後の夏祭り
◆「覆水盆に返らず。」誰でもが知っているこんな言葉がある。
一度、おこなってしまったことはどんなに嘆いても取り返しがつかない。と言う意味である。
そう。一度盆からこぼれた水は、二度と盆の中には戻らないのだ。
悲しいことに・・・。
◆北海道の片田舎から下心を下腹部にぱんぱんに詰め込み、大学進学と言う名目で上京してから5年半が過ぎようとしていた。
覆水隆司。当時18歳だった彼も社会人二年目、今月13日には24歳になる。
隆司の勤めている金融会社も、隆司の誕生日である8月14日はお盆休みである。
しかし、隆司は大学の後半からお正月も含め、余り実家に帰ることは無かった。
それは、小学6年生の夏に目覚めて依頼、煩悩が一度も引き出されることなく貯蓄され続けているからだ。
その煩悩の正体は、“彼女との あんな 毎日”と言ういたってシンプルなものである。
彼は、その可能性を求めるがあまり、帰省がおろそかになっているのである。
晴らし所の無い思春期の塊を抱えた青少年としては、ある意味正当な理由と言えるかもしれない。
だからと言って、決して彼は女性にもてない訳ではない。むしろ平均値以上に機会だけは恵まれてはいるのだ。
恋愛機会均等法と言う法律があれば十分に合法である。
しかし、それにも関らず彼女いない歴24年と言う歴史を刻み続けていると言う不器用な男なのである。
それだけに、彼にとっては精神を蝕む難解な問題になっていた。
彼は、決して不細工でもなければ喋り下手でもない。どちらかと言えば、平均値よりもアイドル的に 可愛い顔もしていれば、ユーモアのセンスもある。
10段階評価で言えば、7と言っても決して過言ではく、友人からも評価だけは高いものをもらっている。
しかし、彼には大きな欠点があった。
それは、ことごとく人生の二択を誤るのである。そして、感心する位二択に恵まれる。
“二択” 一般に適当に選択をすれば50%は当たることになる。
しかし、彼はここに深い想い入れ(煩悩)が加わると、何故か簡単な選択に対しても誤った選択をしてしまう。
返って四択五択と選択肢が増える方が、他人より高い確率で当たりを引き当てるのである。
最初から高い希望に目さえ眩まなければ、結構良い眼力を発揮出来る力を持ち合していると言うことである。
しかし、どうしても煩悩で選択をしてしまうのであった。
今回の彼の二択は、お盆休みに実家のある北海道に帰郷するか、東京での滞在休日を過ごすかの二択であった。
◆5年半前、隆司は簡単に言えば“彼女が欲しい”と言うことのみを目的に東京の大学進学を目指した。
その一点が満たされていれば、わざわざ上京する必然性は全く無かった。
それが満たされていなかった為に、何か解決する為の心の拠り所が欲しかった。
それが、いつしか東京の大学に行けば彼女ができる。と言う妄想に姿を変えたのである。
だが、この行動が返って大きく煩悩を貯蓄する結果となってしまった。
当時、隆司は東京の大学受験のことは友人には隠していた。
それは、隆司の実力では到底及ばない大学ばかりの受験だったからである。
しかし、隆司は夢の為には、有名大学に進学する必要があった。
それは、彼の勝手なイメージからだった。
隆司自身ダメ元とも思っていた。しかし、隆司なりに精一杯の努力はした。
下心はかつて無いパワーとなり、彼の下腹部の一気筒エンジンは常に隆司のやる気と、根気を支えた。
その甲斐があって、奇跡的に見事に一校だけ辛うじて合格することが出来た。
隆司は、合格後数日は一気に夢が開けた気持ちになり、人生最大の喜びの日々を送っていた。
よし、何かが起こる。
きっと起こる。
起こしてみせる。
何せ東京の女子大生の数は田舎とは比べ物にならない。
喜びの渦中にいた隆司の気持ちは一つに固まっており、既に受験に対する戦意は失せていた。
その為、地元の大学の受験が残っていたが回避した。
最初は記念に受けるだけでもと思っていたのだが、自然の流れとして、その気持ちもなくなってしまっていた。
それが・・・
地元の大学の受験日であった。
隆司は当然のことの様に合格の余韻を依然として引きずっていた。
受験日であることも忘れ、昼頃に起きてまっていた。
起床後に受験日だったことを思い出したが、特に気にもせず、引き続き喜びに浸り、ニタニタと東京生活を空想していた。
空想の中、午後8:00を回ろうとしていた。
その時、隆司の携帯電話が鳴った。
遊びの誘いかな?と思った。今日で、全試験終了の友人も少なくなかったからだ。
ベッドに寝ていた隆司は、立ち上がり、机の上に放り投げていた携帯を手にした。
携帯には電話番号のみを表示している。電話帳に登録の無い携帯番号だ。
誰だろう?
「はい、覆水です」
「あっ、覆水君」
あれ、女の子???
と思った瞬間から、ドキドキと隆司の心臓の鼓動は、期待も込めて高く鳴り響く。
頭の先に振動が伝わってくる勢いだ。
“くん”呼び? 同級生か? 声は、可愛い気がする。誰だろ? ???
「あの~、渡瀬ですけど。隣のクラスの分かる?」不安げな声がまた可愛らしい。
渡瀬真理香。当然良く知っている。そんなに目立つ子ではないが、顔は結構可愛い。
何と言っても、いつもアイロンの効いた制服を清楚に着こなしている姿が愛らしい。好感を持っている男子は少なくない。
隆司は、否応なしに期待してしまう。
動悸と期待を落ち着かせる為に、ベッドに腰を掛けた。
「あれ。どうしたの」気の利いたことばが出てこない。愛想のない言葉になってしまった。
「急にごめんなさい。電話番号聞いて電話しちゃった」謝られてしまった。
「覆水君、今日受験に来なかったのでどうしたのかと思って」
心配してくれたんだろうか?
まさか、電話の向こうに大勢の同級生がいるとかと言う、ドッキリじゃないよな。と思いながら、万が一にそなえ事実を淡々と話す。
「うん。○○大学に合格したんだ。そこに決めたから、試験受けるのが面倒になちゃって」
凄いって言ってくれるだろうか。とワクワクしていたら、意に反して彼女の声は暗かった。
あれ? 間がある どうして・・・。
「そう・・・、おめでとう。実は、覆水君と同じ大学に行きたくて、この大学受験したんだけど。一緒に行けそうもないね。でも凄いね○○大学に合格なんて」
彼女の言葉に感情が感じられない。
「えっ?」後は、出会いがしらのローキックを受けた様に立つことすら出来ず、何を話したか分からず仕舞。
気が付けば電話も終わっていた。
しばし、固まる。そして、
何で合格してしまったんだ! ・・・嘆く。
つい少し前まで何日も続いていた、合格の喜びはすっかり消えてしまった。
いや、それよりも、今日受験に行かなかった自分を恨む。
そして、なぜ母さん起こしてくれなかったと、親にまで・・・。
後悔の念が、
真冬の山頂の雪の様に降り積もる。
雪解けが来るのだろうか・・・。と思う程に。
彼女とはその電話が最後の会話のまま卒業した。
卒業式の日も何度か話せそうな機会に出くわしたが、自分の人生を物語るかの様にタイミングを計って友人が寄ってくる。
まるで邪魔をするかの様に。
なぜ、男にはこんなに人気があるのか。
もっとも、全てに自分の気持ちを優先させ、行動すれば良いのだが、その度胸がない。
今まで、彼女がいないため、女性に対する免疫が低下して、近づけない。
きっとそのせいだ。
隆司は自分に言い聞かせ、諦めに入るしかなかった。
・・・・・・。
◆大学生なった当初の隆司は、渡瀬真理香との偶然の再会を期待し、夏、冬、春の長期の休みには何度か帰郷をしたが一度も出会う機会はなかった。
そのうち、彼氏が出来たとの噂を聞き帰郷の選択肢は消滅した。
大学生活でも、ことごとく、2択を外しまくりだった。
常に二人の女性が現れる。
何故かひとりずつ姿を現さない。
みんな双子か! ・・・と嘆きたくなるくらいに同期する。
そして、色んな空想を描写し、選択ミスをする。
後で友人から「実は、彼女・・・」と聞かされる。
そっちだったか・・・。先に言え!
結局、空想していた様な明るいキャンパスライフは訪れることがなく、やぼったい4年間であっという間に終了してしまった。
◆そして、社会人2年目。8月。
昨年は一度も実家に帰らなかった為に、母親から再三“帰って来い”と言われている。
隆司も今年は帰ろうと思っていた。
そこに、最近急接近してくる女性が現れた。
先月から同じ部に事務員の補充として来た派遣社員の浅井真由だ。
彼女は、積極的に良く話かけてくる。
最初は、期待をしていなかった隆司だが、次第と彼女のペースに呑まれて行く。
昼休みになるといつも隆司の席までやって来て、楽しそうに話かけてくるようになった。
社内では、入社以来初めて隆司の下腹部を刺激するイベンントだ。
出社が苦にならない。
会社って楽しいんだ!
錯覚もした。
上手くいけば、来月の誕生日に一緒に過ごせるのではとの妄想も広がって来た。
会話の中で、それとなく誕生日も教えてみた。
「お祝いしなきゃね」とも言ってくれた。
隆司は決心した。今、帰っても・・・渡瀬が現在独りで、再開する可能性は少ない。
他に期待する要素もない。
こんな簡単な二択はない。幼児にも判断がつくと隆司は思った。
断腸の思いで、母親からの帰れコールを無視し、否、いともあっさりと帰郷を回避し、このお盆休みは東京で過ごすことにした。
『親不孝をお許し下さい。』
地元の友人たちには、仕事が忙しくて帰れないと伝えた。
(煩悩が先行した・・・。)
◆昼休み、食事を済ませると、いつもの様に浅井真由はニコニコとしながらやって来た。
まず取っ掛かりは、食事からと思い、何気なく会話の中で食事の話を切り出してみる。
しかし、今度「ご飯食べに連れて行って下さいね」と言われるだけで、具体的な会話に進展しない。 むしろ上手くかわされている気がする。
積極的な真由から食事位に乗って来ないのは、意外である。
そうこうしている内に8月11日。明後日の13日からは、お盆休みである。
そこで、奥手な孝もやる時はやる。スローカーブは止め、思い切って直球勝負をしてみた。
自分から誕生日に誘うのは変なので、今晩食事に誘って見ることにした。
「ねえ。ご飯食べに行こうか」思い切って言ってみる。
「ごめんなんなさい。お盆は大阪に帰るんだ。彼も帰るらしいの」
何か今までの会話から予期していたかの様に早い回答である。
それに、質問と回答がかみ合わない気がする。
まだ、いつ とも言っていないのに
それより・・・ 彼氏いるんだ
なんだ
そっか。
結局、真由にとっての隆司のポジションは、そこまでの人だった。
付かず離れず他の社員よりは、仲良く。しかし、友人未満というところだろうか。
隆司も知っている。
女性に最初にポジションを決められると、まずそれ以上にはなることはないこと位は・・・。
そして、それ未満になりそうになると一所件名懸命に近寄ってくる。
そうなると、必然的に良い人になるしかないことを。
・・・真由の受注にハマった・・・ 毎度あり
隆司は思う。帰郷して親孝行するべきだったと・・・。
◆そして、お盆休みも終わった8月の末に高校時代に同じクラスだった友人から電話があった。
「・・・・。そう言えばな夏祭りで、渡瀬にあったよ。隣のクラスの。女の子二人で花火大会に来ていたぞ」
以外な言葉に、孝は一瞬ドキッとした。が、なにげなく。
「あっ。そう」
「また、そんなつっけんどんに。おまえ、いつもんそんな態度だからな。卒業前に告白
されたそうじゃないか。電話来るの、ずっと待っていたらしいぞ」
「・・・・・・」あれ? 告白だったんだ。
「渡瀬、彼氏いないらしいよ、お前が帰って来ていないのを伝えると残念がってた
ぞ。」
5年半前、あの渡瀬からの電話の後、電話番号は登録した。
だが、電話番号を教えてもらった訳でなく、電話番号通知から知った電話に掛けることが何となくとがめた。
いや、実際は何て話して良いか分からなくて電話出来なかっただけかもしれない。
成長著しい今なら電話を掛けるのだが、昨年携帯を遺失してしまい、電話を掛けようにも既に番号が分からない。
どうにもならない・・・。
また外した。二択には裏がある。
(因みに、彼はこの後次第に過去の経験から、二択になると煩悩を捨て、客観性を優先させるようになっていった。)
“覆水隆司”24歳。お盆に実家に帰らなかった。
『覆水盆に返らず』
意味:一度、おこなってしまったことは、どんなに嘆いても取り返しがつかない。
※一度盆からこぼれた水は、二度と盆の中には戻らない。と言う解釈からの意。
シルバーウイークに必ず盆に戻してみせる! 隆司は固く決意するのであった。
<人生はつづく>