第二章 雲行き
「純ちゃあ〜ん!」
勢いよく部屋のドアを開けて来たのは、いつもの如くはるかだった。それをわかっている純は、敢えて怒ったフリをして見せる。
「はるかちゃん!ノックのひとつくらいしなさいと、何回言えばわかって頂けますの!」
何だかんだで、人懐っこい性格のはるかが憎めない。嬉しいのだ。
「メンゴ!」
「ですから!そういう言葉遣いも………」
「あれぇ〜?そんなこと言っていいのかい?」
はるかがニンマリ笑う。もちろん、企てているのだ。悪いことを。そんなことは純にはわかるわけもなく、
「今日は一体なんですの?訓練もない日くらい、のんびり過ごしたいんですのよ」
「つれないなぁ〜。イイモノ持って来たのにぃ」
その言葉にピクッと純の耳が動く。理由は単純。お嬢様の純とは、正反対の生き方をして来たはるか。そのはるかが持って来る物だとか情報は、常に新鮮なのだ。
「いらないなら別にいいよぉ〜だ。葵ちゃんにあげるから」
それと、“葵”の名前を聞いても反応する。絵里とローサが何かと喧嘩ばかりするように、純と葵も喧嘩が堪えない。まして、“イイモノ”が葵の手に渡るなど見過ごせるわけがない。
「お、お待ちあそばせ」
この瞬間、はるかはガッツポーズをとる。こうなったら、後は口から出まかせに、“イイモノ”を売り付ければいい。
「なぁに〜?やっぱいらない人にはあげないよぉ〜」
「コホン………な、何もタダであげる必要はないんじゃなくて?」
「ドユイミデスカ?ワタシ、アナタノイッテルコトワカリマセ〜ン」
「で、ですから!わたくしが買って差し上げようと言ってるのです!も、もちろん、品物を見てからの話ですが………」
外人を真似て片言でおどけては見せたが、フフンと口角が吊り上がげてるなどと、純が知るわけもなく、
「それならしょ〜がないなあ」
そう言って、はるかは怪しげな液体の入ったハートの小瓶を見せる。
「………これは?」
液体の色は、小瓶のデザインとは似つかわしくない茶色。
「教えてもいいけどぉ………誰にも言わない?」
「………い、言いませんわ」
「約束出来る?」
「約束しますわ!」
そして、勿体振るように考える人を演じてから、
「いいでしょう!純ちゃんなら信用出来るモンね!」
「当たり前じゃございませんこと!約束を破るようなことは致しません!戸川の名前に懸けて!」
プライドが高く、そしてワガママ。三拍子揃った純の性格には、周りの者も手を妬くのだが、はるかにしてみれば、こんなに単純明快な人もいないのだとか。
「で〜は、説明しよう!」
はるかは純のベッドに飛び乗ると、どこぞのテレビショッピングばりの演説を始めた。
「今日、ご紹介するこの商品!なんと!あのクレオパトラも使用したと言われる惚れ薬なんです!」
「な………なんですってぇ!」
「も〜ちろん!タダの惚れ薬なんかじゃあございません!好きな異性に一度飲ませてしまうと、その相手はあなたのことしか見れなくなってしまうのです!」
「そんな………なんてことでしょう!」
純の妙な相槌で音頭をとるように、はるかは饒舌になっていく。
「『前は追いかけるだけの私だったけど、今は彼がしつこくて困ってるの』………な〜んてメールが多く、今や入手困難!」
「か、買いますわ!わたくしに売って下さいまし!」
「お客さ〜ん!慌てない慌てない!こっからが重要なんだから!………え〜、本日ご紹介しましたこの惚れ薬!通常価格は五十万円!」
「そのくらいなら、現金で買います!」
「ノンノン!今は希少価値が付いて、倍の百万円が相場!」
「問題ありません!その程度のお金、戸川にとっては微々たるもの!」
「まあまあ。いい?よく聞いて!」
「ゴクリ………」
「本来なら、百万円のこの惚れ薬。他ならぬ純ちゃんが買ってくれるなら…………五万円でどうだっ!もってけ泥棒!!」
惚れ薬。言わずもがな、真っ赤な嘘である。中身はコーラやらトマトジュースやら栄養ドリンクやらを混ぜるに混ぜた、激物指定にされてもおかしくないもの。容器の小瓶を入れても、金額は三千円。純が買えば、四万七千円の儲けになる。はっきり言って詐欺だ。
「クレオ………パトラの惚れ薬が………そんなお安くてよろしいんですの?」
「純ちゃんだもん。特別価格でお届けよ!」
「でも、元の価格の十分の一ですわ。わたくしがあなたに損をさせたなど、戸川の名に………」
「待った!それは言いっこなし!いいから、この惚れ薬を総帥に飲ませて、めくるめく甘い夜を過ごして!」
「しかし、はるかちゃんはそれでいいんですの?総帥に憧れるのはみんな同じはず。わざわざ………」
珍しく踏ん切りの着けない純に、はるかはここ一番の真剣な表情で、
「純ちゃん。私は純が幸せなら、それでいいの」
「はるかちゃん………」
「いいのよ?純ちゃんがいらないなら、この惚れ薬は葵ちゃんに………葵ちゃんは大胆だからなぁ……あんなことやこんなこと、総帥に迫るんだろうなぁ………。葵ちゃん、クールに見えて結構エッチだから」
「な、なりませんっ!それだけは絶対に、なりませんっ!あの唐変木と総帥がそんな仲になるなんて………ああ!想像するだけで身が凍りつく!」
「………じゃあ……買う?」
「もちろんです!福沢さん五人で総帥が………ああ、わたくしは罪な女………」
勝手に自分の世界に入りながら、財布から五万円を取り出しはるかに渡す。
「へへっ。まいどありぃ!」
悪意があって騙してるわけではなく、はるかなりのコミュニケーションの取り方なのだ。賛否は別として。
サッと五万円を取り上げ、はるかは部屋を出る。
「じゃあね〜。ムフフな報告、待ってるから!」
「いやですわ!はるかさんったら!
純のあからめた顔にウインクをし、手を振り部屋を出る。
バタンッとドアを閉め、もたれて手に入れた五万円にキスをする。
「今度はいくら巻き上げたの?」
と、声を掛けられビクッとした。
「ひっ!あ、葵ちゃん………んもう!ビックリさせないでよ!」
「育ちが悪いと、やることエグいって」
「いいじゃん。悪気があるわけじゃないもんね!それに、純ちゃん喜んでくれてるしぃ〜」
「そういう問題?ま、騙される方も騙される方か。育ちがいいのも考えもんってワケね」
「そうそう!世間知らずで騙されやすいの………って、ちょ、ちょっと〜!」
はるかがムキになってる隙にお札を一枚、葵が引っこ抜く。
「アコギな商売してんだから、このくらい口止め料としてもらっとくから」
それが狙いだったのか………と思いつつ、去って行く葵を追いかける。
「ちょ、葵ちゃ〜ん!返してよ〜!」
小春日和の陽射しが、少しずつ陰りを見せていることなど、まだ悪魔達は知らないでいた。