第十二章 粗暴な英雄
「みんな、アスガルドへ向かいました。一応、美咲と那奈には、みんなの面倒を見るように言っておきましたが」
由利は淡々と報告した。怒りを買うことになっても、それは覚悟している。手のかかる部下だからこそ、自分が責任を負うつもりだ。
「そうか。ならば俺達も行かねばな」
ところが、ヴァルゼ・アークは怒りもせず、ただ一言そう言っただけだった。
まるで、こうなることを望んでいたかのように。
「総帥。もう話してくれてもいいんじゃありませんか?」
「話す?何を?」
「総帥は優しいお方です。身勝手な行動を取ったとは言え、葵を見殺しにするなんてしないはずです。………理由がおありなんでしょう?」
冷徹な主を演じた。由利にはそうとしか思えない。愛する男のその深い思慮の中に、何度も潜っては抱かれて来たからだ。
「………敵わなんな。お見通しってワケか」
「誰より近くにいるんです。当然です」
「………あいつらは、常に俺に従おうとする。しかし、これから生死のやり取りをして行く中で、自分が正しいと思う判断を自分の責任で行動出来ないのでは、簡単に命を落とすだろう。葵の行動は許されることではないが、厳しくするのは俺だけでいい。みんな仲間なんだ。たった十四人の。誰かの為に自分に出来ることがある。それを考えてもらいたかった」
主に逆らってでも優先して欲しいもの。その役目は、主であるヴァルゼ・アークはもちろん、側近の由利では果たせない役目。
「どうして私に言ってくれなかったんです?」
「お前は俺の頭脳で在ろうとする。いつも、みんなの見本で在ろうとする。だからこそ、お前にも俺に対して疑問を持って欲しかった。ただそれだけだよ」
「ヴァルゼ・アーク様………」
やはり深かった。
微かに微笑んだヴァルゼ・アークの背中に寄り添う。
「由利?」
「あの子達は、この背中を独り占めしたいと思っています。なのに、あれだけの美人を総帥は独り占めにしている………罪なお人です」
「そんなに価値のある背中じゃない」
「いいえ。充分です」
由利は、ヴァルゼ・アークの背中に誓う。これから先、どんな試練や苦難があろうとも、彼の野望の為に犠牲になると。
「由利、行くぞ。あいつらだけじゃ心配だからな」
と、あどけなく笑う。
「ですが、葵は無事でしょうか?もし、あの子に何かあったら………」
「大丈夫だ。ロキが葵を殺していたなら、何らかのアプローチはしてくる。それがないところを見ると、さしずめ、葵の使い道を考えているのだろう。………愚か者め。おとなしくアスガルドで踏ん反り返ってればいいものを」
「では参りましょう。葵はきっと、私達を待っているはずです」
大切な妹を救う姉の心を宿し、由利は鎧に身を包み、槍のロストソウル・シャムガルを具現化する。
悪魔、調律神ジャッジメンテスとなった。
「ロキ………アスガルドの大地ごと葬ってやる!」
魔帝ヴァルゼ・アークもまた、漆黒い刃を持つ剣のロストソウル・絶対支配を手に、アスガルドへと向かった。
三人目のロキの友人を訪ね、サキュバスはケルト族の住まう世界へ来ていた。
どちらかと言えば発達の遅れた村。少々原始的なこの村に、カインやタンタロスのようにロキを唸らせるほどの者がいるかは怪しかった。
かと言って、憂鬱さが消えたわけじゃない。カインはまだ人柄がいい方で助かったが、タンタロスのように萎縮させてしまうような雰囲気の持ち主ならば、早々に任務を済ませアスガルドに帰りたい。
ケルトの村人に聞き込みをし着いた場所は、竪穴式住居。梯子を昇り、恐る恐る中へ入る。
「………誰だ?」
低く、けだるそうな決まり文句が飛んで来た。
「お、お初にお目にかかります。私はアスガルドの聖王ロキ様の従者、サキュバスと申します」
「ロキの?へぇ〜、珍しいな」
背中を向け横たわっていた男は、頭を掻きながら起き上がると、置いてあった瓶に手の平ほどの器を入れ、中の液体を掬って飲む。それが酒であることは、臭いでわかる。
「アイツがアスガルドを治めるようになってから、疎遠になってたからな。てっきり忘れられたかと思ってたよ」
赤く短い髪をした若い男。だらし無い印象を受けた。
サキュバスはやはり受け入れられず、
「貴方がケルトの英雄クーフーリン様で?」
なるべく事務的な口調を選んだ。
「俺様を知ってるのか?」
「い、いいえ。先程、村の住人から名前をお聞きしまして」
「な〜んだ。知らねーのかよ。シケてんなぁ」
こういう粗暴な輩は好きじゃない。サキュバスは溜め息を吐いた。
ケルトの英雄と謳われる者が、この程度のレベルなのかと。
「まあいいや。で、俺様に何の用だ?」
退屈でもしてたのか、友人からの久々の使者に興味を持ったらしく、食いつきがよかった。
「実は………」
サキュバスはさっさと済ませようと、カインやタンタロスに説明したよりも事務的に話す。
ロキが人間界を征服しようとしていること。
人間界には上級悪魔であるレリウーリアが復活していること。
それに伴い、友人であるカインとタンタロス。そして、クーフーリンの力を借りたいこと。
クーフーリンはカインとタンタロスの名を聞くや、
「ヘッ。どうやら派手にゲームでも始める気だな」
悪ガキのような笑みを見せた。
その態度を見れば、もう承諾したも同然。
「ロキ様の言づて、確かにお伝えしました」
サキュバスは胸を撫で下ろしたいのを我慢し、せめて一人になるまで気は抜けない。
こういう輩は、小さな粗相をこれみよがしに攻め立てる。一刻も早く立ち去りたいサキュバスは、ロキにする以上に丁寧な礼をした。
そして帰ろうと、踵をした時、
「待て」
背中を見せていてよかった。思わず舌打ちをし、きっと不快な表情をしていただろうからだ。
「な、なんでしょう?」
「レリウーリアにはジャッジメンテスって悪魔がいたはずだ」
「は、はぁ?」
そんなことを聞かれても、サキュバスにはわからない。が、何らかの因果があってクーフーリンがそう言うのなら、それはそうなのだろう。
「そいつも復活してるってことか?」
「………た、多分。そうかと」
「そうか。………へへ。ロキの奴、面白い話を持って来るじゃねえか」
だからなんだ。とは、言えず、
「あの………」
「サキュバス!」
「はいっ!」
突然名前を呼ばれて驚いた。
「その戦いはまだ始まってないんだよな?」
「ええ、まあ。………あ、ですがカイン様は直接人間界へ………」
「なんだって!あん……の野郎………また勝手に動きやがったな」
クーフーリンは無造作に立て掛けてあった赤い槍を手に取り、
「ジャッジメンテスだけは俺が倒す!あいつらに先を越されるわけにはいかないぜ!」
「……………。」
頭痛がして来た。
一人でテンションを上げるクーフーリンに、サキュバスは頭を抱える。
「よしっ!モタモタしてらんねぇ!このゲイボルグで、ジャッジメンテスの首を取ってやる!」
ジャッジメンテスとの間に何があるかは知らないが、本人のやる気を削ぐつもりもないし、権利すら与えてもらってない。
それなのに、礼を尽くさなければならないというのは、非常につらい。
特に、クーフーリンのように粗暴で他人の都合も考えない男は大嫌いだ。
薄気味悪くて、恐怖すら感じたタンタロスの方がまだいい。
「何してるんだ、サキュバス!さっさとアスガルドへ向かうぞ!俺はカインと違うからな、“とりあえず”はロキに挨拶くらいしてやる。その後は、好きにさせてもらうけどな」
ケルトの英雄クーフーリン。屈託のない笑顔にも見えるが、その瞳は血に飢えた獣の瞳だった。