第1話 婚約破棄から始まる絶望の調べ
ロマンス流婚約破棄──なるものが、このエル・ファベル王国の王立学院で流行っていた。婚約者のどちらか片方が身分を笠にして、横暴な振る舞いをしているが断罪される話。婚約者がいるにも関わらず身分違いな恋に落ちて、一方的に婚約破棄をする云々。
巷の恋愛小説の影響らしい。
そしてそんな展開に使われがちの文化祭パーティーで、まさかまさかの第三王子──私の現婚約者であられるレオルグ・フォン・バイエルン・トイテベックであられる王族がロマンス流婚約破棄をしてくるとは、夢にも思わなかった。
(私たちの婚約は特殊な事情があるというのに、何を一体考えているの!? 馬鹿なの!? それとも帝国が不穏な動きがあるし、なにか意図が?)
「イリーナ・フォン・シュルツ・ナイトメア。たかが辺境地の伯爵令嬢ごときが私と釣り合うとは思えない。この国の未来のためにも速やかに婚約破棄を行いたい!」
(すっごく馬鹿な理由だった!!)
契約の場にいたというのに、何も聞いていなかったのだと思うと卒倒しそうになる。彼の側近リリーウム公爵家嫡男のティーダ様が止めないところを見るに、事実を知らないご様子。
(まあ、公爵家と王家が私の悪口を吹聴しているのは知っていたけれど……スフェラ領地を警戒しているとかではなく……単に婚約破棄が目的だった?)
私ことイリーナ・フォン・シュルツ・ナイトメアは、辺境地スフェラ領の伯爵令嬢であり悪女である。序列を弁えず公爵令嬢のシーラを押しのけて、あらゆる手段を使って第三王子レオルグ・フォン・バイエルン・トイテベックとの婚約者の座を勝ち取り、シーラ令嬢に対して陰湿的な嫌がらせをしている。
さらにイリーナは男遊びと好き放題。それがこのエル・ファベル王国学院でねつ造された評価だった。
そもそも前提が可笑しいのだ。
私が王都にいるのは、スフェラ領地での後継者問題が勃発しているからこその避難場所であり、王家が私を保護して匿う対価として我が領地の独占している権限を無料で提供している。
だからこそ王家としてはできるだけ契約期間を継続させたいはずなのだが、どうやらそうではないらしい。
三年、我慢した。
卒業まであと半年。
それまでは──。
泣きそうになりつつ、グッと堪えた。
我慢して、我慢して、我慢した。
伯爵当主である父の後継者問題は、幼い頃――母が亡くなった途端、親戚たちは我こそと水面下で火花を散らしてきた。だからこそ私を王都に出している間に決着を付ける。そのための一時的な契約婚約。
私が男だったら。
あるいは早々に婿を取ると宣言してしまえば、骨肉の争いがここまで激化しなかっただろう。
(それとも当初は私に継がせるつもりだった? ……無理よ。私は弱虫で泣いてばかりで自堕落な生活がしたいダメな娘だもの。そして大好きなクラウスとは結ばれない……ふぐっ)
でも、お父様の出した課題は昨日で全て終了している。それなら半年前倒しにしてしまってもいいのではないか。
数少ない友人たちは、家の都合などで休学やら退学などで姿を消していった。
もう誰も残っていないのだから──。
「承知しました。元々一時的に契約婚約を行っていましたが、『真実の愛』を貫くというのでしたら、我がスフェラ領地との契約も解除という旨を父に伝えさせていただきます」
「──っ!?」
「なっ……」
涙一つ見せずに切り返す。
周囲はざわつく。おそらく脚本あるいはシナリオと違って驚いたのだろう。ロマンス流婚約破棄では捨てられる側が泣き叫び、相手に縋るというのがセオリーらしい。けれど私は無表情で答え、そしてドレスを摘まみ深々と挨拶をする。
現実は物語のように進まない。
「それでは──」
「まあ。伯爵様に伝われば良いのですが」
扇子で口元を隠し、煌びやかな緋色のドレスを纏ったシーラ令嬢は口を開いた。金髪と赤い瞳の美女は、勝ち誇った顔で私を見下す。
その表情に嫌な予感がする。レオルグ殿下は、シナリオ通りに運んでいないことに不満そうだったがが、シーラ令嬢は違う。
「それはどういう……(私たちの契約婚約を知った上で、何か仕掛けている?)」
「イリーナお嬢様」
唐突に割って入ったのは見覚えのある男だった。
漆黒の艶やかな黒髪、彫刻のように整った顔立ち、アメジスト色の双眸が怪しく光る。細身だけれど長身で恭しく頭を下げる。執事として完璧な立ち振る舞い。
有能な父の専属執事。彼は──。
「クラウス? どうして……貴方が?」
また会えたのは嬉しいけれど、嫌な予感がした。三年前とまったく変わらない彼は困った顔をで私を見返す。
「お嬢様、お久しぶりでございます」
ざああ、と風で木々が揺らぐのが窓の外からでも聞こえ、不吉に映った。
彼は目を伏せ言葉を続けた。
「旦那様が事故で亡くなりました。至急、領地にお戻りください」
「──っ!?」
それは今まで我慢し続けた私にとって最悪の結果だった。
***
それからのことはあまり記憶にない。
クラウスと、王都に一緒に来ていた侍女のヨハンナが私を馬車に案内して、気づけば窓の外は王都の関所を通り過ぎたところだった。
学院生活では毅然と立ち振る舞いを徹底し、涙一つ流さなかったが、それは学院内に限ってのことで、向かいに座るクラウスと目が合った瞬間、もう限界だった。
涙が決壊した。
「ふぁああああああああん、クラウスぅうううう!」
「あの泣き虫だったお嬢様が、よく耐えましたね」
私の頭を優しく撫でるクラウスは、三年前とまったく変わっていない。
「ほら、お嬢様。ハンカチですわ。こちらで涙を拭いて」
「ヨハンナぁああああああ」
乳母であり家族のようにずっと傍で支えてくれたヨハンナの容姿も、幼い頃から変わらない。彼女の外見は二十代後半で、栗色の長い髪を三つ編みにして凜とした佇まいに、淵のない眼鏡をかけ屋敷で支給されている鉄紺色の侍女服に身を包んでいる。
少し厄介な呪い持ちだが、私にとっては大事な家族の一人だ。
彼女に抱きつき、大粒の涙を零す。
突き刺さる視線、心ない言葉の暴力。
大勢によって無視され、馬鹿にされ、嫌がらせの毎日。
耐えていただけじゃない。反撃してもその倍以上の仕返しが返ってきたことで私の心はポッキリと折れてしまった。穏便に波風立てずに青春を謳歌しようと意気込んだ結果がこれだ。
これでは屋敷にいる家族たちに合わせる顔がない。
「うぐっ……ひっく……」
「お嬢様。旦那様からの課題と、エル・ファベル王国の中央図書館で指定された書籍は全てお読みになったのですか?」
「もちろんよ、クラウス。ぐずっ……全部頭に入っているわ。それも領地に帰る条件だったでしょう? だから頑張ったのよ!」
クラウスは少し驚いてはいたけれど、すぐに私の頭を撫でてくれた。引きこもりで社交性が破滅的かもしれないが、これでも集中力と記憶力はいいほうなのだ。
それでも父には遠く及ばない。あんなにも素晴らしい父と母の娘なのに、私はまったくもって才能が無いのだ。
しかしヨハンナは私の言葉に対して、誇らしげに微笑んでくれた。
「オレ──げふんっ。お嬢様は素晴らしいのですから、当然です」
「ヨハンナ?」
時折、ヨハンナが感情的になると口調が荒くなる。小首を傾げて見つめるといつもの優しいヨハンナは額にキスを落とす。
これは私の家のおまじないだ。伯爵家では使用人たちも大事な家族であり、大切な人だという意味を込めて、親愛の証として頬や額にキスをする。
(クラウスには一度だけ額にキスをして貰っただけだけど……)
「さて、お嬢様も少し落ち着いたようですし、現状をお話しましょう」
泣き続けていても事態は好転しない。それでも泣き止むのを嫌な顔をせずに待ってくれたクラウスと慰めてくれたヨハンナに感謝した。
「まず旦那様は馬車で移動中に、崖から転落して亡くなりました」
「そんな……」
「は?」
真っ先にヨハンナは低い声でクラウスを睨んだ。この二人、私が幼い頃から顔を合わせる度にいがみ合っている。
「旦那様専用執事のアンタと、騎士団のロルフがいて?」
「そこは私の落ち度です。親族を説得するため一人で会合場所に向かうと言い出されまして、我々は馬に騎乗して追ったのですが……間に合わず。今回、魔女が絡んでいるようです」
魔女。
世界各国に存在する魔女協会が公認した、古来の神や精霊の力を借りる存在で、その役割は自然と人との橋渡しであり、間違っても暗殺まがいなことはしない。
「魔女協会が絡んでいるのね……」
「十中八九そうでしょう」
お父様が亡くなった。それだというのに未だに現実味がなくて、領地に戻ったら「おかえり、私の可愛い子」と笑って出迎えてくれるのではないか。そう思わずにはいられない。
(こんな質の悪い冗談をする人でもないわ)
「目下、一番の問題は旦那様が後継者を決めずに亡くなられたことで、親戚一同が集まって時期伯爵家に着くかを議論しています」
「議論……? お父様の葬儀は!?」
「私たち屋敷の者です進めております。お嬢様がお戻りになるころには教会での葬儀が始まるでしょう」
「……そう」
すでに親戚たちは父の死を受け入れ、その先の伯爵の座しか見ていないようだ。
(それだけ伯爵……スフェラ領主の存在は大きい)
しかしスフェラ領の領主である伯爵家は爵位こそ低いが、特別な一族である。遙か昔、独立国だった我が領土に対して、エル・ファベル王国国王が様々な条件を提示したことで属国を受け入れた。
スフェラ領は魔族、亜人族、人族の三か国がそれぞれ貿易、通行が可能な唯一の領土となる。スフェラ領は貿易都市であり、各国に関税をかけることで、公爵家いや王家とも引けを取らない莫大な財産と領地を持っているのだ。
その相続権は代々一族の血縁者にしか許されない。
「ふぐっ……。お父様。この三年の間に、しっかりと後継者を用意しておかないのですから!」
「いいえ、後継者はおりました。そしてその儀式と手続きのために旦那様は奔走し、最後の仕上げとして話し合いに向かわれたのです」
「え」
クラウスは内ポケットから手紙を取り出した。その封は我が伯爵家の林檎と剣の紋章だ。そして見慣れたお父様の字を見て、視界が歪む。
「これは旦那様から預かっていた物です。万が一があった場合、お嬢様にお渡しするように、と」
「お父様っ……」
「お嬢様、その手紙を読みどのように決断するのか、領地に着くまでにご一考くださいませ。お嬢様が決めるまで、私たちはお嬢様の執事として仕えさせていただきます」
私が伯爵家を継ぐか。あるいはその権限を放棄するか。
どうしたいのか。
クラウスも、ヨハンナも私の決断を待っているのだろう。ううん、二人だけじゃない。屋敷にいるみんな、執事長のハンス、料理長のウーテ、庭師のロベルト、家事妖精のミー、騎士団長のロルフ、副団長ウィングス、侍女見習いのリーン、門番のチャムとレオ……。
その全員が私の決断を待っている。
泣き虫で、ぐうたらで両親の才能を欠片も持っていない。
できれば自堕落な生活を送りたいと思っていた。あるいは有能な領地運営者である殿方……クラウスと結婚して、私は形だけの領主になる──なんてことも考えたりもした。
でもそれは叶わない。
色んな事を我慢した三年間の努力は報われることなく、更に私の世界を、未来を狭める。
決断しなければならないのに、お父様の手紙を読んでから涙が止まらなくて、考えがまとまらなくて……結局私はダメな私のまま、決断できず葬儀に出席するのだった。
(クラウスたちも、私が黙ったままだから失望……したわよね)
そう思うと怖くて彼らの顔が見ることができなかった。俯いて、問題が解決するのを待つ──なんて愚かな選択肢か選べなかった。
だって私が領主になるには、知識も、経験も、後ろ盾も──それこそ覚悟が全然足りないもの。
私が領主になって、領民や私の家族が幸せになるか自信がない。
私なんかが領主よりもきっとふさわしい人がいる。だから、私は目を閉じて、耳を塞いで、口を閉じて待つことが最善なのだ。
そう自分に言い聞かせた。
それが過ちであるとも知らずに──。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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