第三十六章 調律神ジャッジメンテス
「結衣に任せて本当に大丈夫でしょうか?」
広い庭園の真ん中で、健気に咲く花を眺めながら、由利は言った。
よく手入れがされているのがわかる。由利自身、ガーデニングをするから、見ればその腕前まで測れてしまう。
「大丈夫だ。由利、俺達はあいつらの親のようなものだ。信じてやればいい。むしろ、タンタロスを心配してやった方がいいかもな」
「そうですね」
冗談を言い、笑顔を見せ合う。
花の蜜が、そこはかとなく甘く漂い、由利には堪らなくいい香りも、ヴァルゼ・アークには甘ったるくて何の魅力もない。
「総帥。見て下さい、この花。蛍みたいに光ってます」
結衣に負けないくらいの、少女な由利に、不意を突かれたように胸が鳴る。
「どうかしました?」
「いや………何でもない」
ここが戦場でなかったなら。きつく抱きしめていたかもしれない。
「家来に戦いをさせておいて、女に現を吐かすとは、いい身分じゃないか」
「なんだ貴様は」
「俺様かあ?俺様はケルトの英雄クーフーリン様よ!お前がヴァルゼ・アークか。へぇ、ただの人間にしか見えんなあ」
そう言って、由利に目をやる。
「ジャッジメンテスだな?」
「ええ。そうよ」
「仮面なんかして、洒落込んでるじゃねえか。なあ、覚えてんだろ?俺様のこと」
「そうね。覚えてるわ。あなたがとても弱いってこと」
あらわになっている由利の口元が笑う。
馬鹿にされてると知りながらも、クーフーリンは怒るそぶりもなく、
「あっははは!一度負けてるかなあ。言われてもしゃーねーか」
この久方の再会を、喜ぶ。
由利の中にあるジャッジメンテスの記憶が、彼女の闘争本能に火を着けた。
「負けて笑っていられるなんて、男としては失格ね」
「言うじゃねーか」
由利は冷静で頭がキレる。性格も非の打ち所のないと言っても過言ではないほどの人格だ。
その由利が、闘争心を剥き出しにしようとしている。
「総帥。この男は私にやらせて下さい」
「………よかろう。好きにすればいい」
「ありがとうございます」
由利としては、ジャッジメンテスとクーフーリンの因縁などどうでもいい。ただ、大切な仲間達だけが命を削るのは、彼女のプライドと情愛が許さない。
自らも命を賭してこそ、闇十字軍レリウーリアの司令官だと思っている。
なによりも、愛する男の右腕として、その強さを誇示しなければならない。
「ほら、行けよ。女が行けっつってんだから」
ヴァルゼ・アークに興味はない。由利だけいれば、事足りる。
「フッ。クーフーリン。ジャッジメンテスにばかりこだわらん方がいい。ベースは飽くまで由利だ。由利に勝てるつもりでいるのだとしたら、また負ける羽目になるぞ」
「ウザったい野郎だぜ。いちいち文句言わなきゃ気が済まないらしいな。魔帝様は」
「文句じゃない。警告だよ。ジャッジメンテスも頭のキレる女だった。そしてそれは、由利も同じ。果たして、貴様がどこまで由利とやり合えるか楽しみだ。せいぜい頑張ることだ」
通り過ぎる間際、クーフーリンにそう呟く。
「由利」
「はい。ヴァルゼ・アーク様」
「俺の女でいる以上、敗北は許さん。圧倒的な強さを持って英雄を倒せ」
「お任せ下さい」
ヴァルゼ・アークは笑っていた。その横顔を、クーフーリンは見逃さなかった。
気に入るわけがない。あれは明らかに嘲笑。自分の女が負けることはないと、自負した嘲笑だった。
ユグドラシルの最深部へ向かったヴァルゼ・アーク。
それを見届け、再び由利を見る。
「千五百年前だったよなあ。俺様が初めてお前と会ったのは」
「そうだったかしら?」
「ああ、そうだ。俺達ケルト族は戦争をしていた。後少しで勝利を収めるところだったのに、相手の女王は、こともあろうか、調律神ジャッジメンテス………お前と契約を交わした」
「私は悪魔よ。契約したいものがいれば、誰とでも契約する。選ぶ権利はあるけれど。だからどうしたっていうの?」
「ククク。女王と契約したお前は、壊滅的だった戦局を立て直し、俺達を追い込んだ。仲間がお前にやられていく中、俺様はお前に戦いを挑み………負けた。唯一の敗北。それ以来、俺様はお前に勝つ為に修業をしたんだ。なのに、お前らレリウーリアは、天使と戦い、やがて魂をロストソウルに宿し、姿を消した」
「それは悪いことをしたわ。今度はそうならないように、間違いなくあなたの命を奪ってあげるわ」
「ククク。そう簡単にはいかねーよ」
ゲイボルグを構える。
対して、由利も槍のロストソウル・グングニルを具現化し、ひとアクションしてから態勢を整える。
「覚悟しやがれ。お前を倒して、唯一の敗北を挽回してやるッ!」
「やってごらんなさい」
由利は確信している。この粗暴な英雄には負けたりしないと。
女性の勘。いや、もっと確実なもので。
「私は闇十字軍レリウーリア司令官、調律神ジャッジメンテス!クーフーリン!闇の十字で、あなたを久遠の彼方に葬ってやるわ!!」