‐〖帰り道〗‐
電灯を点け、下駄箱を見て回る。ほとんど空のそれらには、五足のみ収めてあった。
檜佐木はその内の一足を履いて外に出る。暗闇の中に立つと、緩やかな風でも体が震えそうになった。
それでもその場に留まったまま、旧校舎を振り返る。
閉じた教室越しに漏れる明かり。廊下の照明だろう。時折影が動いていて、どうやら事態はまだ収拾していないようだった。
檜佐木は屋内に戻らず、逃げ道を塞ぐ役目に徹する。
それから少しして、人の気配がやってきた。
「こっち来てなかった?」
下駄箱の島端から美吉が問いかけてくる。それに対して檜佐木は、ピンクのスニーカーが入っていた辺りに視線をやった。
「来ていませんよ。靴は残っているようですが」
「じゃあ、まだ中にいるのかな」
「かもしれません」
ここに探し人はいないと知り美吉は踵を返そうとしたが、ふと足を止め、わざわざ屋外にいる檜佐木へと疑問を投げる。
「檜佐木くんは、探さない感じ?」
「先輩方の方が適任でしょう」
「んー……それもそっか」
彼の方針を聞き、なら自分もとスリッパを脱ぐ。「さむー」と言いながら隣に並んで、校舎を見上げるその横顔を見つめた。
檜佐木の視界には、また遮られた光が映る。
「廃部に、しちゃうの?」
「田中先輩にはそう伝えました」
「檜佐木くんは、そっちの方が良いと思ったんだよね?」
「どうでしょうか」
「……ま、檜佐木くんの判断は信頼してるよ」
一瞬浮かんだ不安は消して、微笑みに変える。以前まではとにかく廃部にさせないようにと訴えていた彼女だったが、考え方が変わったのかもしれない。
それに、檜佐木の事を少しは知ったからだろう。
「……」
「……」
二人を包むのは冷たい空気だけ。息を吐けば、ハッキリと白づく。星明りが明瞭で、自然に囲まれた高所であるこの学校は、天体観測に持ってこいだった。
遥か昔の輝きに美吉が心奪われている傍で、檜佐木は旧校舎を壁沿いに回り込んでいる。
「どうやら、見つかったみたいですね」
「え?」
不意の報告に天体観測を切り上げ、美吉もその光を見つけた。
新校舎の側面。15年前まで各クラスとして使われていた教室が並ぶ中に、一ヶ所だけ明かりが灯っている。そこは、今日一日過ごした都市伝説解明部の部室だ。
そしてその窓際には影が佇んでおり、それはすぐ二つに増える。
「大丈夫、かな……」
「大丈夫でしょう」
思わず漏れ出た美吉の呟きに、檜佐木は根拠もなく告げる。そもそも彼は、最初からそれほど心配していないようだった。
いずれこうなる事が分かっていた、あるいは望んでいたとでも言うように、その決着を眺めている。
「———」「————」
二つの影は何か話しているようだが、声は届かない。距離があって表情も見えなかった。
それでも彼女と彼は、そこで向かい合い続けている。そうと分かっただけで充分だった。
「寒いですし、中に戻りましょうか」
「そう、だね」
まだ状況が気になる美吉も、割って入れる訳ではないからとその場を離れる。そうして旧校舎へと引き返そうとした時、聞き覚えのある声が窓ガラスを貫通した。
「ドムーっ‼ ラビちゃーん‼」
夜中に響く場違いな声。
チラリと振り返れば影は更に増えていて、そして寄り添い合っていた。
その光景に、美吉もようやく口元を綻ばせる。
「うん、大丈夫そう」
「そうですね」
二人は少しだけ歩みを緩めつつ、部室へと戻っていった。
「ご迷惑おかけしたっす……」
旧3年3組の教室から出てきた兎は、檜佐木と美吉を見つけるとすぐに頭を下げた。その後ろでは、苦笑する努夢とにこやかな葉太郎が見守っている。
美吉が「気にしないで」と両手を振って気を遣う横で、檜佐木は改めて確認した。
「相談相手は必要ですか?」
「あ、いえ……しばらくは大丈夫っす」
過去の約束を引き合いに出され、兎ははにかみながら背後の二人を一瞥する。どうやら感情は上書き出来たらしかった。
それから荷物を回収した一行は、部屋の鍵を閉め旧校舎の外へと出る。檜佐木だけは鍵とヒーターを返しに行くため、新校舎へと向かった。
残った面々は雑談に興じていて、賑やかなその様子は昼間の頃と変わらない。
「そうだドム! ボクら卒業したら一緒に暮らそうよ!」
「はぁっ? いきなりなんだよっ」
「いやほら、ボクらが一緒にいればラビちゃんだって遊びに来やすいでしょ? 部活がなくなったって集まるって約束したんだから、丁度良いじゃん!」
自身の思い付きに興奮する葉太郎に、努夢は顔を引きつらせる。急すぎる、と突っぱねようとしたのだろうが、兎が割って入って否定は塞がれた。
「名案っす! 葉っぱっちもたまには良いこと思いつくっすね!」
「へへっ、たまに天才なんだよねボクっ」
得意げに鼻を擦るので、後輩が面白がって更に煽てる。勢いばかりの二人をまとめるのはいつも部長の役割だ。
「いやてか、葉っぱ仕事決まってないじゃん。家賃払えないだろっ」
夢を語るには現実を見ないといけない。絆を深めたとはいえ、考えなしに受け入れる訳にはいかないのだ。
けれど彼も、気持ちを入れ替えていた。
「ボクも働く! 今決めた!」
グッと拳を握って高らかに宣言する。未来から目を逸らしていては今を守れない。葉太郎だって何も考えていない訳ではなかった。
ようやく進路に向き合った親友に、努夢も水を差すのはやめる。
「……それならまあ」
「決まりっすねっ」
渋々受け入れながらも表情はどこか嬉しげで、それに兎もにぱっと笑みを咲かせる。
美吉はそんな様子を一歩引いて眺めていた。
一度は壊れかかったと思った関係性はすっかり修復され、より良い方向へと進んでいっている。きっと来年も再来年も、三人は一緒に過ごしているのだろう。
文句のない結末を見届けた生徒会長は、いつの間にか戻ってきていた立役者へと賞賛を送る。
「さすがは檜佐木くんだね」
「私は何もしていませんよ」
暗がりでも目立つ鮮やかな服装の副会長は、謙遜しながらもどこか微笑ましげに三人を見つめた。
それから五人で雑談に花を咲かせていると、不意に校門の方で明かりが差し込む。檜佐木が呼んでいたタクシーが到着したようだった。
努夢と葉太郎は自転車で来ているためここでお別れだ。帰路の違う二組は手を振り合って離れていく。
タクシーはドアを開いて客を招き、後部座席に女子二人、助手席に檜佐木が座った。車内から自転車を押す3年生を見つけ、美吉と兎がまた手を振る。その間に目的地が伝えられ、車はゆっくりと発進した。
「……」
兎はしばらく後ろを見つめたままだった。校舎も暗闇に飲み込まれ、道路沿いの街灯しか見えなくなっても、彼女の瞳には明瞭な今日が映し出されている。
運転手と檜佐木が冬の味覚について盛り上がる中、美吉は少し先輩面をしてみた。
「羽原さん、何かあったら生徒会にいつでも相談してくれていいからね。生徒の悩みを解決するのも、あたしたちの仕事だからっ」
今日一日ただ遊んでいただけの会長は、最後にせめて信頼を得ようとするが返答は存外に淡白だった。
「あ、はい。それはもう檜佐木先輩にお願いしてるっす」
「えっ? あれ、そう? ……えと、やっぱ二人って結構仲良いの?」
事情を知らない美吉は危機感を覚え、兎はからかうように「どうっすかねー?」と前の座席を掴む。それに気を遣ったのか運転手は檜佐木との話に区切りをつけた。
一瞬の沈黙が流れたところで、兎は約束を思い出させる。
「それはそうと、都市伝説見つからなかったんで、みんなメイド服っすよ」
校内を探索していた時、何気ない会話の中で出た罰ゲームだ。冗談のように流され、当事者の数が減ったにも関わらず、逃さないとばかりに突き付けてくる。
直前の疑問を解消出来なかった美吉は、後輩と部下の言動を注意深く睨みつつも、外面は何の気なく相槌を打つ。
「あー、そんなの言ってたね」
そして檜佐木は、座席が後ろに引っ張られるのを感じながら、あえてすっとぼけるように返した。
「すっかり忘れていました」
過去を引きずり出す禁句。それにはルームミラー越しに文句を投げられ、
「忘れないでくださいっす」
けれど反射するその顔は、確かに笑っていた。
後日、正式に都市伝説解明部の廃部が決まった。届け出に記載された活動内容を行っていない事が、主な理由だ。
そんな彼らの最後の活動は、やはり都市伝説に関係なく、メイド五人での撮影会だった。




