‐〖羽原兎〗‐
連日続く雨は、日を追う毎に激しくなっている。軒下に避難しても跳ね返った粒が濡らそうとしてきて、檜佐木は傘を手早く閉じると扉を押し開けた。
——カランカラン
来店を報せる鐘が鳴り、それを聞きつけた店員が歩み寄ってくる。
「おかえりなさいませー。ってあれ?」
出迎えてくれたのはピンク髪のメイドだ。白を基調とした衣装は隙あらばフリルを縫い付けスカートは短く、あからさまな媚びを感じさせる。その世界観に合わせるよう、彼女の頭ではツインテールが結ばれていた。
檜佐木が傘立てに傘を立て掛けていると、店員は顔を覗き込んでくる。
「檜佐木和賢先輩じゃないっすか」
突然にフルネームを言い当てられ、檜佐木ははてと首を傾げた。
「どちらでしたか?」
「ああすいませんっ。ウチ、同じ学校の羽原兎っす! 1年1組のっ。先輩のことは学校で見かけてて覚えてて」
「そうでしたか。よろしくお願いします、羽原さん。でもまさか、こういった所に檀々高校の方がいるとは思ってもいませんでした」
「いや、檜佐木先輩の方こそ、こんなとこに来るなんて意外っすよ……」
ピンク髪メイド——羽原兎は顔を引きつらせる。鉄仮面とすら呼べる顔立ちの檜佐木が足を踏み入れたのは、紛れもなくメイド喫茶だった。
店内ではピンク髪以外にも個性的な給仕達が接客を行っており、来店しているのは全て男性。メイドの作為的な声色にだらしない笑みを浮かべている者ばかりだ。
とてもではないが、檜佐木和賢がそんな風に表情を歪ませるのは想像がつかない。あまりのギャップに衝撃を受けつつも、兎はどうにか仕事に従事する。
「えと、お一人っすよね?」
「はい、一人です」
「じゃあー、こちらの席へっ」
店内はほどほどに空いていて、檜佐木が案内されたのはテーブル席だった。窓に面していて、店内のやり取りに負けず外の雨音が届いてくる。
檜佐木の格好は放課後とあってか制服のままだ。校則から一切逸脱していない着こなしはやはりこの店内にそぐわない。
そんな事を思い浮かべつつお冷とお手拭きを持ってきた兎は、メニュー表を開く異物客に閃いた理由を確かめる。
「あの、もしかして雨宿り目的でたまたま入ってきた感じっすか? 傘あっても濡れちゃいそうっすもんね。どこかに寄ってきた帰りとか?」
それらしい背景をつらつらと並べてみたが、鉄仮面はハッキリと否定した。
「いえ、メイド目的です」
「………。人は、見かけによらないんすよねぇ」
まっすぐな回答に兎は面食らう。それから話を逸らすようにして、今更なお願いを口にした。
「というか、ウチがバイトしてるってのは内緒にしてもらってもいいっすか?」
申し訳なさそうにはしているものの、自分勝手な頼みだ。檀々高校の校則では生徒のアルバイトは禁止されている。兎はそれを知っている上で働いているようだった。
その髪色も店内限りという訳でもないのだろう。1年生にして非行の目立つ少女なのかもしれない。
とはいえ眼鏡は、メルヘンチックなメニューに向いたままだ。
「私からわざわざ誰かに言う事はありませんよ」
「ほぇー。先輩って結構融通利くんすね。もっとお堅いイメージあったっす」
「学校外で、ましてやプライベートで、他人に厳しくする必要性がありませんから」
メイド目的と言うのもあって、今までの印象との食い違いに兎は驚きを隠せないでいた。そんな目を気にする事はなく、檜佐木は変わらない口調で注文を読み上げる。
「それではこの、『らぶ♡らぶ♡ハートオムライス』と『プレミアムドリンク』を一つずつでお願いします」
恥ずかしい商品名にも怯んだ様子のない先輩にまたしても戸惑いつつ、兎はかろうじてメイドに戻る。
「え、えーと『プレミアムドリンク』の方はチェキ撮影もついてくるんすけど、どなたか指名とかあるっすか? 一応今対応出来るのはホールに出てる人になるんすけど……」
店内を見渡せば、兎以外のメイドは三名。それぞれが献身的な接客を行っている。
「えぇ? 私の方がぁ、ご主人様のことぉ、好きですよぉ?」
「適当なこと言ってないで早く注文しなさいよねっ!」
「らぶ多め入りまーす。らぶらぶらぶデブ……あ、すいません、ご主人様に釣られて」
どの席も満足度は高そうでスタッフも一流揃い。三種の個性を眺め吟味した檜佐木は、改めてピンク髪に視線を戻した。
「羽原さんに、お願い出来ますか?」
「あ、ウチっすか? 問題ないっすよ。じゃー少々お待ちくださいっす」
さすがに調子を取り戻してきたピンク髪メイドは、軽い口振りで言い残して注文を伝えに厨房へと駆けて行った。
一人きりとなった檜佐木は変わらず落ち着いた様子でお冷を口に含み、のんびりと店内を観察する。
ここは、市内で唯一のメイド喫茶だ。周辺が栄えていると言う訳でもないためそれほど入りは多くはないが、熱心な常連が支えているような印象である。そう目立つ特色は見当たらないものの、堅実に商売を成り立たせているのだろう。清掃も行き届いていて、メニューも豊富だった。
他にはない空気感を脳に刻みつつ、窓を流れる雨粒の軌跡を見つめてみる。するとその窓ガラスに、開く扉が映った。
——カランカラン
来店の鐘が鳴り、それを出迎えるのはまた、ピンク髪のメイド。
「おかえりなさいませー。あ、与吉さんじゃないっすかー!」
来客——痩せ型の二十代後半男性を見つけ、兎はパッと顔を綻ばせて名前を呼んだ。本人で間違いなかったようで、その骨張った顔立ちは柔らかく歪む。
「あ、え、お、覚えてくれてたの? 数ヶ月ぶりなのに……」
「覚えてるっすよー。三ヶ月ぶりっすね。それじゃあ席にご案内するぴょんっ」
「お、おいらが前に頼んだ語尾……っ! もしかしておいらのこと好きなのッ!?」
「へへ、みんなにやってるぴょーん」
檜佐木相手とは打って変わって手際良く接客をこなす兎。そのメイドっぷりは他にも劣らず、導いた男にまんまと高い注文をさせていた。
席を離れると、別の客にも呼ばれて談笑を始める。どうも彼女は評判が良いらしく、手が空く暇もなく大忙しだった。
別に使う予定もないが、後輩の接客術を分析して暇を潰す檜佐木。それからしばらくして、厨房からピンク髪メイドに声がかかった。
「兎ー、出来たぞー」
「はーい。ご主人様、配膳しないとだからまた呼んでぴょん」
「う、うんっ。運んできてくれるの待ってる ビョ゛ンッ‼」
完全に虜となった客に見送られる兎は厨房から料理を受け取ると、檜佐木の方までやって来る。お盆に乗せられているのは頼んでいたオムライスとドリンクだ。
「はーい、お待たせしたっすー」
「ありがとうございます。ほう、これが『らぶ♡らぶ♡ハートオムライス』ですか」
「ぶっちゃけ普通のオムライスっすよー」
店員の夢のないその発言に、眼鏡が白く反射する。
「え? でしたらキャンセルで」
「いやいやっ、これから愛を込めて完成するんす!」
「それは楽しみです。それとキャンセルは冗談です」
「冗談とか言うんすね……」
ピクリとも動かない表情筋を恐ろしく思いつつ、兎は一緒に持ってきていたケチャップを構えた。
そうして一見普通のオムライスの表面に仕上げを施す。
「じゃー、おいしくなる魔法かけるっすね」
「よろしくお願い致します」
「えー、らぶらぶはーと、おいしくなーれ……っす」
丁寧な催促のせいか、若干の恥じらいが言葉を詰まらせる。それでも描かれたハートは見事なもので、彼女もまた一流なのだと感じさせられた。
その出来栄えに檜佐木は控えめな拍手を捧げる。
「素晴らしいですね。とても綺麗なハートです」
「な、なんか反応違うっす」
今までの経験と噛み合わない客に、兎は困ったように顔を引きつらせた。伝票を置いて気を取り直してから確認事項を問いかける。
「えっと、チェキの方はいつ撮るっすか? 食事の後でも大丈夫っすけど」
「撮影場所が決まっているのですか?」
「そうっすね。あそこを背景にして撮る感じっす。カメラマンは店長っすね」
兎が示した店の奥には、テーブルの置かれていない少し広めの空間があった。そこに面する壁に装飾がないのは、撮影の邪魔にならないためだろう。脇にはささやかな小道具らしき物も用意してある。
「それでは、食事の後でもよろしいですか?」
「問題ないっすよ。えっと、ホントにウチでいいんすよね?」
「お一人しか選べないのですよね?」
「いやまあ、チェキ撮影の注文を追加してもらえれば他も大丈夫っすけど」
とその情報を聞いた檜佐木は「ふむ」と顎に手を当て、すぐに望みを増やした。
「それではせっかくですし、皆さんと撮ってみたいですね。一枚に複数人入ってもらう事は可能ですか?」
「か、可能っすけど、えーじゃあ全員だと三枚分追加でいいっすか?」
「ええ。ぜひメイドの皆さんに囲んで貰いたいです」
「貪欲じゃないっすか」
檜佐木の発言に兎は堪らず笑いを零す。すっかり彼を面白人物認定して、校内で抱いた近寄りがたい認識を書き換えた。
チェキ撮影の追加分を伝票に記録すると、他から視線を感じていたピンク髪メイドは名残惜しく思いながらも踵を返す。
「じゃー、食事終えたタイミング見計らってまた声かけるっすね。何かあったらいつでも呼んでくださいっす。雑談とかも付き合えるんで」
「最後に一つ、確認してもいいですか?」
「なにっすか?」
背中を向けかけたところで呼び止められ振り返ると、檜佐木は改めてメニュー表を確認しつつ疑問を投げかけてきた。
「メニューにはなかったのですが、語尾に『ぴょん』を付けて頂くのは有料なのでしょうか?」
「……。サービスっす。えと、付けるっすか……?」
「そうですね。ではお願いします」
即答されて戸惑う兎。しかし客で差をつける訳にもいかない。
「……」
「……っ」
じっと見つめてくる瞳が、すっかり受け入れたはずの羞恥を膨らませる。友達を笑わせるため考えたギャグを、親相手に披露させられる状況に似た感覚だった。
少しして決心した兎は、背中を向けて表情だけは隠す。
「ま、また呼んでぴょーん!」
鉄仮面の満足度は相変わらず外見では分からず。ピンク髪メイドはまさに脱兎の如くその場を離れていくのであった。




