第一章 変わらぬ朝
「ちょっと!もう一回言ってみなさいよ!」
虹原絵里は、これまでにないと言っていいくらいの怒りに、身を奮わせていた。
「ええ。お望みとあらば何度でも言ってあげます!その、みっともないネグリジェ姿で屋敷の中を歩かないで下さいっ!」
対抗馬は、ローサ・フレイアル。イタリア人の父と日本人の母から生まれたハーフ。
時間は早朝六時を回ったところ。怒鳴り声を撒き散らす時間帯ではないのだが、この屋敷で早朝の喧嘩は珍しくない。
上級悪魔・レリウーリアの記憶と力を継ぐ者達十四人が、この屋敷に集ってわずか二ヶ月。六十日に及ぶレリウーリアの朝で、穏やかな朝は一度たりともない。
そもそも、ローサは絵里のネグリジェ姿に文句をつけているが、喧嘩の根本はそこにはないのだ。
「やだやだ。若いくせにファッションの知識もないなんて。このネグリジェはね、とても有名なデザイナーが、私のスタイルに合わせて仕立てたものなわけ!インチキイタリアン風情に言われる筋合いはないわ!」
絵里は二十八歳。ローサは二十二歳。六つも年下のローサに盾突かれるのが、我慢ならない。
「だからあんたダサいのよ」
トドメを刺す。
別に、ローサがファッション知識ゼロかと問えば、そうではないのだが、なんにしろ、互いに感情を逆なでするような言葉で傷つけたいだけなのだ。
「キーーッ!!私のどこがダサいってのよ!二言目にはモデルモデルって、三流モデルがエラッソーに!!」
「な、なんですってぇ!!」
二人が声を上げ喧嘩をしていると、
「ふわぁ………うっさいわね、朝っぱらから………。夜通し撮影だったから眠いのに」
妃山千明。職業は女優。とても売れっ子とは思えない顔つきで、パジャマのまま起きて来た。
「おはよ。………まぁたやってんの?今日は誰と誰よ?」
宮野葵にとっては、毎朝の喧嘩も日常茶飯事ともなれば、目覚まし時計代わりになる。
「勘弁してよぉ………さっきゲームクリアして、ようやく寝れると思ったのに」
綾女はるか。日常茶飯事と言っても、こちらは慣れない部類。
「ちょっとどけて!朝食運ばなきゃ、司令に怒られちゃう!」
ドタバタとメイド服を着て、朝食の乗ったワゴンと一緒に部屋へ入って来たのは、中間翔子。
「お姉様方、おはようございます。あっ、翔子お姉様、お手伝いします」
学生服を着て現れたのは新井結衣。高校二年生だ。
「助かるぅ〜!じゃ、これ配膳して!」
「はい!」
運んで来たワゴンを渡して、急がしそうにキッチンへ戻る翔子と入れ代わりに、
「たまには誰も喧嘩をしない日がございませんの?」
戸川純が来た。根っからのお嬢様育ちで、マイペースな性格の持ち主だ。
「むぅ〜………またなのぉ?懲りないわねぇ…?」
けだるそうにやって来たのは、神藤愛子。普段はおっとりしているが、その内面には別の人格が潜んでいる。
「みんなおはよ」
騒がしい朝にも動じず、平静を装うのは岩瀬那奈。レリウーリアの中で、参謀を担う。
その後から、ひょこひょこやって来たのは、
「……………うるさいのです」
南川景子。レリウーリアでは最年少の十四歳。
語尾に「なのです」と、変な癖をつけ、無愛想なのがタマに傷な妹分だ。
「あら、みんな早いわね」
そして、レリウーリアの副司令官の九藤美咲。景子に対して、最年長の三十路。
十二人の紹介を終えて尚、二人の喧嘩が収まることはなく、罵声の浴びせ合いに続いて、今度は頬のつねり合いに発展していた。
傍観を全員がしてるのは、やっぱり巻き込まれたくないからだ。特に、この二人は犬猿の仲。巻き込まれたら悲惨な目に合うことは、全員が体験しているのだ。
とは言え、こんな喧嘩がいつまでも続くわけではなく、必ず終わりがやって来る。
「あっ………!」
その終わりを告げる者が現れ、千明が挨拶をしようと………思ったのだが、険しい表情をして傍観者達の脇を抜ける。
その者は仲矢由利。美咲と同じく三十路ではあるが、美女揃いのレリウーリアの中でも、群を抜いて美人な司令官。規則だとかルールというものに非常に厳しく、曲がったことが大嫌い。由利は、気付かず喧嘩をエスカレートさせていく絵里とローサに向かって、
「$%*〇¢☆☆△◎▽←◎◎△ーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大地さえ割るような雷を落とした。
男が食堂にやって来ると、十三人の美女達は立ち上がり、
「総帥。おはようございます」
由利の挨拶を筆頭に全員が続けて挨拶をした。
「おはよう」
男を迎え、闇十字軍レリウーリアが揃う。
男は悪魔の神・魔帝ヴァルゼ・アークの記憶と力を継ぐ者。レリウーリアの象徴だ。
しかし、その姿はやはり人間であり、黒い髪に黒い服装でそれを印象付けている。
部下である十三人は、彼の人間としての名前を知らず、普段は「総帥」とか、「ヴァルゼ・アーク様」と呼んでいる。
「今朝も騒がしかったけど、また誰か喧嘩してたのか?」
ヴァルゼ・アークがそう言うと、絵里とローサが顔を赤らめ、気まずそうにスープを啜る。
「仲のいい証拠だと思っておこう。ま、なんにしろ、元気なことはいいことだ」
絵里とローサを見て、フッと笑っていると、
「総帥はこの娘達に甘すぎます!たまには総帥の方から叱ってやって下さい!」
右斜めに座っていた由利が吠えた。
「そう怒るなって。美人が台なしだぞ」
「そ、総帥っ!」
絵里とローサ以上に顔を赤くし、由利は恥ずかしいのか、ヴァルゼ・アークから目を逸らした。
「まあ、確かに喧嘩ばかりでも困る。俺達はたった十四人しかいない悪魔だ。そこのところの意味、しっかり考えておけ。………ところで、みんなに話がある。ちょっと聞いてくれ」
切り出したヴァルゼ・アークに、一同は食事を中断して注目する。
「そろそろ天使が千年前の封印から覚める頃だ。俺としては、このまま黙って待つつもりはない。奴らが目覚める前に、いくつかフラグメントを集めておきたい」
「では、本格的に動くのですね?」
由利の対面に座る美咲が言った。
「そうだ。この二ヶ月の訓練で、戦闘に対する腕はみんな上がっただろう。後は実戦で感覚を戻すしかない」
「お言葉ですが、フラグメントはどうやって探すおつもりですか?まさか世界中を隈なくなんてことは………」
葵が口を挟むと、参謀を担う那奈が、
「それなら心配ないわ」
そう言って、着ていたスーツの内ポケットからペンダントを取り出した。
「それはなんでございますの?」
それを見て純が尋ねると、
「“解空時刻”よ」
由利が答え、その説明を続けた。
「それは“次元管理者ミドガルズオルム”の涙の結晶。満月の光に反応すると、空間の時間紐をあらわにしてくれるものよ」
当然、説明などなくとも悪魔の記憶があるのだから、名称さえ聞けば充分ではある。
「二ヶ月の間の満月で、フラグメントの在りかはおおよそ見当はついている。明日より、手分けして探索に出てもらう」
ヴァルゼ・アークが一同を見据えて言うと、全員が返事をし頷いた。
「今日一日は、思い切り休みなさい」
由利が一言加えると、キャッキャッと騒がしくなる。
「休めとは言っても、規則正しい生活を………って、聞いてるの!?」
静めようとする由利だったが、こうなるとさすがに多勢に無勢。成す術もない。
「………全く!」
「まあ、そう怒るな。小ジワが増えるぞ」
と、何気なく言ったつもりのヴァルゼ・アークだったが、由利に睨まれおとなしく食事を続けた。
そして、彼らの知らないところで、戦いは始まろうとしていた。