第三十八章 奇跡を生む勇気
「ちょこまかとッ!」
冷静なタンタロスも、いい加減怒りを抑え切れずにいる。
どんな状況、状態に陥ったとしても、自分を見失うことはない。そう自信があった。
ましてや、結衣のような少女一人、乱される要素にはならない。
ところが、逃げ回るばかりで一向に攻撃の様子を見せない結衣と、今だ一撃も与えられない焦りが、タンタロスを追い詰めている。
実力なら結衣には負けてない。一撃あれば充分なのだが、その実力の差を、結衣も承知しているのが厄介なのだ。
「戦う意志が無いのなら去れッ!」
業を煮やし、一切の攻撃をやめる。
「何ぃ?キレたの?バッカじゃない!」
結衣も動きを止め、呆れ気味に言ってみる。
知恵比べ。根比べ。勝てるはずの相手に手こずるタンタロスと、まともに戦っては勝てない相手に隙を作りたい結衣。
そして、互いに互いの思惑も知るが故に、ダラダラとしていても、展開が訪れるのを待つしかない。
「こんな小娘に振り回されるとは!」
「あはっ。もしかして、私って小悪魔系?」
「くぬっ………!」
こんな怒りは初めてだった。どうにでもなりそうな少女が、ただただ精神を乱して来る。
それも、楽しそうにだ。
「ナヘマー………俺をここまで怒らせた奴はいない!」
結衣の笑顔に腹が立つ。ストレートに認めてしまえと、自分に言い聞かす。
「そ。私には関係ないし」
ところが、結衣と言えばマイペースと言うか、タンタロスの感情の起伏だとか、彼自身がどうかなんて気にしてない。
ラグナロクに取っ捕まった失態の挽回と、葵達を痛め付けたタンタロスへの報復。ヴァルゼ・アークからの信頼に応える使命感。それが満たされれば、戦う敵の事情など知ったことではない。
クールと言うよりは、リアルスチック。冷徹なのだ。
「ねぇ、なんかこう、どか〜んって魔法ないの?」
「なんだとッ?」
「死ぬかもしれないって瀬戸際が、一番快感だったりするじゃない。あんたの誇る魔法を一発仕掛けてもらった方が、手っ取り早いのよ」
「屈従する羽目になるぞ」
「は?誰の?まさかあんたになんて言わないでしょうね?私はヴァルゼ・アーク様にだけ従うの。あ、もちろんお姉様達にもね!」
何を言われようと、結衣は自分のやりたいように、言いたいように表現するのだ。
奔放な彼女にとって、スタイルに合わない会話は、右から左へスルーしてしまう。
「こんな小娘相手に、俺は何をやってるんだ!」
「認めたら?」
「何ッ?」
「あんたの実力は凄まじいかもしれないけどさ、強すぎる魔力は抑制してなきゃ思わぬ結果を招くもんね。ちゃ〜んとわかってるのよ」
「ほざけッ!ほんの少し相対しただけで!」
「なら試してみたら?全ての魔力を解放すれば、私も、葵お姉様達も倒せるわよ?その代わり、ユグドラシルも消し飛ぶでしょうけど。そうなれば、ロキも終わりね」
「くっ………!」
「さあ、どうすんのかな?プライドを取ってどっか〜んするか、ちまちま私の相手する?後者の場合、私はあんたの魔力が尽きるまで回避行動に徹するけど」
タンタロスの魔力が尽きるまで、回避し続ける自信はある。
実際、タンタロスは結衣の機敏さに着いて行けていない。
正攻法だけが常勝を生むわけではないのだ。
「………フッ。どうやら俺の驕りだったようだな。見た目の愛らしさに、まんまと騙されたわけだ」
と、タンタロスが微笑む。何かを吹っ切ったように。
「レリウーリアは上級悪魔の集団。ヴァルゼ・アークの側近達だ。一筋縄で行くわけがなかったんだ。誤算とは違う。計算などしてなかったからな」
「言い訳は結構よ!」
「貴様の知恵と自信に敬意を表して、最高の魔法で迎え討ってやろう」
タンタロスが決意を固める。
何よりも、己のプライドを取ったのだ。
土砂降りの雨が止み、途切れ途切れ晴れ間が顔を覗かせる。
両手を掲げ、魔力を一点に集中させる。
「ユグドラシルごと吹き飛ばすつもり!?」
小ばかにしてた結衣も、その表情には焦りが見える。
予想以上に強い魔力が頭上に現れたからだ。
「ナヘマー。こんな形で本気にさせられるとは、俺も思っていなかった。先にも言ったが、これは貴様への敬意。存分に味わうがいい!」
「…………ッ!」
「行くぞッ!サクリレイジダークネス!」
頭上の魔力を投げ降ろす。
全て吹き飛ばすつもりであることは明白。
「こうなったら………!」
地団駄を踏んでも何も変わらない。そう思った結衣は、落ちて来る魔力の塊に向かって飛んで行く。
「愚かな!自殺する気か!」
黙って死ぬつもりなどないとは思っていたが、よもや自ら飛び込んで行くとは思っていなかった。
「誰が自殺なんか!ハウリング・ハーモニクス!!」
どんな強大な力を前にしても、決して怯まない勇気。
奇跡はいつも、そこに潜んでいる。