アナクサの歩んで来た九年
アナクサ視点です。
あくまで、アナクサの脳内です。
「...懐かしい」
馬車の窓から見える光景。
サラム王国の王都ハイラムの町並みは殆ど変わっていなかった。
私は世界を救うため、ここから旅立ったのだ。
愛しいあの人と一旦別れ、自らの使命を果たす為に...
「お母さん...」
「あら起きちゃった?」
「...うん」
目を擦りながら三歳になる最愛の息子、アレックが私を見る。
なんて愛おしいんだろう。
運命に翻弄され、望まない妊娠で授かったアレック。
父親はクズだったが、この子に罪は無い。
私は恋人だった人の名に因んだ名前を息子に付け、愛情を注いで生きて来た。
この子が居たから、絶望せず生きて来られた。
そして今の私を作り上げたのも、息子のお陰だと言っても過言では無い。
「良い子...」
優しく息子の頭を撫でると、嬉しそうに
微笑む。
母親として精一杯頑張って来たが、やはり息子には父親が必要ね。
「着きました」
「ありがとう、この子をお願いね」
馬車は目的地に到着する。
アレックを馭者に預け、目の前にそびえ立つ建物を見上げた。
[世界浄化連合サラム王国支部]
相変わらず厳めしい看板。
こんな看板で希望に胸を膨らませていたなんて、唾棄すべき悪夢だ。
「行ってくるわね、良い子にしてるのよ」
「...分かった」
アレックのおでこに軽く口付けをする。
息子は馬車で待機、こんな穢れた建物なんかに入れる事は出来ない。
「本部のカリクサです、支部長を」
入り口で名前を告げる。
カリクサは本名では無い。
五年前、連合に巣食っていたクズ共に騙され、私は追放された。
同じ様に騙され、追放された仲間達と身分を偽り、他国の連合に再び登録した。
次々と浄化を成功させ、信頼を勝ち得ると同時に、不正も正した。
そして私は本部の調査室に入り、室長まで登り詰めたのだ。
...アナクサの名を捨てて。
「お...お待ち下さい」
予め来訪の連絡を入れていたからだろう、職員達が慌ただしく走り回る。
しばらく後、私は護衛の為、連れてきた職員と共に建物の内にある支部長室へと案内された。
部屋に置かれた豪華な調度品の数々、そして装飾の施されたソファ。
贅沢を極めている、これは追及しなければならない。
「お待たせしま...」
「久し振りですねヒックス副支部長。
いいえ、今は支部長でしたね」
部屋に入って来たヒックスの表情が驚愕に変わる。
大きく目を剥き、口をパクパクさせ、陸に打ち上げられた河豚の様だ。
「まさか...お前はアナクサ」
「その名は棄てました、いいえ捨てさせられたと言った方が良いですわね。
貴方達の罠に嵌まって」
「い...いや私は...その」
言葉を失っている。
五年前に追放した女が、今こうして本部の遣いで現れたのだから当然だ。
「...さて、内部調査の結果ですが」
私怨は後にしよう、先ずは浄化連合本部、調査室長カリクサの役目を果たさねば。
「随分使途不明金がありますね、これは一体?」
予め入手していた資料から不審点を指摘する。
「そ...それは」
「説明出来ないと」
「ま、待ってくれアナクサ!」
「何と言いました?」
「カ...カリクサ室長」
「次はありません」
「は...はい」
脂汗のヒックス。
こんな小物に踊らされ、堕ちてしまった過去の屈辱。
私の正体は本部の一部しか知らない。
今更明かす気も無い、過去は決別したのだ。
帳簿の追及を続ける。
瘴気の浄化は各地の納金で賄われ、それが浄化連合の運営資金になっている。
しかし、その金を私的に懐に入れてしまう輩が後を絶たないのだ。
本来ならば、浄化魔法を行う女達に支払うべき報酬を誤魔化し、三年後に渡すはずの報酬金を罠に嵌め、搾取する輩が...
「終わります」
「...はい」
調査は終了した。
ヒックスは項垂れ、何も言えない。
悪質な手口で告発は免れまい、これでヒックスも終わりだ。
この後捕縛され、私財没収と牢獄が待っている。
前支部長も含め、大量の人間が同様に処罰されるだろう。
「待って下さい!」
立ち上がろうとする私の袖をヒックスが掴む。
一体何の真似だ?
「ちょっと待って」
ヒックスを押さえつけようとする護衛を制する。
最後に言いたい事を言うとするか...
「私がこの国の出身だから、懐柔すれは罪は消えるとでも?
私の手紙を家族に届けず、大切な人の手紙を渡さなかった貴方達を私が助けるとでも?」
「そんな事は...」
「まったく腐ってますね、殺したい位に」
本当なら八つ裂きにしたい...
「ア...アレックス、アレックスに会いたくありませんか!?」
「アレックス...?」
懐かしい名前に衝撃が走る。
幼馴染みで恋人だったアレックス。
運命を違えてしまい、二度と会えなくなってしまった最愛の人...
「アレックスはこの王都にも商会の支店を構えているのです!
アナクサ...今も貴女の行方を探して...」
「...黙れ」
「え?」
護衛がヒックスの首をテーブルに押し付ける。
屈強な力に息が出来ないのだろう、泡を噴いて気絶した。
「何を今更...」
涙が止まらない。
一体どの面を下げてアレックスに会えばいいの?
クズに騙され、望まぬ妊娠まで...
「もう遅いのよ...」
ふらつく足で建物を出る。
何も考えられない、一体何がいけなかったの?
「お母さん?」
「...アレック」
馬車に戻るとアレックが不思議そうに私を見つめる。
この子が...私を騙した男リョージじゃなく、アレックスの子だったなら...
「本部に帰りますか?」
「ええ」
馭者に呟く。
いつも冷静な態度を崩さない私なのに、こんな姿を見せるなんて。
「大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ」
アレックを抱き締めた。
まさかアレックスが王都にまで支店を構える程の成功を収めていたなんて。
『今も一人なんだろうか?』
いや、それは無い。
アレックス程の素晴らしい人間は居なかった、自慢の恋人だったんだ。
きっと今頃素敵な妻を迎えて...
「...カリーナ」
頭に一人の幼馴染みの顔が浮かぶ。
美しさと優れた頭脳を持つカリーナはアレックスに相応しい人間だった。
旅立つ時、私は彼女に言ったんだ。
『必ず帰って来るから、それまでアレックスをお願い』と...
義理堅いカリーナの事、今も約束を守っていたなら?
「ちょっと待って!」
「はい、どうされました?」
「サライに!サライの町にお願い!」
思わず馭者に叫んでいた。
「...どうしたのお母さん?」
「...お父さんに会いに行くのよ」
「お父さん?」
「そうよ、きっとアレックを愛してくれるわ」
もう迷いは無い、待っててねアレックス。
馬車はサライに向け、進み始めた。
私達親子を乗せて...