誘拐事件
アストーレ城ーー。
ケインとカイルは、警備兵の身なりをして、サロンの外の庭に並んで立っていた。
バルコニーから会場の様子がのぞけるような位置である。
国の警備隊の制服は、ヴァルドリューズが用意し、隊長には、彼が催眠術のような魔法をかけたので、最も好都合な場所につけたのであった。
クレアも、女官として、大広間に潜り込んでいる。
「ごちそうもおいしかったよー」
ミュミュが、ケインたちの目の前を、ちらちら飛んでいる。さっそく、つまみ食いをしてきたようだ。
バルコニーからのぞく会場では、各国の王子や特使が紹介され、次々と室内に入場している。
王女が十六歳ということで、王子たちは、花婿候補であった。
「あのヒトは、カオはいいけど、痩せ過ぎで頼りなさそう。あらあら、あのヒトは、がっしりしてカッコいいけど、ちょっとヒゲが濃いよ。それにしても、あんなにたくさんのヒトたちの中から、お婿さん選べるなんて、ヨリドリミドリでいいね~!」
ミュミュが、きゃっきゃ言いながら、ずけずけと、王子たちの品定めをしていた。
ケインは、ちらっと、自分があそこにいなくて良かったと思った。
大広間は、大勢の参列者たちで賑わい、楽団の優雅な演奏も流れていた。
貴婦人たちは、髪や耳に、ごてごてとした飾りを身に着け、お椀をひっくり返したようなドレスを着ていて、男たちは、長髪を後ろでリボンで結び、びらびらした前かけをしている。
そのようにしか、ケインには思えず、いずれも奇妙でならなかった。
「いや~ね~、ケインたら。あれは、この地域での最新ファッションじゃないの。『びらびらしてる』のは、『前かけ』じゃなくて、『ネクタイ』っていうんだよ」
ケインの心を読んだミュミュが、修正した。
「アストーレ王国アトレキア陛下、並びに、第三王女アイリス殿下、おなーりー」
宮廷音楽家たちの演奏が、がらっと雰囲気を変え、国王と王女の入場を告げる声が響く。
来賓たちは、静まり返り、一斉に入り口を向いた。
「おい、ケイン、見てみろよ。いよいよ、お姫様の登場だぜ」
カイルが、わくわくしながら、肘でケインをつついた。
厳粛なムードの中、穏やかな笑みを浮かべて歩く、豪華なマントに実を包んだ中肉中背の男と、ひらひらと軽そうな素材で出来たドレスを着た、小柄な少女が続いて入場する。
「……なんだよ、まだコドモじゃないか。まあ、十六ってったら、こんなもんか。マリスは、もうちょっと大人っぽいけどな」
カイルが、がっかりしたように呟いている。
ケインの位置からは、王女の顔まではよく見えなかったが、それよりも、彼は、特使たちの方が気になっていた。
近隣諸国数カ国を始めとして、遥か南方の貿易国の代表までが参列している。
近年、勢力を増してきたというだけあって、是非、アストーレとお近づきになりたいという国は、多いようだ。
「しかし、お姫さんてのも可哀相なもんだよなあ。あの中に、好みの男がいたとしても、自分じゃ選べないんだもんな。国の都合で決められちゃうんだろ?」
「そうだよね、ミュミュ、お姫様じゃなくて良かったー」
「その点、町娘の方が自由だよな。カッコいい傭兵と想い出も作れるし」
「きゃはは! 何それ、自分のこと?」
カイルとミュミュの会話を背に、ケインは、広間を慎重に覗いていた。
魔道士らしき黒いフード付きマントの者も数人いたが、今のところ、特に怪しい動きはなさそうだ。
噂の参謀らしき姿は、なかった。
特使の魔道士も、真っ赤なカシスルビーを付けていたが、アストーレ国王の近くに、それらしきルビーを額につけた者は、見当たらない。
広間では、優雅にダンスが行われた。
外国の王子の一人が、アストーレ王女にダンスを申し込んでいる。
王女の隣では、国王が微笑み、王子と王女が広間の中央に進み出て、踊り始めたところである。
カイルが大きな欠伸をした。
「いいねえ、貴族は。こんな風に、ちんたら過ごしてても、カネはあるんだからな。俺も、どっかの王女に一目惚れでもされて、逆玉の輿にでも乗っかりてぇや」
カイルが冷やかすように、または、どうでもいいように言った。
突然、広間の明かりが、ふっと消えた。
貴婦人たちの悲鳴や、動揺の声が次々と上がる。
「な、何だ!? どうしたんだ!?」
カイルまで、動揺していた。
「バカ。最初から、何かあると踏んで、ここにいるんじゃないか」
強盗か人さらいか、はたまた暗殺か。
いずれにしても、逃走するための手段が、この近くにあるはず、と踏んだケインは、庭を駆け抜けていった。
案の定、裏の細い道に通じている門の近くに、ウマが二頭つないであった。そこには、警備の格好をした者が二人いたが、明らかに偽物であった。
彼らは、同じ制服のケインを見るなり、剣を抜き、襲ってきたのだった。
ケインは、マスターソードを抜き、応戦した。
昼間の時と同じように、剣で攻撃を受け止め、拳でやりかえす。
「ケイン! 賊がそっちに行ったぞ!」
カイルの声がした方を見ると、人影がやってきたその後を、カイルが追って来ていた。
「待て!」
ケインが向かうと、賊は、何かを抱えたままウマに跨って逃走した。
「カイル、ここは任せた!」
ケインは、まとわりつく二人の男を蹴り飛ばし、もう一頭のウマに飛び乗った。
賊を乗せたウマに、すぐに追いつく。
道が狭いため、なかなか横に並ぶことは出来ない。
漸く、視界が開けたと思うと、広い野原となり、その先は森であった。
そこへ逃げ込まれると、視界が悪い上に、モンスターもいるので厄介だ。
ケインは、ウマのスピードを上げ、野原では、なんとか横に並ぶことが出来た。
「止まれ!」
言ってみたところで、相手は止まるわけはなかった。
よく見ると、賊の前に乗せている黒い布の中から、女のドレスの裾のようなものが、ひらひらと、はためいている。
「さては、こいつ、人さらいだな!」
ケインは、ウマを近付けていき、無理矢理、賊のウマに飛び移った。
ウマは、人間三人分の重さに耐えられず、バランスを崩し、嘶いて、横向きに倒れた。
彼は、咄嗟に、布を被せられた女を庇って、地面に落ちた。
どんな体勢でも受け身を取る訓練をしていたおかげで、彼自身は怪我はしなかった。
一緒に倒れた男の被っていたフードがめくれていた。
知らない顔である。
だが、やはり、昼間の連中のように、盗賊という感じはしなかった。
彼は、誘拐した女を諦めたのか、一人で森へ逃げ込もうとする。
「そっちはモンスターがいるぞ!」
ケインの警告も、彼には届かなかった。
追いつめられた犯人というものは、ますます人気のない方へ逃げていくものなのか、賊は、一人で森に向かって走る。
ケインも、急いで後を追ったが、男の叫び声と森のざわめく音で、彼の最期を悟った。
下等のモンスターと言えども、訓練もしていない者が魔除けなしで済むものではない。
ケインは、ウマが、倒れているところまで歩いて戻った。
黒い布に包まれた女は、まだ倒れている。
ウマから落ちた時、どこも打っていないはずである。
「おい、大丈夫か?」
ケインが抱え起こすと、微かに薬の匂いがした。騒がれないために、薬を嗅がされたのだとわかる。
被せられた黒い布をどけると、そこに、青白い顔が現れた。
長い睫毛、うっすらと開かれたピンク色の小さな唇に、小さい顎、まだ幼そうな娘であった。
「大丈夫か?」
ケインが、声をかけながら、揺すった。
娘の瞼が、ゆっくり開いていく。
「……あ、あなたは……?」
小さな唇が、か細い声を発した。
栗色の、縦に巻かれた髪、丸みを帯びた顔に、少し目尻の下がった茶色の大きな瞳、美しく弧を描いた整えられた眉、つんと尖った小さな鼻、チェリーを思わせるピンク色の小さな唇、か細く弱々しい肩、軽い身体。
彼女は、全体的に、色素が薄い感じであった。
美しいというには、少し違ったかも知れなかったが、すべてが、か弱く、はかな気で、頼りなかった。
彼の保護本能が、くすぐられた気がし、しばらくの間、彼女から視線を反らせないでいた。
娘も、ぱっちりと見開かれた瞳で、ただただケインを見つめていた。
「へー、さっきの『お椀をひっくり返したような』とか『びらびらした前かけ』なんかよりも、随分詩的な感じ方だね!」
ケインが、はっと見上げると、ミュミュがぱたぱた飛んでいた。
「ケインー! 大丈夫かー!」
カイルが走って来る。
その後方では、警備隊がウマに乗ってやって来ていた。結構な人数がいた。
カイルが、ケインの手元をのぞきこんだ。
「あれー、お姫さんじゃん」
「なにっ、姫っ!? じゃあ、誘拐されたのって……!」
ケインは、もう一度、娘の顔に目をやる。
視線の合った娘の頬が、ほんのりと赤く染まった。
「アイリスー! 無事か!?」
国王がウマから降りて、転げそうになりながら、走り寄った。
「お父様……!」
ケインは、ゆっくり彼女を抱え起こした。
王は膝を付いて、王女を心配そうに抱え込む。
「薬を嗅がされて、まだ身体が動けないようですが、じきに回復するでしょう」
そう言い終えると、ケインは頭を低くした。
「そなたは、どの隊の者だ?」
国王の質問に、彼は焦るが、どこからともなくヴァルドリューズの声が聞こえる。
だが、周りは誰も反応していない。おそらく、彼にだけしか聞こえないのだろう。
「ダルシウム将軍の隊の、ケイン・ランドールです」
「おお、余の親衛隊のか! それで、犯人はどうしたのだ?」
ケインは、王女を気遣うように見てから、すぐに王に視線を戻し、低い声で答えた。
「あの森に逃げ込み、……モンスターにやられたものと思います」
「……そうか。サロンの庭に残った、そやつの仲間を調べれば、はっきりするであろう。それにしても、手柄だったぞ、ランドールとやら。今夜はもう遅い。とりあえずの礼として、我が城で、ゆっくり休むが良い。明日改めて、城で、そなたの栄誉を称えよう!」
ケインとカイルは、ウマを並べて、警備隊とともに、城へ向かった。
城に泊まれることになり、カイルは有頂天で喜んだ。
「お前が賊を追っかけていった後、残った二人は、俺がやっつけて、縛り上げたんだぜ。だから、俺のことも表彰してくれるんだとさ。なにしろ、一国の王女の誘拐を防ぐことが出来たんだからな。賞金とかも、がっぽりもらえそうだな、おい」
ケインは、それには、愛想笑いで返した。
「だけど、俺たちが城にいるってこと、マリスに連絡しなくて大丈夫かな」
カイルは、呆れた。
「お前なぁ、マリスは、勝手にしてていいって言ってんだぜ? じゃあ、どこに寝泊まりしようが、構わねぇじゃねーか」
「お前こそ、お気楽に喜んでるけどな、まだ事件は解決してないし、賊が簡単に入り込めたくらいだぜ? どうも、俺は、あの城では、何か、ややこしいことが起きてるんじゃないかって、気がするんだ」
ミュミュが、周りに見付からないようカイルの肩に止まり、髪の毛に隠れていたらしく、彼の髪をかき分けて顔を覗かせて、真面目な表情のケインを見ている。
「ああ、そうかも知れねぇな。ま、それは、お前が解決してくれよ」
カイルは、ヘラヘラと、ケインに笑ってみせた。
ケインは、肩をすくめた。これじゃあ、今夜は、北の森に行くのは無理そうだな、と思った。
この事件がもとで、ケインたちは、思いのほか、ここアストーレに長く滞在することになろうとは、思いもよらなかった。