闇の魔道士
モンスターから身を守る結界ーー薄い緑色の膜が、クレアと、かごに閉じ込められたミュミュの周りを囲んでいた。
それを見たケインは、安心して、モンスターたちを薙いでいった。
だが、合成モンスターたちは、これまでと勝手が違い、切っても切っても復活し、すぐに無数の牙を剥いて、向かってくる。
もともと一体だったもの同士ではなく、近くに落ちていたもの同士が、引き合い、断面など構わずくっつき合わさっていたため、その形はますますおぞましく、不気味でイビツになる一方だった。
それでも、勢いが衰えることはない。
そうなると、ヒトの体力の方が、先に尽きてしまうことは、明らかだった。
『そのモンスターどもは、切っても倒すことは出来ん! 火だ。火を使え』
どこからともなく響いたその声は、クレアにだけ聞こえた。
クレアが、はっとして、呪文を唱えた。
途端に、彼女の手のひらから、人の顔ほどもある大きな火の塊が生まれ、黒いモンスター目がけて、火の粉をまき散らしながら、吹き飛んでいった。
マスカーナやデロスの魔道士が見せたものよりも、明らかに大きく、スピードもある!
「マリス、ケイン、よけてー! まだコントロールが……!」
「えっ!?」
おぞましい標的から顔をそむけているせいで、クレアは、あちこちに炎を振りまいていた。
ケインもマリスも慌てて逃げ出し、地面に伏せるはめになった。
それは、まったくの、無差別攻撃であった!
だが、数撃つうちに当たったらしく、モンスターたちは、声にならない叫びを上げて、炎に巻かれたものから、次々と消滅していったのだった。
ひととおり焼き払うと、クレアは、ふうっと一息つき、辺りを見渡して「あら」と言って、口に手を当てた。
辺り一帯が、焼け焦げ、ぶすぶす言っていた。
「す、すごいじゃないか、クレア!」
「いつの間に覚えたの!?」
そう褒めながらも、顔をこわばらせたケインとマリスは、クレアに駆け寄った。
「まだ加減がよくわからなくて、必死だったから、つい……。炎の術だけ、たまたま覚えたところだったの。『水が効く』って言われたら、どうしようかと思っちゃったわ」
クレアは、嬉しいような、恥ずかしいような、はたまた困ったような笑顔になって、両手を頬に当てた。
その美しい面と、炎の無差別攻撃とは、まったく結びつかない。
「貴様、よくもここに……!」
三人の頭上では、グスタフの憎々し気な声が響き渡るが、空には、彼以外の何も映ってはいなかった。
「この城は、私の庭のようなもの。異分子の存在など、すぐにわかる」
『火が効く』と教えた声だと、クレアは気が付いた。
「くっ……! ここでは、場所が悪い。一旦、引き上げさせてもらうぞ!」
そうグスタフの声がすると、辺りの景色が、ぐらっと揺れ、彼の姿も、焼け焦げたモンスターの残骸も消えていった。
そして、通常に戻った空から、舞い降りて来た一人の魔道士の姿があった。
「ダミアスさん!?」
ケインが、目を丸くした。
それは、先に牢で会ったばかりの参謀ダミアスに違いなかった。
「彼グスタフは、クリストフ王子の部屋の手前にいた。彼の結界に入るには、少々時間がかかるので、直接、本人の居場所へ行ったのだ」
「それで、ヤツが逃げていったというわけか」
参謀ダミアスは、クレアの方を向いた。
「よくやった。見事だった。見習いとは思えないほどの腕前だった」
「そ、そんな……ありがとうございます」
クレアが恥ずかしそうに、ペコッと頭を下げた。
「ダミアスさん、初めまして。さっそくで悪いんだけど、あいつを追ってくれないかしら? 今、逃げられると厄介なのよ」
マリスが、初対面にもかかわらず、遠慮のない口調で、ダミアスに言った。
ダミアスは、じっとマリスを見た。
「先程から、どうも得体の知れない魔力の波動が感じられると思ったが……、あなたは、魔道士ではないのですか? それほどの魔力を持ちながら、なぜ、魔法を使わなかったのです?」
ダミアスは、なぜかマリスには敬語で話しかけている。
クレアにはそうではなかったため、魔道士というものは、魔力基準で階級が決まるのだろうか? と、ケインは不思議に思っていた。
「あなたは……」
ダミアスが言葉を続けるのを遮るように、マリスは、口早に話した。
「あたしはマリス。今は、魔法は使えないの。ところで、知り合ったばかりで悪いんだけど、急いでるの。あたしを、あの北の森まで運んでくれないかしら?」
ダミアスの顔色が、少し変わった。
「彼が、あそこへ逃げたと……?」
「ええ、間違いないわ、あいつは、あそこにモンスターを呼び出した張本人なのよ。きっと、あたしを迎え撃つ戦闘体勢に入ってるわ」
マリスが、森の方を見上げて言った。
「彼が、モンスターを……」ダミアスが呟く。
「魔道士の間では、誓約ごとがいくつかあることは知ってるわ。だから、一緒に戦ってくれとは言わない。送ってくれるだけでいいの。お願い!」
マリスが、両手を組み合わせ、今までにないほど緊迫した様子で、ダミアスに頼み込んだ。
「マリス、一度、ヴァルを連れに戻ったら……」
「いいえ!」
彼女は、はっきりと、ケインの言葉を打ち消した。
「そしたら、あいつは、また逃げるわ! やっと、見付けたんだもの。ここで倒しておかなくちゃ!」
ケインもクレアも、ダミアスも、どうやら、グスタフとマリスには、深い因縁でもあるらしいことを察した。
「そんなことより、早くミュミュを出してよーっ!」
クレアの抱いているかごの中では、ミュミュが喚き、暴れていた。
ダミアスが手をかざすと、ミュミュの身体が一瞬消え、かごの外に現れた。
「このかごには、物理的な力を加えると、中の生き物にもダメージが与えられるよう、厄介な魔法がかけられていたようだ」
ダミアスが、淡々と言った。
「ありがとうございます!」
「ありがとう! おじちゃん!」
ケインが、ダミアスに頭を下げ、ミュミュは、ダミアスの周りを、嬉しそうに、ぱたぱた飛び回った。
「ーーてことで、ここからは、あなたたちは、帰っていいわ」
そう言ったマリスに、ケインもクレア、ミュミュも注目した。
マリスは、笑ってはいない。
「グスタフは、慇懃無礼なヤツよ。物腰からしてバカ丁寧で、イヤミったらしかったでしょ? その実、やることは、相当汚いわ。さっきは、人質がミュミュだったからよかったようなものの」
「ちょっと! どーゆーことさー!?」
ミュミュが両手をぶんぶん振り回しながら飛んで、口を挟む。
クレアは心配そうな目で、しばらくマリスを見ていたが、ふっと目を伏せた。
「そうよね。私の覚えたての魔法なんか、きっと、通じる相手ではないのね。それに、さっきの術で、ほとんど魔力を使い切ってしまったし……。側にいるだけで、マリスの足を引っ張ることになるのだったら、私はお城に戻っていた方がいいみたい。役に立てないのは、心苦しいけど……」
マリスが、クレアに暖かい目で見つめ、両手を、彼女の肩に乗せた。
「さっきは、クレアがいてくれて、本当に助かったわ。今度は、お姫様を守ってあげて。王様が、腕の立つ女官とやらを探しているそうよ。クレアなら治療も出来るし、結界も張れるし、炎の攻撃だって出来るじゃない!
もし、あたしがしくじったら、あのワガママ王子、またグスタフを使って、何を企むかわかったもんじゃないわ。あと二日は、滞在するみたいだし……ねっ?」
「……ええ」
クレアは、潤んだ瞳でマリスを見つめ、うなずいたものの、心配そうな顔のままだった。
マリスの視線が、ケインに留まった。
「ケインも……」
「俺は、一緒に行く」
打ち消すように、ケインは、そう言っていた。
マリスが何か言いかけるが、彼は構わず続けた。
「あのヤミ魔道士、王子の命令で、俺のことも狙ってるんだ。さっきは、マリスのことしか眼中になかったみたいだったけどな。ここで、あいつを倒しておかないと、っていうのは、俺にとっても同じことだ。
それに、マリス、俺は、お前に雇われてるんだぜ。『一緒に来い』って言ってくれれば、俺はいつでも一緒に戦う。……ああ、解雇されるまではな」
後半、ケインは、明るく、軽い口振りになった。
クレアが、ますます心配するように思えたからだった。
そして、万が一、マリスに何かあったら、という自分の不安を、はねのけるためでもあった。
「そうよね、あたし、ケインの主人だったのよね。忘れてたわ~!」
「なんだよ、忘れんなよ!」
冗談のように言い合う二人を見ているうちに、クレアにも、少し笑顔が見られた。
それを確認してから、マリスが言った。
「それじゃあ、北の森へ出発よ!」
「もう目を開けてもいいだろう」
ダミアスの声で、ケインは、そうっと目を開く。
ダミアスに言わせると、慣れていない者は、時空酔いをするといけないので、目を閉じておいた方が良い、ということであった。
それまでの、身体にまとわりつくような違和感も、なくなっていた。
辺りは、真っ暗な森の中だった。
ケインとマリスは、ダミアスに連れられ、空間の中を移動して、北の森へ着いていた。
「ここが、北の山の頂上だ」
真っ暗闇で、背の高い樹木によって、視界は遮られていた。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとう。もう、戻っていいわよ」
「いや」
魔道士は、マリスの言葉に、首を振る。
「あなたがたの戦いを、見届けさせて頂きたい」
ケインもマリスも、じっと彼を見た。
彼の瞳は、相変わらず静かで、はたからは、真意は読み取れない。
どことなく、ヴァルドリューズと似ていたかも知れなかった。
マリスが微笑んだ。
「手出しは、一切無用よ」
「もちろん。あなたがたの戦いを汚すようなことは、いたしません」
ダミアスも、いくらか微笑んでいるようであった。
「それを聞いて、安心しましたよ」
空から、声が響いた。
「さっさと姿を見せたらどうなの、グスタフ!」
マリスが、空に向かって声を張り上げた。
ゆるゆると、黒いものが舞い降りて来る。
それは、木の枝に止まると、徐々に人の形になっていき、記憶に新しい、長身の痩せた魔道士の姿へとなった。
「出て来たわね」
マリスが、ひとり呟く。
グスタフが、杖をさっと一振りした。
二人は、身構える。
側にある木の根本に、黒い穴が開き、黒いモヤとともに、獣人型モンスターが現れた。
まるで、その黒い穴は、小規模な次元の穴とでも言うように、ぞろぞろとミドル・モンスターたちが召喚されていくのだった。
ケインもマリスも、剣を持つ手に、力がこもる。
その時、爆風音とともに、小型の竜巻のような渦巻く風が、モンスターたちを巻き上げ、そのまま空高く吹き飛ばしていってしまった。
「貴様、手出しはしないと、今言ったばかりではないか!」
グスタフの、忌々(いまいま)しそうな声がする。
「手出しはしない。そのかわり、お前も、堂々と、彼らと戦え。神聖な戦いを汚すことのないように」
静かな声で、ダミアスが返した。
「そうよ! くだらない手品なんか見せてないで、かかってきたらどうなの? それとも、あたしたち二人に恐れを成して、手も出せないってわけ?」
マリスが挑発する。
「ふっ、いいだろう。魔術の使えない人間が何人束になろうと、私の敵ではない!」
グスタフの姿が揺れ動いて、景色の中に溶け込んだ。
次の瞬間ーー
「来るわよ!」
マリスの声と同時に、拳の大きさほどの火の球が、ケインの目の前に現れた。
ケインが、反射的に、剣で防御する。
火は弾き飛んで、空に消えていった。
「ほう、この至近距離で、よく交わしましたね。それに、その剣からは、魔力が感じられる。対魔物用の剣でしたか」
「ドラゴン・マスター・ソードだ」
ケインが静かに答える。
「ほう、まさか、こんなところにそんなものがあるとは、思いもよりませんでしたよ! そうか、だから、あの時、私の魔力を込めた剣が、効かなかったのですね。それならば、それを考慮に入れて、攻めなくてはなりませんね……!」
どこからともなく聞こえてくるグスタフの声。
気配を探るが、それが追いつかないほどの速さで、声は、彼らの周りをぐるぐる回り、どこから攻撃が来るのか、ケインには、まったく見当が付かなかった。
「ケイン、後ろ!」
背に殺気を感じたと同時に、マリスが横から、ケインの後ろに剣を突き出した。
ガシッ!
杖とマリスの長剣が、かち合い、緑色の火花を放出する。
「ちっ、次は外しませんよ!」
夜の森は、闇だった。
さらに、グスタフは、黒いフード付きマントで黒い風景に溶け込み、空間移動術を使う。
殺気で気配がわかっても、動きが速く、それを読むのは至難のわざである。
「ケイン」
マリスが、そっと背中合わせになり、小声で話しかける。
「あたしが合図したら、一気に、あそこの太い木まで走っていって。木を背にして戦うわよ」
「ああ、その方がいいな」
マリスの合図で、ケインは一気に、大木目がけて走った。
その後ろで、パチパチと燃える音や、稲妻のようにピカッと光るのがわかる。
マリスが剣で弾いているのが、感じ取れる。
大木に着いたケインは、振り向いた。
マリスは、移動せずに、戦っていた。
グスタフの姿は見えないまま、四方から放たれる炎や稲妻を、彼女の対魔物用ロング・ブレードが、すべて弾き飛ばしていた。
グスタフは、ケインが走り出したと同時に、マリスを集中攻撃したのだ。
ケインがマスター・ソードを構え、呪文を唱えようとすると、ふいに、炎や稲妻が止み、辺りが静かになった。
奇妙な異変に、マリスもケインも、その場で剣を構えたまま、辺りの様子を嗅ぎ取ろうと、神経を集中させる。
マリスの目の先で、何か黒いものが、うようよと蠢き始めた。
ざわめく木々。
草の根をかき分けて、前方から、獣人タイプのモンスターたちが、何十匹と現れた。
「なっ……! 汚いぞ、グスタフ!」
ケインは、見えない魔道士に向かって叫んだ。
薄気味悪い魔道士の笑い声が、どこからともなく聞こえる。
ケインが、マリスに助太刀しようと向かうが、すぐに殺気を感じ、横転して飛び退った。
そのケインのいたあたりを、グスタフの杖が突き抜けた。
「あなたも、なかなか勘がいいですね。マリス嬢は、あやつらにお相手していてもらい、先にあなたを倒しておこうと思うのですが、如何です?」
グスタフのねっとりとした声が、ケインの耳元で聞こえる。
ケインは、すぐに態勢を立て直した。
剣を構えながら必死に目を凝らし、五感を研ぎ澄ませた。
目の前の暗闇に、ぼうっと、人の顔らしきものが浮かんだ。
殆ど髑髏と思える、皺だらけの皮でできた顔面に、耳の下辺りから生えた長い白髪、額には、黒い宝石、中心にある骨張った鉤鼻、凹んだ眼窩には、燃えるような炎の色をした眼球ーー
それは、まるで、何百年も生きてきたかのような人間の顔であった!
グスタフは杖を振りかざした。
それを、ケインがマスター・ソードで防ぎ、右手の拳を狙いをつけて打ち込むが、手応えはない。
不気味な笑い声とともに、魔道士の顔だけが闇に浮かび、またしても杖を繰り出す。
それをよけると、右から電光が放たれる。
ケインがマスター・ソードで応戦するのを、見物でもするように、グスタフの顔は、同じ位置で笑っている。
あらゆる方向からやってくる攻撃ーー突き出す杖、火の球、雷は、人間相手と違い、気配が読みにくいため、ケインにしてみれば、普段以上に神経を使う。
防いでばかりでは拉致が開かない、と思ったケインは、地面から飛び出して来た火の球をよけ、横に飛ぶと見せかけ、地面を蹴って方向転換すると、闇に浮かぶ魔道士の顔目がけて、マスター・ソードを振り下ろした。
「おわあああああああ!」
「外したか!」
グスタフの叫び声が響き渡る中、ケインは、舌打ちした。
顔を真っ二つに割るつもりが、とっさによけられ、顔の右側を斬りつけただけだったのを、悔しそうに見た。
「おのれ、よくも……! 貴様如きが、私の身体に傷を付けるとは……!」
ケインが思ったよりも、傷は、深く斬り込まれていた。
グスタフは、頭のてっぺんから、だらだらと血を流し、右目を抑え、無事な方の目を見開いて、ケインを凝視していた。
その彼の血の色を見て、ケインは、ぞくっとした。
彼の血は、赤くなかった。
魔物と同じ濃い緑色であった。
「そんな! 魔道士といえども、人間なんじゃ!?」
一瞬の隙をつかれ、ケインは、突然現れた杖に、突き飛ばされた。
「たかが、戦士にしては、よくやった。褒めてやろう。だが、私の身体に傷を付けたとあっては、もう、手加減はしないぞ! 覚悟しろ!」
グスタフは、その長身をゆらりと現し、ケインの前に立ちふさがった。
受け身を取って転がり、起き上がりかけたケインの目の前に、グスタフの筋張った手のひらが向けられた。
「もともと、貴様は消せという依頼だった。丁度よい! 今こそ消してやる!」
その瞬間ーー
「消えるのは、貴様だ」
この場に不釣り合いな、抑揚のない、無表情な低い声が聞こえたと思うと、グスタフの胸から、真っ赤な炎が吹き出し、絶叫が辺りに響きわたった!
「……き、貴様……、い、いつの間に……!」
グスタフは、全身を痙攣させながら、ゆっくりと振り返った。
「ヴァル!」
ケインが叫ぶ。
黒いマントに身を包み、フードを降ろした黒髪の魔道士の姿が、そこにある。
ヤミ魔道士グスタフの後ろに現れたのは、紛れもなく、ヴァルドリューズだった。