バナナを産んだ
バナナを産んだ。
私の頭はおかしくなってしまったのだろうか。
便器にひとつバナナが浮かんでいた。
そのまま水に流すこともできないからと手に取ってみれば、わりとずっしりとしたいいバナナだった。
そんなバナナだなんてボケたくなるほどには現実味のある重さだった。
おかしくなってしまったのは私の体だったかと、私はとりあえずそのバナナを洗いキッチンに置く。いや、キッチンは可哀想か。そう思いなおしてバナナを手に持ったところで玄関から音がした。
「おかえり」
そう迎え入れた夫の視線は私が手に持った一本のバナナにむいていた。
「ただいま。ずいぶんきれいなバナナだね?」
言われてみればずいぶんきれいな形のバナナだなと首をかしげる。
「おやつ?」
「違うよ。私が産んだの。」
「へー。そうなんだ。」
そう言ってスマホに目を向けて何かを調べ始めた夫にもう一度、私が産んだと主張する。
「うん。わかったよ。落ち着いて?」
「落ち着いてるよ。」
「そうか。」
そうして再び視線をスマホに向けた。
「だから」
話を聞いてとスマホに手をかける。
「いや、おかしいだろ。どう考えたって、」
「私もわかってるよ、でも本当なんだから仕方ないじゃん!」
おおきなため息を吐いた夫は冷蔵庫に向かいコップに注がれた麦茶を一気に喉へと流す。
「うん。わかった。話を聞かせてくれる?」
そう言い、私の腰を抱いてソファに促した。
「なるほどね。」
なんとか飲み込もうと頑張っている夫の姿に別に私も理解できてるわけじゃないからと、ため息とともにもたれかかる。
「どうしよう、このバナナ、」
「まぁ、放っておいてもいいんじゃないかな。すぐに腐るものでもないし。」
とりあえず風呂にでも入ろうという夫の言葉で私はバナナをリビングの机に置いて、日常に戻った。
翌朝、目が覚めてリビングに行くと、バナナが一本鎮座していた。
ああそうだったと頭を抱える。それでも昨日よりも愛着が芽生えているのは何故だろうか。
おはようと後ろからまだ眠そうな声で私の腰に夫が抱き着いてくる。
「おはよう」
「どうしたの?」
これと指さされたバナナを見て夫は目を数回瞬いたのち、その存在を思い出したようだった。
「でもなんでバナナなんだろうね。」
「わからないよ、」
ため息をついてうつむいてしまった私の背中を夫が大きくたたく。
「とりあえず朝ごはん食べよう。」
頭も回らないしねと言いながらキッチンに向かう夫の背を眺め、視線をバナナへと戻す。そして私はバナナを手に取って食卓へと向かった。
「持ってきたんだ。」
「うん」
一応私が産んだ子供だしとバナナを指先でひと撫でしながら言う。
「それもそうか」
ならこの子にも皿を用意した方がいいかと言って席を立とうとした夫に乳児に食事は無理だよと言葉で制す。
「いただきます」
そう言っていつも通りの静かな食事が始まった。
私たちは元来ほとんど会話のない夫婦である。愛がない、なんてことではなく、ただ無口なだけである。その空気感が好きで私たちは籍を入れた。この空気を誰にも壊されたくなくて。
しかし、私たち夫婦も最近我が子という存在について考え始めていた。いわゆる妊活というものである。しかしそんなに真剣に考えていたわけではなかったため、頻度も高くはなく、この家に少し騒がしい子供がいてもそれはそれでいいのではないかというそれぐらいの軽い考えだった。
まぁ、バナナが生まれるとは思ってはいなかったけど。
食べ終わってお皿を洗っている夫の横顔を台に肘をつきながらじっと見つめる。
「どうしよっか。」
静かな空間にただ水の音と食器の当たる音だけが響いた。
彼は皿から視線を上げずに口を開いた。
「僕は君の好きなようにしたらいいと思うよ。食べてもいいし、このまま置いておいてもいいし。もちろんゴミ箱に捨てたっていい。君がそれに対してどう思っているか、僕にはわからないし、」
ただ、そう一呼吸おいて食器の音が止んだ。
「バナナは僕らと違って栄養補給ができないから腐るよ。いつかね。死体みたいなものだよ。」
再び食器の当たる音が鳴り始めた。しかし、私の脳はその音をもう聞いてはいなかった。そう、死体のようなもの。彼に悪気はなかった。ただ私の頭を死体という言葉が反芻していた。サルの親が死産した子供をミイラになっても抱えているようなもの。それが今の私とバナナであった。
気持ち悪い。
そう思っても私は目の前のバナナを捨てることも食べることもできなかった。
いつもと変わらない休日がただ淡々と過ぎていく。視界にバナナが映り込むこと以外は、だけれども。
目の前の文字が滑って頭に入ってこない。彼はのんびりいつもと変わらずに本を読んでいる。私も格好だけはいつも通り本を読んでいる。バナナだってそこにあることはあったかもしれない。
私の頭だけがいつも通りを実行できていなかった。
だんだんと私はイライラしてきていた。こんなものに心が乱されていることが。こんなものに趣味の時間を邪魔されているという事実が。なぜ私はこんなことで悩んでいるのだろう。バナナである。見た目は確かにバナナである。中身は?
中身、中身はどうなっているのだろうか。もし、もし臓器が入っていたとして、すでにこの子はもう丸一日何も口にしていない。いくら食事ができないからと言って栄養が要らないわけではない。
これはもう死体である。
私はバナナを手に取った。
彼はそれをちらりと横目で見た。
ぶちっと頭をもぎる。
彼の視線はもう手元の本に戻っていた。
バナナを食べた。
不味かった。
私の胎では美味いバナナは作れなかった。まぁバナナが甘くなる成分なんて私の胎で生み出すことはできないのだから当たり前なのだけれども。
食べ終わったバナナの皮を席を立ってコンポスターに投げ捨てる。
しばらくバナナはいいや。
バナナのDNAが60%ぐらいが一緒って話が好きなんですよね。先日、大学の講義にてネズミのDNAが人間に近いから、昔はネズミで実験をしていたのだという話を聞いて、ほんとかよと笑っていた時に思いつきました。ありえない話ってありえなさがカンストしないぐらいが一番笑えますよね。この話がぎりぎりその基準を超えていないか少し不安です。
ちなみに私は史実というものをあまり信用していないのでネズミで実験していた理由はそれではないと思っています。




