妖精
「どう?」
湖の底を静かに見据えていたヴァルドリューズに、隣に立つマリスは、慎重な様子で尋ねた。
「これまでのいきさつから、この湖の底に異次元への出入り口が出来ていたようだが、今は何も感じない。おそらく、マスター・ソードの力で、消し去られたのだろう」
「それなら、良かったわ。さっきの怪物は、ミドル・モンスターだったわ。魔界の入り口まで開いていたなんて……何者かが呼び出し……!?」
突然、マリスの言葉が途切れた。
「……ヴァル、……それ、なに?」
かなり間の抜けたマリスの声で、ケインたち三人がヴァルドリューズを振り返ると、彼の周りを、何かが、ちらちらと飛び回っていた。
ちょこんとヴァルドリューズの肩に腰かけ、三人を、じっと見る。
ピンク色の肩につかないくらいの巻き毛に、薄いピンク色の衣をまとい、ムシや、蝶に近い形の、透けた羽を生やした、妖精の女の子であった。
「ミュミュ!」
ケインが、大きく目を見開いた。
妖精は、みるみるふくれっ面になって、ケインをにらんだ。
「ひどいよー、ケイン! ミュミュのこと、完っっっ全に、忘れてたでしょー!!」
一同は、驚いて、ケインと、てのひらほどの大きさであるミュミュとを見比べた。
「ごっ、ごめん! だけど、今までだって、急にいなくなったり、しばらく出てこなかったこともあったじゃないか。こっちも、いろいろあったからさ、それどころじゃなくて……」
「それどころじゃないって、どーゆー意味さ!? ひどいよ! ミュミュはねっ、知らない時空で迷っちゃって、一人ぼっちで、とっても淋しくて、泣いてたんだよ! そしたら、ヴァルのおにいちゃんが助けてくれたんだよー!」
「ヴァ、ヴァルのおにいちゃん……?」
ケインも皆も、今度は、ヴァルドリューズの方を見る。
彼は、いつもの無表情で、淡々とした口調で語った。
「瞑想から戻ろうとした時、異次元の空間で彷徨っていたのを、たまたま見つけたのだ」
ヴァルドリューズに礼を言ってから、ケインが、ほっとしたような、呆れたような顔になって、ミュミュをもう一度見た。
「それにしても、妖精が時空で迷うなんてこと、あるのか?」
「ケインがミュミュのこと放っておくからだよー! バカー!」
ミュミュは、ケインの頭を、か弱い拳でぽかぽかと殴った。
「ごめん、ごめん! ホント、すっかり忘れてて」
「なにぃー!? もーっ! ミュミュ、ケインなんか、知らないもん! ホントに、怒ったんだからね! これからは、ヴァルのおにいちゃんに『付く』よーだ!」
そう言うと、ミュミュは、ヴァルドリューズの肩に腰かけ、ケインからは、ぷいっと顔を背けてしまった。
「まいったなぁ、今度こそ、本気で怒らせちゃったかな?」
ケインは、苦笑いしながら、頭をかいた。
妖精は、頬をふくらませたまま、ヴァルドリューズの頬に、くっついた。
「あ、あのー、お取り込み中、悪いんだけど……」
マリスが、まだびっくりした目のまま、切り出した。
「ケインと、そこの妖精って、知り合いだったの?」
「知り合いなんてもんじゃないよ。ミュミュは、ケインがマスター・ソードを持つようになってからだから、二年くらい、一緒にいるんだよ。ミュミュたち妖精ーーニンフとかの子供たちは、『伝説の戦士』になる人間に、付くことになってるんだよ。
ミュミュ、ケインのこと、『伝説の戦士』だと思って付いて来たのに、ケインてば、全然『伝説らしいこと』はしないし、ミュミュのことは、放っとくし……! もう、『伝説』は、ヴァルのおにいちゃんにするから、いいんだもん!!」
「ありゃりゃ、『伝説の戦士』ってのは、妖精の、しかも子供の気分次第で決まるのかよ?」
カイルが、素っ頓狂な声を出した。
ケインも、肩をすくめてみせた。
「あれっ? あんたの剣……」
突然、ミュミュが、カイルの剣に、目を留め、ふーっと側に飛んで行った。
「『ここ』には、精霊がいるよ! 何の精霊かは、わかんないけど……」
ミュミュは、カイルと、ケインとに振り向いて、言った。
「精霊だって?」
カイルが、首を傾げた。
「ああ、でも、言われてみれば、そうかも知れねぇ。この剣は、俺を護ってくれてるような気がしてたんだ。よくないことや、危険を察知して、なんとなく教えてくれるーーそんな場面が、いくつかあったんだ。それは、この剣に宿る魔力が、そうしてるのかと思ったが……精霊が棲んでたってワケか」
「そーだよ。この剣の『精霊さん』は、剣の持ち主を、護ってくれるんだよ。だから、この剣の魔法は、持ち主しか使えないの。他のヒトが、やろうと思っても、ダメなんだよ」
「確かに、俺以外のヤツには、『浄化』の魔法は使えなかった」
カイルが、感心して、ミュミュを見た。
「お嬢ちゃん、教えてくれて、ありがとよ」
ミュミュの機嫌は直ったようで、満足そうに笑っていた。
「ついでに教えてあげようか? 妖精は、『いろんなもの』が見えるんだよ。『ヒトの守護神』とかも」
すっかり得意気になったミュミュは、マリスの目の前に飛んでいく。
「あんたの名前はねぇ、マリス・アル・ティアナ……えーと、あれ? なんだったっけ?」
みるみるマリスの顔色が変わっていく。
「な、なんで、あたしのことを……」
妖精は、ますます調子に乗って、続けた。
「守護神は、『雷獣神サンダガー』だね!」
一同、驚きのあまり、絶句していた。
「ケインの守護神は、ジャスティ……いたっ!」
ミュミュは、舌をかんでしまった。
「ええと、ジャスティ……何だっけ? もう、いいや。で、ちなみに、この金色の髪のおにいちゃんは……」
「ミュミュ」
ミュミュがカイルに何か言う前に、寡黙な魔道士が、珍しくその場を遮った。
「人には、余計なことは、わざわざ知らせない方がいい。知ったことによって、不幸になることもあるのだ。私や、マリスのように」
「は〜い」
甘えた返事をすると、妖精は、ヴァルドリューズの頬に、再びすり寄った。
彼の言葉に、妙に重みを感じた一同は、マリスとヴァルドリューズを見つめる。
(もしかして、ヴァルもマリスも、特殊な能力を身に付けたため、或は、目覚めたために、国を追われたり、魔物と戦わなくてはならない宿命になってしまったとか? それとも、何か他にも……?)
ケイン、カイル、クレアが、そのように考えている間、マリスは、うつむいて、唇をかみしめていたが、キッと顔を上げた。
「あたしは不幸なんかじゃないわ。運命なんて、自分のこの手で変えてみせるんだから!」
静かだが、そう言い切った彼女の横顔を見つめながら、ケインは、なんとなく、自分は、それを見届けるんじゃないか、という気がしたのだった。
(それは、単なる俺の希望なのかも知れないけど……)
「おお、お待ちしておりましたよ。ご希望の品は、こちらでよろしいですかな?」
一行は、鍛冶屋を訪れていた。
異様な煙が立ち込め、何度見ても、不気味なところである。
夜になっても、湖は静まり返り、その周辺でも、低級な魔物ですら出現しなかったところを見ると、異次元への出入り口は、ヴァルドリューズが確認したように、マスター・ソードの力によって、完全に閉ざされていたと言えた。
「さすが、噂通りの良い腕だな。これは、報酬だ」
マリス扮するマリユスは、男言葉に切り替え、大金を支払った。
「こ、こんなに……ですかい!?」
鍛冶屋は、驚いていた。
見開かれた目は、より一層大きく、相変わらず、充血していた。
「それから、このことは、黙っていて欲しいんだ。万が一、鎧の持ち主に伝わってはマズいからな」
そう言って、マリユスは、口止め料代わりに、更に金額を追加した。
「ふっふっふっ、これで、思う存分、暴れられるわ」
「……って、今までのは、違ったのか!?」
不適な笑みを浮かべているマリスに、ケインは驚いていた。
アトレ・シティーに戻る道中、マリスは、新品の剣を取り出し、クレアに渡した。
「これは?」
「クレアは剣持ってなかったもんね。これ、護身用に使って。メタル・オリハルコンで出来た、あたしの鎧の一部を使って、軽めに作ってもらったから、大丈夫。ヴァルに魔力を吹き込んでもらえば、魔法剣にもなるわ。それとも、魔法上達したら、自分でやってみる?」
マリスが、ウィンクした。
「マリス、ありがとう! 大事にするわ!」
クレアの瞳は潤み、美しく輝いていた。それを認めたマリスも、嬉しそうに微笑んだ。
「それと、そこの妖精サン、あたしは、ここでは『マリユス・ミラー』って名乗ってるんだから、人前では、違う名前で呼ばないでね」
ミュミュが、パッと現れた。
「偽名使ったって、わかるヒトには、わかっちゃうのに」
妖精は、ブツクサ言った。
「あの、ケイン」
クレアが、ケインを向いた。
「私に、剣を教えてくれるの、今夜からでもいい?」
「わかった。でも、さっき、カイルに回復魔法をかけ続けてたから、疲れてるんじゃないか? 今日はもう遅いし、明日にしよう。疲れを取ることも大事なんだぜ」
「今は、そんなこと言ってられないわ。やっぱり、私が一番足手まといだもの。剣ももらったことだし、もう、誰の足も引っ張りたくないの。寝る前に、ちょっとだけでいいから、お願い」
ケインは、クレアの瞳に、強い意志の光を見た。
彼女も、マリス同様、自分で運命を変えようとしている人に、違いなかったのだった。
「わかったよ、クレア」
ケインは、やさしく微笑んだ。
宿に着いたときは、夜中であった。先に予約を済ませておいて正解だったと、一行は思った。
ケインは、クレアには、剣の握り方と、構え方だけを教えた。
(今日はいっぱい歩いたし、釣りもしたし、モンスターも倒して、次元の穴を塞いだ。カイルは死にかけて、ミュミュは見つかった……いろんなことがあった。ロクに観光出来なかった城下町も、明日は、少しは見て回れるかも)
宿屋のベッドの上で、そんなことを考えているうちに、ケインの意識は、すぐに眠りの中へと、引き込まれていった。