第三十二章 贈られたのは鋼鉄の運命
自分を恨む。冷静にならずとも、わずかに思考回路を起動させれば、単身でアスガルドに来たところで何も出来るはずがなかったのだ。
純とはるかは、倒されては立ち上がり、それでも尚カインに立ち向かって行く。
その姿に、葵の胸が痛くなるのは必然。
来るべきではなかった。つまらない意地のせいで、仲間に危機が及んでいる。
どうか早く来て欲しいと、ヴァルゼ・アークへ祈る。
いつも、純とは喧嘩ばかりだが、それでも「ちゃん」付けで呼ぶのは、はるかが言い出したのだ。
はるかに言わせれば、純は葵に対して興味があるらしく、ただ、あの性格だから上手に人に接することが出来ないのだとか。
最初はそんなこと、どうでもよかった。はるかが間にいるから上手くやれてるだけだし、ヴァルゼ・アークにだけ気に入られれば満足出来た………はずだった。
純との喧嘩は、ローサと絵里がそうであるように、いつの間にか無くてはならない日常のひとつになっており、純が居ない日はどこと無く淋しくもある。
無視していた気持ちは、次第に認めざるを得ない。
「どうして………私なんかの為に………」
張っていた緊張感は、二人を見た瞬間から弛緩してしまっている。
自分の気持ちは自分がよく知っている。そんなのは嘘だ。
でなければ、こんなにも胸が痛むはずがないのだ。
「お願いします………早く………早く来て……ヴァルゼ・アーク様………」
葵が案じるように、純とはるかはカインに遠く及ばない。
時間を掛ければ掛けるほど、体力は減り、若い肉体は血に濡れて行く。
「とんだ期待外れだ。君らは、本当にレリウーリアなのか?」
ロキもたまには誤算するのだと思った。こんなんでは、何のゲームにもならない。
怒りに身を任せ、本気を出せばあっさりと優位に立つ。
葵の心をズタズタにするのが目的だったのだが、早々に決着を着けた方がいいと判断する。
「ま、君らだけがレリウーリアじゃないからな。頃合いだ。最初の生贄になってもらう」
純とはるかはもう限界に来ている。
「はは……こりゃあ、一大事だぞ………腕が……上がらないや」
フェンシングスタイルでロストソウルを構えたくても、言葉のまま、腕が上がらない。
「まだ……生きている以上、そんな言葉はお捨てなさいませ。最後まで………諦めてなるものですか!」
はるかを叱咤する。頼りにしてるからこそ、最後まで頑張って欲しい。
勝てないかもしれないが、バカにされたまま死ぬわけにはいかない。
純のプライドは、窮地に立たされるほど、強固になる。
だが、そんな強固なプライドも、砕いてしまえば酒の肴にもならない。
「ルシファー………アスモデウス………冥界で仲間が行くのを待っているがいい!死ねッ!!ブラッドスプラッシュ!!」
トドメを刺すべく、カインの矛はより激しく二人を襲う。その時だった。
矛が何かに衝突する。
「!!!?」
矛の柄を伝った振動は、むしろ、“何か”から衝突して来たことを伺わせる。
音もかなり派手に響いた。
「なんだ、今のはッ!?」
二人の鎧に衝突しても、矛が揺れるほどの振動も、音も無かった。
「純ちゃん、今………なんか飛んで来なかった?………来たよね?」
「………え、ええ。何か………蛇のような………」
“何か”は、二人には何と無くではあるが、見えてはいた。正体まではわからないが、間違いなく“何か”が飛んで来た。
明らかに第三者的なものが近くにある。
カインも、純もはるかも辺りを見回す。しかし、何も無い。
「………何者だ?」
そうカインが警戒した時、突如、彼の真後ろ約五メートルの空間が歪み、物凄い速さでカインの首に巻き付いた。
「ぐがっ………こ、これは………!」
冷たく、重量感のある硬質な物体は、巻き付いたままカインの首を後ろに引っ張る。
「やや!あれは………もしかして!」
物体に見覚えのあるはるかは、確認するよう純に促した。
見間違うわけはないのだが、眼前の光景と言うか、物体が空間から飛び出て来たことが信じられないのだ。
「間違いないですわ。あれは………デスティニーチェーン!」
景子のロストソウルが、カインの首を絞めている。
持ち主の景子は見当たらないが、置いて来た四階層から来たのだとすれば、ありがたいと思う前に、驚いてしまう。
「偶然なの?………それとも、私と純ちゃんを助ける為?」
こんな器用なことを、景子が出来るなんて聞いてない。
とは言え、これはチャンスだ。デスティニーチェーンにもがいているカインは、矛こそ離しはしないが、戦える状況にない。
「好機到来………じゃん?」
「そうのようですわね」
ギラッと二人の目が光る。そして、
「よっしゃあっ!全力疾走だ!」
はるかが先に走り出す。
「あっ、お待ちなさいっ!」
遅れを取るまいと、慌てて純も走り出す。
「お……おのれっ!………ぐっ!」
首を絞められながらも、走って来る二人から身を守ろうと、矛を横に身構えた。
ところが、純とはるかが取った行動は、横にした矛を踏み台に、二階バルコニーに跳ね上がるという行動。
「な………ッ?」
カインの頭上を軽々と越える。
少ない体力をフルに使ってまでしようとしたことは、言うまでもなく、葵の救出。
着地はバルコニーの手すり。二人の悪魔は、葵を抱える二人の兵士を睨み、始末する。
「ぐあぁ!」
「げはあっ!」
奇妙な鳴き声を出し兵士は倒れ、
「葵ちゃん!」
「はるか……ちゃん!」
崩れ落ちる葵を受け止める。
「無事でよかったよぉ」
「………ゴメン」
抱きしめて来るはるかの温もりが、すごく懐かしい。
「純ちゃん………」
そして純を見る。
「感謝して頂きますわ!嫌とは言わせませんから!」
「………わかってるって。ありがとう」
「………ま、まあ、その、なんですの?無事で何よりですわ」
喧嘩相手から素直に感謝されると思ってなかった純は、リアクションに困りながら照れていた。
「戦える?」
はるかが聞く。
葵は首を横に軽く振り、
「ロキにロストソウルを奪われたままなのよ」
そう言ったが、
「なら、体当たりなさいませ!」
純が何ともまあ、ストレートに提案してくれた。
「仕方ないわねぇ。傷だらけの女三人、意地を見せてやるか!」
でも、葵は嬉しそうに言った。
いや、嬉しいのだ。
三人はバルコニーから、まだデスティニーチェーンに苦しむカインを見下ろす。
「やるね、景子も」
葵は感心していた。
「ここまで援護されて、負けたなんて言えないよね」
はるかは自分を奮い立たせる。
「当然ですわ。そんな失態をしたら、笑われてしまいますわよ?」
純は気を引き締める。
三人は顔を見合わせることなく、意志を確認し合う。
標的を視界に入れ、エデンの使者にダイブした。