敵(かたき)
彼は、いつもと変わらず冷静な碧い瞳で、グスタフを見下ろしていた。
身長のヴァルドリューズよりも、さらに、上を行くグスタフを、なぜかヴァルドリューズの方が見下ろしている感じであった。
「ヴァルドリューズ、なぜ、貴様が……!」
グスタフは、がくっと膝を付き、胸を押さえながら、片方の目でヴァルドリューズを見上げた。
「マリスの作戦で、私とは別行動となった。私は、この森を見張り、ずっと気配を消していた。すっかり油断し、ケインとの戦いで傷を負い、逆上したお前は、本体を表しただけでなく、結界が解かれ、私が近付いたことにすら、気付かなかったのだ」
悔しそうにヴァルドリューズを見上げるグスタフの胸から、どばっと濃い緑色の血が流れ出した。
それを、表情を変えずに見つめるヴァルドリューズだった。
「人間であることをやめたか。ならば、なおさら、生かしておくわけにはいかぬ」
何の感情も感じられない声でそう言い終えると、グスタフにかざしたヴァルドリューズの手からは、ボッという音とともに、先とは違う銀色の光の球が、浮かび上がった。
魔物化したものにとって、致命的な術と判断したグスタフは、怯えたように狼狽え、開いている方の眼を、ますます大きく見開いた。
球は、なおも膨張していき、炎のように燃え出した。
ヴァルドリューズの表情は、いつものように落ち着いていた。
彼自身が攻撃をするところは、ケインが見るのは初めてであったが、魔力を感じられない彼にまで、その魔力の波動が伝わり、空気が振動しているのがわかった。
彼の深い碧い瞳は、やはり静かで、何も語ってはいない。
見方によっては、それは、かえって恐ろしかった。
グスタフとの因縁が、マリス同様ヴァルドリューズにもあるのだったら、怒りや憎悪などを剥き出しにされていた方が、まだ人間的であっただろう。
「これが、ヴァルなのか……!」
ケインの言葉が、無意識のうちに、口からこぼれた。
冷酷とさえも映る、これが戦闘態勢となった時のヴァルドリューズなのだと、ケインは悟った。
「待って! そいつは『サンダガー』の餌よ!」
その声に、はっと、ケインが振り返ると、モンスターの返り血を浴びた、白いドレス全身を濃い緑色に染めたマリスが、白いオーラに包まれている。
その白い顔には、妖しく、不適な微笑みが浮かんでいる。
そんな彼女は、戦うエルフのような、とても人間離れして見え、ぞっとするほど恐ろしいが、不思議なことに、謎めき、艶かしく、美しくもあった。
俺は、とんでもないやつらと、行動を共にしていたのか!?
ケインは、今改めて、この二人と敵同士ではなくて、良かったと思えた。
ヴァルドリューズは術を切り替え、既に、奇妙な発音で呪文を唱え、指で三角を作ると、中に浮かび上がった金色の光を、マリスに向けて放った。
途端に、彼女の身体は金色の光に包まれ、膨張していくと、そこには、ケインにも見覚えのある、金色の甲冑に身を包んだ巨人が現れた。
初めて、ケインが見た時ほどの大きさではなかった。
「ははははは! 久しぶりに、俺様の出番だぜー! 最近、ちょっと欲求不満気味だから、思いっ切り暴れて、解消しちゃうぜーっ!」
真っ暗な森の中に、突然光り輝きながら現れたゴールド・メタルビーストの化身は、手を腰に当て、仁王立ちしている。
金色の豪華で高貴な身なりに似合わず、彼の目と口は、邪悪に、つり上がっていた。
「あ、あああ……! な、何だ、あれは……!」
グスタフは、獣神を見て、あわあわ言っていた。
「まさか、既に……完成していたというのか……!?」
マリスとヴァルドリューズのコンビネーション技を警戒して、二人が揃うのを恐れていたグスタフの狼狽え振りであった。
サンダガーが、グスタフの倍ほどの高さから、見下ろす。
「今日は、この変なじじいが、俺の獲物ってわけか。ちぇっ、もうちょっと美味そうなモン用意しとけってんだ」
サンダガーは、ぶつぶつ言っていたが、それでも、楽しそうであった。
「よーし、じゃあ、いくぜー! じじい!」
彼は、いたずら小僧のような笑顔で、グスタフに向かって勢いよく拳を振り下ろした。
バキバキ……!
サンダガーが拳をどけると木々が潰されていただけで、グスタフは、一瞬で回避し、別の木の枝に移っている。
ヴァルドリューズは、ケインが巻き添えを食う前に、彼を連れて飛び、サンダガーから離れ、ダミアスの前に着地した。
「あ、あなたは……」
ダミアスが、彼にしては珍しく目を見開き、ヴァルドリューズを見ていた。
「そ、それは、もしや、ゴールド・メタルビーストの化身……!」
杖で身体を支えながら、グスタフが言う。
「はっはっはっ! いかにもだあー! 何を隠そう、俺様は、ゴールド・メタルビーストの化身、獣神サンダガー様さーっ!」
以前と同じように、彼は、踏ん反り返り、高笑いをしている。
「ゴールド・メタルビーストの化身とは……! まさか、あれは、あなたが召喚したのか!?」
ダミアスが驚き、ヴァルドリューズに尋ねた。
ヴァルドリューズは、微かにダミアスを見ただけで、そのまま戦況を見守る。
「おのれ……!」
グスタフが、ぎりぎりと歯を軋ませた。
「出でよ! モンスターども!」
彼は、ありったけの力を振り絞り、両手を高々と空に向かって掲げた。
森中が騒ぎ出し、空からも、木々の合間からも、何百という黒いモンスターたちが、次々と、ざわめきながらやってきたのだった!
同時に、ヴァルドリューズが片手を上げ、ケインとダミアスを含んだ周りに、薄い緑色の結界を張った。
「へっ! しゃらくせえっ!」
サンダガーは腰の剣を抜き、一振りした。
周りにいたモンスターたちは吹き飛ばされ、木や岩、地面などに叩き付けられた。
『そんな奴らいいから、早くグスタフをやってよ! 早くしないと、回復しちゃうじゃないの!』
どこからともなくマリスの声が聞こえるが、彼女の姿があるわけではなく、彼女の意志の声であるのがわかる。
「わかってるって、うるせーなー。けっ、なんだよ、あんなトリガラじじい一匹、すぐに片付いちまったら、面白くもなんともねーじゃねーか」
サンダガーが、つまらなそうに、口を歪めている。
『ホントは、あたしがブチのめしてやりたかったのを、あんたに譲ってやったんだからね。面白くなかろーが、何だろーが、ちゃんとやってよ!』
「ちぇっ、しゃあねえな。ってことで、覚悟しな、トリガラじじい!」
サンダガーは、ようやくその気になったらしく、剣をグスタフ目がけて振り下ろした。
ヤミ魔道士の、驚き見開かれた片方の眼球と、大きく開かれた口には、明らかな恐怖が浮かんでいた。
突然、落雷のような轟音と、眩し過ぎる強い光が、真っ暗な森に降り注いだ!
グスタフや、モンスターたちの断末魔の叫びは、すべてかき消されてしまっていた。
ケインたちからは、辺りは煙が立ち込めていて、よく見えない。
煙が収まっていき、もとの暗がりに戻りつつある時、目の前の光景に、ケインもダミアスも、唖然となった。
森には、木が一本も残っておらず、モンスターの残骸も綺麗さっぱりなくなり、禿げた地面が一面に広がっているだけの、ケインが以前見た光景そのままだったのだ。
ひらひらと、なにか黒い灰のようなものが、いくつか舞い落ちてきた。
それは、グスタフのマントの切れ端であった。
一瞬にして、すべてを消し去るサンダガーの凄まじい攻撃の前では、いくら魔物と化した魔道士といえども、逃げるのは不可能だった。
そこに立っているのは、サンダガーただひとり。
サンダガーは腕を組み、その景色を満足そうに眺めていた。
「なんと素晴らしい光景だ! あれだけの草木や雑魚どもの巣窟が、瞬時にしてこんなハゲ山になったというんだからな。いつ見ても、素晴らしい! ふっふっふっ……うぎゃああああああああ!」
途端に、頭を抱え込み、うずくまるサンダガー。
『ほら、戻って!』
「いっ、いやだあっ! 俺は、まだ遊び足りねーんだ!」
獣神は、マリスの意志の声に、抱え込んだ頭を、ぶんぶん横に振るう。
『何言ってんの! こんなにハデにやらかしといて! だから、あんたを使うのは、いつも気が進まないのよっ!』
「やめろっ! て、てめえ、マリス! ちくしょう! 覚えてやがれーっ!」
捨て台詞とともに、金色の身体は、足元から出て来た白いオーラに包まれ、獣神は、みるみる縮んでいく。
退場の仕方は、なんとも格好悪かった。
「はーっ、やっと終わったわ」
そこには、元通りマリスが、白い服のまま現れた。
モンスターの血まみれ姿ではなかった。
「じいちゃんの敵……やっと、討てた……」
マリスが静かに呟く。
様々な思いが湧き、紫の瞳の端には、涙がにじんだ。
ヴァルドリューズの結界が解けると、ケインが、彼女に駆け寄っていく。
「マリス! 大丈夫だったか!? どこか怪我でも……?」
マリスは気付かれないよう、とっさに涙を拭った。
心から心配するケインに、マリスは笑いながら、
「大丈夫、大丈夫。ケインこそ、ここ、大丈夫?」
と、グスタフの杖で突かれたケインの胸の下あたりを、指でつつく。
「うっ……」
戦いが終わって、気が抜けたせいか、ケインは、結構な痛みに、今気が付いた。
「ヴァル、治してあげて」
ヴァルドリューズが、てのひらをかざしかけ、僅かに首を傾げた。
「肋骨が二本、折れている」
「えっ!?」
ヴァルドリューズの治療の光線が注ぎ込むと、ケインの胸からは、どんどん痛みが引いていった。
「そっか、折れてたかぁ。ブレスト・アーマーでも着けてれば……。しかし、あんな木の杖なんかで、グスタフのヤツ、じーさんのくせに何て力だ!」
ケインが、ぶつぶつ言うと、マリスが少し真面目な声で言った。
「あいつの恐ろしいところは、そこでもあったのよ。気配が全然ない上に、攻撃力がある。見たところ、魔物に魂を売り渡して、更にパワーアップを図っていたみたいだったけど、今のうちに倒しておいて良かったわ。ヴァル、次元の穴がどうなったか、ちょっと見てきてくれる?」
ケインの治療を終えたヴァルドリューズは、ふわりと飛び上がり、グスタフのいた周辺をゆっくり廻り、しばらくして戻ってきた。
「次元の穴らしきものは見当たらない。グスタフの気配も完全に消滅している」
「そう。ご苦労さま」
短くヴァルドリューズにそう告げると、マリスは、くるっとダミアスを振り返った。
「ご協力、ありがとう! 宿敵グスタフは倒せたし、どこかにあったこの森の次元の穴も、ついでに塞いだから、これで、もうモンスターは出てこないわ。その代わり、山がちょっと削れちゃったけどね」
マリスが、申し訳なさそうに微笑んだ。
ダミアスは、穏やかな目で、マリスを見る。
「この森のモンスターどもには手を焼いていて、いずれ対策を、と思っていたところでした。お礼を言わなくてはならないのは、私の方です」
ダミアスが、深々と、丁寧に頭を下げた。
聞けば、そのせいで朝食会に遅れたり、パーティーに顔を出さなかったのも、それらが城に攻めて来ないよう見張っていたからだという。
だが、それを公爵たちからは不審に思われてしまい、本当のことを言うと、人々が怯えると気遣い、ひとりで何とかしようとしていたのが、彼らにはわかった。
(苦労してたんだな、この人……)
ケインは、ダミアスを見つめていた。
「失礼ですが、あなたは、ヴァルドリューズ殿ではありませんか?」
ヴァルドリューズを、ダミアスが見て言った。
外見では、ダミアスの方が年上に見えるが、やはり、彼は敬語だった。
「いかにも、そうだが」
そして、ヴァルドリューズの口調は、ケインたちに対するものと、あまり変わらない。
それを、ケインは、もともとそういう人物なのだとばかり思っていたのだが。
「やはり、そうでしたか。実は、『魔道士の塔』本部で、あなたを何度かお見掛けしていたものですから。このようなところでお会い出来るとは、光栄です」
ダミアスは、いくらか親し気な口調になり、少し微笑んでもいた。
「噂では、確か、ラータン・マオ王国の宮廷魔道士になられたとか?」
「わけあって、今は国を出てきている。『魔道士の塔』からも脱退しているので、そちらから見れば、私もグスタフ同様ヤミ魔道士に変わりはないだろう」
ヴァルドリューズは、抑揚のない口調で語る。
ダミアスは、意外そうな表情になった。
「そうでしたか。しかし、それでは、なぜ、カシスルビーが付いたままなのです? それは、授けた者から授かった者へと、お互いの魔力が引き合ってこそ、初めて額に付くもの」
言われてみればそうだったと、ケインは思った。
ヴァルドリューズは、もう宮廷魔道士ではないのだから、宝石は、本来ならば取れるはずだ。
「これは、ラータンのものではない。ベアトリクス王国のカシスルビーだ」
「ベアトリクスの……!? なぜまた?」
「ベアトリクス王国の元宮廷魔道士、ゴールダヌス殿から頂いたものなのだ」
ダミアスの顔色が変わった。
「ゴールダヌス……! あの大魔道士ゴドリオ・ゴールダヌス殿だというのですか!?」
と言って、ダミアスは、しばらく言葉が告げないようであった。
そのダミアスの驚きぶりで、ケインは、その大魔道士が、とてつもなく偉大な存在だと知った。
「私は、彼から彼女を守るよう、使命を受けたのだ」
ベアトリクスの元宮廷魔道士が、マリスを守れと、東洋のラータン・マオの宮廷魔道士であったヴァルドリューズに命令した。
どちらも、大きな国として知られているが、国交があったとは、ケインは聞いたことがない。
(なぜ、そんな国の魔道士同士が? ヴァルも、ベアトリクスの宮廷魔道士になったんだろうか? いや、それは、前に否定してたし、だいいち、宮廷魔道士ってのは、魔道士の塔に登録している正規の魔道士でなければなれないはず。
それに、ヴァルは、ベアトリクス王からではなく、『元宮廷魔道士からルビーを預かった』と言った。どういうことなんだろう? そして、マリスは……? 騎士とか隊長だとかっていうのは……?)
「その話は、折りを見て話すとして、ダミアスさん、悪いけど、もうひとつ頼まれてくれないかしら?」
考え込んでいたケインであったが、マリスのあどけない声に、遮られた。
「お茶をごちそうして頂けない? あたし、喉かわいちゃったわ。できれば、マラスキーノ・ティーがいいんだけど」
話の腰を折ったマリスを、恨めし気に見るケインであったが、詳しくは、皆がそろった時に改めて話すと、マリスが言うので、話はそこで終了してしまった。
町の酒場で、ケインたちは紅茶を飲み終えると、ダミアスは元通り独居房へ(ケインは、それを、なんだか可哀相に思った)、ケインは騎士の宿舎に、ヴァルドリューズは宿屋へ、マリスは、女官になったという話であったが、
「いやよ、あたし、お城に長くいると、アレルギー起こしちゃうのよ」
という謎の言葉を残し、マリスも宿屋へ帰っていったのだった。
宿への帰り道を、マリスとヴァルドリューズが並んで歩いていく。
「倒せたね、あいつを」
ぼそっというマリスを見もせずに、ヴァルドリューズは無言で頷く。
「じいちゃんの編み出した技『サンダガー』で……、やっと、敵が取れた」
立ち止まると、マリスは、ヴァルドリューズの胸にすがりついた。
小さく嗚咽する彼女を、ヴァルドリューズは柔らかく包み込んだ。
「ひとつの戦いは終わった。だが、まださらなる強大な敵は、潜んでいる。今夜は、ゆっくり休め」
「うん。あなたもね、ヴァル。あたしには、これと、魔力を抑えるあの甲冑もあるから、もうしばらく別行動でも大丈夫。それに、もうちょっと一人を楽しみたいしね」
そう言って、マリスは、城下町で見つけた、小さな碧い石の付いた『魔除け』のネックレスに、手を当てる。
ヴァルドリューズが強化し、効果を増した『魔除け』となっていた。
「ヴァルも、ゆっくり休んでね。あいつへの攻撃と、獣神の召喚で、かなり魔力消費しちゃってるんだから。幸い、アストーレではお祝い事で何でも安くなってたから、インカの香もまあまあの量、手に入ったの。結界には、充分だわ」
ヴァルドリューズは、マリスの泊まっている部屋に着くと、棚にある香炉にインカの香を、少量入れる。指をパチッと鳴らすと小さな炎が香に灯り、燃やしていく。
「ありがと。お休み、ヴァル」
マリスは、何も言わずに部屋から出て行くヴァルドリューズの背中を、しばらく見送ってから、ドアをゆっくり閉めた。
「おお、良かった、ダミアス! やはり、そなたは、事件の首謀者などではなかったのだな!」
アストーレ王は、釈放された参謀ダミアスの手をしっかり握っていた。
夜が明け、朝食の後、ケインは、事件の真相を、サロンに集まった人々に説明した。
事件は、北の森に潜んでいたヤミ魔道士が、アストーレの内紛を企んで仕組んだ、ということにしておいた。
森に落ちていたグスタフのマントの一部を、倒した証拠に見せる。
クリミアム王子クリストフは、終始青白い顔をして、ケインを気にして、ちらちらと見ていたが、ケインは、彼のことには何も触れないでおいた。
「よく解決してくれた、ケイン・ランドール。そなたには、後日まとめて褒美を授けよう。そして、明日からは、正規の警備隊として迎え入れ、王女の直属の護衛に任命したい。今度こそ、引き受けてくれるであろうな?」
王の隣にいる不安げなアイリス王女と目が合った。
その後ろでは、ダミアスが、微かに微笑んでいる。
「謹んで、お受け致します」
ケインが最敬礼すると、王女の顔は、パーッと晴れ上がっていった。
「明日は、外国の方々の、最後の滞在日でもある。今夜は、最後の舞踏会じゃ。盛大に、執り行おうぞ!」
王の言葉に、人々は、歓喜の声を上げた。
アストーレ城を包んでいた不穏な空気は、一気に飛ばされ、晴れ渡った青い空のような、人々の心からの笑顔が、広間をいつまでも賑わせていた。
エピローグ
ケインは、カイルと、宮廷舞踏会のサロンの隅に、立っていた。
紺色の詰め襟警備服は、パーティー用であったので、金色の紐や、アクセサリーが付いていて、上質な装いである。
一連の事件を解決した後の警備は、気が楽であった。
「良かったな、ケイン! 明日からは、お姫様と、お近付きになれるじゃん!」
カイルが、こそこそ耳打ちして、肘でケインをつついた。
「バーカ、俺は、真面目に仕事するんだからな!」
ケインの方も、くだけて笑う。
長いテーブルには、いろいろなパーティー料理が並べられ、宮廷音楽家の奏でる優雅な調べが、室内に充満していく。
貴婦人たちは、ごてごてのドレスを重たそうに引きずり、菓子をつまみながら、お喋りを楽しみ、男性貴族たちは、美しく着飾った女性たちに、ダンスの申し込みをしていた。
「時に、ランドール。君は、ダンスは出来るかね?」
ふと、王が、ダミアスを連れて、ケインに尋ねた。
「ダンスでありますか? 私は、粗野な武人でありますので、庶民のダンスならともかく、宮廷ダンスなどと優美なものとは、縁がないものですから……」
俺も、敬語がすんなり出るようになったな、などとケインはひとり感心していた。
「そうか……。いやいや、失礼した」
王は、にこにこ笑いながら去って行った。
ダミアスも、軽く会釈して、王についていく。
何の話だったのか? まあ、いいか、とケインが思っていると、
「ねーねー、この赤いぷちぷち、なあに?」
ミュミュが、貴族たちの好む、例の赤い粒々の食べ物を、何粒か手に持って飛んできた。
「おい、ミュミュ、見付かったら騒ぎになるから、どこかでおとなしく遊んでこいよ」
人の多い場所で、妖精などが見付かれば、大混乱が起きるのは目に見えている。
ところが、ミュミュは、ケインの忠告など聞きもしなかった。
彼女にとってはボールのような赤い粒に、大きく口を開いて、カプッと大胆にかぶりつく。
ケインとカイルの予想通り、赤い汁が、ぴゅっと飛び出した。
「あ~ん! 汚れちゃった~!」
「もう、しょうがないなー。だから、おとなしくしてろって言ったのに」
ケインは、近くにあったナプキンで、彼女の、赤い液体のかかった部分を拭こうとした。
「や~ん、何すんの、くすぐった~い! ケインのエッチ!」
「なっ、なんだよ! 拭いてやってるんじゃないか」
ミュミュは、白いナプキンをケインから奪い取ると、それに素早く包まった。
白い布が、スーッと空中を移動していく。
「こら、余計目立つだろ!」
「あいつも、あれで、一応、女の子なんだよ」
「ふ~ん、そういうもんかなぁ」
ケインが、ぶつぶつ言うと、隣では、カイルが、おかしそうに笑っていた。
「お飲み物は、いかが?」
見ると、クレアが、丸い銀色のトレーに、酒の入った杯をいくつか乗せて、ケインたちの前に立っていた。
「警備の方へ、陛下から差し入れよ」
「クレアじゃないか! いやあ、似合うよ、その女官服!」
カイルが銀色の杯をひとつ取って、クレアに笑いかけた。
ケインも、杯を受け取る。
クレアは、淡い水色の詰め襟と、半袖のシンプルなドレスだった。動きやすいよう、膝から下は広がる形であった。
普段の純潔な神官服も、パーティー用の女官服も女性らしい外見の彼女には、似合っていた。
目鼻立ちも整い、清純な雰囲気のクレアは、そのようなシンプルな服でも、やたらに飾り立てた貴族たちよりも、よほど綺麗だと、ケインもカイルも思った。
「やっぱ、かわいいよ、クレア! ああ、ホントに、恋愛しちゃいけないの? もったいない!」
「やだ、カイルったら! そんなこと、大きな声で言わないでよ、恥ずかしいじゃないの」
クレアは顔を真っ赤にして、そそくさと他の警備兵のところへ、杯を配りに行ってしまった。
ケインも、微笑ましそうに、その後ろ姿を見守っている。
「そういえば、ヴァルとマリスは、どうしてるんだろうな」
と言いながら、カイルがテーブルの上から、骨付き肉を取ってきて、かぶりつく。
「おい、勤務中だぞ」
仕方のなさそうに、一応、注意をしてから、ケインは答えた。
「ダミアスさんが、ヴァルに何か頼みたいことがあるんだそうだ。だから、ヴァルは、そのうち宮廷にも顔出すんじゃないかな。マリスは、よくわからないけど、ヴァルの用が済むまでは、この国で遊ぶんだって言ってた。ここでの自分の仕事は、もう終わったんだと」
カイルが驚いて、ケインを見た。
「マリスに会ったのか!?」
「え? ああ、昨日、偶然な。あれ、言わなかったっけ?」
「聞いてねえよ」
昨夜、クレアと牢に行った時、マリスとは途中で一緒になり、その後、北の森でヤミ魔道士やモンスターたちと戦ったことを、ケインは簡単に説明した。
「ふ~ん。マリス、結構スタイル良かっただろ?」
カイルは、平然と肉を頬張りながら、話の本質とは全然違うところに反応していた。
「は!? ……ああ、まあな。……なんで、そんなこと知ってるんだ?」
カイルは、得意になった。
「そんなのわかるって! この俺様の眼力を持ってすれば、例え男装してたって、女のスタイルくらい、いつでも見抜けるのさ!」
『マドラス』と一週間も一緒にいてさえ、カイルが、その正体を見抜けなかったことを思い出すと、ケインには、おかしくて仕方がなかった。
「今のところ、この国にしばらく滞在するってんなら、ちょうどいいや。俺も遊ぼーっと!」
「おい、カイル、城の者には手を出すなよ。例えば、女官とか」
「鋭い! 何でわかったんだ!?」
「今までの行動パターンを見てりゃ、わかるって。これからは、俺も姫の護衛で、いちいちお前に構ってられなくなるんだからな。ちゃんと自分で気を付けてくれよ」
言っていて、ケインは、カイルの保護者みたいな気がして、イヤになった。
ちらっと、クリストフ王子と目が合ったが、王子は、バツの悪そうな顔で、すぐに目を反らした。
王女には、相変わらず、マスカーナとデロスの王子たちが、寄っていっていた。
姫の婚約者もいずれは決まるのだろう、それも、王族の運命か……と、ふと、ケインは考えていた。
舞踏会は、盛大に、空が白み始める頃まで続いた。
よくもまあ、あのような重量のあるドレスやタキシードで、一晩中踊っていられるものだと、ケインは感心していた。
あと数時間で、王女の護衛の時間となる。
その晩ーーほぼ明け方であったが、ケインは、警備の仕事を終えると、宿舎のベッドに倒れ込んだ。
しばらく過ごすアストーレでの新たな生活が、これから始まろうとしていた。
読んで頂いて、ありがとうございました!!
『Dragon Sword Saga2』旅の仲間(後編)へ続きます。
よろしくお願いします。