魔物斬りの剣と魔法剣
「頂上の洞窟って、あそこのことかな?」
どのくらい歩いただろうか。モルデラの山は、なだらかで助かるなどと思いながら登っていくと、開けたところに出て、その先には、洞穴のようなものも見えた。
クレアが、全員の身体全体に『魔除け』の呪文をかけたので、下等モンスターたちが近付いてくることもなく、ここまで安易にたどり着けた。
三人は、離れたところから、様子を伺っていた。
「おい、聞いていたより、かなりデカいんじゃないか?」
カイルが不安そうな声を出した。
野郎、もう怖じ気づいたか!? と、思うケインからしても、想像以上に、それは大きかった。
魔獣ドラドは、クマくらいの大きさと聞いたはずが、洞穴は入り口だけでも、宿屋一棟分はあるのだった。
よく山が崩れないか、皆、不思議に思ったが、そこは魔獣のなせる技なのかも知れないと、自分たちを納得させた。
今はまだ、魔獣らしきものの姿は、見当たらない。
「……留守なんじゃないか?」
カイルのボケを、二人は、無視した。
辺りには、小動物の気配すらない。
ケインは、足元にあった小石を、洞穴の入り口めがけて放ってみた。
……。
何の反応もない。
石の転がる音さえも。
もしかして、あの穴はーー!?
ケインが二人に忠告しようした途端、クレアとカイルが驚嘆の声を上げた。
洞穴の入り口が、蜃気楼の様に、ゆらりと揺れたかに見えると、大きな灰色の塊が現れたのだった。
「やっぱり、そうだ! あの洞穴は、魔空間につながっているんだ! 魔獣ドラドが、ここと魔界とを行き来するための! 」
「なんだって!? ケイン、何でお前、そんなことを……!?」
カイルのケインを見る目は、もうただの傭兵に対してとは違っていた。
(やっぱ、俺のにらんだ通り、こいつは……魔に慣れてやがる……!)
困惑の中にも、カイルの瞳が、確信に輝き始めたのを、ケインは気付かなかった。
始め、グレーに見えたその塊は、徐々に形を成していき、だんだん黒い縞模様が浮かび上がってくる。
そのうち、黄色く光る眼らしきものが、カッと見開いた。
頭上の耳は、炎のように上に向かって伸び、黄色く邪悪な色を帯びた大きな一つ眼、口は牙を剥いて耳まで裂けた、四つ足の化け猫のようなものが、そこにあらわれた。
「ま、まさか、……あれが、魔獣ドラド……!」
ケインもカイルも、あの村の老人言うことを、話半分だと思っていたが、全く違っていたと思い知った。
ドラドは、洞穴の入り口とほぼ同じ大きさ、つまり、宿屋一棟分はあったのだった。
魔獣は、何となく、本能で敵が潜んでいるのを感じ取っているのか、落ち着きなくうろうろしていた。
「なあ、あいつ、まさか、俺たちのこと、勘付いたんじゃ……?」
カイルが、弱気な声で、二人を見る。
クレアも、おろおろして、ケインを見つめた。
ケインは、ドラドから眼を離さずに、冷静に言った。
「ああ、おそらく、ヤツは、俺のこの『魔物斬りの剣』に反応してる。モンスターたちは、皆そうだからな」
そうケインが言いながら、背中の大剣を降ろし、巻いてある布を静かに解いていくと、カイルの目が見開かれていく。
「なんだと!? ってことは、お前の剣のせいでバレてんじゃねえかっ!」
ケインは、気にもせず、作業を続ける。
そうしているうちに、魔獣が咆哮し、それに呼び出されるようにして、洞穴の中から、中程度のモンスターがわらわらと集まった。
「おい、ヤバいぞ! あれは、中級モンスターたちだぜ! あいつらに『魔除け』は効かない。どうするんだよ!?」
カイルがうろたえているのを、おかしそうに、ケインは見た。
「お前の剣で、ちょちょいのちょい……じゃなかったのかよ?」
「笑ってる場合かよっ! 来るぞ!」
モンスターの一匹に見つかってしまった。
ケインは、慌てることなく、あらわになった大剣を構えた。
改めて、その剣を見たカイルとクレアは、モンスターと、異様に大きな剣とを見比べた。
無骨な剣とでも言おうか。装飾などは一切なく、片刃の、鈍く光る、使い込まれた様子のある剣であった。
「そ、それが、『魔物斬り』ってヤツの……」
「ああ、そうだ。『魔物斬りの剣』バスター・ブレードだ!」
ケインは、二人よりも前に進み出ていくと、獣人タイプの青黒いモンスターの腹を、ためらいもなく、一気に薙いだ!
その風圧で、後ろのモンスター達も、吹っ飛ぶ。
二人は、思わず、目を疑った。
大きく、見るからに重い大剣を、いとも軽々と、ケインが操っているのを、信じられない思いで見守る。
斬られた獣人は断末魔の叫びを上げると、黒ずんだ緑色の体液を迸らせ、地面に転がった。
クレアが目を背ける。
それに触発された他の獣人達は、威嚇して騒ぎ立て、遠巻きに近付こうとしていた。
「こ、こいつ……! どんな訓練したら、あんな剣を……?」
傭兵であるカイルには、彼の剣捌きを一目見ただけで、その実力がわかった。
こいつは、思った以上に儲けモンだったぜ! この尋常じゃない強さと技のキレは、マドラスにも匹敵するだろう……!
カイルは、一瞬で、そんなことを考えた。
ケインが振り返りざまに、腰に差していたマスター・ソードを、クレアの足元へ放った。
「クレア! これを使え!」
はっとして、それを拾った彼女は、両手に構えた。
「カイル! クレアを頼む!」
カイルの方も、とうに剣を抜き取り、クレアの護衛をしながら、応戦していた。
モンスターを薙ぎ払いながら、ケインは、ちらっとカイルを見た。
傭兵の姿は格好ばかりではなかったか。なかなか身のこなしは良いし、腕も立つようだな、と感心する。
「ーーとなれば、こっちも一気にカタをつけるか!」
安心して、ケインはモンスターたちの中に斬り込んで行った。
中級モンスターたちは、それぞれトリ、サイ、ウルフ、クマなど、獣を原型とした頭の下に、筋肉質の人間の体を持つ、実におぞましい姿である。
それらと初めて対峙したクレアには、その姿だけでも恐怖であった。
「きゃあっ!」
クレアの頭上に、直径三〇セナくらいの黒い靄が現れた。いくら、マスター・ソードで突こうとも、何の手応えもなく、ダメージも与えられない。
それも、モンスターであり、対魔物用の剣は有効のはずであったが、剣術歴のない彼女には難しかった。
ケインが、一〇匹ものモンスターを振り切って、彼女へ向かおうとすると、
「クレア、伏せろ!」
カイルの声で、クレアがとっさに伏せる。
「プラチナ・ストーム!」
彼の剣先からは、銀色に輝く霊気のようなものが、勢いよくうねり出し、クレアの頭上にあった靄を、消し去ったのだった。
「あれは、魔法剣……!?」
ケインもクレアも、驚いていた。
「物質や人体に影響はないが、魔物には、あーゆー致命的なダメージを与えるんだ! ただし、ある程度、魔法力を温存しとかないと、威力が発揮出来ないんだけどな」
カイルが、モンスターを蹴飛ばしながら、叫んで解説していた。
モンスターの数も、徐々に減って来た頃、何かを感じ取ったかのように、魔物たちが、次々と退散し始めた。
「いよいよ魔獣サマのお出ましかぁ? どうする?」
背中合わせになったケインに、カイルが低い声で尋ねた。
すぐ横では、クレアも心配そうな目で、ケインを見る。
「様子見だけのつもりだったが、いきなり本番行くか!」
ケインは、気持ちを引き締め、剣を慎重に構えた。
その表情に浮かぶ、経験と自信に、カイルもクレアも安心出来た。
「よけろ!」
ケインに押されて、二人は後ろへ飛び退いた。
洞窟の前にいた、魔獣の一つ眼が、カッと見開いたと同時に、発射された黄色に輝く光線が、辺り一帯を焼き払った。
同じ場所に留まっていれば、間違いなく焼かれていたことだろう。
「冗談じゃないぜ! これじゃあ、近付くことも出来ないまま、黒コゲだぜ!」
カイルが、憎々しげに言う。
彼の言う通りであった。彼ら剣士は、接近戦は得意だが、離れてしまってはどうしようもない。
(マスター・ソードの技なら……)
だが、重厚で巨大なバスター・ブレードでは、クレアには持つことも出来ない。
ケインは、やはり、マスター・ソードは、クレアの護身に持たせたままの方がいいと判断した。
「魔法剣のさっきの技はどうだ?」
さっと、ケインがカイルに尋ねる。
「一応、やってみるが、あんな大物、自分では倒したことはないからなー。効くのかどうか、わかんないぜ?」
「とにかく、試してみてくれ。クレアは、俺と一緒に飛ぶんだ」
「ええ、わかったわ」
カイルが二人を見て、合図をするよう、うなずいてから、剣を構えた。
「プラチナ・ストーム!」
魔法剣からは、先ほどと同じ銀色の光が吹き出し、うねりながら魔獣へと目がけて行った。
しかし、魔獣は、それを浴びる前に、飛んで回避する。
「来るぞ! 散れ!」
カイルの叫びと同時に、魔獣の姿が消えた。
ケインはクレアを抱えると、大きく右に飛び退いた。カイルも反対方向へ避ける。
彼らの読み通り、魔獣は、それまで彼らのいたところに、ふっと現れた。
巨体からは想像し難いが、動きは素早い。
しゃあああああああ!
雄叫びとともに、ケイン達の方へ、前足を振り上げた。
それを、待っていたとばかりに、ケインが斬り込む。
ぎにゃあああああああ!
恐ろしい叫び声に、クレアが思わず、耳を塞ぐ。
ケインが、舌打ちした。
「足を切り落とすまでは、いかなかったか!」
魔獣のその前足は、ぱっくりと割れ、どす黒い、濃い緑色の体液が、どろどろと流れ出している。魔物特有の血の色だった。
もう片方の前足が、ケインに向かって振り翳された。
それを、剣で受け止める。
魔獣の眼が、またもや光線を発射した。
ケインが、魔獣の足を受け止めた剣を盾にするが、閃光は、わずかに彼の横を通り過ぎ、その先には、クレアがいたーー!
「クレア! 逃げろ!」
ケインとカイルの声は、同時だった。
カイルは距離があり、ケインは、魔獣の足を振り払いざま向かうが、一歩遅かった。
甲冑の戦士
じゅっ!
物が高熱で溶ける、嫌な音がした。
ケインは、思わず顔を背けた。
「ああ、なんてことだ……! クレアが……! 俺がもう少し近くに位置を取っていたら……! それよりも、彼女の側を離れなかったら……!」
ケインが、後悔に苛まれていると、
「ああっ!!」
カイルの声に、はっと我に返った。
二人が見上げていると、真っ暗な空に、何かキラキラと輝くものが見える。
「……あれは、銀色の……鎧!?」
それは、先の定食屋での、ケインには見覚えのある者であった。
銀色の甲冑の戦士が、今まさに、クレアを抱き、黒いマントをはためかせて、舞い降りて来たのだった!
クレアは、一瞬の出来事で、自分の身に何が起きたのかわからず、困惑していた。ただ、なんとか魔獣の攻撃から救われたらしいことはわかった。
それでも、まだ恐怖は充分に残っていたので、目を固く閉じ、身体をこわばらせたまま抱かれていた。
「マドラス、遅かったじゃねーか!」
カイルが、銀の戦士に駆け寄り、ほっとしたように言った。
ケインも、振り返る。
「クレア! 大丈夫だったか!?」
「ケイン!」
クレアが、甲冑の戦士の腕の中から、大丈夫だと頷いた。
彼らが見たところ、彼女に怪我はなさそうだった。
甲冑の戦士は、クレアを降ろし、黒い兜の中から、魔獣を見据えた。
容赦ない魔獣の足と光線の攻撃が、ケインを襲うが、すべて躱していく。
クレアが何度も頭を下げ、礼を言うが、戦士は、油断なく魔獣とケインとの戦いを見ていて、気付かないようだった。
「ヴァルのヤツも一緒なのか?」
カイルが戦士に訊く。
「ああ。それより、魔物はあいつだけか?」
兜のせいで、声がくぐもっていて、いくらか聞き取りにくい。
「あの洞穴が異次元への出入り口になっていて、あそこから出て来たのは、あの一体だけだったぜ。あいつは、中級モンスターも呼べるんだ」
カイルが、早口で説明する。
「お前達のかなう相手ではない。下がっていろ」
謎の戦士は、ゆっくり歩み出ると、ケインにも下がるよう手で合図をし、彼と魔獣との間に入った。
魔獣は、ひょうっと後ろに飛び退り、「しゃあっ!」と、牙を剥いて威嚇する。
ケインの戦士としての勘が、この甲冑の戦士の、ただ者ではない雰囲気を察し、引こうと判断したが、何かあった時の援護のつもりで見守る。
そこへ、カイルが近付いた。
「カイル、お前、あの剣士と、一緒にいた魔道士とも知り合いだったのか?」
静かに、ケインは尋ねた。
「ああ。あいつ、マドラスって、小柄だけど、すげー強いんだぜ。あいつに任せておけば一安心だ。はー、助かったー!」
カイルは、すっかり調子の良さを取り戻していた。
「だが、安心するのはまだ早いぜ。俺たちにも、お客さんがいるようだ」
ケインは降ろしていた剣の柄を、左手に構えた。
カイルも気付いていたようで、油断なく、辺りを伺う。
獣人型の中級モンスターだちが、わらわらとその辺から湧きあふれてきていた。
獣と同じく、光る眼が、暗闇の中の、あちこちで増えていく。
「今度は、さっきみたいにクレアからは離れな……」
そうケインが言いかけた時だった。
ヴウン……!
背に気配を感じ、目だけで振り向くと、やはり店で見かけた魔道士が立っていたのだった。
「ヴァル、助かったぜ! こいつら、やっつけてくれよ!」
調子良く、カイルが言う。それへは、ケインが怪訝そうな顔をする。
「おい、カイル、こんなモンスターくらい、俺たちだけでも何とか出来るだろ?」
「別にいいじゃん。こんなこと、強いやつらに任せておいたって」
「お前なぁ……」
「だって、根性と命、どっちが大事なんだよ?」
「だから、命賭けるほどじゃないだろー?」
彼らが言い争っていると、ヴァルと呼ばれた魔道士が、ゆっくりと顔を上げる。
フードを深く被っているので、顔はよく見えない。
「私は、彼女を守れと言われただけだ」
魔道士は、表情のない声でそう言い、クレアを引き寄せると、彼らの周りには、薄い緑色に光る靄のような膜が出来た。
ケインもカイルも、クレアにも、おそらく、それが魔物たちから身を守る結界であることは想像出来た。
「ちぇっ! ケチ!」
悪態を吐くカイルの肩を、ぽんぽん叩いてから、ケインはモンスター達に向かって、ダッシュした!
まずは、目の前の一匹を、と見せかけて、その隣のものを切り伏せる。
それが、叫んで倒れるのを見届ける間もなく、先に目を付けたものを横から薙ぐ。
右から襲いかかってきたサイ獣人を、大剣で盾にすると同時に、背後に迫ってきたものに回し蹴りを喰らわせた。
大剣の風圧が、水面の波紋のように広がり、獣人たちは次々倒れて行く。
ケインは、戦いながらも、カイルの方も気にして見てみると、彼は、不機嫌そうな顔をしながらも、迫り来る獣人たちを、薙ぎ倒していた。
ふっと笑みを浮かべてから、ケインは、魔獣の方も垣間見ていた。
魔獣はまだ、マドラスと呼ばれた銀の戦士の周りで、威嚇し続けていた。
マドラスは、じっと動かない。
しゃあああああぉぉぉおああ!
魔獣の口から、咆哮とともに発射された太い光線が、マドラス目がけて降り注いだ。
マドラスは、難なく避ける。
地面の焼ける音と、ひゅっと空気のすれ違う音が聞こえたかと思うと、魔獣が飛び上がり、彼に躍りかかっていた。
その瞬間、彼の身体は空高く舞い上がり、素早く空中で剣を抜くと、それは、一気に魔獣目がけて、振り下ろされた。
ごとっ……!
魔獣の咆哮が止んだ。
断末魔の叫びを上げることもなかった。
きれいな断面を残して、魔獣の首は、地面に落ちていた。
「ひえーっ!」
カイルが声を上げていた。
「そ、そんな……!? あいつの骨までも、一太刀で斬り落としたっていうのか!?」
ケインは、言葉に出していることにも気付かずに、見入っていた。
マドラスは、凄まじい形相のまま転がっている魔獣ドラドの大きな顔の上に、ひらりと着地した。
「出てくる! 奴がーー!」
彼は、洞穴を見つめ、低く呟いた。
「まだ何かが……!?」
ケインは、獣人達を倒しながら、マドラスと洞穴を見逃すまいと、見つめていた。
「ヴァル!」
マドラスは振り向きもせず、魔道士を呼んだ。
後方にいた魔道士は、ゆるりと右の手を上げた。
「えっ!?」
「ケイン! カイル!」
次の瞬間、ケイン、カイルは、クレアと魔道士と、同じ『膜』の中にいた。
その外では、今まで戦っていたモンスターたちが迫って来たが、『膜』の結界には入れない。
「はーっ、助かったぜー! ……しかし、目の前がモンスターだらけっていうのは、あんまり気持ちのいいモンじゃねぇな」
カイルが苦笑いをした。
「さっき、マドラスが呟いてた、『奴』っていうのは?」
ケインは、長身の自分よりも、更に背の高いその魔道士を、振り返った。
「この山に巣食う、本当の魔獣が、これから現れるのだ」
魔道士の抑揚のない言い方に、彼らは背筋がぞっとした。
「……そ、それでは、もっと恐ろしいものがーー!?」
クレアが身体を震わせた。
「あいつはーーマドラスは、一人で平気なのか!?」
結界の中にいては、外に攻撃をかけることは出来ない。
ケインの問いに、魔道士は、やはり感情のない口調で返した。
「加勢したければ構わんが、お前も巻き添えになるだけだ」
言葉に詰まったケインに、カイルがささやいた。
「おい、どうせ俺たちが行って勝てるような相手じゃねぇんだからさ、ここは、こいつらに任せておこうぜ。やつらは、こういう敵と戦い慣れてんだからさ」
クレアも、心配そうに両手を組んで、ケインを見ていた。
確かに、敵は、今まで戦って来た以上のものらしい、とケインは思った。
強大な敵を前に一人を残して、自分だけ見物するような真似は、彼の信念には反していたのだが、足手まといになってもいけないと思い返し、カイルの言う通り、見守ることにした。
ごごごごごごごごーー!
大地を揺るがすような響きが、例の洞窟から聞こえてくる。
入り口が揺らめく。
蜃気楼のような揺らめき程度ではなく、明らかに、そこは歪んだ!
ぐるるるるるるる……!
「な、なんだ、あれは!」
それは、先ほどの魔獣と形や大きさは変わらないが、明らかに邪悪さを増していた。
全身真っ黒で、一つ一つが盾一つ分はありそうな黒い鱗のようなもので出来ていて、身動きする度に鈍く、照っている。
その隙間からは、黒く邪悪な瘴気が常に吹き出している。
尾や手足である身体からはみ出した五つの柱のような肢体は、ぬらぬらとしていて、それぞれが生き物のように、常に蠢いている。
そして、頭は、前方に長く伸び、ほとんどが口で出来ているように、上下に開く。
中には、長く太い牙らしきものも見えた。
耳は見当たらず、頭上の二つの突起は眼のようで、濁った黄色をしていた。
それは、見ている者に、嫌悪感をもたらす。
ドラドは、まだ動物的であったのに比べて、明らかに悪魔的であった。
突然、怪物は、口から黒い液体を吐きかけた。
マドラスは、さっと飛び退け、マントに包まり、それを回避する。
魔獣は、黒い液体を口から吐き流し、あっという間に、辺りを黒い海に変えてしまった。
荒れ狂う黒い波に、獣人モンスターたちも巻き添えを食って、次々と呑まれ、溶け込んでいった。
「マドラスは!?」
ケインが、目を凝らす。
「ヴァル!」
マドラスは、いつの間にか、右方の小高い丘の上にいた。
彼の周りは、そこだけ空気が白くなってしまったのかと思うほど、白い煙のような、湯気のようなものが沸き出していたのだった。
魔道士は、奇妙な、あらゆる国の言葉とは違う音を、呟くようにして発し、両手を伸ばし、指で三角を形作った。
その中には、金色の光が灯り、みるみるうちに膨張していくと、彼は、それをマドラスに当てた。
途端に、マドラスの身体が金色の光に包まれ、巨大な魔獣とほぼ同じ位の高さにまで膨らんだ。
光の強さが収まると、全身をすべて黄金色の甲冑に包んだ巨人の姿が、そこにあったのだった!
獣神サンダガー
兜からはみ出した、金髪のカールがかった髪をたなびかせ、彫刻のように彫りが深く整った、白く、美しい男の顔には、うっすらと、邪悪とも思える笑みが浮かんでいる。
手には、腰から抜き取った巨大な剣を携えていた。太く長い奇妙な尾も、鎧で覆われている。
全身を、金色の光が取り巻いている神々しいその姿には、似つかわしくない、邪悪さが漂っていた。
結界の中の傭兵たちは、声すら上げられないでいた。
「ははははは!! やっと、俺様の出番だぜー!!」
巨人の声が、辺りにこだまする。
「ゴールドメタル・ビーストの化身!」
クレアが叫ぶように声を上げた。
「ゴールドメタル・ビーストだって!?」
ケインとカイルも同時に叫んだ。
そこへ、再び、金色のマドラスだったものの声が響く。
「今日はゲストが多いみてーだからな、自己紹介してやろう。何を隠そう、この俺様は、伝説のゴールドメタル・ビーストの化身『獣神サンダガー』様だー! 恐れ入ったかー! ふははははは!」
彼は、踏ん反り返って高笑いをした。
「ま、まさか……!」
クレアが、大きな瞳をさらに見開いて、魔道士を振り返る。
「さっきの呪文は、これを召喚していたんじゃ……」
魔道士は、ゆっくりと頷く。
「なんてことを……!」
ゴールドメタル・ビーストは、金色の鎧のような、または鱗のような、金属質の肌を持つ、伝説上の生き物であった。
獅子の闘争心と、竜の力を合わせ持つと言われている。
「俺の記憶が正しければ、神話によると、その化身である獣神サンダガーは、戦闘を好み、圧倒的な強さを誇る……んじゃなかったか」
そう言ったケインに、カイルもクレアも頷き、続いた。
「魔道士の召喚魔法の中でも、サンダガーは性質が荒々しい上に、扱い辛く、どちらかというと邪神に近いので、制御するのが、非常に難しいとされているわ。例え召喚出来ても、彼を使いこなせたものは、今までいないと聞いていたけど……」
「そ、それが、今、ここに……!?」
黒い魔獣は、『サンダガー』を黒い海に襲わせた。
暴風と、唸りを上げながら黒く渦巻く荒々しい海に、『彼』は呑まれた。
しばらくすると、海の中から、うっすらと、金色の光が浮かび上がる。
完全に彼の身体が浮かび上がると、魔獣は、待っていたとばかりに、今度は黒い波砲を口から発射した!
「デカいぞ! よけろー!」
カイルが叫ぶ。
「いや、彼には、耐えられる自信があるんだ。だから、あえて避けようとしないんだ」
戦況を見守りながら、ケインが言った。
その言葉通り、黒い波砲は、彼に触れる寸前に、弾け散った。
カイルもクレアも、ケインを見てから、視線を戦いに戻す。
「そっか。そう言えば、『サンダガー』のヤツ、海に呑まれたはずなのに、甲冑も髪も、どこも濡れていないな」
「ということは、魔獣の攻撃を、すべてオーラだけで防いでいる……?」
「そういうことだな」
呆気に取られている人間達をよそに、獣神は、にやにやして独り言を言った。
「さぁて、今日の獲物は、こいつか? あんまり美味くなさそうだが、まあいいか。食うわけじゃないもんな、へっへっへっ!」
『サンダガー』は、装飾の付いた大剣をペロッと舐めると、いきなり魔獣の頭上目がけて振り下ろしたのだった。
それを、魔獣は、何ということもなくよけた。
カッ! と、彼の剣が光ったように見えた、次の瞬間ーー!
辺りには、地面の奥から鳴り響くような轟音と、爆風が、一気に充満した。
結界の中にいたケインたちでさえ、その風圧が凄まじかったことは、充分に伝わってきた。おそらく、結界の外にいれば、人の鼓膜など、簡単に破れていたことだろう。
煙が立ち込めていて、遮られていた視界が、徐々に見やすくなってくると、ケイン、カイル、クレアは、その風景に愕然とした。
渦巻いていた黒い海はどこにもなく、岩も、木も、草も、跡形もなくなり、一段えぐられたかのように低く、禿げた地面が、一面に広がっているだけである。
洞穴も、一遍に消し去られてしまったのか、どこにも見当たらない。
そこに立っているのは、『サンダガー』ただ一人のみであった。
「ふっふっふっふっ……」
彼の口元には、まだ邪悪な笑みが残っている。
「な、何が起こったんだ、一体……」
放心気味に、カイルが呟いた言葉は、ケイン、クレアの思いも代弁している。
「うぎゃあああああああーー! 」
突然、『サンダガー』が絶叫して、その場に頽れた!
「な、何が起こったんだ! 一体!?」
カイルが叫ぶ。ケイン、クレアも全く同じ心境だった。
「まさか、まだ決着はついていないのか!?」
ケインも、身を乗り出して、結界の向こう側に眼を凝らす。
「何しやがる! や、やめろーっ!」
『サンダガー』が頭を抱え、苦しそうに喚く。
三人は、敵の姿を懸命に探すが、見当たらない。
「ち、ちくしょー! おのれー、『マリス』のヤツ! 覚えてやがれーっ!」
捨て台詞と共に、彼の身体は、足元からしゅるしゅると出て来た白い煙に巻かれ、縮んでいくと、銀色の甲冑を身に着けたマドラスの姿となった。
甲冑は、どこにも傷はなく、マントや兜もそのままだ。
途端に、ケインたちを守っていた結界が、解けた。
皆、何がなんだかわからず、呆然と、その場に立ち尽くしている中、カイルがマドラスに向かって駆け出した。我に返ったケインとクレアも、後に続いた。
「マドラス! 何だったんだ、今のは!? 俺は聞いてないぞ!」
「カイル」
マドラスが口を開きかけたその瞬間、
ピキッ
マドラスの黒い兜に、ひびが入った。
兜が割れると、ふわりと、オレンジ色に輝く、明るい茶色の巻き毛が流れ出し、白い顔が現れた。
「なっ……!」
カイルが困惑の表情になった。
ケインとクレアも、思わず立ち止まり、唖然とした。
透き通るような白い肌、キリッと引き締まった眉と、世にも珍しい、紫水晶のような瞳が、まず目に付く。
鼻筋の通った、凛々しく、整った顔立ちの中で、唯一可愛らしさを携えたピンク色の唇。
少女的な少年、否、少年的な少女を思わせる、中性的な容姿であるが故に、人間離れしていて、どちらかというと、妖精だとか、人間以外の種族を連想させた。
(……こんなに綺麗な人間が、この世に存在していたとは……!)
ケインだけでなく、カイル、クレアも、言葉を発せなかった。
その存在感は、人としてではなく、人の上を行く者として、人々に感じさせてきたことだろう。
彼らが、マドラスの姿に釘付けとなっている間に、その後ろからは、黒づくめの魔道士が、速度を変えることなく、歩いてくる。
「あぁあ、仮面、割れちゃった。ちぇーっ」
凛々しい顔立ちには似つかわしくない、高く通る声が、唇から発せられ、三人は驚いた。
一見、取っ付きにくい容貌のマドラスは、途端に親しみ易い表情になり、手を腰に当て、にっこりと微笑んだ。
「初めまして。あたし、マリス」
呆気に取られたケインたちは、呆然としていて、事態がまだ飲み込めない。
「おっ、おっ、お前っ、マドラス……!?」
うろたえながら、カイルが、彼女を指差す。
「そ。男装してたの。男性名使ってね」
あっさりと、彼女は言いのけた。
「じゃ、じゃあ、獣神を召喚して、さっき戦ってたのも……女のあんただったってのかよ!?」
「まあね~」
マリスは、誇らし気に笑った。
「……信じらんねぇ!」
思わず吐き出されたカイルの台詞には、ケインもクレアも、ぼう然としながらうなずいていた。
「で、そっちが、あたしと旅を続けているヴァルドリューズ。超一流、超イケメン魔道士さんよ♥」
困惑した表情で、マリスとヴァルドリューズとを交互に見ている一同の心境などには、とりあわず、
「とりあえず、お茶でもいかが?」
マリスは、軽い口調で誘った。
なんかいろいろ直しました。すみません。(^_^;