ご招待
暖かい日差しを受け、ケインは瞼を開いていく。
それが、見慣れないアラベスク模様の描かれた天井であることに気付くと、慌てて起き上がる。
すぐ横の大きな窓にはレースのカーテン、タイルの床はよく磨かれ、光り輝いている。
(そうだった。俺とカイルは、アストーレ城に泊まったんだっけ。どうりで、広くて綺麗な部屋なわけだ)
着慣れない、ガウンのような夜着を脱ぎ、昨夜の警備服に手を伸ばす。
しばらくして、女官が朝食の時間を告げに来た。
女官に案内された部屋には、大きなテーブルに、背もたれの長い、豪華な椅子がいくつも並んでいた。床には、動物の毛皮の、高価な敷物が敷いてあった。
「よお、ケイン」
カイルも、ケインと同じ警備の制服で、女官と一緒にやってきた。
二人は、進められるまま、テーブルの端の方に並んで腰掛けた。
「陛下がお見えになるまで、お待ち下さいませ」
女官たちは、ペコリと頭を下げて、部屋を出て行った。
「へーっ、王様とご一緒に、朝食かよ! すげえな!」
カイルは、声が室内に響き渡らないよう、声をひそめてケインに言った。
部屋には、次々と、貴族の人々があらわれる。
ケイン達には、誰が誰だかわからないまま、その度に立ち上がって、ぺこぺこするばかりであった。
「おお、おぬしたち、昨晩は、良く眠れたかね?」
そう声をかけてきたのは、がっしりとした体格の、険しい顔をした、白髪混じりの初老の男だった。
ふいに、ヴァルドリューズの声が、二人の頭の中に響く。
(そうか、この人が……)
その男は、彼らの隊ーー国王の親衛隊の将軍、ダルシウム侯であった。
ヴァルドリューズが催眠術のような魔法でもかけたのか、ダルシウム候は、二人と、まるで面識があるかのように、親し気であった。
そして、アストーレ国王が側近を連れて登場した。
どうやら、国王だけでなく、国の、身分や地位の高い者との朝食会に、参列することになっているらしいと悟ったケインとカイルは、一気に緊張した。
広いテーブルには、料理が次々と並べられていく。
その間、高位の貴族たちは、世間話をしていた。
「なあ、ケイン、これって宮廷料理ってヤツだろ? すげー豪華だな!」
カイルが、ケインに耳打ちする。
ケインも、初めて目にする宮廷料理に、感動していた。
南海の方でしか獲れないという、ゴールド・グルクンツナの香草蒸し辛味ソースがけ、レッド・チキンのミシア焼き、スモーク・ゴールドサーモンーーなどと、料理の説明がされた。
どれも、普段は手の届かない、ケインたち庶民が見たことのないものばかりであったが、給仕が取り分けるので、誰にでもまんべんなく料理が届く。
南海のゴールド・グルクンツナは、二人が今まで口にしたサカナとは、全く違っていた。
皮は碧翠色から金色へ光り輝いているが、中身は白身魚のようだ。旬のようで、脂がのっている。
ケインたちには美味しいとは思えたが、少し甘くも感じた。
だが、かかっている辛味ソースが、スパイスを効かせた上に、少し酸味のあるソースであったので、魚の甘みと調和が取れていた。
(貴族って、朝からこんなにいいもの食ってるのか。いいなぁ)
感心しながら味わっているケインに、カイルが突いてきた。
「なあ、これなんだ?」
銀色の大きな杯に入っている、赤いぷちぷちしていそうなものを、カイルが指差しているが、ケインもわからなかった。
二人は、見よう見まねで、他の人々のように、スプーンですくい、クリーム付きパンに乗せて、食べてみる。
口の中で、ぷちぷちしたものが弾け、中の汁が出て来たが、甘いわけでもなく、酸味もなく、彼らには、なんと表現していいかわからなかった。
甘いものと思っていたクリームも、しょっぱかった。
彼ら庶民には、美味しさがよくはわからなかったが、貴族たちは、実に美味しそうに食べながら、話を弾ませているのだった。
「そろそろ、ダルシウム候、そなたの方から、あの二人を紹介してくれないか」
食後のカシス・ティーを、皆で啜っている時、アストーレ王アトレキアが言った。
「おお、そうでございましたな」
ダルシウム候が、紅茶の入ったカップをテーブルの上に置いた。
二人の心配をよそに、ダルシウムは、彼らを、王女の誕生祝賀会用に、特別に雇った傭兵のうちの二人というように、紹介した。
「そうであったか。いや、実に優秀な傭兵を見付けたものだな。そなたたち、旅の途中であったか。諸外国の客人たちが帰国なさるまで、引き続き、城の警備の方を任せたい。よろしく頼むぞ。それから、そなたたちの栄誉を讃えた式典は、後になってしまうが、昨日の賊を取り調べ、事件を解決してからでもよろしいかな?」
「光栄であります」二人は、声を揃えた。
「では、今晩からは、正規軍の宿舎で過ごすが良い」
ケインもカイルも、傭兵の身で、正規軍の宿舎に寝泊まり出来ることに、感動に浸っていたのだが、貴族たちは、そんなことには関心はないらしく、再び世間話を始めた。
「そう言えば、ダミアス殿のお姿が見えませんな」
「昨夜のパーティーにも、出席なさらなかったようで」
いったい誰の話かと、ケインとカイルが顔を見合わせていると、一人の男が入室した。
「おお、ダミアス、やっと来おったか!」
王が、男を自分の隣に招き寄せた。
ケイン、カイルは、思わず身を乗り出しそうになって、あるものに注目した。
男は、普通の貴族と同じような服装であったが、黒い髪に隠れた、額の紅い宝石を、彼らは見逃さなかった。
「あれが、噂の参謀」
「ーーにして魔道士の……!」
参謀は、王の隣に、軽く会釈をして座った。
あまり特徴のない、痩せた男であった。
年の頃は四〇代だろうか、額や目元、口元に深く刻み込まれた皺が、思慮深く、年齢よりも老けて見えてしまっていた。
「昨日の事件は、ご存知ですかな?」
公爵の男が、参謀の男に尋ねる。
「王女殿下の誘拐未遂事件でしたら、存じております」
男は抑揚のない声で、静かに答えた。
「貴公はその頃、どちらへいらしたのですかな? 昨夜、サロンでは、お見掛け致した覚えがないものでな」
公爵の隣の男が、嫌味のように言う。
「書斎におりました。わたくしは、華やかな場が、どうも苦手でございまして。今までを、思い起こして頂ければ、お解りかと存じますが」
表情を変えずに、参謀の男は返した。
(ありゃー、なんだか険悪なムードじゃね?)
(……だな)
カイルとケインが目配せする。
「その時、王女を救ってくれたのが、あそこにおる二人なのだよ」
アストーレ王は、その微妙な空気に気付かないようで、朗らかに、参謀に笑いかけた。
ケイン、カイルと、ダミアスの目が合った。
彼の目は沈んでいるように見え、顔同様、あまり表情がなかった。
「今夜は、特使たちと接見がある。今度は参加してくれるであろうな?」
「ごもっともでございます」
参謀は、王に少しだけ微笑んだ。
その後は、何事もなく、しばらくして朝食会は解散となった。
ケインとカイルは、警備の打ち合わせのため、ダルシウム将軍の後に続いていく。
ふと、朝食会に出席していた公爵たちが目につく。公爵二人は、何やらこそこそと話していた。
「おい、ケイン、さっきの様子だとさ、どうも噂の参謀殿は、すべての人に支持されてるわけじゃなさそうだよな」
「ふらっと現れたよそ者に、参謀の地位を持って行かれちゃったんだからな。面白く思ってないヤツも、中には、いるってわけか」
カイルとケインは、小声でそんなことを話しながら、将軍の後をついて、城の中の長いロビーを歩いていった。
護衛の打ち合わせが済むと、二人は、正規の親衛隊に混じって、簡単な訓練を受けた。
これまでにも、雇われ兵として、城の軍隊と一緒に行動したことはあっても、正規軍の中で、これほどのちゃんとした訓練など受けたことはない。
その上、傭兵はほとんど歩兵で、持ちウマがなければ、ウマに乗って戦わせてくれることさえ、滅多になかった。
そして、いくさでは、たいてい、切り込み隊が多い。つまり盾として使われるのだが、志願した場合は、その分、報酬は良い。
そんな彼らからすると、親衛隊というのは、非常に楽なポジションである。
今後、どのように状況が転んでもいいようにということと、情報が入り易いことから、ヴァルドリューズが、ダルシウム候を選んだのだろうと、二人は気が付いた。
訓練の後は、短い休憩時間となった。
兵士たちは、水筒の中身を飲み、木陰で休んだり、仲間と喋るなどしていた。
ふと、訓練場の警備の兵士が、女官と、ドレスを着た小柄な少女とを連れて、ダルシウム候に取り次ぐ。
ドレスの少女は、アストーレ王国第三王女アイリスであった。
「これはこれは王女殿下、このようなむさ苦しいところへ、ようこそお出でくださいました!」
ダルシウムが、にこやかに、深々と礼をした。
「少し見学してもよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ、今は休憩時間でして、もう少々すれば訓練の時間になりますが。王女殿下がご覧になっても、あまり面白いものではないとは思いますが、いらっしゃるだけでも、兵士たちの励みになりましょう」
老将軍が、宿舎や訓練場の説明をするが、王女はどこか上の空で、まるで何かを探しているように、きょろきょろと見渡していた。
その視線が止まる。
その先には、休憩時間でも剣の素振りをしているケインと、木に寄りかかって、彼にペラペラ話しかけているカイルとがいた。
王女は、彼らに向かって、方向転換する。侍女も後ろから付いていく。
すぐに、カイルが気付いた。
「……あ、あのう……」
王女が、小さな高い声で何か言いかけるが、侍女がそれを制し、前へ出る。
「ケイン・ランドール様と、カイル・アズウェル様でございますね? 姫様から、お話があるそうです」
そう言って、侍女は、王女の隣に控えた。
ケインは素振りをやめ、カイルも木から離れ、王女に敬礼し、地面に片膝を着いた。
「あ、いいのです。どうか、面を上げてください」
言われた通り、頭を下げたまま、二人は立ち上がったが、王女は緊張しているのか、まごまごしていて、なかなか話を切り出せない。
ケインは、王女というものと対面し、話をするなどということは、これまでの人生の中で、初めてであった。
確かに、今まで目にしてきた町娘たちとは違い、気品もあり、高貴な生まれから来る優雅な物腰が王族ならではと、感心させられる。
(だけど、なんだかまだ可愛らしいというか、幼いというか……。それにしても、なんで、お姫様が、こんなところへ? 今までも、兵士達を激励してたとか? いや、それなら、もうちょっと慣れた感じがあっても……。しかし、可哀相なくらい緊張してるなぁ)
ケインは、王女の真意を汲み取ろうと、見つめていた。
「……あ、あの……ごめんなさい、訓練の邪魔をしてしまって……お気に障りましたか?」
「いえいえ、全~然、大丈夫ですよ~」
カイルが微笑んで見せながら、肘でケインをつつく。
「おい、ケイン、そんな顔するなよ、姫様怖がってるじゃないか。ほら、にっこり笑って」
別に、ケインは普通にしていたつもりだったのだが、王族に対しては無愛想だったかと、慌てて態度を改めようとした。
しかし、王族には、どんな風に笑ったらいいのか、と一瞬迷ったケインは、結局は、口の端をちょっとつり上げただけだった。
「やっぱり、怒ってらっしゃるのですね」
そんなつもりは毛頭なかったのだが、不自然な笑いになってしまったかと、反省した。
「お礼を申し上げるのが、こんなに遅くなってしまったのですもの。危険を侵してまで助けて頂いたというのに、その上、剣の練習の邪魔までしてしまって、……本当にごめんなさい……」
王女は、うつむいた。
ケインは慌てて、本当に笑顔を取り繕った。
「い、いや、そんなことどうだっていいんだ……です! その、俺、いや、わたくしは、全然怒ってなどおりませんです」
失礼があってはいけないと思うあまり、慣れない言葉遣いに舌を噛みそうになる。
「すいませんねー、こいつ、照れ屋なんで。ホントは、姫様に話しかけて頂いて、超嬉しいはずなんですよー。だから、どんどんお話ししてやって下さいね~!」
カイルが、助け舟のつもりでしゃしゃり出ると、ケインが慌てた。
「こら、姫様に向かって、気軽過ぎるぞ! 失礼だろ」
王女は、呆気に取られた顔をしていたが、そのうち、くすくすと笑い出した。
「面白い方たちですのね。言葉遣いなどは、そんなにお気になさらないでください。私にとっては新鮮ですので。あの、助けて頂いたお礼は、また改めまして、とりあえず、よろしければ、午後のお茶の時間にでも、お二人でいらして下さいませんか?」
笑って緊張がほぐれたように、王女は、先ほどよりはリラックスして話していた。
彼らをお茶会に誘うと、王女は楚々(そそ)として、帰っていった。
「おい、俺たち、王族のお茶会に誘われたぞ」
カイルが、ほわ~んとした顔で、感動している。
「ああ、そうだな。だけど、俺、作法とか全然知らないし、……だいたい、俺たちみたいなのが、そういう場にいて、いいのかな?」
「いーんじゃないの? 言葉遣いも気にするなって、言ってくれたんだし、俺たちのような庶民の反応って、王族からしたら新鮮っぽかったじゃん? あのお姫様、いい子だな~」
二人は、初めて招待されるお茶会を楽しみに、訓練が再開されると、張り切っていた。
「……と、そこで、俺は、持っていた魔法剣を引き抜き、その巨大モンスターを消し去ったのさ!」
「まあ、勇ましい!カイル様って、お強いのね!」
カイルの大袈裟な話を、女たちは真面目に聞き、崇拝の目さえ向けていた。
ケインとカイルは、王女に招待された、プチ・サロンでのお茶会に来ていた。
王女の従姉妹や女官など、十数人が集まり、にぎやかに話をしていた。ここも、町娘の集まりと大して代わり映えはしないと、ケインは思った。
それにしても、彼女たちのする話は、どこの高級焼き菓子が美味しいとか、どんなデザインのドレスがどうだとか、誰々の詩集が素晴らしいなどということばかりで、十人が十人、同じものに興味を持っているようだった。
それが、ケインには、とても不思議であった。
カイルは、ちゃっかりと、自分のペースで楽しんでいるのに比べ、彼は、ちっとも楽しくなんかなかった。
お茶に誘った当の王女は、話が出来るほどの距離にはいない。
いったい、なぜ自分達が呼ばれたのか、彼にはわからなかった。
なんとなく居心地が悪い気がしたケインは、ふらっと部屋を出ようとした。
「おや、もうお茶会は終わりかね?」
扉を開けると、ちょうどアストーレ王が到着したところであり、ケインが慌てて最敬礼をすると、「よい、よい」と笑いながら手を振り、王は室内へ入っていった。
気さくな王の人柄が現れていた。
「まあ、お父様!」
「おお、アイリス。今日は、なんだかにぎやかだな。私も入れてくれないかね?」
「ええ! どうぞ、こちらへ」
王も加わったので、ケインは何となく退室しそびれてしまった。
「ランドール、君も華やかなところが苦手なのかね?」
王がケインに尋ねた。
「はい。慣れていないものですから」
「ほっほっほっ、はっきり言うものじゃのう」
ちょっと無遠慮だったかと、ケインは取り繕おうとしたが、王は、気にも留めていないようだ。
ケインは、窓辺の方へ行き、外の景色を眺めた。
やはり、自分は、女の子とお喋りしているよりも、町を歩き回って見物したり、剣を振り回して悪い奴等をやっつけたりしている方が、性に合っているのだ、とつくづく感じていた。
窓から見える、草一面の広い庭を見つめていると、ふと、マリスのことを思い出す。
(そういえば、彼女、変わってたな。女でも、俺と同じ戦士の性質を持っていた。今は、どこでどうしてるんだろうか……。なんで、急にいなくなったんだろう?)
一緒に武器屋を回ったり、モンスターを倒したことを思い浮かべているうちに、彼は、自分がこの場にいることに、ますます違和感を覚えた。
それと引き換えのように、無性にマリスに会いたくなった。
そんな彼を、王女は時折見つめていたのだが、取り巻き達に囲まれていて、なかなか動けないでいる。
そこへ、親衛隊の一人が現れた。
「失礼します! 国王陛下、ランドール殿、アズウェル殿、至急、将軍のもとへ、お出でください!」
その声の調子から、尋常でないことを感じ取ったケインとカイルは、顔を引き締めて、隊員の後に続いて走っていった。