。世界中を飛び回り俺はこの世界を満喫した。
けれども俺は失念していた。
元の世界だって覇者は虎やライオンではなく、貧弱でそこらの犬にも勝てない人間であったことを。
気ままに生きながら細々とした竜付き合いをしていると、何故か見かけない竜がぽつぽつと出始めたではないか。寿命ではないはずなので他の竜に聞けばなんと人間に殺されてしまったらしい。
ここ数百年は竜の住み着く秘境なぞに人間が来ていなかったのに、どうやらここ最近は人間達と接触する同族が増えていると語られた時、かきもしない冷や汗を感じた。
典型的な人類の進出ではないですかー。
正に今俺達竜は、ヨーロッパや日本で絶滅(またはその寸前)に追いやられた狼のような存在になっていたのだ。
すぐさま人間の動向を確認するため人間の領域付近を飛んでみれば、なんと俺より少し小さめな一匹の竜に数千の兵が寄ってたかって殺しにかかっているのを目撃した。
中世の様な暮らしのくせに動員兵数がやけに多いのが憎たらしい。
どんなに兵が多かろうが人間が精製する金属の武器や魔法で竜を傷つけることなぞできるはずがないのだが、実際その後その竜がお亡くなりになったのだから何かしらの方法を編み出したのだろう。
今はそこら辺の若い雑魚竜達しか殺されていないが、そんなことは気休めにもならない。
このままほっとけば竜と人間の差を詰められ、あっという間に周回遅れだろうから、人類に原始時代に戻って頂くか頭を下げて融和を図らなくてはいけなかった。
で種族の差から簡単に融和なんぞ無理だろうから、俺よりも長命な竜に名目は話し合いをするために、実際は喧嘩っ早いそいつらが成り行きで国を滅ぼしてくれるだろうという打算の元、人間の国の首都に行こうではないかと誘ってみた。
今はまだこちらの戦力が上なのだから何とかなるはずだった。(まあこちらが負けたら言い訳できる様に、俺としては表向き和平の立場を貫くつもりだった)だが結果はけんもほろろ。何処の世界も大物の腰とは重いものであった。
そうしている内にも徐々に仲間たちが減っていってしまい、焦って熱心に誘っている中竜の間ではやっとこさ人類の敵意に気付き始めて個別に反撃し始めていた。
けれども自分達の住処の周りから追い出したりするだけだったり、個別に町を焼き払っているだけなのだから何の役にも立ちはしなかった。
逆に人間を団結させてしまっている気さえある。
ことここにきて俺は竜の説得を諦め人類に下ることを決めた。
孤高の狼も最高だが、家の炬燵で温まる柴犬だってそれなりの幸せがあるのである。裏切りは最初に手を挙げたものが一番得をするのだ。
苦しい時に相手に媚を売ることにこそ意味がある。落城寸前の城の城主が降伏したところで斬首一直線だ。
とは言っても敵対種族がほいほいと降伏したところで夜中の鍋の具材にでもなるのが必定であったので、適当に竜から人間を守ったという美談を仕立てあげてゆくことにした。
そして今俺はこうして戦場の推移を見守っている。こちとら肉食だが元人間として人間の肉片が舞っているのに辟易とした。
相手の黒竜とは知り合いではあるものの、下手に突っ込めばこちらも殺されかねない。なので戦闘が終わって黒竜がクールダウンしたところを狙いにいった。
黒竜が傷付くというアクシデントはあったが、滞りなく人類側の敗北に終わったらしい。ちょっと人間が少なくなってしまったが致し方あるまい。
さあ裏切るぞー。これからの柴犬人生に幸あれ。竜皮のバックにならない様に気をつけねば。
俺は勢いよく地面から飛び立った。
黒竜が騎士達を蹴散らし終わり、まだ息のある青年達の息の根を止めようとしたとき、黒竜は何時もの厄介ながらもどこか憎み切れない竜の羽ばたく音を耳で拾う。
≪黒竜の、どうかその人間達を殺すのは待って頂きたい≫
黒竜の目の前に仲間でも変な奴だと笑われる白い竜が降り立った。
相も変わらず白の鱗は同族内でも異彩だ。黒竜は人間であれば苦笑しただろう気持ちで思念波を白竜に返す。
≪白竜の、それは虫が良すぎるだろう。この者達は私を最初から殺そうとして刃を向けてきた。ならば私がその者達を殺すことは誰に非難される行為ではない。第一そんな小さき者達になぜそうも気を掛ける≫
≪私もそれには同意しよう。この者達は私達にとっては虫に等しい存在だ。なら黒竜の、貴方ほどの竜が虫に刺されたぐらいで腹を立ててもしょうがないだろう。虫を潰すのも潰さないのも貴方にとっては同じだ≫
お前が虫などと思っているはずがなかろう。黒竜はたまらず牙を見せ笑う。この白竜は竜からしたら羽虫に等しい人間にひどく執心していることは仲間内でも噂になっていた。
まあ黒竜の傷を忌まわしげに見てることからただ単に優しい、悪く言うなら甘い奴なのだ、と黒竜は納得する。
生まれながらに王者として定められた竜にはこれ程似合わないものはない。だが黒竜はそれほど白竜の性格を嫌ってはいなかった。
竜、人双方の血が流れるのを無くすために懸命に動き回る若き白竜は、何百年の時を生きた黒竜には孫の様に感じられる。
だから他の竜が白竜を厄介そうに追い払っても、黒竜はしょうがないという体を取りながら相手をしていた。
≪だが白竜の、私が殺さなかったところでどうなる。こいつらの傷では長くは持たない。治ったところでもう人間は撤退してしまった。馬も無しにここに放っておいたところで干からびて死ぬのが落ちだろう≫
≪傷ならば私が直す。そして国には私が送ろう。私も彼らの国の主に話がある≫
≪なっ!≫
あまりの白竜の発言に、先程の身を裂かれた時以上に眼を大きく開く。少し前から竜達を誘うことを止めていたからてっきり別の方法でも考えているとでも黒竜は考えていたが、この変わり者は単身乗り込むつもりらしい。
長い年月を生きた竜ならば人間などに囲まれたところで、黒竜の様に蹴散らせるが、若い白竜では最近奇妙な力をつけた人間達に殺されてしまう可能性がある。
≪道楽が許されるのも生命がかからないまでだ白竜の!≫
≪貴方には道楽に見えるだろうが私にとってはそうではない。文字通り私はこれに生命をかけている≫
竜ながらも黒竜は頭を抑えたい衝動に駆られた。なんとかこの甘い馬鹿を矯正しようと試みる。
≪今頃になって何故動き出した。こうやって私達と人間が殺し合っていることなど幾らでもみてきただろう≫
≪......分からない。今動かなければいけないと思ったのだ。私はその倒れている者達に運命を感じた≫
白竜は力強い意志の籠った青いサファイヤの様な瞳を向けてきた。
この竜は行動に疑問を投げかけられた時は、こうして言葉で語るよりも短い言葉とこの瞳で見つめることで相手に返答する性があった。
黒竜はその瞳が好ましいと思っていたが今はそれに困り果ててしまう。
≪心配してくれるのは嬉しい。しかし私も若いとはいえ竜。竜ならば自分の心に従うまで≫
黒竜はその言葉を聞くと地に生える低い草が吹き飛んでしまいそうなため息をつく。
白竜の最後の言葉はいつか自身が白竜に言って聞かせたことがあるものだ。
動物は皆全て必死に生命を繋いでいる。
私達竜はその力故生命が危機に陥ることなど皆無である。だからこそ私達はせめて自分の心を裏切ることなく生きなくてはいけない。
卑屈に、困難に全て頭を下げてしまえば私達は永い時を生きられるだろう。だがそれではただ生きる家畜になり下がってしまう。
それでは駄目だ。私達は竜。全ての生物の頂点に立つ存在なのだからだ、と。
馬鹿だ、変だと蔑まれようが白竜の本質は竜なのだ。
親がいない竜に竜に関わることを教えた黒竜ではそう引き合いに出されてしまえば引き下がるを得ない。
≪そうか、確かにな。すまなかった無粋であったな白竜の≫
≪いや黒竜の、貴方が謝ることではない≫
そうであるならば黒竜にとっては瀕死の青年を殺す意味も無い。白竜を一瞥すると翼を広げて血が染みわたった大地を後にした。
空に身を預けながら黒竜は白竜の安全を願いながら思案に耽る。
黒竜は人間達の異様な進歩に初めて興味を持った。小さき者達と見向きもしなかった人間が小竜や白竜の様な若い竜を殺し得る事態となっている。
先の二人の人間が使った武器は、僅かなりとも数百年生きた黒竜の鱗の守りを突破した。
白竜のような人間と話し合おうという変な輩はいないが、その身に危機が及ぶ下級の竜達だけではなく中堅の竜達の中にも人間に敵意や興味を持ち始めた者も多い。
これはもしやことに成るやもしれぬと、黒竜は他人事のように思う。
しかしそれもしょうがないだろう。黒竜の様に古竜の領域に至りながらも寿命以外で死んだのは、あの奇妙な白竜の親である先代の白竜しかいなかったのだから。
軽い、かつそこそこシリアスを書きたくて書いてみました。