その4
夜闇に包まれた海岸で、二人は疲弊した体を寄せ合って眠っていた。倒れていた、といった方が正しい。随分苦労してここまで来て精も根も尽き果てていた。
失われた青と幻の青の有力な情報を手に入れたものの、あまりに遠方であって、資金も底を突きかけていた私は思わず二の足を踏んだ。彼女の情熱と説得が無ければ、あるいは機会を逸していたかもしれない。金銭的な問題も大きかったが、しかし私はその頃、ある不安に捕らわれ始めていた。青を巡る研究から彼女と出会い、目的を共にして共同研究から生活を共にするまでに至っていた。寝食を共にして同じ目的に邁進する充実感。私にとって、青の探求と同様に、彼女の存在が日を経るに重要になっていた。では、青を発見したらどうなるのか。この研究が完了した時、二人はどうなるのか。小さな不安は私を鈍らせ、曇らせた。この遠い島への探索に躊躇してしまったのだった。
伝承はこの海岸を伝えているはずである。私の戸惑いに彼女は最初驚いた。青を探すことにほとんど全てと言っていいほど全てを捧げてきた私たちである。慎重に動こうと主張する私に、彼女は一人であっても行く、と言い、私は慌てて彼女の意見に同意することになった。そんな経緯があったせいか、道中いささか雰囲気がぎくしゃくしてしまい、私はさらに不安を募らせることとなった。青が見つかれば、それで彼女を失うことになるのではないか、と。四十を過ぎながら職もなく研究に没頭するのみだった私が、彼女を引き止める事などできようはずが無い。青を発見することが出来るのであれば、それはもちろん喜ばしい。だがどちらにしても、私たちはこの旅で資金のすべてを使い果たしてしまう。元の生活に戻ることはできない。雨雲の中を飛ぶ飛行機の中で、私の気持ちもまた晴れなかった。
夜の海岸は冷え、テントの中で私たちは寄り添うように寝た。闇が何もかもを遠くへ放り投げてしまったようにあたりには何も見えなかった。
翌朝、私たちはかつて経験したこともないような強烈な光の中で目を覚ました。テント越しにもその光のまぶしさに目がくらみそうだった。夜が明けたのだったが、その光が陽光であることに気が付くのに時間がかかった。テントから這い出した私のくらんだ目がようやく慣れてきたとき、そこに青が広がっていた。
失われた青は海だった。幻の青は空だった。
あまりにも澄んだ青、あまりにも深いその青に、私は言葉を完全に失ってしまった。まるで体から中身が消え去ってしまったかのように、私はからっぽになって呆然と立ち尽くしていた。しばらくして、私は自分が泣いている事に気が付いた。目から涙が溢れて止まらなかった。いつの間にか、彼女が私の手を強く握っていた。握ったのは私のほうだったかもしれない。彼女の目にも涙が溢れていた。私たちは飽きることなく海と空を、手を取り合って見つめ続けた。人類が失いつつある、青。もう既に失ってしまっているかもしれない、幻のその色は、優しく、強く、鮮烈であり、懐かしくもあった。私はその青の前に立って、青に包まれて、ようやくたどり着いた事を実感した。完全に失われてしまう前にたどり着けた事に感謝した。私は彼女の手を握り続けた。人は、失ってはならないものを持っている。青は、ただ大きく広がっていた。
(おわり)
【あとがき】
少し、ありがちな設定だったかもしれないけれども、青をたどる二人の物語である。青をテーマにしたとき、イントロからアウトロまでが一気に浮かんだ。よく言う南の島、楽園と呼ばれる地域に降り立った人なら経験のあることだと思うけれども、それまで知っていた海と空がまるで違うものに思えるくらいの衝撃を受けることがある。我々はもう、青を失いかけている。いつか、本当の青がこの国に戻ってくることもあるかもしれない。自然のサイクルにおいてはそれは、随分先のことになるらしい。人には、失くしてはいけないもの、手放してはならないものがある。その手を、離すな。
【告知】
ネットショップ「らすた」にて作品連載中。
この作品は、「らすた」より配信されているメルマガにて連載された作品です。
最新作、及び日々のコラムをご覧になりたい方は、ぜひ「らすた」を訪れてください!
↓検索キーワード「ビッダーズ らすた」
http://www.bidders.co.jp/user/2573628




