小姓
「待て!」
剣を構えて見合っていた賊とクリミアム王子が、声のした方を振り向く。
生成りのフードを被った小姓が、やってくるのが目に留まった。
「俺が相手になる」
賊たちが、じろじろと見回す。近くまで来ると、その小姓が、意外に背丈があることもわかった。
「誰かと思えば、なんだ、小姓のガキじゃねえか。俺たちも、なめられたもんだぜ!」
「こんなに圧倒的な力を見せ付けられても、まだわからんヤツがいたとはな!」
賊がゲラゲラと笑うが、小姓はまったく動じずに、クリミアム王子の横に行くと、静かに言った。
「殿下、危ないので、お下がりください」
「い、いや、だけど……」
クリミアム王子は、なにやら口の中でもごもご言っていたが、おとなしく、自分の馬車の近くまで下がった。
「さてと、お坊ちゃん、何をして遊ぶのかなぁ?」
賊たちがふざけて笑っている。
小姓は、腰に差していた剣を、ゆっくり抜いた。
「ほう、ロング・ソードなんかで、俺たちの剣にかなうとでも思ってのか?」
賊たちは、また笑い出した。
「これは、ただのロング・ソードなんかじゃない」
言い終わると同時に、彼は、手前で笑っていた賊の剣を、弾き飛ばした。
その時、緑色の火花が散るのを、見逃さなかった。
「やはりな。お前らの剣には、魔法がかけられている! だから、魔法攻撃は効かないし、剣は異常に硬くなっていたってわけだ!」
小姓は、確かめたかったことが確認出来ると、小姓の生成りのフード付きマントを外した。
風になびいた栗色の髪、青い大きな、少し目の端の上がった瞳、まだどこか幼い顔立ちではあったが、鍛えられ、引き締まった筋肉質の身体が、衣服の上からでもわかる。
「あのお方は……!」
王女が目を見開き、小さく呟く。
「こ、こいつ……! やっちまえ!」
賊たちは、もう、笑ってはいなかった。
段平やロング・ブレードを振りかざし、小姓だった者ーーケインに向かって突進していく。
数人の剣を、左手のマスター・ソードで受け止める。
緑の火花が散る。
今度は、そこにいる者たちにも、はっきりとわかった。
ケインは、受け止めた数人の剣を、左手だけのマスター・ソードで支えると、彼らの腹に、右拳を食い込ませ、蹴りを入れた。
いつもの戦法と同じく、剣はあくまで防御のため、攻撃は素手であった。
むやみに人を斬りつけたくはないというのと、今回は、王女や女官のいる前であったので、残酷なシーンがあってはいけないのだ。
ケインは、楽々と、ひとりずつの剣を弾き飛ばしていった。
「な、なんで、魔力のかかった俺たちの剣が、効かないんだ!?」
中には、青くなって、そう叫び出す者もいた。
「言葉を返すようだが、実力の差だ」
と、ケインが余裕の笑みで返し、難なく剣を弾き続ける。
あっと言う間に、盗賊たちの剣は、全部吹っ飛び、地面に突き刺さるか、転がっているかとなった。
再び剣を手にしようと走り出す者もいたが、
「おっと、こいつはお預けだぜ。盗品は、持ち主に返さなくちゃな」
という声がし、どかっ! と賊は腹を蹴られ、吹っ飛んでいく。
カイルであった。
彼は、ケインの弾いた賊たちの剣を、拾い集めていたのだった。
ケインが親指を立ててみせると、カイルはウインクで返した。
二人の連携プレーで、剣がそつなく回収されると、盗賊たちに、武器はなかった。
ケインは、マスター・ソードを鞘に納めた。
「バカが! 唯一、俺たちを捕まえられようというこの状況で、剣を納めるとは、気でも狂ったか!?」
ハゲ頭の賊が、そう喚く。
ケインは、けろっとした顔を向けた。
「別に狂っちゃいないさ。お前たちなんか、素手で充分ってことさ!」
言うと同時に、ケインは、盗賊たちを殴り倒し、蹴り飛ばしていった。
その頃には、護衛の騎士たちが、王女や女官たちを助け出し、逃げ惑う賊たちを捕えにかかっていた。
「そ、そんな……! 話が違うじゃねえか!」
賊のひとりが思わずそう呟くのを、ケインは聞き逃さなかった。
そして、その男が、無意識のうちに見ていた方向を、目で追う。
(……そうか……! そういうわけだったのか……!)
彼には、事件の黒幕が誰であったのか、見当が付いた。
「話は聞いたぞ! よくやった、ランドール!」
宿舎に戻ると、ダルシウム将軍が顔をほころばせて、やってきた。
「親衛隊も歯が立たなかった相手を、いとも簡単に倒してしまったそうではないか! 賊も全員捕えたことだし、陛下も非常に感心なさっていて、お前を、姫の直属の護衛にとも、考えておられるようだぞ!」
「すげえじゃねえか、ケイン!」
カイルも嬉しそうに、ケインの背中を肘でついた。
ケインは、将軍に敬礼はしたが、特に表情は変えなかった。
そこへ、捕まえられた賊たちが並ばされ、跪かされる。
「昨日のように、逃げられてはいかんからな。今から尋問を始める」
ダルシウム将軍の尋問に、彼等は観念したのか、ぶすっとしながらも、すらすら答えていった。
身代金目当てで、王女誘拐を企てたところ、パーティーでの誘拐に失敗したので、そのまま誘拐のチャンスを狙っていた、と。
「うそつけ! お前ら、町でパレードが行われていた時、武器屋を襲ってただろ! それに、そいつとそいつ、見覚えがあるぞ! 確か、俺の剣を盗った時、いたよな? お前とお前も、パーティーの時に、庭で俺が捕まえた奴等じゃないか! ちゃんと覚えてるんだからな!
脱走なんかして手こずらせやがって。お前らだけで実行できるわけないんだ、魔法の使い手なしにはな! しらばっくれてもだめだぜ! 吐けよ、誰なんだよ、黒幕は? てめえらと一緒にいた魔道士様は、一体どこのどいつなんだ! さっさと言わねえか!」
ダルシウム将軍を差し置いて、カイルが、近くにいた賊のひとりを締め上げ、強く揺さぶった。
「う、うう……、さ、さん……」
男が、苦しそうに呻く。
「ああ? なんだよ、聞こえねえよ!」
「お前が掴んでるからだろ」
隣で、ケインがしょうもなさそうに、カイルの肩を叩くと、カイルは、少し手を緩めた。
「……さ、参謀の……ダミ……ア……ス……」
呻き声は、そう、はっきりと、皆にも聞き取れた。
「本当かっ!? 脅迫状も、あいつか!?」
男は微かに頷いた。
「な、なんと、本当に、ダミアス殿とは……!」
将軍は、呆然としていた。
「あの野郎……! やっぱり、しらばっくれてやがったな!」
カイルが、族から手を放し、憎々し気に言った。
賊たちは、親衛隊に引っ立てられ、牢に連れていかれた。
「黒幕がダミアス殿とは……。陛下には、何と申し上げてよいものか……」
ダルシウムは、その場で考え込んでいた。
「将軍、是非、聞いて頂きたいお願いがあります」
ダルシウムは、気の重そうな顔のまま、ケインを見た。
「この事件を、もうちょっと調べてみたいので、陛下に報告するのは、もう少し待って頂けませんか?」
ダルシウムの目が見開かれる。
「な、なんと!? どういうことかね?」
「今は言えません。まだ確信したわけではありませんので」
ダルシウムは、しばらくケインの顔をじっと見ていた。確信してはいないというものの、その瞳から、事件を解決する何かを見付けたような、自信を見出したようだった。
「わかった。おぬしに賭けてみよう!」
ケインは、そう言ったダルシウムに、深々と、頭を下げた。
「いいのか? ケイン。お姫様の護衛、断っちまってさー。お近付きになれるチャンスだったのに」
ダルシウム将軍と一緒に、国王と謁見室で話をした後、アストーレ城のロビーを、宿舎に向かって、ケインとカイルは並んで歩いていた。
「別に、お近付きになったって……」
ケインが笑いかけたその時、
「お待ち下さい! ケイン様!」
(ケ、ケイン様?)
聞き慣れない呼び方に、驚いて振り返ると、アストーレ王女が、淡いオレンジ色のドレスの裾を持ち上げながら、彼等の後を、ふわふわと小走りして追ってきたのだった。
目を丸くしているケインの前まで行くと、王女は、必死な面持ちで、彼を見上げた。
「王から聞きました。なぜです? なぜ、わたくしの護衛を、お引き受けして下さらないのですか?」
「私には、事件を解決する使命が、残されているのです」
ケインは、穏やかに答えた。
「わたくしは……わたくしは、どうなるのです? 守っては頂けないのですか?」
王女は、ほとんど哀願していた。
ケインは、心配させないよう微笑んでみせた。
「殿下は、もう安全です。私が事件を解決致しますから、どうか、今晩からは安心して、ごゆっくりお休みください」
ケインは頭を下げると、王女に背を向け、歩き出した。
「やはり、わたくしのことが、お気に召さないのですね。だから、護衛も引き受けてくださらないんだわ……」
王女の声が、だんだんと涙声に変わっていくので、ケインが振り返ると、王女は両手で顔を覆い、しくしくと啜り泣き出した。
(えっ!? もしかして、俺が泣かしてるのか!?)
ケインは戸惑い、どうしたものかとカイルの方を見るが、彼は目配せして、そそくさと消えていった。
(カイルのヤツ、気を利かせてるつもりか? そんなことしなくても……)
小柄な王女のか細い肩が、震えていた。
ケインが、なだめるように応える。
「何をおっしゃるんです。気に入らないなんて、そんなんじゃ、ありませんよ」
「いいえ、いいえ! わたくしといると、いつも、悪いことばかり起きるのだわ! だから、あなたは、わたくしの側にいたくないのでしょう?」
王女は、余計に泣き出した。
(うわー! なんで、そうなるんだ!?)
ケインは、どうしていいかわからず、おろおろしていたが、やっとのことで口を開いた。
「悪いことばかり起きるから、危険だから嫌だなんて、そんなことはありません。ただ、……俺は、ただの旅の傭兵なのです。そんな者が、殿下のような方のお側にいては、よくないのです。殿下のお側は、アストーレの、ちゃんとした身分の方が、お守りするべきなのですよ」
王女は、強く、首を横に振った。
「そんなこと、ありませんわ! あなたは、二度も、わたくしを賊の手から救ってくださり、アストーレの警備隊も親衛隊もかなわなかったほどの敵を、あんなにあっさりと倒してしまわれたわ! それだけで、充分、誇らしいお方です! お願いです。わたくしの護衛をして頂けませんか?」
その必死さは、ケインにも充分伝わった。
彼は、王女の髪と同じ、栗色の大きな瞳を見つめると、やさしく微笑んでみせた。
「では、この事件が片付きましたら、ありがたく、護衛の任務に就かせていただきたく思います。それでも、よろしいでしょうか?」
王女の顔が、みるみる明るくなっていった。
「……ええ! ええ! お願いいたします!」
その笑顔に安心したケインは、軽く会釈をして、その場を去ろうとしたが、ふと思い直した。
「お部屋まで、お送りしましょう」
王女は、涙を拭うと、「はい」と、嬉しそうに、小さく答えた。濡れていた頬には、赤みが差していた。
ケインは、ふと、自分に妹がいたら、こんな感じだろうかと考え、王女を可愛らしくも思えた。
それと、どうも王女は、なぜか、ケインが、彼女を嫌っているように思っているようでならなかったので、そう思わせないためにも、出来るだけやさしく振る舞おうと心がけたのだった。
付き添って間もなく、王女を探していた女官たちが追いついたのだが、ケインは、王女を、そのまま部屋の前まで送っていった。
にこやかにと心がけて、お休みの言葉をかけ、王女の部屋のドアが閉まると、彼は、表情を変え、気を引き締める。
その足で向かったのは、女官の休憩室であった。
「ケイン」
彼に気付いた、女官の服装のクレアが、立ち上がる。
「クレア、一緒に来てくれないか」
クレアは、わかっているというように頷くと、二人は足早に、廊下を歩いて行った。
ケインのポケットには、国王からの委任状が入っている。
事件の捜査で、自由に城の中を出入り出来るよう、ケインが要望したのだ。
異例であったが、それには、ダルシウムの口添えもあり、王女誘拐を二度に渡って防いだ彼の功績も大きかった。
ケインとクレアは、裏門から外に出て、暗く、細い道を通って行った。教わったその道は、参謀であるあの魔道士が、とらえられている牢屋の塔へとつながっている。
昨夜、クレアに会いに行ったのは、城の女官を頼むことと、もう一つ。
空間から、盗賊を引っ張っていたという手ーーこれを見たのは、彼女だけだった。
ケインは、昨夜、将軍が参謀の腕を捕えた時、彼の手が袖口から覗いたのを見て、そのことを思い出したのだった。
『あの時の手は、ほとんど骨と皮だけのような、細くて、かなりお年の人のような手だったわ。中指辺りに、大きな緑色の石のついた指輪をしていたの』
昨夜、彼女は、そう言った。
それは、ケインの見た、彼の手とは違っていたのだった。
参謀の手は、そこまで年寄り臭くはなく、両手とも、そのような指輪は、嵌めてはいなかった。
牢の入り口に着き、牢番のいる管理室の窓口を覗くと、番人の男が、机に突っ伏して、よだれを垂らし、眠りこけているのが見える。
「なんだ、不謹慎な人だなぁ。おい、牢番のおじさん、起きろよ」
ケインは、開いていたドアから部屋の中に入り、男の身体を揺すった。
「これは……、眠り薬を飲まされているわ!」
クレアが、別のテーブルの上にある、酒の入った器の匂いを嗅いで、指差した。
それを聞いたケインは、とっさに男のポケットや、机の周りに鍵がないか調べるが、どこにもなかった。
「カギが盗られてる。誰か、忍び込んだヤツがいるんだ……!」
「急ぎましょう!」
二人は頷き合うと、管理室から廊下に出た。
暗い廊下を、まだいくらも行かないうちに、「ケイン、見て!」と、クレアが声を上げる。
仮眠室の扉が開いていて、覗くと、ベッドから、人が落ちたまま眠っていた。
「さっきと同じ香り……、同じ睡眠薬を飲まされているわ……!」
クレアが、床に転がっている器を調べて、言った。
そのすぐ近くに監房の扉があるが、また人が倒れていた。そして、やはり、眠っている。
扉には、鍵がかかっていなかった。
そこから先は、罪人を閉じ込めている牢が並んでいる。
ケインが扉を開け、見渡してから、クレアを手招きした。
間隔を空けてつり下げられたランプが並び、ぼうっとした光を灯している。
回廊には、同じように酔いつぶれた人の姿が、今にも消え入りそうなランプの灯りに、照らし出されていた。
死体ではないとわかってはいるものの、見ていて、あまり気持ちのいいものではなかった。
「なんか、俺たちの行く先々に、ヒトが転がってないか? 鍵が開いててくれて助かるけど」
「不気味ね……」
ケインとクレアは、ぐうぐうといびきをかいている『マグロ』をよけながら、注意深く、監房の中を覗いていった。
檻の中では、髪の毛や髭がぼうぼうに伸びた罪人たちが、横になって、じっと動かない。
時折、その死んだような目が、ギロッとこちらを向くが、何も言わない。
ケインのすぐ後ろを歩いていたクレアが、悲鳴を上げた。檻の中から手を伸ばし、彼女の長いスカートの裾を掴んでいる者がいた。
ケインが剣の柄で振り払い、クレアが檻から離れると、罪人の手は、何かを掴もうと伸ばし、探っている。
二人は、先を急いだ。
「あそこに、人がいるわ!」
クレアが、前方を指さす。
ケインは頷くと、いつでも抜けるように、剣の柄に、手をかける。
「誰だ、そこにいるのは」
前方の闇に向かって、ケインが言い放った。
この牢の鍵を盗み、先に来ていた訪問者であり、おそらく、事件の首謀者の……!
そう予想したケインは、鋭く目を光らせ、クレアを庇うように、自分より後ろに下がらせた。
闇の中から、何者かが向かってくる気配がしていた。
徐々に輪郭がはっきりしてくると、二人は「あれ?」と、思った。
白っぽい姿が浮かび上がる。
それは、女だった。
「やっだー、久しぶり! ケインにクレアじゃないのー! こんなところで会うなんて、奇遇ね!」
二人のカンは、見事に外れた。
暗がりの中から現れたのは、意外にも、行方不明中のマリスだった。