第二十七章 ラグナロク
美咲、那奈、結衣、はるか、純の五人は、第五階層へと足を踏み入れた。
ユグドラシルまで後少し。全員が気合いを入れ、第五階層への扉を開いたのだ。
しかし、そこは草原でもなければ雪原でもない。
「何、ここ?」
美咲は、眼鏡が曇ってるのではないかと、鎧の胸元から取り出したハンドタオルでレンズを拭く。
そして、もう一度よく見てみる。
何が見えてるのか?それは、本来なら上にあるものが、下になっていて、下にあるものが、上になっている。つまり、天と地が逆さまの世界。しかも、モノクロで、色がまるで無い。
「歩けるのかな?」
好奇心旺盛な結衣が、試しに一歩踏み出す。
「結衣!危ない………!」
安易に“空”に踏み出そうとした結衣を、那奈が止めたが………時、既に遅し。結衣は羽を出してふわふわ浮いている。
「なんか、浮いてないとダメみたい」
“空”はやはり“空”であって、歩むことには不向きなようだ。
仕組みさえわかってしまえば、恐いことはない。全員、翼を出し天と地が逆さまの空間へ踏み出す。
「うはっ。なんか、あんまし魔力使わなくても自然に浮くんですけどぉ」
はるかは順応性が高い。どんな状況であっても楽しんでしまえる。
「まあ!ほんとですわ!わずかな魔力で済むなら、これはこれでありがたいですわね!」
純は、はるかに反対の意見を言うことはない。とにかくいい奴だと思っているからだ。
「那奈」
楽観的な三人とは裏腹に、美咲は深刻な表情を見せる。
「わかってます」
那奈も、あまり事態が芳しくないことに気付く。
天と地が逆さまなだけなら“問題はない”。問題なのは、モノクロであること。
“色”とは、光があって成り立つ。もちろん、白と黒も例外ではないが、世界から色彩を取り除くということは、とてつもなく不可能なこと。
それが、ここアスガルド第五階層では成り立っている。
「美咲お姉様!あそこ!第六階層に行く塔が見えます!」
全く警戒せず、一人先を進む結衣。
「結衣!私達から離れないで!」
美咲が注意をした瞬間、
「きゃあっ!」
空間がうねり、なんと結衣を………
「嘘………!」
はるかはその一部始終を見ていた。
どういう理屈かは知らないが、結衣はうねった空間に閉じ込められ、モノクロのまま固まってしまったのだ。
はるかが結衣に触れようとしても、どうやら別空間にいるようで、透けるわけではないが、触れることも出来ないという不可思議が現象を見る。
「一体、これはどういうことですの………?」
純も結衣に触れてみようとするが、結果は同じ。
「ラグナロク」
不意に那奈がそう呟く。
「ラグナ……ロク?」
はるかが聞き返す。
「アスガルドはオーディンの支配する世界だった。それを、ロキが奪った。その舞台がここ、第五階層だったのよ。その戦いをラグナロク………そう呼ぶの」
美咲はそう説明してくれたが、イマイチよくわからない。
「この第五階層は、当時、ラグナロクが終わったままの状態を“保存”しているのよ」
更に付け加えられた説明で、“言ってる”ことはわかる。しかし、それは時間を凍結してると言っているのと同じだ。
ただ、そうなると、この空間の説明がつかない。時間が進行しているからだ。凍結されている時間と、通常の時間とが、扉一枚で隔たれることなど有り得ない。“扉の時間はどうなるのか?”という壁が現れてしまう。
扉を開いてここにいる以上、時間はやはり流れている。どこかの天才が描いた絵画のように、天地逆さまのこの世界は、結衣さえ閉じ込める力を持っている。
その意味するところは、たったひとつ。
「空間が生きてるんですね」
那奈が答えを導いた。
「那奈。二人を連れて先に行って」
「副司令は?」
「………結衣を置いては行けないでしょう?」
「………そうですね。わかりました」
美咲を信じるしかない。那奈ははるかと純の肩を叩く。
黙って言う通りにしろと言ってるのだ。
「副司令、私も残ります」
生きた空間から、どうやって結衣を救うのかは知らないが、はるかとしては美咲のサポートをしたいと思っている。
不安げではあったが、申し出た。
「ダメ。あなたも先に行くの」
「でもぉ………」
「黙りなさいっ!」
「ひっ………!
「はるか。葵が待ってるのよ。一番仲のいいあなた達二人が行かなくて、どうすんの」
「うぅ………」
「それに、私達レリウーリアの敵は、アスガルドの戦士ではなく天使。言わば、この戦いはその予行演習なの。こんなところで足踏みしてるようなら、ヴァルゼ・アーク様の野望は叶えられないわ」
それは、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。誰が相手だろうと、意中の相手でないのなら、勝って当たり前なのだと。
「行くわよ」
那奈は再度、二人に促す。ユグドラシルはもうすぐそこ。上司である美咲が行けと言ってるのだ、立ち止まるわけにはいかない。
「絶対、死なないでね!」
「はるかちゃん。心配いりませんわ。この方は闇十字軍レリウーリアの副司令官。こんなチンケな世界で死ぬような失態は起こしませんわ」
純が凜と美咲を見つめる。
生きた空間が敵なのだ。勝率は低い。それでも勝ってもらわねば。死ぬことは許さない。そう伝えているのだろう。
「フフ。バカね。私は死なない。まだやることがあるもの」
「ええ、そうでしょうとも。決して、口約束になりませぬよう、しっかりと勝利して下さいませ」
微笑んで、安心させようとした美咲に対し、純は最後まで真剣な眼差しをやめなかった。
那奈を先頭に、はるかと純が飛び立った。
色彩を失ったこの世界は、言うなれば光を拒んだ闇の世界。
悪魔にとって、この上ない最高のステージ。いや、この場合、最高の敵と言うべきか。
(ヴァルゼ・アーク様………どうか、加護を………)
何度も言うが、敵は生きた空間ラグナロク。強敵だ。
美咲は祈ると同時に大鎌のロストソウル・生殺与奪を手にする。
「私は闇十字軍レリウーリア副司令官、邪神リリス!ラグナロクよ!戦いを望まぬのなら、おとなしく私の部下を解放しなさい!しかし!戦う意志があるというのなら………お前の存在を示せッ!」
恐怖はある。だから声高に叫んだのだ。振り払うように。
そして、ラグナロクの存在を引きずり出す為に。
「どうした、ラグナロク!存在を示さぬのは、お前が卑劣なアスガルドの者だからか!」
周囲の警戒は怠らない。
空間が話すことは無いのかもしれない。そんな確信こそ無いのだが。
「私の問いに答えよ!ラグナロク!」
それでも答えぬか。そう苦虫を噛み潰した時だった。
『我が名はラグナロク。悪魔よ、ユグドラシルへ行きたくば行くがよい。我は既に争いから身を退いた身。戦う意志は無い』
天から………天となった地から声が轟く。
静かで、さながら神の気配。
そう、安らぎだ。
「戦う意志がないなら、私の部下を解放しろと言ったはず!」
『それは出来ぬ』
「何故!」
『お前の部下は、ここを通す為の代価。永遠に、我が命の中で生きる』
「代償?そう………随分高い代価を取るのね」
『だが、無傷で、最大の時間短縮を与える。お前も仲間の後を追って行くがいい。既に代価は貰った。道はユグドラシルへ続くであろう』
ラグナロクは、美咲だけではなく、これから来るだろう仲間の通行を許可したのだ。
神の慈悲と言うなら、戦う者にとって最高の恩恵。
その恩恵を前に、美咲は微笑む。
「既に代価は貰った?フフ。誰も払った覚えはないわ。あなたが勝手に盗っただけよ」
『……………。』
光の無いこの世界で、何故か美咲の眼鏡が光る。
美咲は生殺与奪で空間を裂いた。
その隙間から、光が漏れたのだ。まるで、血飛沫が飛んだように。
『ぬお………バ、バカな……!空間を………裂いただと!?』
呻きが、ダメージによるものなのか、はたまた驚愕によるものなのかはわからない。
だが、確実にラグナロクの心を乱したのは間違いない。
「さあ、始めましょう」
実体こそ無いものの、確かにこの場にラグナロクは存在している。存在している以上、勝ち負けもまた存在する。
「私の可愛い妹分、返して貰うわよ!」
そして、倒す術もまた、存在する。