第三十三章 無惨なる恋の調べ
「まるで犬ね」
バルコニーから飛び蹴りを喰らわせ、葵は立場が逆転したことをカインに告げる。
「お似合いですわ」
どう足掻いても解けない鎖に四苦八苦する姿は、純の目にはカインの負けを確信するように映る。
鎖が、カインの首を絞めきらないのは、トドメを刺す権利を求めてないからだろう。
「今なら………負けないよ!」
葵と純がカインの前に、そして、はるかは後ろにいる。
生憎、正々堂々などと正義を気取る気は無く、いつでも命を奪う準備は整っている。
「なんなんだ……この鎖はッ!」
どこから飛んで来たかもわからない鎖に、こんなにも苦しめられている。
忌ま忌ましい。たった一本の鎖でしかないのに。
ロストソウルであったとしても、今はただ巻き付いているだけ。不意を突かれたとは言え、あまりに不本意だ。
「諦めることね。その鎖は“運命の鎖”と呼ばれるロストソウル。あんたの運命は………もう自由になれない!」
葵は、純からグングニルを取り上げて、その切っ先をカインの胸に当てる。
「まさか………こんな負け方をするとはな………」
「悪魔に喧嘩を売った報いよ」
「サタン………残念でならないよ。君の首だけは、ユミルの下に送ってやりたかった」
カイン自身、覚悟は出来た。それでも、葵への憎しみは増す一方。
「随分、潔いいじゃない」
「醜態を晒して死ぬのは本望じゃない。特に、君ら悪魔には!」
「………情けない男ね」
「何ッ?」
「あんなに息巻いてたじゃない。それが、勝てないとわかるとあっさりと屈服するワケ?情けないったらありゃしない。ユミルがあの世で泣いてるわよ」
立場が入れ代わったことで強気になってるわけではない。
女として、仇を討ってくれるなら、最後まで足掻いて欲しいと思うからだ。
ユミルも、きっと共感するだろう。そう思った。
「葵ちゃん」
葵とカインのやり取りはわからないが、はるかは、時間を無駄にするなと訴える。
景子の援護が無ければ危うかったところだ。早いうちにケリを着けておきたい。
「カイン。あの世でユミルに謝りなさい」
葵は、宛てがってたグングニルにオーラを込める。
パアッと、パープルの微光が立ち上がり、それが花のように見えなくもない。
だが、それはカインの命を奪うカウントダウン。
「謝れ?なんでオレが………!」
「無能だからよ」
「………ッ!」
「気付いてないようだけど、あんたユミルが好きなのよ」
「オレが………ユミルを……?」
「あの世で確認してくるといいわ」
「ま、待て!」
「待たない」
冷めた目で、カインにグングニルを突き刺す。
「ぐあ…………っ」
血を吐き、膝が落ちかけると、カインの自由を奪っていた鎖は、役目を終えたことを悟り空間の中へ戻って行った。
「……かふっ………オレがユミルに……惚れていた?……ハハ………くだらん………考えれば考えるほど………くだらん……」
否定する自分すら、くだらないと思える。
認めてしまえば楽なのに。
最後の足掻きかもしれないが、心の中まで悪魔に見抜かれたなどと、誰にも思われたくないのだ。
「認めん………オレが…………惚れたなど………。ユミル………」
庭園で花の手入れをしているユミルが見える。
幻なのか、既にあの世なのか。
ただ虚ろな瞳は、悪魔が見守る中、静かに閉じた。
頭に雪が積もってる。
それを払いもせず、景子はデスティニーチェーンを空間の向こう側に送ったままだ。
見えてるわけではないが、丸々勘と言うわけでもない。
曖昧にはなるが、“感覚”だ。
アスガルドという世界の中で、純とはるかの危機を察知し、そこへ飛んで行けと命じてやれば、デスティニーチェーンは景子の願い通りに空間を越えて行く。
その甲斐あって、手応えはあった。
何かに当たり、カインの首を捕らえ、抵抗する不協和な力も、ギシギシと軋みながらも、ちゃんと伝わっている。
「デスティニーチェーンからは逃げられないのです」
誰に聞かせるわけでもないことを、至って普通に呟いた。
やがて、地吹雪が視界を遮るほどになると、デスティニーチェーンにグッと重みが加わる。
「………終わったのです」
それがカインの終わりを意味するものだと知り、デスティニーチェーンを手元に帰還させた。
頬を打ち付ける厳冬の風は、アスガルドに散った戦士達の仇を討とうとしているのか、執拗に景子に付き纏い、凍え死にさせようと躍起になっている。
「………世話の妬けるお姉様達なのです」
ま、本人はたいして気にも止めていないようだが。