第二十九章 空間の弱点
「とうとう第六階層まで来たな」
わかりきっていたことを、敢えてタンタロスは口にした。
この世界の主が、何と言うのか。まあ、それもわかりきっているのだが。
「すぐにユグドラシルにも来る。そうなれば、後は俺達の出番だ」
「だがロキ、まだクーフーリンが来てないぞ」
「そのうち来るさ。あいつは、ジャッジメンテスと着けたい決着がある。来るなと言っても来る」
「なら、ジャッジメンテスには手を出せんな」
始めは乗り気じゃなかったタンタロスも、今では存分に戦いたくて疼いている。
「カインはどうした?見当たらないが?」
ロキは止めに行ってたタンタロスに聞くと、
「サタンを見張ってる」
「気が付いたか」
低い男の声が脳に響く。
「………最悪」
その声の持ち主を見て、つくづく自分が運に見離されてるのだと、目の前のカインを見て、葵は溜め息を吐いた。
「口の悪い女だ」
本当なら、今すぐこの場で殺してやりたい。自分でもよくわからないが、そう思うのだ。
「しかし、哀れむは貴様の仲間達だ。たった一人の為に、命を危険に晒してるのだからな」
「言ってなさいよ!みんな、あんたらが思うほど弱くない!哀れになるのはアスガルドの戦士の方ね!」
「フッ。残念だが、このユグドラシルに向かってるのは、たった二人だ。他の連中は死んだかもしれんぞ?」
「そんな………」
脅しだろう。そう思っても、みんなが来たのは自分を救う為。心配になる原因は自分にある。
万が一、誰かが死んだりしたらどうしようか?
何だかんだ言っても、大切な………家族だ。いや、それ以上。
「仲間の前で引き裂いてやる。心の準備をしておけ。サタンよ」
実体の無い相手を倒すことは、悪魔にとってそう難しいことではない。
幽霊の類なら、その存在を消してしまえばいい話。しかし、その相手が“空間”という抽象的な存在となれば、話は変わって来る。
『無駄だ………どんなに傷つけようとも、この広い空間を消すことなど出来ん』
ラグナロクは結衣を取り込んだまま声を落とす。
「そんなの、やってみなけりゃわからないわ!」
そう言いつつ、美咲も手立てが既に無いことは知っている。
どれだけ空間を傷つけたところで、ラグナロクに与えるダメージは些細なものだろう。
『私は何もする必要はない。お前が疲れ、やがて諦めるのを待つだけ』
「その割に、一撃喰らった時は焦ってたじゃないの」
『……………。』
「あら?都合の悪いことにはだんまり?」
やはりある。倒すことは可能なのだ。
−お姉様………−
すると、頭の中にとろとろと流れ込む結衣の声。
「ゆ、結衣?」
ラグナロクに取り込まれた結衣を見る。
だが、特に変わった様子は無く、凍り付いたように固まったままだ。
「結衣………話せるの?」
−大丈夫です。でも、かなり魔力を使いますから、極力言葉少なにお願いします−
そう言うのは、ラグナロクを倒す手掛かりでも見つけたからだろうか。
「わかったわ」
美咲は小さく頷いた。
所謂、テレパシーを飛ばして来てる以上、ラグナロクに会話を聞かれることはないだろうが、気付かれ、結衣に何かあってはいけないと、これまで通りに、また空間を傷つける。
−お姉様。私のいる空間と、お姉様のいる空間とは、同次元の別時間です−
「同次元の別時間?それって………」
−はい。私がいるこっちの空間も、美咲お姉様のいる空間と同じ空間にあります。ただ、時間の進みが、私のいる方が少し遅いみたいです−
時間の進みが遅い。つまり、もたもたしていると、二人の時間に差が開き、いずれ結衣はこちらに帰ることは出来なくなる。
簡単に言えば、ある一定の差が開いてしまうと、美咲のいる空間は、結衣にとって未来になってしまう。時間移動の制限から、“まだ起きてない”未来に行くことは不可能である。
「なんてこと………」
実際、どのくらいの開きがあるのか測る暇は無い。
なんとかして、結衣を助けなければならない。
空間は傷つけたところで、また元に戻る。迂闊に、裂いた箇所から向こう側に侵入すれば、自分も帰れなくなる可能性がある。
「どうすればいいの?」
−ひとつだけ、方法があります−
「それは何?なんでもいいわ。言って」
−空間を捩曲げるんです−
「捩曲げる?」
−歪んだ空間の、一番負荷のかかってるところを切り裂けば、空間のバランスが崩れ、時間を同じ座標まで持って来れます−
つまり、今二人のいる空間を、二本のプラスチックの棒に例える。
同次元。要するに、その二本の棒は、別々のものではなく、本来ひとつのもの。従って、離れて存在してるわけではなく、接着されて存在している。
その二本の棒を捩曲げると、負荷がかかり、一点だけ白く………耐久性が無くなる。そこを切り裂けば、曲げていた力が一気に抜け、隔たりのない時間に戻る。
もしくは、その瞬間を利用して、結衣がこちらに来ることも十分に叶う。
ただ………
「そんな危険な方法、出来るわけないじゃない」
捩曲げ、切り裂いた瞬間、反動で爆発を起こすだろう。その規模は計算出来ない。空気の抜けるタイヤのように、空間が萎むのが先であれば、恐れるに足らない方法だが、空間そのものを消滅させてしまうようなら、例えラグナロクを倒しても、結衣はおろか、美咲も助からない。
中途半端な爆発でも、ダメージは深いものとなるだろう。
−他に方法はありません!私と、美咲お姉様の力があれば、大きくは無理でも、小さく捩曲げることは出来るはずです!−
結衣と美咲が別々の空間にいる。それは、ラグナロクの弱点になる。
同じ次元にありながら、空間を分けている。それは、世界を成り立たせるべき力を、半減させてしまっているのだ。
その両方から空間を捩曲げられれば、ラグナロクは抵抗出来ない。
一か八かではあるが、結衣との時間の差が開ききる前に決断しなければならない。
−美咲お姉様!−
結衣の声が更にとろけている。結衣は時間の流れが遅くなっているとは言ったが、危惧しなければならないほどだ。
「………やるわ。あなたを信じて」
−はい!−
可愛い妹分が覚悟を決めているのだ。やらないわけにはいかない。
チャンスは一度。二人が魔力で互いの空間を捩曲げ、美咲が切り裂く。
−行きます!−
「行くわよ!」
同時に言う。二人は持てる魔力を空間に満たし、ラグナロクの唯一の弱点に付け込む。
解放された魔力で、空間が捩曲がった。
−美咲お姉様!今です!−
結衣に言われるまでもなく、負荷のかかってる箇所に飛び出した。
そこに近づくほど、圧力を感じる。重力の密度が集中しているのだ。
美咲は、押し潰されないようにしっかりと生殺与奪を握り、
「お願い!上手くいって!」
空間ラグナロクを切り裂いた。