第十章 ロキと葵
ロキは玉座に座ることを嫌う。庭園と繋がる部屋で一日を過ごすことが多い。
今日も、カインとテーブルゲームをしてくつろいでいると、
「ロ、ロキ様!失礼します!」
ユミルが開放されている入り口に姿を見せた。
衛兵とロキの世話係を担うユミルは、常に冷静でいるのも仕事。そんな彼女が、明らかに慌ただしく姿を見せたことで、ロキが有利だったテーブルゲームは、中断を余儀なくされた。
ロキはちよっと不機嫌気味に、
「………声がでかい。静かにしろ」
ユミルを見もせずに言った。
「も、申し訳ありません!実は………」
「人間界を奪うんじゃなかったのか?」
ユミルを押し退け現れたのは、
「おお!タンタロス!」
ロキは嬉しさから、声を上げた。
カインもニヤッと笑い、
「久しぶりだな。お前は来ないんじゃないかと、ちょうどロキと話してたところだ」
タンタロスを歓迎する。
「さあ、タンタロス。そんなところに立ってないで入れよ。奈落からの来訪、喉が渇いただろう?」
カインのように親しみ易いとは言えない風貌と性格。見るからにダークサイドなタンタロスが、ロキは好きだ。
「暢気な奴だ。そんなんだから鼠に侵入を許すんだ」
「ネズミ?」
不可解な顔をしたロキに当てつけるように、何かを引き寄せ、突き出した。
「土産だ」
そう言ったタンタロスの足元に転がったのは、両手を後ろで縛られた葵。
派手にやられた痕が痛々しく、実力の差が伺える。
「悪魔じゃないか」
カインが言うと、
「こいつは………客人にネズミ退治をさせてしまうとは」
ロキは申し訳なさそうに呟いた。言葉“だけ”はの話だが。
「うっ………」
呻く葵は、しゃがみ込んで見て来たロキを睨みつける。
「………あんたが……聖王…?」
まずは確認をしなければと、こんな状況でも冷静に対処する。
「いかにも。俺がアスガルドの聖王ロキだ。お前は?」
まだ若い。人間の歳なら、二十代前半。自分と変わらないくらい。葵は想像より遥かに若いロキに、思わず鼻を鳴らした。
「フン。私は魔王サタン………それにしても、もっと歳とってると思ったわ」
「クク……気の強そうな女だ。一人で乗り込んで来たのか?」
仲間が一緒なら気付かないわけがなく、おそらくは偵察にでも来たのだろうと推測する。
「あんたなんか………私一人……で充分よ」
「ハハハ!聞いたか?カイン。タンタロス。ネズミが獅子を狩りに来たと吐かしやがった!」
高笑いをしたロキは、瞬時に顔を怒りに変えて葵の頭を踏み付けた。
「ああぅっ………!」
「生意気な女だ。ヴァルゼ・アークへの見せ締めに首を撥ねてやる!」
剣を抜き、葵の喉元に押し当てる。
赤くすんなり線が入り、スーッと血が垂れる。
「待てよ、ロキ」
「邪魔をするな、カイン」
釘を刺すような言い方でカインを敬遠するが、
「おい、お前。一人だとか言ってたけど、仲間はどうした?」
カインはロキに構わず、葵に尋ねた。
「………一人は一人よ」
「そんなわけないだろう。なら、このアスガルドへどうやって来た。魔王の称号を持ちえど、簡単に侵入は出来ないはずだ」
「私は…空間と重力の神であるヴァルゼ・アーク様の加護を受けてる……のよ?程度の低い結界くらい………一人で破れるわ」
「………なるほどな。加護を受けてるくらいで結界を破れるのか。………こりゃ、相当手強いぞ。ヴァルゼ・アークは」
アスガルドの結界は、葵が言うほど程度は低くない。万全とは言わないが、たかが悪魔一匹に………そう思いたくなる。
「手強いのは承知の上だ。退屈凌ぎにはちょうどいいだろう」
タンタロスは、むしろその方がいいとさえ思う。
「忘れるなよ、ロキ。オレらはお前が用意してくれたゲームを待ち望んでるんだ。女一人にムキになるな」
カインに言われ、ロキは感情的になった自分を冷却する。
「ユミル」
「は、はっ!」
ロキに呼ばれ、ユミルは慌てて敬礼した。
「この女を牢に閉じ込めておけ!ゲームを進めるのに必要な駒だからな。丁重に………な」
「はっ!仰せのままに!」
ユミルは葵を引っ張り上げ、無理矢理立たせる。
「あんたらに………ヴァルゼ・アーク様は倒せないわ」
最後の皮肉を噛ます。葵の気丈さはロキの期待を高める。駒としての期待。
「せいぜい、今のうちに吠えておくんだな。お前はヴァルゼ・アークの目の前で処刑してやる」
葵は悔やんだ。自分の失態がヴァルゼ・アークへ不利に働くだろうことを。
身勝手な行動の代償は、あまりに大きかった。