牢の中の魔道士
「マリス……? ホントに、マリスなのか!?」
目の前に現れた女は、貴族の姫君たちの着る、ふくらんだドレスとは違い、身体にぴったりとして、裾が床まで広がった、白い質素な、サンドレスのように、肩を露出した姿である。
意外な登場の仕方に、ケインもクレアも、すっかり再会を喜ぶタイミングを外してしまった。
「他に、誰に見えるってのよ。あ、そっか、あなたたちには、まだ見たことなかったんだったわね。こういうのを着れば、あたしも、まんざらでもないでしょ~?」
マリスは、得意気に片腕を上げ、ポーズを取って、ウィンクしてみせた。
暗がりも手伝って、それは、とても一六歳の娘には見えず、大人っぽく、色っぽくも映った。
ケインとクレアの目は、ますます開かれていった。
心臓の音が大きく響いた気がしたケインの頬に、赤みが差していくが、暗がりのせいで、気付く者はいなかった。
「マリスったら、そんな下着のような服なんか着て、男の人がいっぱいいるところをうろついてたの!? いいえ、それよりも、一体、今まで何やってたのか説明してよ! みんな心配してたのよ!」
クレアは、泣きそうな、心配した口調になっていた。
「そお? 心配なんてしてくれてたの、クレアだけでしょ?」
マリスは、けろっとしている。
「あなたたちこそ、こんなところで何してるのよ」
「私たちは、捕われた参謀の牢を探しているの」
クレアは、王女誘拐未遂事件、脅迫状にインカの香の残り香、寄せ集めの盗賊団が武器ばかりを集め、カイルの魔法剣も盗られたが取り返せた、そして、今日起きた二度目の王女誘拐未遂事件……という、これまでのあらましを、ざっと、マリスに伝えた。
「ふ~ん、変な事件ね。実は、あたしも、その参謀さんに、ご用があったりするのよね」
三人は、監房を一部屋一部屋通り過ぎながら、話を続けていた。
「あたしは、ちょっと遊んでから、アストーレの北側の森に行っていたの」
「あの例の、モンスターの噂のある?」
ケインたちも調べた森である。
「そう。『あんたたちの主人は、どこ?』って、獣人タイプのミドルモンスター締め上げたら、城だっていうから、城でちょうど女官を募集してたことだし、今日から女官になったとこなの。その格好だと、クレアも女官のバイトなのね? 城の中は広いから、管轄違うと、なかなか会わないものね~」
などと気楽に笑うマリスに、クレアが驚いた。
「ちょ、ちょっと待って。マリス、あなた、……モンスターの言葉がわかるの!?」
マリスが笑い出す。
「まっさかぁ! ミュミュよ。あの子が通訳してくれたの」
クレアが、今度はケインを見る。
頭をなんとか冷静に戻したケインが、答えた。
「ああ、ミュミュたち妖精も、俺たちヒトからすれば、妖怪変化の一種みたいなもんだからな。で、そのミュミュは、今は一緒じゃないのか?」
「あら、そっちと一緒なんじゃなかったの?」
三人は、顔を見合わせた。
「……ま、いいわ。いずれ、見付かるでしょう。……多分ね……」
マリスが、何か考えながら呟いた。
「それで、マリス、なんで私たちと別行動なんか取ったの? 途中で連絡くらいくれても」
心配そうにのぞくクレアに、マリスは、少し困ったように笑った。
「ごめんなさい。例の参謀って、もしかしたら、あたしの知ってるヤツかも知れないのよ。この町では、なるべく目立たないでいたかったの。でないと、そいつに逃げられちゃう可能性があったからね」
マリスは、そこで、足を止めた。
「あの奥の部屋に、参謀が閉じ込められているわ。あたしは、ここで待ってるから、ケイン、クレア、先に話を済ませてきて。何か聞きたいことがあるんでしょう?」
「それはそうと、参謀の独房が、よくわかったわね」
不思議そうなクレアに、マリスは、笑って答えた。
「簡単よ。色仕掛けで口を割らせたの」
「それで、牢番のオヤジたちを眠らせたのか?」
「そうよ」
あっさりと答えたマリスに、ケインは、顔をしかめた。
ゴロゴロと転がった『マグロ』の牢の番人たちーーその奇妙さは、彼女の仕業だと言われれば、なんだかケインには納得出来てしまった。
「『いつもご苦労サマ♥』って、にっこり笑って、牢番たちにお酒注いで回ったの。眠り薬が入ってるとも知らずに、みんな喜んで飲んでくれたわ」
マリスがころころと笑う。
「また『武遊浮術』の愛技か」
眉間にしわを寄せるケインに、マリスはウィンクして笑ってみせた。
「そ。それも、中級編ね」
以前、ケインが仕掛けられたのよりもランクが上らしい。
(初級編は、可愛らしさを強調する技だったような? 中級編っていうと、それよりも、もっと……?)
牢番たちに、ベタベタしながら、酒を注いでいたのでは? と想像したケインは、ムスッとした。
クレアは、何のことかわからない顔で、二人を見ていた。
独居房の前に、たどりついた。
ケインは、マリスから預かった鍵を、鍵穴に差し込み、ゆっくりと回した。
「ダミアス殿、失礼致します」
扉を押し開け、ケインだけが入った。
さらに、鉄格子のカギを開けると、その先は、まるで貴族の書斎を思わせるような、絨毯が敷き詰められ、書き物机もあり、豪華なソファまであった。
牢獄とはいえ、参謀という位の高い人間は、丁重に扱われていた。
ソファで、じっと座っていた魔道士は、ゆっくりと、目を開けた。
「傭兵のケイン・ランドールです。朝食会で、あなたをお見けして、少し、お話がしたくて参りました。アストーレ王からの、城の中を行き来できる委任状も持っています。よろしいでしょうか?」
「なぜ、ここへ?」
表情のない顔のまま、ダミアスは、重い声を発した。
委任状を見せてから、ケインは語り始めた。
「今日、脅迫状の予告通り、王女殿下の誘拐事件が起きましたが、これも、未遂に防ぐことが出来ました。二〇人ほどの賊を現行犯で捕え、尋問しましたところ、奴らは首謀者の名前を吐きました。……あなたの名前です」
じっと見据えている、ケインの深く青い瞳を見つめてから、ダミアスは、静かに口を開いた。
「これで、私が犯人という、決定的な証拠が出来た、というわけか」
声には表情は現れていなかったが、ほんの少しだけ、笑っているようであった。
何かを諦めたような笑いである。
ケインは、微笑んでみせた。
「でも、なぜか、俺には、あなたは事件とは関係ない気がしてしょうがなかったのです」
ダミアスは、僅かに不思議そうな目になった。
「私の犯行を裏付ける証拠ばかりが揃っているというのに、……なぜ、また?」
「そこなんです。『あなたに不利な証拠ばかりが揃っている』ことに、俺は、逆に、『不自然さ』を感じたのです。果たして、参謀にまでなった人間が、そんなミスをするでしょうか? それなのに、あなたは、何の弁解もなさらずに、ここに、こうしている。……もしかして、誰かを庇っているのでは、ありませんか?」
魔道士の参謀は、じっと、ケインの目を見据えた。
「俺にとって、二つ、引っかかることがあった。そのうちのひとつは、魔法剣のことです。クレア、入ってきてくれ」
呼びかけに答えて、クレアがおそるおそる、ケインの後ろから現れる。
「この方を、『見て』くれ」
クレアは、ダミアスの前で、静かに目を閉じ、彼の波動を感じようと精神を集中させた。
彼は、それを静かに見つめていた。
彼女は、見終わると、ケインの方を向いた。
「あの時の魔道士は、この人じゃない気がするわ。それに、私の見た『手』とも違うわ」
「よっしゃあ! やっぱり、そうか!」
ケインは、軽くガッツポーズを決めると、ダミアスに振り返った。
「やっぱり、あなたは、魔法剣を奪ってはいない上に、奴らの主人ではなかったのですね? 真犯人の目星は、俺には、もうついています。あなたの無実を、俺が証明してみせます! それまで、もう少し辛抱していてください」
ケインとクレアが牢を去ろうとした時、参謀の声が後ろから追いかけた。
「公爵殿方は関係ない。あの方々は、ただ、私を面白く思っていないだけだ」
二人は、足を止めて、ダミアスを振り返った。
「あなたは、あの方々を庇っていたのですね。なぜです?」
「あの方々は、陛下のお従兄弟。私を追い出すために、今回のことを思い付いたのであれば、そのことを陛下にお伝えするわけにはいかないのだ。陛下は、気持ちの優しいお方。もし、ご自分の身内が企んだことと知れば、心を痛めてしまうに違いない」
それを聞いたクレアが、はっとなった。
「それで、もしかして、その計画にあえて乗って、……まさか、この国を出る決心までしていたのでは……!」
「なるほど、そうだったのか。だけど、残念ながら、というか幸いというか、俺が真犯人だと目を付けているヤツは、公爵たちではないんだ。だから、安心してください」
参謀は、少し見開かれた目で、ケインを見た。
ケインは微笑むと、クレアと独居房から出て行った。
「話は済んだ?」
二人を、離れて待っていたマリスが言った。
「ああ。次は、マリスの番だよ」
彼女は、レザー・ナックルを取り出し、手に装着し始めた。白いサンドレス姿には、似つかわしくない。
「……何してるんだ? そんなものはめて」
マリスは、深呼吸してから、言った。
「今から、あいつをブチのめす!」
ケインとクレアは、慌ててマリスを取り押さえた。
「何でそんなことするんだよー!」
「そうよ、マリス! いきなり、そんな野蛮なことやめて、せめて話し合って!」
マリスは二人を引きずりながら、牢へと、一歩ずつ近付いていく。
武遊浮術を極めた彼女を、力で止めることは、誰にも出来ない。
「あいつとは、ちょっとした因縁があってね。モンスターも呼び出してることだし、ここで、一気にカタをつけてやるわ!」
「だったら、それは、もうちょっと待ってくれないか? あと、二日……いや、一日でもいいから! 彼は、逃げたりしない。保証するよ!」
マリスの足が、ピタッと止まる。
「絶対?」
ケインもクレアも、こくこく頷いた。
マリスは、腕を組んで、しばらく考えていたが、納得した顔になった。
「いいわ。今は、ヴァルもいないことだし、ま、いざとなれば、あいつは『サンダガー』にやらせるか。サンダガーを飼い馴らすには、時々エサをあげないとね」
「『神』を餌付けしてんのか!?」
ケインは「にこにこしながら、とんでもないことを言うムスメだ!」という顔になり、クレアも、どう言っていいかわからない表情で、ただ目を丸くしていた。
参謀の次に、ケインが寄りたかった、もう一カ所に着く。
今日、彼の捕えた盗賊団のいる雑居房である。
賊たちは、大きめの檻の部屋に、二、三人ずつ入れられていた。
牢に入れられているというのに、ぐうぐうと、気持ち良さそうに眠っている。
「おい、起きろ」
ケインは、檻の外から、彼らを見下ろした。
目を覚ました賊たちが、檻の向こう側を見る。
「ああっ、てめえはっ……!」
「あの時の、強え小姓!」
「小姓?」
ケインの後ろにいたマリスが、首を傾げて、隣のクレアを見る。
「それは、お前ら一味を欺くための仮の姿。しかして、その実態はーー旅の傭兵『よろず屋ケイン』だったのさ!」
「……」
「……」
「……」
辺りは、静まり返っていた。
「ねえ、なんだか、あんまり強そうなネーミングじゃないわね? 単に、働き者だってことが、言いたいのかしら?」
そうマリスが、クレアに耳打ちしているのが、ケインにも聞こえる。
気を取り直して、ケインは続けた。
「さあ、オジさんたち、ホントのことを吐いてもらおうか。お前たちと手を組んだ魔道士は、一体誰なんだ?」
「だから、さっき言ったじゃねーか!」
「ダミアスだよ! 何度言えば、わかるんだよ!」
賊たちは、喚いた。
「そんなこといって、実は、他のヤツなんだろ?」
ケインが、そう言っても、賊たちは、同じことを繰り返し答えるだけだった。
それを、ある意味、満足したように見渡してから、ケインは再び口を開いた。
「そうか。随分あっさり答えてくれるな。黒幕を、そんなに簡単にバラしちゃって、怒られないもんなのかね? 普通、『死んでも言うもんか!』とか言うもんだぜ?」
賊は、ぴたりと押し黙った。
「それに、『様』が抜けてるんじゃないか? 相手は、王国の参謀殿なんだろ? しかも、雇い主なのに、呼び捨てなんていけないなぁ」
にやにやしている余裕のケインに対して、賊たちは、お互い顔を見合わせ、動揺が走った。
「ケインが気になったことの二つ目って……」
「そう、こいつらの態度さ」
クレアに、ケインが、肩をすくめてみせた。
「簡単に黒幕白状するわ、捕まっても、安心してぐーぐー寝てるわ。雇い主が参謀だとしたら、こんなに安心してられない。他の誰かに、身の保証をされてるのが、バレバレだぜ」
それには、クレアもうなずいて、納得した。
「あんたたち、早く吐いた方が、身のためよ」
いつの間にか、マリスが檻の鍵を開けて、中に入っていた。
「おい、マリス、そんなとこで、いったい……」
ケインが、そう言い終わらないうちに、マリスは、いきなり、中の一人を捕まえ、ねじ伏せた。
賊は、叫び声を上げた。
「さあ、あんたたちを雇った魔道士の名前を吐きなさい! 『ダミアス』なんて名前じゃないはずよ!」
マリスが、のしかかりながら、賊の腕を抱え込む。
「い、いてえ! 何すんだ、このアマ!」
「早く言わないと、この腕、へし折るわよ」
彼女に腕を反対側に曲げられ、男は苦しそうに、呻き声を上げる。
「だから、参謀のダミアスだって! いててて!」
檻の中の残りの二人が、マリスに襲いかかるが、あっさりと、殴り飛ばされ、壁に打ち付けられる。
ごきゅ!
鈍い音と同時に、絶叫が、牢屋中に響いた。
クレアが、思わず顔を伏せた。
「こ、こいつ! お、俺の腕をぉぉぉ! 折りやがったぁぁぁ!」
ケインが、慌てた。
「お、おい、何もそこまで……!」
「なによ、腕の一本や二本。大の男が、それくらいで泣き声出すなんて、情けないわよ!」
マリスは、そいつを放り出すと、今度は、よろよろと立ち上がりかけていた、モヒカン頭の足を、蹴って転ばせ、背に馬乗りになった。
モヒカン男が、恐怖にかられた叫び声をあげた。
白いドレス姿の美少女が、野盗にのしかかっている図などは、ナンセンスである。
残った一人は、恐怖のあまり身動きも取れず、これ以上開かないほど目を見開いて、見ているしかなかった。
「さあ、これが脅しじゃないって、わかったでしょ? さっさと吐きなさい。参謀殿は、『ダミアス』なんて、ふざけた名前じゃないはずよ。『グスタフ』でしょ!?」
「えっ? 今、なんて……?」と、クレア。
「マリス、城の参謀の名前なら、ダミアスだぜ。『グスタフ』って誰だ?」
驚いたマリスが、二人を見る。
「『ダミアス』!? 『グスタフ』じゃないの!?」
ケインとクレアは、首を横に振った。
「なあ~んだ、ヒト違いか」
マリスは、あっさり、賊を放して立ち上がった。
「クレア、こいつら、治してやって。大丈夫よ、あたしが一緒についててあげるから、こわくないわ」
クレアが、怯えながら檻の中に入っていき、負傷した賊たちを、白魔法で治療する。
「もともと、白状させた後は、こうしてあげるつもりだったのよ。ね? やさしいでしょ?」
マリスは、ケインとクレアに微笑みかけた。
クレアの顔は、引きつっていた。
「あのなぁ、あんまり、むちゃくちゃするなよ。それに、参謀が、お前の探してるヤツかどうかくらい、ちゃんと確かめてから行動しろよ。さっき、危うく、関係のない人間を、やっつけようとしたところだったんだぞ」
と、呆れて言うケインに対して、
「あら、大丈夫よ。あたし、グスタフの顔なら知ってるもの。やっつける前に、気付くわよ」
マリスは、にっこり微笑んだのだった。
牢の塔を出て、ケインたちは、もと来た道を通っていた。
「ケイン、調べものは、まだあるの?」
マリスが尋ねる。
「ああ。いよいよ真犯人のところへ、お邪魔するんだ」
「それは、誰なの? 盗賊たちからは、そこまで聞き出さなかったじゃない?」
「ああ。俺には、もうわかってるから」
ケインが、再び答えた時、
「ねえ、何か変だわ……!」
クレアが、辺りを伺いながら、慎重な声を出した。
その途端、嘲るような笑い声が、辺りに響くと同時に、周りの景色が、ぐらっと揺れた。
「よくも、邪魔してくれたな、ケイン・ランドール!」
空から、若い男の声が、降り注ぐ。
クレアが怯えた表情で、ケインを見る。ケインは目で合図し、クレアを自分の背後に下がらせた。
マリスは、腕を組み、目だけで辺りを油断なく伺う。
「今度こそ、真犯人のご登場のようだな! クリミアム第一王子、クリストフ殿下!」
ケインは、空に向かって叫んだ。