プロローグ 町の人々
サラム王国にある辺境の町サライ。
街道に停められた馬車の前で、1人の女が町の人達と別れを惜しんでいた。
『行ってくるねアレックス』
『気をつけて、アナクサさん』
「アナクサでいいのよ」
「...でも俺より三歳も年上だし」
「はいはい」
最後にアナクサがアレックスに笑う。
お互い泣き出したい気持ちを堪えての笑顔。
見つめ合う二人の目尻には涙が浮かんでいた。
『身体を大切にね...アナクサさん』
王国からアナクサを迎えに来た兵士達に促され、乗り込んだ馬車に呟くアレックス。
小さな子供達はアナクサが旅立つ意味すら分からず、健気に手を振っていた。
約二十年前、世界各国で突如大量発生した魔物達。
全て魔物は退治されたが、瘴気が残されてしまった。
瘴気に穢された土地は作物が取れなくなるだけで無く、周囲の水や空気までも人間にとって有害な物に変えてしまう。
この事態に世界各国は協力し、穢れた土地を元に戻す為、浄化魔法の使い手を集め、各地へ派遣する事にした。
穢れは浄化魔法で一時的に治まるが、数年置きに繰り返し浄化しなければ元通りにならない。
浄化魔法が使えるのはごく一部の女性に限られており、その存在は貴重。
どこの町でも浄化魔法が出来る人間は貴重な存在として、大切にされてきた。
アナクサもその1人。
浄化魔法の使い手として生まれ、近隣の町を浄化して来た。
そして昨年、19歳になったアナクサは言った。
『近隣の浄化が終わったので、自分の力を浄化が終わっていない他の人々に役立てたい』
周囲を説得したアナクサは王国に自ら申請し、今回の招集となった。
いつ終わるとも知れないアナクサの役目。
これから彼女は世界中に派遣され各地を回らねばならない。
それは幼馴染みのアレックスとの別れを意味していた。
一応の契約は三年が期限と決まっている。
しかしアレックスは知っていた。
浄化の旅は過酷。
途中で身体を壊す事は日常茶飯事。
そうなれば一旦任を解かれ、各国の王都での静養となる。
彼女達は身体が治ると再び旅に出る。
そして約束の三年が終わっても、故郷に戻る事は殆ど無い。
国から出る報償金と旅の中での出会いに、新しい人生を選ぶのだと。
『幸せに...』
消え行く想いにアレックスが呟く。
とにかく無理だけはして欲しくなかった。
そして九年の月日が流れた。
「ふう」
アレックスが目を覚ます。
定期的に見てしまうあの日の光景。
17歳だったアレックスも今や26歳。
逞しい大人の男になっていた。
アナクサからの手紙は一年で途絶えた。
何度も町から手紙を送ったが、アナクサからの返事は無かった。
期限の三年が経ってもアナクサは帰らず、アナクサの両親は娘の行方を探したが、結局何一つ掴めないまま、今日まで来ていた。
「おはようカリーナ」
「おはよう、随分うなされてたわね」
「聞こえていたのか」
「そりゃそうよ」
寝室を出たアレックス。
テーブルに朝食を並べているのはカリーナ。
5年前に両親の営んでいた小さな商会を引き継いだアレックス。
隣の大きな街に商会を移し、仕事に打ち込んで来た。
商才溢れるアレックスは事業を順調に伸ばし、今や王都にまでその名を知られる様になっていた。
「またあの夢?」
「まあな」
「...出来ない約束なんかするから」
「仕方ないよ」
少し寂しそうなアレックス。
カリーナとアレックスは同い年、そしてアナクサとも幼馴染み、小さな町では年の近い子供はみんな一緒だった。
『アレックス、帰って来たら結婚しようね』
アナクサが言った言葉はカリーナも知っており、今も忘れる事が無かった。
「今日の予定は?」
朝食を終えたアレックスの言葉にカリーナは手にしていた予定表を捲る。
小さい頃から神童と言われていたカリーナ。
六年前、彼女は王都の学校に特待生で招かれ、飛び級を重ね二年で学業を修めた。
その後、アレックス商会の副代表を務めていた。
「今日はまず農地管理組合との会合、
後はハンスさんと...」
「...おじさんか」
アレックスの表情が曇る。
ハンスはアナクサの父親。
定期的にアレックスの元を訪ねていた。
「娘の事が知りたいんでしょ」
「知らないのに...」
ハンスは今も故郷で小さな鍛冶屋を営んでいる
商会の仕事で顔の広いアレックスに娘の情報をと頼まれていた。
しかし、アナクサの現在を知る情報は出てこない。
アナクサは5年前、浄化の旅に同行していた男と役目を捨てて、放逐された。
それ以降は全く...