第二十四章 反抗のヨルムンガンド
葵の百花繚乱はカインに激しく襲い掛かり、彼女自身、手応えは充分だった。
ロストソウルはロキが持っている。つまり、最終的にはロキを倒さねば奪還は出来ない。だからといって、ロキとの戦いに備えて力を温存などと思ってはない。
目の前の敵を全力で倒す。要するに、そうするしか手段がないのだ。
タンタロスにこっぴどくやられたダメージは重く、見た目の傷は悪魔の治癒能力で綺麗に消えたが、歩くことすら本当は億劫だ。
せめて深手を。そう思った一撃だった。だが………
「仮想の花びらを刃に肉体を切り刻む………フン。見た目が派手な割にたいしたことない技だ」
影すら見えない百花繚乱の中から、不敵なカインの声が聞こえる。
「そんな………まさか!!」
カインを覆っていた花びらが雲散し掻き消される。
「くだらん。こんな技にユミルは殺されたのか」
そう、ユミルとその部下を一撃で倒した葵の技は、カインにはまるで通じない。
「かすり傷ひとつ負わないなんて………」
葵は最善の手段を取った。一撃に全てを込めたというのに、話にならないとでも言いたいのか、カインは………
「魔王サタン。恐れるに足らないな」
矛をくるくる回し構えた。
百花繚乱は葵の必殺技。それが通用しない時点で、葵に勝ち目はない。
「安心しろ、サタン。君の仲間も次期にあの世へ送ってやる。ヴァルゼ・アークもな」
「………フフ……アハハハハ!」
「何がおかしい!」
「いいわ。もう私には勝てる術が無くなったもの。おとなしく敵討ちしなさい」
「正気か………?諦めるって言うのか?」
「ここが私の舞台の終幕よ。でもね………」
あっさりと負けを覚悟した葵は、ふっ切れたのか穏やかな笑みを見せる。
その割り切りの良さと言おうか、切り替えの早さと言うべきか、どちらにせよそれは葵の良いところでもある。
もちろん、カインがそれを知るはずもない。だから、葵の妙に場に似合わない清々しさが不気味に思える。
「あんたらじゃ、ヴァルゼ・アーク様には勝てないわ」
「………言い切るじゃないか。敵討ちを望むにしちゃあな」
「そんなもん、これっぽっちも望んでなんかないわ。私の為にみんなが動いてくれた。それだけで充分よ」
仲間であることを、行動によって示されたのだ、文句を言う必要はない。
「そうか。ならば心置きなく死ね!」
カインは構えた矛をぐっと握り、葵の心臓に狙いを付ける。
「ブラッドスプラッシュ!!」
ユミルを想うカインの矛は、行き場の無いフラストレーションを吐き出した。
「寒いよぉ〜」
第四階層。これまでの緑豊かな世界ではなく、一面銀色の世界。雪原の大地だった。
皆が寒さを堪える中、はるかは思わずそう呟いてしまった。
「言わないでよ、はるかお姉様。ますます寒くなっちゃう」
結衣が悴む手に息を吐く。
露出の多い彼女らの鎧は、暖房機能までは付与しておらず、“人”並に触覚が敏感さを奏でる。
「でも見て!ほら。あそこに五階層への塔が………」
結衣が安心したように言いかけた瞬間、やはりここにもいた。番人が。
「………悪魔なんて言うから、どんな強面かと思えば………ムカつくくらい美人だな」
嫉妬とは違う皮肉を女性の番人が言った。それが褒め言葉でないことくらいはわかっている。言うまでもなく、番人を前にした悪魔達は、各々のロストソウルを構える。
「雑魚はいないみたいね」
周りを警戒しつつ、那奈はバスターライフルのエネルギーを確認する。
第三階層で後先考えずぶっ放していた分、ここからは上手く配分しなければならない。
エネルギーの充填そのものは、那奈の魔力に依存する為、彼女のオーラさえ回復すれば、また存分に使える。
「この雪原は、雨の降らないアスガルドの大切な水源だ。普段から俺が一人で管理している」
番人はそう説明した。その瞳はどこと無く虚ろで、血の巡りの不要な人形のように見える。
「一人だけ残れ。後は五階層を目指せばいい」
番人は首を傾げなければならないようなことを言い、それが罠でないことを示すように殺気をオフにした。
「ど、どうしますの?」
突拍子も無い申し出に、純が美咲に聞く。
罠でないのなら、やはり進むべきだろう。一人を残して。
「そうねぇ………」
二人残ると言えば、“彼女”はどうするのか?もしくは、このまま全員でぶつかるのもありだろう。
だが、そうしてはいけない気がする。
「私が残るのです」
すると、おとなしかった景子が言った。
仏頂面で愛想がカケラも無い。その存在を語る形容詞も無く、無味無臭。そんな景子が鎖のロストソウル・デスティニーチェーンを引きずりながら前に出た。
「景子………ううん。私も残る!」
「一人という条件なのです。二人はダメなのです」
結衣を押し返すように黙らせると、
「大丈夫なの?」
はるかが覗き込む。その表情は、飽くまで無愛想。
「副司令」
那奈はモタモタする時間はないと、美咲を急かす。
「景子。あなたもレリウーリアの一員。負けちゃダメよ」
出した結論は景子の意志を尊重する指示。
それに景子が見せた反応は、わずかに首をもたれ頷いただけ。
「行きましょう。戦わずして進めるのなら、断る理由がないわ」
美咲は塔へ向かって走り出した。
「お気をつけあそばせ」
純も後を追う。
「………死んじゃダメだからね!」
はるかも、
「何としても勝ちなさい」
那奈も、
「信じてるから!」
結衣も先を急いだ。
宣言通り美咲達を進ませた番人は、ボリュームのある髪を後ろで束ねた。
「幼いんだな」
男口調の女性番人は、なめ回すように景子を品定めすると、ようやく名を名乗った。
「俺はこの雪原の番人、ヨルムンガンドだ」
小脇に抱えたバックラーを構える。
「………何故みんなを通したのです?」
一応聞いておく。景子にも理解が出来なかったから。
「ロキ様は、このアスガルドを捨てるおつもりだ。我々が生きるこのアスガルドを。だから………せめてもの反抗だ。でなきゃ、死んでも死にきれん」
ヨルムンガンドは荒くも丁寧でもない口調と、微動だにしない表情で答えた。
「そういえば、まだお前の名を聞いてなかった」
「シュミハザ」
「シュミハザ………いい名前だな」
「……………。」
景子には自分の継承した悪魔の名、シュミハザという名前がいいかどうかはわからない。
「無駄な会話はしたくないのか。それもまたいいだろう」
「無表情のくせに口数は多いのです」
「表情が無いのは、この雪原に一人でいる時間が永かったからだ。気にするな」
「気になどしてないのです。無表情はきっとお互い様なのです」
でも自分には可愛らしさがある。心の中はそう思ってるのかもしれない。
「では始めよう。ああ。このバックラーはただのシールドではない」
途端、バックラーは共鳴する。“何か”に。
共鳴が振動を起こして、景子の肌を傷つける。
「さあ、行くぞ!シュミハザ!」
瞬きひとつしない瞳には、景子の姿が捕われている。
「うっさい奴なのです」
そして、若干十四歳の悪魔も、その瞳にヨルムンガンドを捕らえていた。