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真実への失望

 大切なあなたへ。

 今、わたしはとっても楽しい日々を過ごしています。想像していたよりも、すごく楽しくて充実した日々。わたし、きっとここで上手くやっていけそうな気がします。

 勉強とか寮の暮らしでの決まりとか、覚えなきゃいけないことがたくさんあります。今まで村でのんびり暮らしてきたけど、これからはそうもいかないようです。でもきっと大丈夫。みんな優しくていい人たちばかりで、わたしはきっと頑張れることでしょう。

 今、これを書いてる手も嬉しくて跳ね回ってしまいそうです。

 でも心配しないでね。どんなに環境が変わったって、あなたのこと絶対に忘れないから。

 わたしだけは、あなたのことを忘れたりしないから。ましてや、踏み台にするなんてそんなひどいことしません。

 それじゃあ、今日はこれ位で。

 明日もまた、楽しいことをたくさん書くから楽しみにしててね。

 ずっと大好きだからね、おやすみなさい。


   *


 数日の旅の間、少しでもこの二人に信頼を寄せ始めていた自分がとてつもなく愚かだと思えた。

 そして、たまらなく悔しかった。

 今、こうして目の前で対面するデニスの兄貴の変わり果てた姿に恐怖し、あるいは涙することがないのが、ある意味せめてもの救いだったのかもしれない。

 いや、沸騰した怒りでそれらの感情など分からなくなっていたのだろう。

「どういうことなんだよ……どういうことだよ!?」

 デニスは、一人密かに滞在していた小さなとある町のさびれた宿屋にいた。別の街でささやかながらも幸せに暮らす妻とその子には、すぐにでも知らせが届くだろう。

 ご主人は、殺害されました。

 売春婦と密かに戯れていた宿屋で無残に。

 おそらく、手口から指名手配されているウイリアムス・ブレイクの犯行だと思われます。

 デニスの兄貴は、宿屋の一室――たった一人で、ベッドに横たわっていた。

 全身を激しく殴打され、顔はおろか、その身分さえ判別するのが難しいほどに変わり果てた姿で血にまみれ――血と肉、体液の臭いが入り交じった室内は立っているだけで気分が悪くなりそうだった。

 あいつは、やはりあの頃と何も変わっていなかった。どうして、どうして二年も経ってデニスの兄貴にまで――ジョシュアが不条理な現実に絶望していた時、至って冷静なマーサが「やっぱりね」とつぶやくのが聞こえた。

 すぐにどういう意味だと詰め寄った。

「あら、やっぱり何も知らないみたいなのね?」

 気づけば、ブレイクに関する詳しい話は何も聞かされていなかった。いや、むしろ聞きたくなかったから、それでいいのだと勝手によく分かっていないこの現状を享受していたのかもしれない。

 強い決意など、何も持っていなかった――そんな当たり前の事実を、自分を冷たく見据えるマーサの目で気づかされた。

 この二年、滅んだアムール村の生き残り、世間より激しく罵倒されるべき呪われた一族――ブレイク家の人間であることをひた隠しにして生きてきた。どれほどお調子者で狡猾、冷徹で世渡り上手で頼りがいのある少年を演じていても、心の底ではいつも恐怖でいっぱいだった。

 もし、自分の素性や本名が知られたら――努めて平静な顔をしつつ、必死にごまかし続けることに精一杯だった。

 だからこそ、無意識にウイリアムス・ブレイクの情報を聞かないようにして過ごしてきたのだろう。

 事実、この二年奴の動向を一切知らずにいたのだから。

 マーサはデニスの元へ向かう道中、ジョシュアがそのことを問いただしても、すぐに詳しいことを話さず――もっと大事な場所で話すべきだと、何も話してはくれなかった。フォスターもそれに倣い、その件に一切触れず歩み寄りだとばかりに自身の身の上話を一方的にするだけだった。

「彼が殺された理由、分かるかしら?」

 マーサは怒りで我を忘れかけているジョシュアを諭すよう語りかけた。

「二年前、ブレイクはアムール村で大勢の村人を惨殺した後、逃亡中次々と生き残った村人を捜し出しては殺していったわ。デニス・ハートマンもちょうどその犠牲になったみたいね」

「……!?」

「奴がなぜ、わざわざ生き残った村人を捜し出してまで殺しているのか――残念だけど、まだ何も分かっていないわ。私の母もなぜ殺されたのか分からない」

 ただ一つ言えることは、とマーサは続けた。

「奴は、『悪人』を殺しているのよ」

「悪人……?」

 一体何の話をしているんだよとばかりにジョシュアの目が思わず嫌な光を持ったが、彼女は無視した。

「あなたが押し入った家の老婆は守銭奴で、金のためには人の命すら惜しくなかった人間だった。二年前からブレイクはアムール村の生き残りを捜す一方で、そういう人間達を大勢殺しているの。強盗殺人犯でありながら証拠不十分で無罪放免になった男。大勢の子供達をさらっては殺したと噂される辺境に住む精神を病んだ領主。中には、周囲から五人の子供を養う働き者で善良な母と慕われていた女も惨殺されたわ。そして調べてみたら、女は辺境で勃発した内紛中親友の子供を見殺しにしていた事実が判明した。戦争で余裕がないから、自分の子供たちを守るため仕方なく預かっていた二人の姉弟を追い出して餓死させた――その事件は悲惨だったわ。母親だけじゃなくてその再婚相手に五人の子供たちまで、まるで全員姉弟の死に荷担した共犯者だと言わんばかりに皆殺しにされた」

「……ひでえ」

 それしか言葉が見つからなかった。

 なんて、残酷な人間なのだろう。

 改めて兄をそう思い知らされた。いや、兄とすら思うだけでもひどく罪深い。

 今思えば、一二才で殺人を犯した時点で奴はれっきとした異常者だったのだ。

 なぜ、その事実に誰一人気づけなかったのか?

 なぜ、結果的に奴を野放しにしてしまったのか。

 奴は反省などしていなかったのだ。

 奴は、心の奥底に巣くっていた殺人衝動に負けたのだ。そしてそれは早く葬り去られるべきはずだったのに、誰も事の重大さに気づけず暴走を許したのだ。

 ジョシュアが絶望と怒りで肩を落とす姿を、マーサはじっと見つめるだけだった。

 そして――ふっと、静かに笑った。

「?」

 なぜそんな顔を? 顔を上げたジョシュアの疑問に彼女は冷酷に答えた。

「確かに、奴は『ひどい』わね。だけど、冷静に考えたら――奴は殺されて当然の連中ばかり殺しているわ」

 まるで、自分が処刑人にでもなったようにね――そう続けて、マーサはぞっとするような冷笑を浮かべた。

「何言ってんだよ、お前」

 ジョシュアは別の怒りで表情を変えたが、彼女の冷笑に想像以上に怯えてもいた。側で、様子を見守っているフォスターが緊張したような気がした。

「だってそうでしょ? 殺された連中は、根っからの極悪人から、善人の振りをした極悪人ばかり――最後の母親なんてひどいじゃない? 自分の子供を守るっていうきれいごとで他人の子供を殺したのよ――自分の手も汚さずに、同情されるべき理由によって誰からも責められずに」

「だからって、子供には何の罪もないじゃないか!?」

「あなたがそんなこと言えるの?」

「……!」

「マーサ、それ位にしておいて下さい――」

「同じ立場で原因を作った――それだけで同罪なのよ。他人や環境のせいにするのは簡単だわ、そうやって裁くべきものを裁かないから、こんなことになったんじゃない!!」

 マーサは激しく吐き捨て、デニスの亡骸を指差した。

 その瞳には、強くジョシュアと戦ってみせると言わんばかりの強い光が宿っていた。

 見つめる相手に、何も言わせないほどの強い光。

「ブレイクは村の脅威を守るため殺人を犯した。そしてまだ少年、将来を守らなければならない――そんなきれいごとを並べて、母は率先してブレイクの世話を焼いたわ。私もそんな母が誇りだった――正直言うとね、彼女は裁かれたんだと思ってるの。殺した相手に関係なくね……」

 そしてちらりと、血まみれの骸となったデニスを一瞥する。

「この男だって――アムール村の滅亡に荷担した極悪人よ。当然のように許された愛や友情を出汁に、人殺しを受け入れ奴の凶行を引き起こしたれっきとした罪人よ」

「やめろっ!!」

「そろそろ怖がるのやめたら? あなたはブレイクの弟として義務を真っ当しなきゃいけないのに、どうしてそうやって理解すべきことを理解しようとしないのよ!?」

「違う、違う!!」

「違わないわよ!! 私たちはね――生まれながらの罪人なのよ。あたしもあんたも、殺されたみんなもどうあがいたって地獄行きなのよ!!」

「マーサ――!」

 バシッ――!!

 一瞬の沈黙が流れたような気がしたが、それはとてつもなく長い時間のようだった。

 しかし、それはやはり一瞬のことですぐに現実に引き戻される。

 右手の平に残った感触で、気づかされた。

 たった今、マーサを平手打ちしたのだと――拳でなかったことは、わずかな理性と良心が働いた結果か。

「……ジョシュアさん?」

 荒い息をつき腕を上げたまま、目を見開きただ立ち尽くす彼の姿に異様なものを見るように、フォスターがこちらを見ているのを横目に感じた。

 マーサはじっと、平手打ちされた頬を押さえて彼を見つめた。痛みなど微塵も感じていないと訴えているような強い瞳で。

「……もううんざりだよ。口開ければ人をゴミみたいにしつこく罵倒しやがって――挙げ句死者にまで無神経にムチ打つような卑怯な真似までしてよ……お前、最低だよ。どうしてそこまで他人に冷たいこと言えるんだよ?」

 ジョシュアはそう、努めて冷静に彼女に問いかけた。

 マーサは何も言わなかった。

 あくまで挑戦的な眼差しで、じっと静かに睨みつけるだけだった。

 何か言えよ――イライラさせられて、腹が立って、やりきれなくて仕方ない。

 そんな彼の様子に気づいて、マーサはまた冷笑した。

 だめだと悟った。

 これ以上、我慢する必要はない。

「お前なんかと一緒にいたら、デニスの兄貴に顔向け出来ねえ」

 一体どんな言い訳をしているんだ――ジョシュアは自分でも訳が分からなかったが、無視して考えないようにした。

 きびすを返し、部屋を出て行こうとした。

「どこへ行くんですか?」

 どこまでも穏和だと思わせるフォスターの声を背中に受けて、異様に良心が咎めさせられるが懸命に無視した。

 足早にこの場から立ち去ることが、最善の策であるのだと信じ込んで。

「逃げても無駄よ――教会からは逃げられない。私たちの罪からは逃れられないわよ!?」

 まあ、どうせ逃げられるなんて思わないけど――侮蔑が存分に入り交じったマーサの声を振り払うように、ジョシュアは一人宿屋を後にした。

 自分は一体何をしているのだろう――決して振り払えない悔しさを胸に抱き、あてもなく彷徨うことを選んだ。

 それからどうするのか、どうすればいいのか、分からなかった。

 デニスが死んだ悲しみさえもうなかった。ただもう、何も考えたくなかった。


   *


 お久しぶりです。大切なあなた。

 また、しばらく書かないでいてごめんなさい。わたしは不甲斐ないですね。だから、今こんなにも苦しんでいるんでしょうか。

 きっとわたしは、大きな報いを与えられているんでしょうね。これを試練だとみんなは言うかもしれませんが、きっと違うんだと確信しています。

 だってわたしは、とても罪深い存在。

 例え開き直りでも、そんな風に考えて自分を納得させなければやっていけません。

 ごめんなさい。わたしはずっと嘘をついていました。

 あなたに悲しい顔をしてほしくないばかりに、いや、わたしはあなたにわたしの弱くて汚い部分を見せたくなかったのです。

 わたしは嫌でした。あなたにあれだけ明るく頑張っている姿を見せつけておきながら、何も出来なかった自分をさらけ出すのがたまらなく、嫌でした。

 そんなずるいことを考えるから、みんなわたしのことを嫌いなんでしょうね?

 もう限界です。

 ごめんね。ずっと楽しい日々を過ごしていると散々嘘をついてきたけど、もう耐えられなくなってしまいました。

 あなたにだけは、全てを話したかったのに。わたしは、大切なあなたに嘘をついてしまった。

 それだけは、してはいけないはずなのに。

 世界でたった一人、大切なあなたを裏切ってはいけないはずだと、誰よりも分かっていたはずなのに。

 わたしは、とても大きな罪を犯してしまいました。

 ごめんなさい。

 ここに来てから、わたしはたくさん裏切られました。

 あの村にいるのは耐えられませんでした。あなたがいなくなってもみんな笑っている。何事もなかったように幸せに暮らすことが出来る。いつまでも悲しみに沈んでいることが罪深いことであるかのように振る舞って、わたしを苦しめて踏みにじる――何より、あなたを冒涜するようなあんな連中のいる村なんか、逃げ出したくて仕方ありませんでした。

 あの女から受けた提案なんか、受け入れたくありませんでした。それでもわたしは彼女を受け入れ、この理不尽な現実から立ち直ったふりをして、自分を無理矢理にでも立ち上がらせて前に進んでやろうと強く思いました。

 そうしなければならないと、分かっていたから。

 分かっていました。あなたがいなくても、どんなことをしても強く生きていかなくてはならないと。

 でも、そんな気持ちももう限界みたいです。

 毎日が悪夢です。毎日死んだように生きています。生きることは地獄です。どうか今、こうして息をしているこの現実が全て夢となって目覚めた時消えてしまえばいいのにと、毎日それだけを願うだけです。

 どうしてなのかな?

 どうして、あんなにも辛い思いをしたのに、またこんなにも辛い思いをしなければならないの?

 どうしてみんな、わたしを悪く言うの?

 どうしてみんな、わたしを悪いものを見るような目で見るの?

 わたしが何をしたの? わたしが辛い経験をしたことがそんなに悪いことなの?

 わたしのせいなの?

 わたしのせいで、あなたがいなくなったからみんなわたしが悪者だと思ってるの?

 わたしのせいなのかな?

 みんなやっぱり、わたしはとっても醜い心を持った、汚らわしい心を持った腐った人間だって気づいているのかな?

 そうなんだよね。だから、わたしは今こんなに苦しめられてるんだ。

 だったらどうして、あいつは今あの村で幸せに暮らしているのかな?

 どうして、あいつはあの村に戻ってこれたの? どうして、あいつはあんなにものうのうと暮らしていられるの?

 どうしてどうしてどうして、あいつは生きてるの? どうしてどうしてどうしてどうして、どうしてあいつがあいつがあいつが。

 許さない。

 大っ嫌い。

 全部大っ嫌い。全部消えてしまえ。みんな地獄に堕ちてしまえ。

 全部、全部なくなってしまえばいい。

 ほら――分かった?

 わたしの心はとっても汚いでしょ? 顔すら思い出したくない位に。気持ち悪いでしょ?

 だから、わたしはずっとこんな自分を隠し続けてきました。誰よりも大切なあなたに、こんなわたしを見せるのは耐えられませんでした。

 わたしは、とても重い罪を犯しました。きっとこういうことなんでしょうね。

 だから、人を許す資格などないのでしょう。こんな風に、人を許せない歪んだ心を持っている以上、わたしはいつまでも罪人のままです。

 だからといって、許されたいと思いません。

 あなたの身に降りかかった出来事をなかったことにする位なら、わたしは罪を背負ったまま命を捨てるでしょう。

 わたしは、これから自分を裁こうと思います。だってわたしは、とても重い罪を背負っているから。きっと生きる資格などありません。これ以上生きていれば、この罪を持つが故に誰かを傷つけ、下手をしたら一生取り返しのつかないことをしでかすかもしれません。

 そんなのはごめんだわ。そんなことをする位なら、誰かにまた責められる位なら、わたしは自分でこの人生を終わらせます。

 ねえ、おかしいよね?

 誰かの命を奪っても、神様にすがって深く反省すれば許されるのに、どうして自分の命を奪うことは、それだけでもう許されないんでしょうか?

 誰かを傷つける位なら、そうした方がいいのに。そうしてほしかったのに。

 誰かを傷つけた方が、よっぽど重い罪に決まってるのに――どうして、誰もそんなこと分からないんだろう?

 ほら、やっぱりわたしの魂は汚れてる。

 だから、わたしは自分でとても苦しい罰を与えるんです。

 こんなわたしに、とってもふさわしい運命。

 これでわたしの魂は、永遠に許されないものになる。きっとその苦しみはいつまでも続くのでしょう。

 構いません。誰かに裁かれる位なら自分から裁いてやります。

 誰かを傷つける位なら、わたしはその誰かを守るため潔く消え去ってみせる。

 わたしは、あいつとは違う。

 だから、ごめんなさい。

 いつか会おうって誓っていたのに、わたしは今度こそあなたに会えなくなりました。

 本当にごめんなさい。

 だけどわたしは、どんな苦しい世界に行ったって忘れないから。

 あなたのこと、絶対に忘れない。

 だってこうして目を閉じただけでも、今もあなたの記憶は薄れることなく、あなたの輝く姿がはっきりと浮かんでくるのだから。

 ありがとう。とても短い間だったけど、あなたと過ごした時間は楽しかった。かけがえのない宝物をありがとう。

 わたしたちは、どんなに離れていても一緒だから。どんな暗闇にいても、わたしの心にあなたは消えないから。

 全ての記憶をなくしても、あなたのことだけは忘れたりはしない。

 さようなら。どうか、いつまでも笑顔を忘れないで。あなたに似合うのは太陽のような笑顔だけだから。

 どうか、いつまでも輝いていて下さい。

 さようなら。大切なあなた。

 いつまでも、元気でね。

 わたしはあなたを愛することが出来て、本当に幸せでした。

 この愛は、わたしの永遠の誇りです。

 どんなに汚れた魂を持っても、これだけは紛れもない真実です。

 だから、どうか変わらないあなたでいてください。

 さようなら。世界中の誰よりも大切なあなた。


   *


 これからどうしよう、などと怯えたまま歩き続けるつもりはなかった。

 教会など知ったことか、殺人鬼を野放しにした偽善者共。ついでに、殺人鬼に殺された被害者まで冒涜するペテン師共。

 殺されていい人間など一人もいない。生まれてきてはいけない命などありはしない。

 どんな命にだって、生まれて来る意味はあるのだ――飽きるほど聞かされた、生命の尊さと素晴らしさ。

 人殺しを生み落とした奴がよく言うよ。

 思えば、母は自分の犯した罪から逃れようと、人間達が大昔から信じて疑わない道徳心にしがみついていたのだろう。

 その代償は重かったのか――逃げれば、それ相応の報いは受けるってわけか。

 上等だよ。いくらでも払わせてみろよ。

 ジョシュアは二年前より培ってきた歪んだ反骨精神を駆り立てられるのを感じた。高揚感とでも言うのか。

 どうせオレは、ウイリアムス・ブレイクの弟だ。人殺しの弟だ。殺人鬼の弟だ。

 代償なんて、この世に生を受けたことと引き換えに勝手に払わされたんだ。これだけで何も怖くない。

 そうだ、何を怯えているんだ。今までそうやって生き抜いてこれたんだ。これからどう生きようと、怖がる理由もありはしない。

 堂々と生きてやれ。太陽なんかどこの誰にも平等に日を照らすのだ。

 ジョシュアはどんどん希望が病的にわき上がる己に戸惑うこともせず、軽くまっすぐな足取りで歩き続ける。

 その道の先に待つものを、絶対的に信じているかのように。

 念のため立ち止まり、後ろを振り返ってしまった――一応全力疾走であの場所から離れておいたから、誰の追跡も受けていない。監視しているのはあの二人だけとは限らない。教会の連中のことだ。物陰からこっそり見張ってる手先がいたって不思議ではない。

 だったらもっと逃げてしまおう。二年も行方をくらませることが出来たのだ。見つかった理由は――そこまで考えてやめる。

 これ以上、てめえに人生をめちゃくちゃにされる覚えはねえよ。血のつながりなんぞ知ったことか。

 だったらオレは、もっと濃い水でも探し出してやるさ。

 もう町は遠い。どんどん小さくなっていく――今頃別の町で、デニスの新しい妻と子は大黒柱の訃報を聞かされ絶望しているのだろうか。もしくはもうすぐか。

 それが罰だと、マーサはあの冷たい顔で言い放つのか。罪を犯した人間を都合よく受け入れることなど同罪だ。傷つけられた者達の気持ちを顧みないことは、大罪なのだと。

 自分の幸せしか考えられないような奴は死んじまえ。

 くそ。あいつはとんでもない危険思想の塊だ。本当にあのパトリシア・クロフォードの娘なのか?

 本当に、あの明るくて優しい幼馴染みの少女なのだろうか――ジョシュアは一瞬だけ浮かべた悲哀の表情を振り払い、強い決意を秘めた瞳をたたえ歩き出す。

 過去は過去だ。忘れてしまえ。

 まずは、どこか別の町か村――出来るだけ遠くの場所がいい、何とか探し出して、何食わぬ旅人を装って潜り込もう。年齢などどうにかなる。放浪する子供など別に珍しくはない。不審な目を向けても皆自分のことで精一杯なのだ。一人旅をする子供などすぐにどうでもよくなるし、こっちも至って平凡な少年を装えばどうにもなる。

 そうやって生き抜いてきたのだ。

 誰にも邪魔はさせない。

 誰にも、決して――妙な視線を感じて、足が止まった。

 そろそろ夕暮れ時のようだ。一人街道を歩き続けてだいぶ経つ。てっきり、他に歩く旅人でもいるのかと楽観的にふと思った。

 すぐに気づかされた。

 視線が、四方八方に存在すると。

「――!」

 身構えそうになったが、ひとまず腰につけた布袋をあさるふりをする――立ち止まったことに不信感を抱かれないため、咄嗟に行った行為だ。

 すぐにまた、何も気づいていないふりをしてしばらく歩き続ける。

 嫌でも感じ取れた。

 自分をじっと監視するように、一斉に見つめるその視線が、とても憎悪に満ちたものであると。

 皆一様に、示し合わせたように同じ視線だ。

 努めて恐怖や戸惑いなど押し殺し、ジョシュアは冷静に足を進めた――ほんのわずか、おそらく相手が気づかないほどわずかに油断した気配をついて、全力で駆け出した。

 目の前に続く道が、限りなく彼方まで続いているような一抹の悪夢を見せられる。

 こんなところで捕まるわけにはいかない。こんなところで捕まるわけにはいかない。

 気配が遠くなる。このまま逃げ切れる――と、油断したことが大きな災いか。

 肩に激しい痛みが走った。

「――!?」

 ここでやっと、今まで数本の矢が自分めがけて飛んできていた事実に気づかされた。しかしこれ位で力尽きるかと、苦痛などものともせず走り続けてみせる。

 体に妙な揺れを感じたと思った時、何も考えられなくなったような気がした。

「――!」

 もっと気づけば足がもつれた。腕が動かない。足が鉛のように重い。体がいきなり重りを乗せられたような感覚に支配される。

 体が理不尽に動かない。

 すぐに、肩に刺さった弓に強力な毒が仕込まれていたのだと、頭の片隅で考えた。これは有名な毒だ。決して致死量がない分、強力な作用で体を数日もの間麻痺させる力を持つ。

 そして、一時的にせよ意識を昏迷させる。

 視界が分かりやすい位ぼやけていく。肉体に合わせるかのように、聴覚も失われていく。

 恐怖や戸惑い、悔しさなど感じてる余裕などなかった。

「世話かけさせやがって」

 いまいましげに吐き捨てる男らしき声を聞いたまま、ジョシュアは気を失った。

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