再会
私はこれから、とある人物が己の全てをかけて刻んできたある記録を残そうと思う。私の名もその人物の名も、あえて語る必要はないだろう。
願わくば、今私が遺したこの文面を君が読んでいることを祈るばかりだ。未来や運命など、全ては神のみぞ知るとはよく言ったものだ。
私達は、ずっとそんなものと愚かな戦いを続けてきたのかもしれない。しかし後悔などしていない。いや、今さら何を吐き出したところで終わったのだ――君なら、必ず私達だと気づくだろう。そう期待させてもらおう。
時間はもうない。これ以上多くを語れないのが残念だ。奴らがもうすぐ現れる。どうか、必ずこれを見つけてくれ。
私達は、必ず待っている。
この暗闇の下――いつか君がまたここで帰ってくることを、いつまでも待っているから。
*
おひさしぶりです。大切なあなた。
早いものですね、あなたがいなくなってからもう一年も経ってしまいました。時間は残酷なものです。あなたの存在などあってもなくても、変わらず動き続けていく。
そして、わたしたちの時間は二度と共に進むことは出来ない。
何度も手紙を出そうとしたけど、出来ませんでした。今こうしてあなたに気持ちを伝えるようになるまで、ずいぶん長い時間がかかってしまいました。寂しい思いをさせてごめんなさい。でもこれからは、こうしてずっとあなたにわたしの気持ちを伝えていきたいと思います。
あなたに届いているか分かりませんが、わたしは書き続けていこうと思います。
あなたのことを忘れないために、何よりわたし自身がわたしの気持ちと向き合うために。
だからどうか、もしどこかでこのわたしの書いた日記を今こうして読んでいるのだとしても、どうかずっと見守っていてください。
忘れないで。
わたしだけはきっと、あなたを忘れたりしないから。
*
準備はいいかと聞かれ、意識が戻ったような気がした。
隣にリックがいる。組織に流れ着いて以来、やたらとなれなれしく絡んできて、今もこうして唯一無二の親友面をするお調子者。あまりうっとおしい顔をすると周りがうるさいので、一応親友だと思っているふりをしている。
それでも、親友のくせしてヴァンはリックに冷たいと年下連中がうるさくてうっとおしい。正直、嫌いだと言ってしまえたらどんなに気が楽か。そんなこと言えば孤立する。
そんなのはごめんだ。金輪際うんざりだ。
その人のよさと人当たりのよさに免じて、今日もこいつが何を言っても何も不満に思わないでおいてやろう。リックはいい奴――周りの絶対的な評価を覆してまでこいつとの距離を置くつもりもない。いつものことだとあきらめるんだよ、ヴァン・スカイブルー。
ヴァン・スカイブルー。それがお前の名前なんだ。
さあ、また意識を集中させよう。
意識を集中し過ぎたようで、気づいたら全く知らない場所に立っている。
二年前からこんな調子だ。過酷な日々で培った処世術。苦悩から合理的に逃れるために、こうして今日も生きている。
「行こうぜ――!!」
小声だが、力強いリックの声に押される形で身をかがめ、闇に包まれた廊下を音も立てずに進んでいく。今日も屋敷の扉は、リックお得意の錠前崩しで何の不都合もなく開かれた。
さあ、このまま誰にも気づかれず金目のものをごっそり盗んでとんずらしよう。
それが生きる糧。今日を生き、明日を生き、未来を生きる不遇なる子供達の生きる術。
貧しい下層の存在を嘲笑する歌だ――一度この歌を街ですれ違った裕福な家の子供に聞こえよがしに歌われ、激昂してその子供を突き飛ばし、危うく殴り殺しそうになった。
後からそんな自分の様子をリックから聞かされ、なぜか異様に涙が止まらなかった。
その日一日泣きじゃくって、数日間殴った子供の姿が目に焼きついて離れなかった。
自分より数才下で、背丈も体重も少なかった少年。突然もたらされた苦痛に顔を覆って泣き叫び、懸命に我が身を守るよう両腕で体を隠していた。
まるでこちらを、殺人鬼を見るような目で――。
「ヴァン、どうした?」
しっかりしろよと言った表情のリックがこちらの顔をのぞき込んでいた――慌てて普段の冷徹な顔を繕って返事をする。
お前、今日なんか調子悪いぞと背後にいる残りの仲間が不安げに話しかけてくる。一方的に大丈夫だと言い捨て、意識を『仕事』へ集中させる。
頭の中で一生懸命、自分の名前をつぶやいて叱責し、雑念から解放させる。
そして戻ってくる、冷静で子供らしくない狡猾さを持つ、謎の少年ヴァン・スカイブルー。
「行くぞ――」
何とか仲間の信頼を取り戻したところで、目的の部屋へ足を踏み入れようとした。屋敷は広大で発見の心配は少なく、万が一に備えられるような隠れ場所も多いが、やはり一部屋一部屋にあまり時間はかけられない。二手に別れ、捜索を始めようと指示を出した時――激しい悲鳴が起きた。
「!?」
瞬時に全員で凍りついた。
どれほどじめついた血なまぐさい裏道を歩いていても、やはり慣れない。まだ自分達が子供だと嫌でも実感させられるより前に、ただ恐怖だけが先走る。
ヴァン・スカイブルーだけは違う。
だからこそ、彼は年かさ連中に一目置かれ、同年代や年下の少年達をまとめる役回りを新参者の分際でたやすく獲得出来たのだ。
怯えながらも、そこには軽薄な好奇心しか見受けられないリックの間の抜けた表情を一瞥し、ヴァンは冷静な口調で様子を見に行く旨を告げ、リック以外の仲間を残し悲鳴の聞こえた方角へ向かった。
リックを同行させたのは、こんな状況でもやはり彼を信頼しているのだと、周囲にすり込むためだった。こんな状況だからこそ、単独行動は厳禁なのだ――個人主義は集団生活の秩序を軽んじる罪深き行為。生きることはとにかく面倒くさい。
場所は二階か――ヴァンは無理して平静で冷徹であろうとする背後の相棒を気にかけず、ゆっくりと音を立てずに階段を登る。
まったく、これが世間を騒がす盗賊団の次代を継がんとする若き後継者かね――確かに立ち回りも度胸も、逆境に負けぬ底意地も並の子供以上のものを持ち合わせているが、正直時折疑問に思う。
まあいい。致命的な失敗は大人でもやるのだと言い聞かせる――周囲の未熟ぶりを年長者に告げたところで、早熟な坊主の戯言だと聞き流されるばかりか、他者を見下す優越感の塊だと周囲から糾弾され孤立させられるのが落ちだ。
大事なのは、誰かの理想通りの自分であれ。
そうすれば、何があっても皆は味方だ。
二階に一歩足をつけた途端、よからぬ気配を感じた。
確かに先ほどの悲鳴は常軌を逸していたし、あの悲鳴の人物が最悪殺されたとしても不思議ではない。
それでも、どんな状況でも冷静であることを捨てるつもりもなければ余裕もない。
事実、何度か人の死に直面した時も、常でそうであるよう言い聞かせられてきたし、そうすることが最も正しいことだと散々教えられてきたし充分思い知ってもいる。
今起きていることも、同じことだ。
そうだろう? ヴァン・スカイブルー。
「……どうした?」
リックの声ではっとさせられる。すぐに確かな足取りで先を進む。
収まったはずの悲鳴が、今度はか弱く痛々しいものへと変化していた。
続く殴打する音。
必死にやめてくれ、苦しいとか細く叫んではどんどん小さくなっていく、老婆の声。
嫌でもまた足を止めさせられるが、ヴァンは違った。
「なあ、やばいんじゃねえの……?」
背後のリックがそろそろ我慢出来ない恐怖をにじませ、相棒の背中に語りかける。
「俺だけで様子を見てくる。お前は仲間の所へ戻れ」
そして、少しでも何か危険を感じたら俺に構わずすぐ逃げろと言い添えて、ヴァンは現場へと確実に進んで行った。
「――待ってるからな」
大して気の利いた台詞を思いつかないまま、リックは足早に仲間の元へ戻った。それを見ることもないまま、ヴァンはまだしつこくか弱い老婆の声が聞こえる廊下の奥――一番奥の最も大きくて立派な扉前まで、辿り着いた。
ふと、やはりこのまま引き返してリック達の元へ戻ろうかと思ったが、出来なかった。
なぜだか分からなかった。ただの好奇心にしては出来過ぎているような、誰かに操られているような、不可解な感覚。
罠だと察知し、きびすを返すことだって出来たはずだ。
それでも、扉に手をかけた。
異様な義務感に急き立てられるように、ヴァンは扉をゆっくりと開いた。
鮮血に染まった部屋の光景が目に飛び込んできても、その手を止めることは出来なかった。
老婆が、手足をだらりと垂らした状態で立派な椅子に座っていた。
体中を血に染めて――頭からつま先まで、容赦なく全身をつぶされた状態で事切れていた。
あまりに大きな力で殴打を繰り返されていたのか、そのしわだらけで弱々しい首や手足は折れ曲がり、切断寸前にまでなっていた。
そんな老婆の血を吸い上げ、見事な深紅へと様変わりした椅子と絨毯の側――じっと、大きく長い棒状のものを手にした人影が立ち尽くしていた。
気づけばヴァンは、その人影のすぐ近くにまで迫っている自分の体に気づいた。
体が勝手に進んでしまった。本来ならば、すぐ隠れるか見つかれば全力で逃げるはずなのに――ここでやっと、自分が常軌を逸した行動を散々やらかしていた事実に気づいた。
生命の危機を感じた。
すぐに老婆が恐ろしい殺され方をしたと戦慄し、今度こそきびすを返そうとした。
出来なかった。
人影の姿形がはっきりと目に飛び込み、閉じ込めていた記憶の奥底を激しく揺さぶったから。
それこそ激しく、殺意を持ったように。
「……嘘だ」
やっと口からこぼれた一言が、それだった。
姿形はおろか、顔もあの頃と何も変わっちゃいない。どれだけ記憶からしめ出そうとしても出来なかった。
それは生まれてからずっと、側にいたかけがえのない存在なのだから無理はなかった。
忘れたくても、出来なかった。
忌まわしい記憶が、今目の前に戻ってきていた。
あの頃と変わらない、憎悪と狂気、全てを超越したような衝動に突き動かされていた、おぞましい笑み。
悪夢が戻って来た。
目の前が真っ黒になっていく感覚に支配された。すぐに自分は意識を失いそうになっているのだと頭で感じたが、体をどうにかするまでには至らなかった。
そしてヴァンは、どす黒い暗闇に包まれたようなその人影が、自分の方へゆっくり近づいて来るのをわずかに感じた。
生命の危機を感じようにも、意識はすでに無の世界に飛ばされていた。
*
『ジョシュア・ブレイクに関する詳細報告書』
王国歴五〇三(大陸歴四六三九)年西ナサニエル地方アムール村にて、父ハワード・ブレイク、母メアリーベル・ブレイク夫妻の次男として出生。両親は共に二年前に起きた『アムール村壊滅事件』により死亡。兄であるブレイク家の長男、ウイリアムス・ブレイクは事件の主犯として現在も逃亡中、各地で連続殺人を繰り返している事実が確認されている。現在ブレイク家で生き残っているのは彼と次男のジョシュアのみである。
二年前の事件直後、奇跡的に無傷のまま自宅の物置で発見されたジョシュア少年は、一部教会関係者の手厚い懇意によって孤児院に保護された。しかし周囲の気遣いも虚しく同院に保護されていた他の子供達や周囲の大人達によって手ひどい差別を受け、自身の環境に耐えきれずある晩孤児院を脱走。以後行方知れずとなっている。現在、一三年前兄ウイリアムスが起こした『アムール村封印解放事件』においても兄の更正と社会復帰に尽力した教会関係者パトリシア・クロフォードを中心として捜索が行われている。
*
みんなが燃えている。
泣き叫んでいる。
想像を絶する恐怖と絶望。命を最も残酷な形で奪い取られ、魂を消滅させられる不条理に怒り狂い、最期まで叫び暴れ回ることをやめることが出来ないように、みんなはいつまでも目の前で踊り続けていた。
何も出来ない。ただ動けないまま絶望するだけ。
なぜ、こんなことが起きてしまったのだろうか。
それを知る術は永遠に見つからないのではないかと思えた――事実、月日が流れても一向にそれを知る術は得られていない。
真実は、決して拭えぬ闇の中か。
残された者は逃げるだけ。理不尽な嫌疑に迫害、残された者に残されたのは過去への激しい悲しみと後悔だけ。
そこに未来の希望などどこにあるのだろうか?
そして気づけば、同じ悪夢を繰り返す夜。目覚めた時、額どころか全身に流れ落ちる汗。平穏な日々を過ごした記憶は、もう遠い。
必ず、終わらせてみせる。手がかりがあるのだ――それはもうすぐ近くにある。
必ず、終わらせてみせる。
そして、愛する者達の無念を晴らすのだ。
*
目が覚めた時、今までの出来事が全て悪夢だったらとよかったのにとまた考えた。
全て幻、自分は平和な村に住むただの村の子供に過ぎない。だから、何も怖がることはないんだ。
それを静かにあざ笑うような、灰色の天井が見えた。
すぐに気づいた。ここは牢屋なんだと。何度か世話になったことがあるから、嫌でもすぐ分かった。
なんて、なんて腐った人生なんだろう。
こんなはずではなかったなどと、思わない。なぜなら、自分の人生は生まれて来た瞬間に呪われていたのだから。
生まれてきてはいけない命など、ありはしない。生まれて来たことを否定してはいけない。
頭の中で嫌というほど響き渡る、慈愛に満ちた聖母ぶった声――振り払いたい。振り払って、バラバラにして、二度と元に戻れない位引き裂いて粉々にしてやりたい。
これが答えなのかよ? これがそういう意味だったのかよ?
ちくしょう。恨んでも恨み足りない。
沸き上がる憎しみから目を背け、ヴァンは体を起こした。固くて、当たり前だが寝心地がお世辞にもいいとは言えないベッドに寝かされていたらしい。大人の男がきちんと横になれる大きさだということは、ここは大人用の牢獄のようだ。
そうだ。罪を犯すのに大人も子供も関係ない。
出来ればもっと早く、そういうことに気づいてほしかった。だったら、きっと今頃――自分は生まれてきていなかっただろう。
だったらそれでいい。
こんな腐った人生を送らされる位なら、生まれてこない方がよっぽどよかった。
今なら胸を張ってそう答えられる。もうそんな主張に文句を言う愚か者はいないのだから。
そう、もうどこにも。
「気がついたかしら?」
意識をさらに覚醒させられる形で、ヴァンは顔を上げ、声の聞こえた牢獄の外へ向けた。
檻越しにこちらを見下すように見つめる、二つの目。
すぐに、投げかけられた声がやたらと冷淡ながらも、妙に背伸びしたような少女の声であったと気づかされた。
見た目にはこちらと年が変わらないように見える――少女の方が少年より大人びているのは通例だが、それを鑑みてヴァンはそう判断した。
「やっと会えたわね――ジョシュア・ブレイク」
あっさりと口に出された。
決して誰にも知られないよう、決して誰にもその名を口にさせないよう生きてきたこの二年が、その一言で完全否定されたような気になった。
「あなたは、ジョシュア・ブレイクね?」
呼びかけられても何も言わないヴァンに、少女は苛立ち念を押すよう再度語りかけた。
「……ああ、そうだけど」
自棄になったように、ヴァンは返答する。今さら違うとわざわざ言ったところで、こんな牢屋にぶち込まれた時点で全ては無駄だ。
ぞんざいな彼の態度に呆れたため息を当てつけのようにつき、少女はさらに冷たい眼差しと声色で続けた。
「そう。だったら話は早いわ――」
言って、近くに立つ看守に彼を出すよう命令する。子供のくせにえらくぞんざいな言動だ――ヴァンが冷めた目で自分を見ていることに気づいたか、彼女が改めてこちらに視線を向けた。
その目は、不愉快なほど冷たかった。
「逃げようなんて考えないことね。こっちはあんたの正体はお見通しだし、逃げたところでもうあんたは逃げられないわ」
冷笑さえ浮かべかねない勢いで、少女は言い放った。
こいつ、オレになんか恨みでもあるのか?
愚かな考えを抱き、すぐに愚かだと気づいてやめる。
そんなもの、嫌と言うほどあるだろうが。
「それで、オレに何の用だい?」
負けじとヴァンも強気に言い返す。
「自分の名前を言われた時点で気づいてるんじゃないの? まあいいわ――別のお部屋でゆっくりと話しましょう」
牢獄の扉が、ゆっくりと開かれた。
自由への道だと、誰が手放しで喜べるだろうか?
*
同じ壁の色に、同じ日当たりの悪さ――ただ違うのは、ここには牢獄特有の息苦しさとは違う、別の息苦しさが存在するのだろう。
ヴァンは椅子に座らされていた――周囲には何人もの看守。足枷などつけられていないが、やはり別の意味で信用がないことを教えてくれる。
逃げるつもりなどない。もうこちらの素性が知られている時点で、気力が萎えているのだから。
そんな彼を未だ信用することなく、向かい合って座る少女はヴァンに厳しい眼差しを向けてくれている。
まったく、ずいぶんな恨みを抱かれているようだな。
「覚えてないと思うから、自己紹介をさせてもらうわ。私はマーサ・クロフォード――あなたのお兄さんと懇意にさせてもらってた、パトリシア・クロフォードの娘よ」
棘のある台詞――あいつをわざわざお兄さんなどと呼びやがって。
ヴァンが苦々しく考えた時、別の重要事実が頭に浮かんだ。
「マーサ……?」
訝しげに自分を見るヴァンに、少女は冷笑を浮かべ、
「あら、やっと思い出した? こっちはあなたの顔を一目見て気づいたのに」
まるでヴァンをバカを見るように言い放った。
「……なんで、こんなとこにいるんだよ?」
久しぶりなどと言わない。むしろその疑問で頭は支配された。
マーサは冷笑をやめ、極めて冷徹な瞳でその答えを教えてくれた。
「あなたのこと、いろいろ調べさせてもらったけど――もっとも、あなたは私たちのこと知らないみたいだから教えてあげるわ。私は元気だけど、母のパトリシアは殺されたわ。一年前に『黒き殺人鬼』の手でね」
そう、全部あんたのお兄さんのせいよ。
彼女がそう言っているような――本当にそう言っているのだとしても、文句を言う資格はないが――目が思わずいたたまれなく視線をそらした。
パトリシア・クロフォード――かつて兄が起こした『事件』の際、懸命に兄の将来を守るため奔走してくれた女性。そして兄の未来とブレイク家の幸福を取り戻してくれた女神にも等しい存在。
次男のジョシュアが生まれた時も、自分のことのように喜び祝福してくれた。そしてあの『事件』が起きる直前まで手紙のやりとりを交わしては、時折村へ遊びに来てくれた。
そんな時、いつも彼女は自分と同い年の一人娘を連れて相手をさせてくれた。周囲の期待通り、とても仲の良い関係になった。そのまま何事も起きなければ、思春期の障害がありつつもずっと気心の知れた幼馴染み同士、仲良くしていられたのかもしれない。
その娘は今、幼い頃の思い出など一切顧みることなく、かつての友を憎しみの目で見つめている。
「嘘だ――まさか……!」
反射的に吐き捨てたヴァンの台詞を遮ってマーサを続けた。
「信じられないとしても本当の話。それに、今さら驚くことないじゃない」
あなたのお兄さんは、自分の両親に奥さん、幼い自分の子供どころか村人まで皆殺しにしたんだから。
「――!」
続いた彼女の問答無用な台詞に、ヴァンは体をこわばらせた。
嫌だ、聞きたくない。
この場から逃げ出したい。
そして誰も自分を知らない場所に行きたい。
「……ごめんなさい。ちょっと言い過ぎたみたいね」
ほんのわずかだが、申し訳なさそうにマーサはつぶやいた。
「そんな話聞かせるために、オレに会いに来たのかよ?」
かろうじて虚勢を張って、ヴァンはそっけなく問う。自分の立場を知ってるくせに、よくもそんなことが言えるもんだ。
「あなたには知る義務があるわ。それに――私があなたに会いに来たのはそれだけじゃないわ」
義務? 家族の罪は家族みんなのものだって言うのか? だから支え合って、互いを思いやって懸命に生き続けなければいけないんですか?
そんなことをのたまっていた女はある日、その罪を背負う大事な家族に殺された。
全身をズタズタに潰されて。
「今まで、この二年間素性を隠して生活していたみたいね? 盗賊団の仲間は誰一人、あなたの過去を知らなかったみたいだし――立派ね、よくそこまで隠し通せたものだわ」
「大したことしてねえよ」
そうだ。ある日ぶらりと仲間にしてくれと現れて以来、誰もヴァンの素性を問いただす者はいなかった。元々訳有り連中の集まり、どうあがいても日向で真っ当に生きられない汚れた魂の集まりと呼ぶにふさわしい組織だったのだ。ちょうどいい隠れ場所だった――ボスはこっちの取ってつけたような偽名を笑い飛ばしただけで受け入れた。
ヴァン・スカイブルー。
その名は、青空をうらやんでつけた呪われた子の悪あがきか。
「そうね……あんな連中にとっては、『仕事』が出来れば過去なんていらないものね。いい駒だったのよ、あなたは――あいつらに利用されていた憐れな子供」
まるであいつらは社会のゴミだと吐き捨てるように、マーサは言い放った。
ヴァンは反射的に立ち上がり、その体に掴みかかろうとしたが、周囲の看守達に羽交い締めにされた。
許せない。あいつのことはともかく、自分を何の疑いもなく受け入れてくれた仲間達のことまで侮辱されるのは、絶対に許さない。
そう強い瞳で訴えてくるヴァンとじっと見つめ合い、マーサは冷静に続ける。
「あの組織の中には、連続強盗殺人犯として指名手配されている者もいるわ。他にも数件、殺人や傷害罪で逃亡中の人間も――あなたがどれだけ彼らのことを思っていても、それ以上に彼らに傷つけられ、憎んでさえいる人たちがいるの。それを忘れないで」
ヴァンがそれ以上手出しをしないことを信用したか、マーサは冷静に看守達に身振りで彼を解放するよう指示する。すぐにヴァンはしがらみから解放され素直に椅子に座る。
「だったら、影で悪口言われても文句言うなってわけかよ?」
嫌味ったらしくヴァンはマーサを見据えた。
「それについては謝るわ。こっちもつい、私情を挟んで大人げないことを言ってしまったみたいね」
どこまでも背伸びしたような口ぶりだ――しかし、その言動に一切の揺らぎがない辺り、感心すべきことなのかもしれない。
そう考えれば、目の前の少女がますます大人っぽく見えてしまう。
「とにかく、彼らのところにはもう戻れないと考えてもらうわ。どのみちこの一件であなたの素性は知られることになったから、ちょうどよかったけど」
そう言えば、気づけば牢獄だった――マーサは今さら疑問符が浮かんだヴァンに気づいたのか、冷静の事の顛末を語って聞かせてくれた。
ちょうど、密かに調査追跡を続けていた『黒き殺人鬼』の足取りを掴み、駆けつけた騎士団が捕らえようとしたが逃げられたどころか、新たな犠牲者を出してしまった――殺されたあの屋敷の女主人である老婆は、かつて財産狙いで夫を病死に見せかけて殺害した嫌疑がかけられ、現在もあくどい高利貸しとして私腹を肥やしていたらしい。だからヴァン達はそこを狙ったのだ――まさか、そこにあいつが来ることなど夢にも思わずに。
まさかそんな展開など、誰が予想したのか。
「まるで、神の思し召しだな」
思わず、ヴァンは自嘲気味につぶやいた。それにマーサもつられたように笑って言った。
「こっちはそんなの信じちゃいないわ、悪いけど」
そうだな、そんな悪趣味な神様いてたまるか。ましてや、人殺しに弟や我が子など使わしてくれる神様なんぞ。
「あーあ、しくじったなこりゃ」
自棄になってヴァンは顔を上げ天井を見る。そんなお膳立てをされちゃ、もう逃げられないと急速に諦めの気持ちが強くなる。わずかに残っていた希望をへし折られた感覚だ。
「悲観的になることはないわ。あなたは汚れたしがらみから逃れられるのよ、母ならきっと大喜びしたでしょうね――道を踏み外した子供を救えるって」
やけに棘があるな――ヴァンは怪訝に彼女を見やった。母を殺された恨みはどうした?
「でもその代わり、あなたにはきっちり『ジョシュア・ブレイク』として生きてもらうから」
ヴァンの疑問に気づかないよう様子で、マーサは冷たく続けた。
「なんで、お前にわざわざこっちの生き方指図されなきゃならねえんだよ?」
「それがあなたの為すべきことだから」
反発するヴァンを顧みずマーサは続けた。
「あなたにはこれから、私と一緒にウイリアムス・ブレイクを追ってもらうわ――あの、『黒き殺人鬼』をね」




