第十三章 ユミル。庭園にて
陽当たりのいいユグドラシル庭園に咲く彩りどりの花。甘い蜜の香りが、とても効率よく漂っている。
強すぎず、でも忘れてしまうほど微香でもない。
呼吸をする。その度に頭が安らぐ。
脳波がα波で占め、ある種の快楽にさえ思える。
「花は好きか?」
そう声をかけて来たのはカインだった。
花を眺めていたユミルは、慌てて立ち上がり、
「これはカイン様!」
と、敬礼した。
「いいよ。別に」
それを見たカインは苦笑して、ユミルがしていたように花を眺める。
「いい花達だ。いつ来ても、この庭園の美しさは変わらない。きっと、いい庭師がいるんだな」
「それは………」
ユミルは照れた。なぜなら、この庭園の手入れは自分がしているからだ。
赤みがかったユミルの頬に、
「そうか。お前が………」
カインもまた、照れ臭いことを言ってしまったと思った。
「しかし、カイン様。エデンはここよりもっと美しいのでは?そうお聞きしています」
「………そうだな。エデンもアスガルドに負けない美しさを持っているよ。でも、それだけだ」
「はぁ。それだけ………とは?」
美しさにそれだけも何もないと思うのだが。しかしユミルは、その言葉は間違って使われたものではないとわかってはいる。
その疑問を晴らすように、カインはちょっとだけ呆れたような、それでいて不満そうな笑みを浮かべ、
「エデンの花達は、誰が手を加えずとも勝手に育つ。楽園の代名詞を持つエデンには、そういう環境システムが整っているんだ。必要な時に雨が降り、必要な時に陽が射す。誰もが住みやすい世界なんだよ」
それのどこが不満なのか、ユミルにはそこまではわからない。
誰もが住みやすいのなら、やはりそこは楽園であって、不満に思うことではない。
「結構なことだと思いますが?楽園と呼ばれる由縁でしょう」
「ハハ。そう思うか?」
「はい。アスガルドでさえそれぞれの階層に嵐がやって来たり、時には日照りが続いたりします。その度に、皆苦しんでいるのです」
「でも、それが生物の生きる正しい世界だ」
「カイン様?」
「自然の厳正なる力に抗い、知恵を振り絞って生きる道を探す。だからこそ生物は進化するんだ」
「進化………ですか?」
「エデンは、進化という概念が存在しない世界。つまらん世界だ」
あまり好きになれなかったカインだが、今こうして会話を交わすと、彼の心の奥深くに触れた気分になる。
意外なのか、それとも偏見で彼を見ていたのか、実は思想高い人物なのではないかと思える。
「オレは、アスガルドのように自然の尊厳が存在する世界が好きなんだ。だから、手を加えてやらねば育てない弱々しい花も、愛おしいと思える」
遠くふるさとのエデンを見ているのだろうか、カインは目を細め、アスガルドの青い空を瞳に映していた。
「!!」
ユミルは、そんなカインに見とれていると、黒く濃い気配を感じた。
「………ほう。向こうから来たか」
カインは薄く笑う。ロキが始めようとしたゲームを、敵から始めたのだ。
「レリウーリア!まさか仲間を助けに来たのか!」
ユミルには考えられない行動だった。一人の仲間の為に、悪魔が動いたのだ。
「だろうな。あの女………サタンを助けに来たんだ」
カインは胸が高鳴るのを抑え切れない。いよいよ始まるのだ。
人間界では千明と絵里を手玉に取ったが、本当の実力はまだ見ていない。
神々の中でも最も高位に立ち、また神々でさえ恐れる魔帝ヴァルゼ・アーク。そして、その直属の部下達。
悪魔退治という最高のゲーム。
カインは踵を返す。
「カイン様、どちらへ?」
「決まっている。ロキのシナリオを聞いて来るんだよ」
カインの口元が緩み、
「心配すんな。お前が手をかけ育てたこの庭園には、一歩も踏み入れさせない」
「カイン様………」
「ユミル。お前がエデンを楽園と呼ぶのなら、この庭園はオレにとってオアシスだ。ここだけは守ってやるさ。ま、奴らがユグドラシルまで来ることはないだろうがな」
呼び止められたカインは、また歩き出した。
「………胸が……熱い………どうして?」
楽園・エデンの使者カインの笑顔が頭から離れない。
それが恋だと気付くには、ユミルは経験が不足しているようで、ただ佇むしかなかった。
その淡い想いさえ掻き消すように、悪魔達の気配がアスガルド全土に蔓延していた。