身支度(みじたく)
モルデラを後にしたマリス一行は、隣町タルムに来ていた。
山を下れば、アストーレ王国の領土は、もうすぐそこだった。
マドラス(マリス)は、昨日とは違う兜を被り、一行とクレアを伴って、祭司長と村長を訪れ、魔獣を退治した報告をし、その見返りに、大金を巻き上げた。
クレアはマドラスと同行したいことを告げ、マドラスも、「放っておけば、いずれ魔獣の餌食になっていたであろう。魔獣騒動の最後の犠牲者と思って、諦めてくれ」と、有無を言わさず、クレアを連れて来たのだった。
マリスとしては、本当は、クレアを連れて行くつもりはなかったのだが、ヴァルドリューズの勧めで、白魔法の使い手もいた方が良いと説得(一言ではあったが)されたのだった。
「それにしても、うまくいったよなぁ」
カイルがニヤニヤと思い出に浸っていた。
「若い乙女の命を、毎年魔獣なんかに捧げて平気でいた村よ。犠牲になったものを思えば、あれくらいお安いもんだわ。ま、向こうも、魔獣なんかに、すんなり生け贄捧げちゃうくらいだから、お金もすんなり出してくれたけどね」
マリスも、当然のように笑った。
「ああ、あの村は、精気どころか金までも吸い取られて、今後どうなるんだろうなぁ。良かったな、クレア! 俺たちと一緒に来て正解だったよな!」
有頂天のカイルとは対照的に、クレアは、複雑な表情だった。
「巫女仲間を置いて来たこと、まだ気にしてるのか?」
ケインが、気遣うように、クレアを見た。
懸命に説得しても、巫女たちは、どうしていいかわからず、ただただ祭司長と彼女とを見比べているばかりだった。
それは、魔獣を退治する、または追い出すべきだと、クレアが強く主張した時と、同じ反応であった。
同じ志を持つ者を救いたい一心で、クレアは精一杯訴えてきたのだが、誰も応じようとはしなかった。
「なぜ、皆、わかってくれないの? この先どうなるか、少し考えればわかることなのに」
もどかしさとはがゆさは、そのうち落胆へと変わっていった。
説得しても無駄なことは、二人の傭兵には、既に目に見えていた。
マドラスも、終始冷ややかな表情で、見守っていた。
「ええ、でも、彼女たちは、あのまま残っていた方が、安心なのだとわかったから」
空しいやり取りを思い出し、力なく、クレアは、ケインに笑ってみせた。
そこへ、マリスが言い放つ。
「だいたいねー、あんな風に、皆、無気力だから、魔につけ込まれるのよ。同情の余地もないわね」
「お、おい、そんな言い方……!」
「だけど、あなたは、ずっと、なんとかしたかったのよね、クレア? あの人たちは、何も手を打たない、行動しない、ただ祈るだけで、時が経てばどうにかなるとでも思っているような。神頼みという、ただの現実逃避の中にいて、安心していたいんだわ。
でも、それじゃあ、何も解決出来ない。何も生み出さない。衰退していくだけよ。あなたは、そんな破滅の道に見切りをつけて、未知の世界に、勇気ある一歩を踏み出したんだから、きっと、今後も正しい選択をして行けるって、あたしは思うわ」
「マリス……」
ウィンクしたマリスに、クレアは恥ずかしそうに、だが嬉しそうに微笑み返した。
「それにしてもさぁ、クレア、本当に、ヴァルに黒魔法習うのかよ? 巫女辞めちゃって、魔道士見習いになるなんて、随分思い切ったよなぁ」
カイルは、どこか残念そうな声であった。
「いいの、私、変わりたいから。自分の信じてきたものに、幻滅したの。今までは、そういうものだと擦り込まれてきたけど、違ったって、はっきりわかったんだもの。今までと違うことをやってみるわ。そして、マリスの役に立ちたいの」
クレアは、服装こそは巫女のままであったが、清々しい笑顔で、はっきりとした口調で言ったのだった。
「応援するよ。俺、クレアに護身術を教えるよ。後で、剣も買おう」
ケインが言うと、カイルが割り込んだ。
「俺だって、そのくらい教えられるぜ」
といって、クレアの手を握るが、クレアは、さりげなくその手を振りほどき、「ケインに教わるから、大丈夫」と、清々しい笑顔で、はっきりと言った。
マリスが、吹き出す。
「残念だったわね、カイルくん。だけど、女だったら、皆、そうすると思うわよ。あたしも、後で、ケインとちょっとお手合わせしたいと思ってるし」
マリスがケインにウィンクする。ケインは、目を丸くした。
「お、俺と? きみの方が強いのに?」
「そうとも限らないかもよ?」
紫の瞳が、いたずらっぽく輝く。
ケインは、またもや内心動揺していた。
彼は、未だに、珍しい紫色の瞳には慣れないでいた。どうも、あの神秘的な瞳を目の当たりにすると、逃れられない気がするのだった。
「なんだよ、ケインばっか」
カイルが口を尖らせる。
「なんなら、変わろうか?」
「いやいや、マリスとの手合わせなら、遠慮しとくよ」
「だろ?」
ケインは恨めしそうに、ヘラヘラしているカイルを見る。
そのカイルが掴んだ情報が、もう一つ。
ここ数年で、急速に勢力を拡大している、中原の国の一つアストーレ王国では、よその国からふらりと現れた男に、国王がひどく入れ込み、男は、とうとう参謀にまで登り詰めていた。
王国の急な成長は、この参謀の力が大きい。
だが、その頃から、王国の外れの北の森には、モンスターが棲み付くつくようになったという。
「下等のモンスターなら、自然の森にはもともと潜んでいるもの。中級以上のモンスターは、誰かが呼び出したりしない限り、人間界には、そう湧いて出るもんじゃないわ。カイル、その情報くれた宮仕えの女の子、参謀の姿は見たことあるのかしら?」
というマリスの質問に、カイルは「もちろん!」とばかりに笑ってみせた。
「そいつは、何の変哲もない格好をしていたため、宮廷内でもあまり目立ってはいなかったというんだが、参謀になった時、王から、ある宝石をプレゼントされたらしい」
そこで一旦言葉を区切り、皆の顔を見回した。
「それは、真っ赤な宝石だったらしいぜ。それ以来、ヤツは、そいつをここにくっつけてるって話だ」
と、カイルは、自分の額に指を当てた。
「ヴァル、ちょうど、あんたみたいにな」
「……ま、まさか、魔道士なのでは……?」
クレアが、カイルと、無表情なヴァルドリューズとを見比べた。
「『カシスルビー』を額に……。あれは、主人と従者の契約の証で、魔力によって付いているもの。その男、魔道士ね」
マリスが、冷静に言った。
「魔道が盛んな国では、魔道士の参謀は珍しくはないわ。あたしのいたベアトリクスでも、ヴァルの出身国ラータン・マオでも、多くの宮廷魔道士を抱えているわ。でも、アストーレでは、そんなに魔道は盛んではないと聞いてたけど?」
「そうそう。だから、周りには、得体の知れない者扱いで、最初のうちは、あんまり受け入れられなかったみたいだぜ」
マリスは、何か考えこむように、黙っていた。
「森に増えたモンスターっていうのも、そいつの影響かな?」
誰にともなく、ケインが呟いた。
「そいつが呼んだかどうかは、まだわかんないけど、どんな形であれ、いずれは、そいつにも関わってくるでしょうね。魔道も、魔界と、多いに関わりがあるものだから……」
皆、彼女の次の言葉を待った。
心が決まったマリスが、ふっと顔を上げた。
「行きましょ、アストーレ王国城下町、アトレ・シティーへ」
「よし、アストーレ王国の怪し気な参謀を調べ上げ、魔物を呼び出した張本人であれば、倒すわけだな?」
そう意気込んだケインに、マリスは、きょとんとした顔を向けた。
「それは、単なるついでよ。調べてみて、モンスターと参謀が関係ないとわかったら、あたしは、あの国に関わるつもりはないわ」
「え……? アストーレに魔物を退治しに行くんじゃないのか?」
意表をつかれたケインに、マリスは、拳を振り上げて、元気よく答えた。
「あたしがアストーレに行く一番の目的は、腕のいい鍛冶屋に会うことよ!」
「はあ!? 何だそれ?」
ケインが気がつくと、クレアは、わけがわからずおろおろしていて、カイルは、腰かけていた岩で、干し肉をおやつ代わりに楽しそうに頬張り、ヴァルドリューズは聞いているのかいないのか、はなから関心がないようで、そっぽを向いていた。
「……なあ、マリス、旅の目的は悪者・魔物退治なんじゃないのか?」
「もちろん、そうよ。だけど、その前に、やらなくちゃいけないこともあるの」
「それが、……鍛冶屋に行くことなのか?」
「そう!」
それを受けて、口を利く者は、いなかった。
「せっかく、まとまったお金が入ったことだし、まず、あたしの甲冑を作り替えたいのよ」
「あの銀色の甲冑を?」
「そう。あんな物で戦ってたら、目立ってしょうがないじゃない? この一年間、ずっと防具屋で探してたんだけど、これ以上の代物には出会えなかったし。だから、いっそのこと、作り替えた方が早いと思って。カイルの情報でも、アストーレの山には、腕のいい鍛冶屋がいるって話だったでしょ? クレアの剣も、そこで作ってもらえばいいわ」
マリスが、普段着の時の簡単な防具が欲しいというので、ケインが付き添い、ヴァルドリューズとクレアは図書館で地図と魔法書を調べに行き、カイルは一人気ままに出歩くというので、一行は、夕刻、酒場で待ち合わせることにした。
マリスは、町娘の服装から、茶色の革のチュニックと、ロングブーツに着替え、髪を高い位置で結び、少年のような出で立ちになった。
「ただの町娘が、防具欲しいなんておかしいでしょう? こういう場合は、男装に限るのよ。どう?」
「うん、なかなか似合うよ。ホントに男みたいだよ」
言ってしまってから、ケインは、はっとなった。実は、すごく失礼なことを言ってしまったのでは? と慌てる。
「あたしは、オトコ顔だからね」
マリスは、別段、気を悪くしたようでもなく、さらっと笑っていた。
ケインには、さっきまでの町娘の格好よりも、少年服の方が、彼女には似合って見えた。
それは、マリスの中性的な雰囲気と、よく合っていた。
その服装の方が、彼も、怖じ気付くことなく、まるで本当の男同士のように、気軽に彼女と話せた。
「見てみろよ、ケイン。これなんか、ゴーラ亀の甲羅で出来てるぜ」
防具屋では、マリスが男言葉で、ケインに黒い胸甲冑を見せる。
「こっちの肩当て(ショルダー・ガード)も、軽くて丈夫そうだし、いっぱいあって、迷っちゃうなー!」
彼女がウキウキしているのは、何も演技ばかりではなさそうだった。
職業柄か、武器や防具などを見ていると、楽しくなってしまうのは、ケインにも通じるところがあった。
店を出てから、黒い革のリストバンドと、レザー・ナックル、肩当て、肘当てなどが、彼女の出で立ちに、新たに加わっていた。
帰り道では、他愛もない話の最中でも、マリスは気を抜いていないのが、ケインにもわかる。
もちろん、彼も何気なさを装ってはいても、辺りを伺っていた。
まだ真昼である。
魔物が出現するには早過ぎる。
ヴァルドリューズたちとの待ち合わせは夕刻、町中の酒場であるのだが、マリスは、山の人気のない方へと歩いて行く。
まるで、何かを探しているかのように。
間もなく、一筋の煙が見えた。
マリスの表情が、微妙に変わった。
どうやら、探していたものが見つかったらしいが……。
マリスとケインは、山賊たちが寛いでいるところに、出くわしたのだった!
山賊たちは、ざっと三〇人。
茶褐色の皮膚に、ほとんど全員が頭を剃っていた。上半身裸の上に、黒い革の太いバンドを巻き付けた程度の、その地域では、典型的な山賊スタイルであった。
商人から強奪したであろう、宝石の連なった首飾りをしているものもいる。
大柄で、目つきの悪い者ばかりであった。そのような山賊たちが、道の両側を挟んで座っている中、マリスは躊躇することなく平然と突き進み、その隣のケインも、油断のない目で見渡しながら、進む。
「おっ? 傭兵の若造だぜ」
「へっ! こんな小僧どもに、国を預ける奴らの気が知れねえぜ!」
二人に、野次が飛ぶ。
「おい見ろよ。良く見たら、なかなか美少年じゃねぇか。あれなら、俺がお相手してやってもいいな」
「そうだな。ここんとこ、女っ気のねぇとこばっか、襲ってたもんな」
聞こえよがしの山賊の話に、ケインは、マリスの顔を盗み見たが、相変わらず毅然としている。
「よお。あんちゃんたち、どこ行くんだい?」
賊の一人が、酒の入った木の器を持って、よろよろと歩み寄ってきた。
が、マリスは、無視した。
「おいおい、そんな綺麗なカオしてると、俺たちのようなゴロツキは相手にしてくんねぇってのかい?」
「けっ、小僧が! お高く止まりやがって!」
マリスは、ちらっと男を見やった。口元には、嘲笑の色が浮かぶ。
「おっ? 何だぁ? こいつ、俺たちのこと、バカにしてんじゃねぇか?」
そう言った賊の一人は、大きな段平を手に持ち、頭を刈った、大柄の太った男だった。
目、鼻、口などのパーツを、全部真ん中に寄せ集めた顔をしている。
おまけに、眉が困ったように下がっているので、盗賊としての迫力は皆無であった。
「ぷあははははは……!」
マリスが、いきなり吹き出し、腹を抱えて笑い出した。
「バ、バカ! 俺だっておかしかったのを必死にこらえてたんだぞ! それを……じゃなかった! おいおい、こんな場面で、そりゃマズいんじゃないか!?」
ケインが横で忠告するが、なおも笑い止まないマリスに向かって、その賊は、顔を真っ赤にして、喚き散らした。
「こ、この小僧! 何がおかしい!? バカにしやがって!!」
男が、段平を勢い良く振り下ろした!
ガキッ!
ケインが、いつの間にか布を解いたバスター・ブレードで、マリスに向かう剣を受け止めていた。
「なっ、なんだ、あの剣は……!?」
「バケモンかよ」
山賊たちは、どよめいた。
たいていの者は、バスター・ブレードを見ただけで、恐れおののく。
それも、彼の狙いではあった。無駄な争いは、避けるに越したことはないのだから。
「俺たちは、ただ、ここを通りたいだけだ。黙って通してくれないか?」
男の禿げた頭に、盛り上がった血管がピクピク脈打っている。
「ふざけんな! 誰が、おとなしく通してなんかやるもんか!」
どうせ、そのような返答だろうと、ケインはわかっていた。
途端に、山賊たちに囲まれる。
(どうやら、三〇人どころじゃなかったようだな……)
ケインが、目だけで賊の数を数えていると、
「きゃあ! こわい! ケイン、助けて!」
突然、マリスがケインにしがみついてきたのだった。
その場にいた全員が、驚く。
ケインだけは、違う理由で驚いていたのだが。
「き、貴様、女だったのか!?」
「そんなナリしてるから、てっきり男だと……」
賊たちは、ざわめいていたが、次第に、彼らの目は、ギラギラと光り始めた。
「ここを通りたきゃ、通っていいぜ。もっとも、それが出来ればの話だがな」
片目に眼帯をしている男が、薄気味悪い笑いを浮かべて、剣を構えた。それを合図に、他の賊たちもそれぞれ武器を取り出す。
(マリスのヤツ、どういうつもりだ? わざわざ女だってバラさなくても……。奴らの闘志に火をつけちまったじゃないか!)
このような腕自慢の山賊たちは、村を遅い、落とした村の人々を平気で嬲りものにする。特に、女は辛い目に遭わされていた。散々犯された上に、最後は切り刻まれてしまう。
軍隊にいたというマリスが、それを知らないはずはないだろう。
今の彼女は昨日のように甲冑を着ているわけでもなく、身に付けているのは、たいした防具ではない。
その上、ヴァルドリューズもいなければ、獣神を召喚することも出来ない。
(ああ、せめて、防具屋にいた時みたいに、『男』でいてくれれば……! まあ、こいつらは、それでも構わないみたいだったけど……)
彼らの矛先は、ほとんどマリスに向けられていた。
その彼女は、まだケインの胸にしがみついたままだった。
(まさか、俺一人でこいつらと戦えと……?)
ケインは顔を引き締め、バスター・ブレードを構えた。