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第1章 -②

 すると五十メートルほど先で明かりが灯り、複数のエンジン音が響く。それでバイクだと気付く。また走り去る際のテールランプが、想定外の姿を照らした。辰馬だ。あの、とてつもなく大きい背中と特攻服に書かれた魔N侍の文字から、先程まで見ていた彼だと分かる。

 しかも他に仲間はいないようだ。はぐれたのだろうか。警察の姿もない為、上手くまいたのかもしれない。だが先程の怒鳴り声は一体誰に向けたものだったのか。

 周囲を見渡し、仁王立ちしていた彼がしゃがんだ為、こっそり近づこうと思った途端、脇から黒い影が飛び出した。特攻服を着た男だ。手に何か持っている。

「危ない!」

 準は思わず大声で叫んだが、間に合わなかった。男の振りかぶった鉄パイプが辰馬の後頭部に命中し、まだ距離があるというのにゴンという鈍い音が聞こえた。

「タッチャン!」

と大声で呼びかけたが、驚くことに彼は即座に立ち上がり、振り向きざまに拳を突き出し、それが見事に襲った相手の顔面を捉える。しかし急所を外したのか倒れず、よろめいたまま離れた相手は、近くに止めていたバイクにまたがり、逃走してしまったのだ。

 準は咄嗟に角を曲がり見えなくなるまで目で追い、そのナンバーを暗記した。あれは一体誰だ。顔は良く見えなかったが、着ていた特攻服の背に書かれた文字や刺しゅうの派手さからすれば、まず間違いなく奪洲斗露異のメンバーで、しかも幹部クラスと思われる。

 それでもあの辰馬が背後を取られるなんて、とても信じられなかった。そう考えながら目を向けると彼はふらふらと体を揺らし、力尽きたようにその場で崩れ落ちたのだ。

 驚き駆け寄ろうとした準の視界の端に、前方へと消える何者かの後ろ姿が映った。まだいたのか。その人物に気を取られ、後頭部を殴られてしまったのかもしれない、と思い至る。

 しかし何にせよ、抗争であれほどの圧倒的な強さを見せていた辰馬が倒れるなんて。しかもあの倒れた方は尋常ではない。

「だ、大丈夫、ですか」

と思わず敬語を使ってしまう。同級生だが、普段の学校生活でもそうだった。彼は気にしないと言ってくれてはいたものの、周囲の目や彼との立場の差を考慮すれば、さすがにタメ語では話せなかったからだ。

 うつぶせに倒れた彼の反応がなかったので、軽く肩に手をやろうとした時、赤黒い血が目に入った。これはまずい。相当な重症だ。

 周囲を見渡したけれど、住宅地で灯りは多少点いているが誰もいない。恐らく先程の怒声やバイクの音に怯え、顔を出せないでいるのだろう。しかしここまでくる間に店舗などはなく、公衆電話を見た記憶もない。そこで叫びながら立ち上がった。

「す、すいません! 怪我人です! 誰か、救急車を呼んでください!」

 準は一番近い家の玄関の扉を叩いたが、なかなか人は出てこない。そこでもう一度叫ぼうとしたところ、背後の家の窓が開く音を耳にした。咄嗟に振り向くと、母親くらいの女性が恐る恐るといった様子でこっそり覗いているのが目に入った為、そちらへと駆け寄った。

「すみません! 大怪我をしています! 救急車を呼んでください! お願いします!」

 準の顔を見て、暴走族にいるような不良ではなく、普通の学生だと分かり安心したらしい彼女は、窓を大きく開けた。そこで倒れている辰馬の姿を視界に捉えたのだろう。

「あら、大変! 分かったわ! 今すぐ呼ぶから!」

「お、お願いします!」

 準が大声で礼を言うと、他の住民も何事かと顔を出した為、そちらにも声をかけた。

「すみません! 後頭部を鉄パイプで殴られました! 警察を呼んでください! 暴走族の特攻服を着た犯人は、バイクで逃げました!」

 周囲に準と倒れている辰馬しかいないと確認したその人は、喧嘩に巻き込まれる恐れがないと判断したのだろう。軽く頷き、家の中に入って行った。その間に続々と人が外に出てきて集まり出した。これで一安心だ。あとは救急車が来るまで、応急処置をするしかない。

 そう思い、準はもう一度辰馬に駆け寄り声をかけ、ポケットからハンカチを取り出し、後頭部を押さえ血を止めようと試みる。

「タッチャン! 大丈夫! 死んじゃ駄目だよ! もうすぐ救急車が来るからね!」

 しかし彼は反応しない。またハンカチはみるみるうちに赤く染まり、血は全く止まりそうになかった。そこで顔を上げ、寒空の夜遅くに関わらず集まった野次馬達に呼びかけた。

「タオルを貸して下さい! 血が止まりません! お願いです! 彼を助けて下さい!」

 しかし遠巻きに見るだけで、視線を合わさないよう目を逸らされた。それでも再度叫んだ。

「すみません、誰かタオルを! 血が止まりません! このままでは死んでしまいます!」

 ハンカチを持つ準の手が、血で赤く染まる様子を見たのだろう。顔を背ける人もいれば、関わりたくないと家の中に引き上げる人までいた。なんて薄情だ。誰も助けてくれないのか。 

 そう(いきどお)っていると、一人の若い女性がビニール袋に入ったものを持ち、駆け寄ってくれた。新聞をとった際の粗品らしく、配達店の名が書いてある。それを持つ手は震えていた。

「有難うございます! 必ず後でお礼をしますから!」

 頭を下げた準は、血でぬるぬるした手と歯を使って何とかビニールを破り、新品のタオルを出し辰馬の後頭部に当てた。だがそれもあっという間に血で(にじ)み、白い部分が無くなっていく。それを見ていた人は、さすがに重症だと思ったのだろう。

「おい、救急車はまだかよ」

「さっき呼んだから、もうすぐ来ると思うけど」

 先程、分かったと言ってくれた中年女性の声が聞こえた為、内心でホッとする。

「おい、兄ちゃん。警察も呼んだからな」

 再度顔を上げた準は、また頭を下げた。

「有難うございます!」

 すると次々にタオルが差し出された。

「これも使いや」

「一枚や二枚じゃ、足らへんやろ」

 ああ、有難い。冷酷な人ばかりだと思った自分を恥じた準は、お礼を言いながらそれらを受け取り、辰馬の後頭部に重ねていく。

「有難うございます! 有難うございます!」

 涙で(にじ)んだ目はかすみ、どんな人が渡してくれたのか分からなくなっていたが、手はふさがっているし、血で濡れているので拭うことも出来ない。辛うじて正気を保てるのは、まだ辰馬の体が温かく、(かす)かだが呼吸をしているように感じられたからだろう。

 そうしていると、サイレンの音が遠くから聞こえて来た。

「おい、救急車、来たぞ! 兄ちゃん、安心せえや、もう少しやで!」

「有難うございます! 有難うございます!」

 やがて到着した車の中から救急隊員が降りて来て、準を離れさせ辰馬の体を持ち上げ、ストレッチャーに載せた。あなたも乗っていくかと聞かれた為、強く頷く。そして救急車のバックドアを閉めたけれど、直ぐには動き出さない。

 隊員の一人が応急処置をし、もう一人に手を拭うよう渡された新しいタオルを使っている間、早く病院へ向かって欲しいと苛つきながら、準は聞かれるがまま状況を説明した。

 運転席では無線を使い、運び込む病院と連絡を取っているようだった。だがどうやら断られたらしい。そう分かった瞬間、準は頭に血が上ると同時に叫んでいた。

「羽立大学病院に運んでください! 僕は羽立大学病院にいる脳外科医、北目黒(きためぐろ)(しん)の息子です! ここで倒れている人は僕だけでなく北目黒家の恩人なので、父なら絶対に受け入れるはずです! 駄目だと言われたら、脳外科医の北目黒晋の名前を出して下さい!」

 余りの剣幕に驚いていたようだが、事情を把握できたらしい。前にいた隊員は頷き、無線で羽立大学病院に連絡を取り出した。

「さっき名前を聞いた時、珍しい苗字やからもしかしてと思っとったけど、君は北目黒先生の息子さんやったんやな」 

 横で話を聞いてくれていた救急隊員にそう言われ、はい! と大きく頷いた。

「君がこんな必死になっとるんやから、こいつ、いや一七草辰馬くんは大事な友達なんやな」

「タッチャンのこと、知っているんですか」

「名前だけは、な。なんせこの辺りで彼は有名人やから」

 隊員はそう言って苦笑いした。その間に前から声がかかり、車が動き出した。

「羽立大学病院は受け入れオッケーや。他にも救急が入っとるさかい渋っとったけど、北目黒先生の名前と事情を説明したら、本人が出たわ。良かったな」

「そうですか! 有難うございます!」

「傷の状況から、これは緊急オペになるやろ。脳外科の先生が当直でおったのは幸いや。しかもこの辺りでは有名な北目黒先生やからな。上手くいけば本当に助かるかもしれん」

 安堵(あんど)したのもつかの間、そんなことを言われたので思わず尋ねた。

「そ、そんなに危ないんですか? タッチャン、死ぬんですか」

 目の前と応急処置している隊員を交互に見たが、二人の顔が同時に曇った。

「まだ何とも言えんが出血は酷いし、場所が悪い。しかも鉄パイプやろ。殴られた後に犯人を殴ったと君は言うたが、普通はあり得ん。これほどの傷ならそのまま前に倒れて即気絶や」

「いや、嘘じゃありません。本当です!」

「ちゃうちゃう。そうやない。それだけこの子の生命力が強いってことや。ただ危険なのは変わらん。でも君が直ぐ救急車を呼んで、病院に脳の専門医がおったのは運がええ」

 確かにそうかもしれない。辰馬が襲われた場面に準がいたのは、ほんの偶然だ。しかしそんな日に父の当直と重なったとなれば、これはある意味運命だったのかもしれない。

 北目黒家は代々医者の家系で、準も来年の大学受験では医学部を受ける予定だ。よって幼い頃から医者になるべく病院がどういうものか、様々なことを聞かされて学んできた。だから病院の当直も当たり外れがあり、こうして夜遅くに救急で運ばれた際、全くの専門外に当たる医師しかいない場合は少なくないと知っている。一分一秒を争う患者の場合、助かる確率は相当低くなるとも耳にしていた。

 しかし今日の夕食時に、母から父は当直でいないと教えられていた。もし在宅していたなら、今日の抗争を見守る為に家を抜け出すことは難しかっただろう。大事な東大受験を控えた体だ。もし寒さで風邪を引き(こじ)らせでもしたら、と絶対に許されなかったと思う。

 父のいない夜、母は朝まで帰らないのをいいことに、必ずと言っていいほど一人でお酒を飲みながら、映画鑑賞をする。そんな時、夜遅くまで勉強をしている準の部屋にはまず顔を出すことはない。夜食も既に台所に用意してあるから勝手に食べて、といつも言うからだ。その為部屋に籠り勉強している振りをし、こっそりと家を出てこられたのである。  

 けれど抗争が終わり対決に勝利したまでは良かったものの、帰り道に辰馬と会いこんな事態に陥るとは、想像もしていなかった。

 いま彼に倒れられては困る。しばらくは落ち着いても、彼が高校を卒業し魔N侍から脱退すれば、必ず奪洲斗露異の残党や無法者達が雨後(うご)(たけのこ)のように現れるはずだ。その頃には準自身はこの地を離れているだろう。だがそれで良い訳がなかった。

 人の悪意や苛め、(みにく)い争いなどはこの世から決してなくなりはしない。それは歴史が証明している。準自身も嫌というほど体験してきた。生まれて十八年の間、法律といった規律や大人達の制御など、ほとんど役に立たないと学んだ。

 だからこそ辰馬のように(たぐい)まれな絶対的力を持ち、かつ弱きを助け強きを(くじ)く、私利私欲のない強力なリーダーの存在が必要なのである。彼こそが唯一無二の、この世における救世主だと準は信じてやまない。それほど大きな存在だった。

 救急車が大学病院に到着し、ストレッチャーが下ろされた。遅れて降りると、救急専用入り口に複数の看護婦さん達が待ち構えていた。そこで驚く。なんと父の姿があったからだ。

 思わず立ち止り固まっている間に、辰馬は中へと運び込まれていく。準を見つめる父は何か言いたげな表情をしていたが、患者の容態の確認と対応が先決と判断したのだろう。そのまま救急隊員達と共に、処置室へと入って行った。

 我に返りその後を追い、部屋の近くまで近づいたところで背後から声をかけられた。振り向くと、そこには制服を着た二人の警察官が立っていた。

「ちょっとええかな。君が通報を依頼したんやね。運びこまれた彼が殴られたところを目撃していたと聞ぃとるけど、名前を教えてくれへんかな」

「あっ、はい。北目黒準です。羽立高校の三年です。犯人を捕まえて下さい!」

 旧採掘場での抗争を見ていたことは隠し、自転車で通りかかったところから事情を説明すると彼らは頷き、一通り聞き終わったところで一人が言った。

「今君が言うた、バイクのナンバーは間違いないんやな」

「はい! しっかり暗記しました! 特攻服の背中に書かれた文字も間違いありません!」

 父親がこの病院の医師で、年明けには東大を受験する事等を伝え、証言に間違いはないと強調した。しかしそれが逆に仇となったのか警察官は首を傾げ、嫌な質問を投げかけて来た。

「ほう。そんな優等生くんがこんな夜遅く、あんなところを自転車で何をしとったんや」

「勉強の合間、気分転換で家の近くを走っていたら、たまたま出くわしただけです」

 内心慌てたが、先程住所も正直に伝えていたので疑われないはず、と思いそう口にした。

「今日、山の上の旧採掘場跡地で暴走族同士の抗争があったんやけど、知っとったか」

「そうなんですか。ああ、そういえば、そんな話を聞いた気がします。今日だったんですね」

 準が(とぼ)けると、(いぶか)しげな表情を浮かべた警官達だったが、

「まあええ。後でまた別の人から事情を聞かれるやろから、しばらくここで待って貰えるかな。遅くなるんで、今のうちに家へ連絡しといたほうがええやろ」

と言って二人共が外へと出て行き、その内一人が無線で何やら話していた。恐らく準がした状況説明の内容などを伝えているのだろう。逃走したバイクのナンバーや逃げた男の特徴から、犯人が捕まるのは時間の問題だ。後は辰馬の無事を祈るだけである。

 ようやく緊張が解け、処置室の外廊下の長椅子に腰かけた。家には電話しなくてもいいだろう。父がいたから後で母にも知られる。それにもう寝ているだろうし、余計な心配はかけたくない。明日は日曜で学校が休みだから、多少遅くなったっていい、と勝手に判断した。

 処置室への人の出入りはしばらく激しかった。そうしている間に今度はスーツを着た警察の人がやってきて、先程よりずっと細かく事情を聞かれた。何度も同じような質問を繰り返し尋ねられうんざりもしたが、これはれっきとした傷害事件であり、下手をすれば殺人未遂または殺人事件になると説明され、改めて事態の深刻さを思い知らされる。

 そこで質問され準も首を捻ったのが、何故辰馬があの場所にいたか、という点だ。抗争後に警察から逃げ、住宅地に入り込んだのだろうと彼らは言った。しかし周辺住民も聞いたという、何をしとんじゃ、という辰馬の怒鳴り声が何だったのかを、彼らは知りたがった。

 どうやら警察は現場周辺で既に聞き込みをし、何やら外で人が騒がしくしていると思っていたら、怒鳴り声が聞こえたとの証言を得ていたようだ。しかし準の目撃証言では、辰馬を襲った犯人は背後にいた。それなら誰に対し放たれた言葉なのか、そして倒れた辰馬に準が駆け寄った際に見た、去っていく何者かはどんな感じだったのか、としつこく詰問された。

「そう言われても、チラッと視界をよぎっただけで、はっきりとは」

 距離もあったのでよく見えなかったと答えたところ、先程刑事と名乗った一人が言った。

「それは女性だったか。男性だったか。二人以上いたか。それとも一人だったか」

との質問を受け、首を傾げた。それも分からないと答えた後、こちらから尋ねた。

「あんな時間に女性というのは考え難いですけど、どうしてそんなことを聞くんですか」

 すると彼は言った。

「女性の悲鳴のような、高い声を聞いたって話があってね。ただ誰も見ていないし、それほど大きくもなかったらしくて、はっきりとしない。男でも高い声は出るし、声変わりしていないような子なら考えられるからね。聞き間違いかも知れないと言う人さえいたし」

 結局その辺りはうやむやになった。辰馬が目を覚ますか、犯人が捕まれば分かるだろうと呟き、もう今日は帰っていいと言い残してやっと彼らは去って行った。

 ようやく長い聴取から解放され、長椅子に腰かけたまま準は項垂れていた。さすがに疲れ、少し眠くなったからだ。それでも辰馬の無事を確認するまで、眠るわけにはいかない。

 そうした想いに耽りしばらく時間が経った後、突然頭の上から聞き慣れた声が聞こえた。

「おい、寝ているのか」

 慌てて顔を上げると、腕組みする険しい表情の父と目が合い、準は急いで立ち上がった。

「あっ、ごめんなさい。あっ、いや、そうや。タッチャンは大丈夫なん?」

 眉間の皺をさらに深くした父だったが、少し間を置いて口を開いた。

「手術は無事終え、一命を取り止めたが予断は許さないし、意識が戻るかどうかもあやしい」

 そう聞いて思わず声を上げた。

「だ、駄目や、絶対助けて! 父さんも知っとるよね。俺がどんだけ助けて貰うたか。今の高校で、俺が東大受験できるまでになったんは、彼のおかげなんや。分かっとるよね!」

「ああ、もちろん理解しているよ。私だって彼を助けたいさ。だがこればかりは、」

「あかん! 駄目やって! 諦めんといて! タッチャンにもしものことがあったら、受験どころやなくなる! 東大どころか医者になんてなられへん!」

「アホ! そんなことを言うな。母さんがまた悲しむぞ」

「そんなん、かまへん! 父さん、お願いや! 絶対助けて!」

 しがみつくようにして、涙を流しながら懇願(こんがん)する準の姿に、父は諦めたように大きく溜息を吐いた。そして強く抱きしめながら言ってくれた。

「分かった。彼はお前の大恩人で、父さん達もどれだけ感謝してもしきれない人だからな」

 当然だ。準は幼い頃から将来医師になるよう言い聞かされ、そうなるべく中高一貫の進学校に入る為に受験しようとしていた。よって本来は辰馬達がいるような、県内でも下から数えるほうが早いほどの、成績不振者達が集まる学校に通う事自体がおかしいのだ。

 父の都合で病院を転々とした為、準は短期間の転校を繰り返していた。そうした事情もあり友達などろくに作れず、それでも真面目に勉強だけは続け、いい成績を残していた。そんな準へのやっかみや悪意からか、それとも(いじ)りやすい性格だからか行く先々で苛められた。

 両親はその度に転校先の小学校に抗議したが、いい加減な教師達の対応により治まらなかった。どうせ数年したら引っ越すのだろう、という目で見られていた為かもしれない。

 やがて父達が言った、今我慢して中学受験で良い学校に入ればこんな思いをしなくて済む、との言葉だけが心の拠り所となった。そんな中、小六で羽立市に来て出会ったのが辰馬である。そしてまた苛められそうになった際、彼が立ちはだかり一喝してくれたのだ。

「こいつは頭のええ奴や。勉強の邪魔をして苛めたらあかん。文句があるんなら、俺に言え」

 後に知るが、彼に苛めから助けられた生徒はかなりの数がいた。準は初めて感謝した。彼のような人がいるのだと、興奮して両親にも話をしたことがある。父達は驚き、喜んだ。

「いい友達を持ったな。学校に転入の挨拶した時、教師達の態度を見てここも駄目だと諦めていたんだが、生徒の中にそんな子がいるとは」

 その子が言うように邪魔されずしっかり勉強しろ、中学受験に合格さえすればもう悩まされなくて済むから、もう少しの辛抱だとも言われた。

 しかしそうはいかなかった。全国でも一、二を争う有名校の試験日が近づいた時、それまで大人しくしていた奴らに待ち伏せされ捕まり、準は近くの川に放り込まれて溺れかけたのだ。そこを助け出してくれたのも、そういう情報を聞きつけ駆け付けてくれた辰馬だった。

 当然彼らはボコボコにされた後、警察に突き出された。相手の親達が平身低頭だったので、父達は激怒しながらも殴った辰馬のことを考え、被害届は出さなかった。

 けれど、その時びしょ濡れになり風邪を引き肺炎を併発したせいで、準は中学受験が全くできなくなったのである。そして止む無く地元の中学に入り、そこで再び辰馬と一緒になった。そして彼は引き続き、準のような苛められやすい生徒達を男女問わず守ってくれたのだ。

 珍しく父の勤務が長くなった為、今度もこの羽立市にいたまま高校受験を迎え、今度こそ進学校に入るのだと準は意気込んでいた。けれど、またもや不幸が重なったのである。

 塾からの夜の帰り道、酔っ払い運転で歩道に突っ込んできた車に跳ねられ、複数個所の骨折により長期入院を余儀なくされたのである。そしてまたもや受験できず、誰もが通るだろうと言われる地元の公立高校への推薦枠でしか入れなかったのだ。

 不幸中の幸いだったのが、そこにまたもや辰馬がいてくれたことだった。彼は準の災難をとても残念がってくれ、そして励ましてくれた。

「お前ほどの秀才と同じ高校なんてな。せやけど踏ん張って大学受験こそは頑張れや。羽立高校で初めて現役の東大合格生になる、と思えばええんとちゃうか。俺は応援するで」

 彼がそう言い目をかけてくれたおかげで、他校の番長として名を馳せていた元也を始めとする三軍神達にも認められ、高校も苛められることなく平穏無事な学生生活を送れた。

 彼らがいて辰馬の言葉があったからこそ、転入試験を受けて他の進学校へ行く選択肢はなくなった。そして受験勉強も順調に進み成績も良く、模試で東大合格A判定を連発し、教師は当然ながら塾の講師達にもほぼ合格間違いなし、と言われるところまできたのである。

 何故か羽立での父の在籍が、これまでにない七年と長くなったが、東京の大学病院からようやく声がかかり、来年の春には引っ越す予定だ。つまりこの羽立にはあと三カ月余りしかいない。よって受験の成功の有無に関わらず、親子共々東京での新たな生活が始まる。

 しかしこんな時に最大の危機が訪れた。準の守り神と呼んでいい辰馬の命が、今まさに風前(ふうぜん)灯火(ともしび)なのだ。もし彼に万が一のことがあれば、またも受験直前に避けられない突発的な事件か事故が起こり、東大生にはなれないかもしれない。

 もちろんこれまでとは違い、駄目ならまた次の年がある。とはいえそうなれば、現役で合格せえや、と応援してくれた辰馬達の期待に反してしまう。準にできる彼らに対する些細(ささい)で最後の恩返しだから、それだけは絶対に避けたい。今度こそ必ず受験し合格を勝ち取る。それは辰馬と過ごしたこの七年間が無駄でなかったと証明する、唯一の手段なのだ。

 涙が止まらず胸に抱きつく準の腕を掴んで放し、頭を撫でた父は言った。

「何度も言うが、父さんの出来る限りのことを全てやりつくしてでも、彼は助けるつもりだ。しかし最後は本人の生命力にかかっている。大丈夫。彼は強い。そうだろう」

「うん。タッチャンは、めちゃくちゃ強い人や」

「そうだ。だからお前も信じろ。そして自分ができることをやれ。何か分かっているか」

 父の問いかけに、準は頷いた。「と、東大に受かること、や」

「ああ。それが唯一の恩返しだと言っていたよな。余計なことは考えなくていい。それにこう考えたらどうだ。これまで受験が近づく度に起きていたお前の災難を、辰馬君が全て引き受けてくれた。そう思えばいい。そして彼の恩に報いる為に、お前は頑張るんだ。いいな」

 確かに医者でもない準が、ここでどんなにジタバタしても辰馬は目を覚まさない。父の言うように、期待してくれた彼を裏切らない為にもこれまで通り受験勉強に励み、そして成果をだすことが唯一出来る事だ。彼が意識を取り戻した時、合格の知らせを伝えたい。そう思う事が出来た。

「分かった。俺、絶対頑張る。だから父さんも頑張って」

「ああ。だからお前はもう帰れ。母さんが心配するぞ」

 そこで準は父と別れてタクシーで帰宅の途についた。

 それから年が明け、一月半ばの共通一次試験、さらに二月に行われた東大二次試験に挑んだ準は、無事合格を果たしたのである。

 その結果を直ぐにでも辰馬に報告したかった。だがそれは叶わなかった。何故なら彼は長い眠りについてしまったからである。

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